Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2012年03月

日ごとの聖句518 苦難の僕 2012/4/1〜7

2012年4月1日(日)復活前主日          イザヤ書53:2
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。

4月2日(月)復活前月曜日            イザヤ書53:4
彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。
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4月3日(火)復活前火曜日     イザヤ書53:5
彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。

4月4日(水)復活前水曜日     イザヤ書53:5
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

4月5日(木)聖木曜日        イザヤ書53:10
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、彼は自らを償いの献げ物とした。主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる。

4月6日(金)聖金曜日(受苦日)        イザヤ書53:11
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。

4月7日(土)聖土曜日             イザヤ書53:12
多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。

星を数える夜──詩人・尹東柱(ユンドンジュ)の70年

ダニエル書12:3‐13

「こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。『主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか。』彼は答えた。『ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。……終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」12:8‐10、13

讃美歌312 いつくしみふかき
讃美歌497 わがゆくべき
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「季節が過ぎていく天には 秋でいっぱい満ちています」

 これは尹東柱(ユンドンジュ)という人の「星を数える夜」という詩の初めです。尹東柱は1917年に中国東北部間島省明東(ミョンドン)(現在は中国吉林省延辺朝鮮自治州に属する)に生れ、1945年に福岡で獄死した朝鮮のキリスト者詩人です。今からちょうど70年前、1941年の11月5日にこの詩が書かれました。書かれた場所は、当時日本統治下の朝鮮、韓国のソウルです。尹東柱は当時23歳の青年。ソウルのキリスト教学校、延禧(ヨニ)専門学校の学生でした。延禧は現在の延世(ヨンセ)大学校で、同志社とも交流の深い学校です。
詩の初めのほうを読んでみます。

 星を数える夜

季節が過ぎていく天には
秋でいっぱい満ちています。
わたしはなんの心配もなく
秋の中の星々を みな数えられそうです。


 秋の深い夜、尹東柱は丘の上に立って、星空を見つめています。満天の星。冷たく冴えわたった空気の中で、心は平安です。あせりも心配もありません。大きな星、小さな星、白い星、赤い星、明るい星、ほの暗い星……。星はとても多いけれども、ひとつひとつの星がくっきりとしていて、全部の星を数えられそうな気がします。

 星のひとつひとつが語りかけてくるようです。星はただ遠くに向こうに見えているばかりではなく、自分の心に宿ります。ひとつ、ふたつ、みっつと……自分の胸に、星は刻まれてきます。数えられそうな星なのですが、ひとつひとつ大切に心に留まってくるので、1、2、3、4……というようにどんどんと数えるわけにはいきません。

胸の中に ひとつ ふたつと 刻まれる星を
今すべて数えきれないのは
すぐに朝が来るからで、
明日の夜が残っているからで、
まだわたしの青春が尽きていないからです。


 星はひとつ、ふたつ……と自分の胸に刻まれてきて、今全部を数えることはできません。こんなにたくさんの星ですから、数えているうちにすぐに朝が来てしまいます。急いで全部いま数えなくてもいいのです。明日の夜が残っているのですから。

 けれども尹東柱は「明日の夜もあるから」とは言わず、「残っているから」と言います。明日も明後日もずっと日が十分あるというのではない。「残っている」というのは、逆に言うと、夜は、星を数えられる夜は限りがあるということかもしれません。今すべて数えられなくてもよい。あせりも心配もないのです。明日の夜が残っているから。けれどもその先はわかりません。
 
胸の中に ひとつ ふたつと 刻まれる星を
今すべて数えきれないのは
……
まだわたしの青春が尽きていないからです。


 まだわたしの青春は尽きていない。星を全部数えてしまったら、もう自分の青春は尽きてしまうかもしれない、という思いがどこかにあるのでしょうか。しかしまだ尽きてはいない。

 23歳の尹東柱。今は11月初旬、5日ですが、その1ヵ月後の12月8日には、日本軍による真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まります。戦時下のため、学校の授業は短縮され、3ヵ月繰り上げ卒業となります。この詩を書いてから50日あまりで彼は延禧を卒業してしまうのです。1941年12月27日でした。

 卒業後どうするか。すでに彼は決意していました。日本への留学です。

 北に光る星の下には故郷があり、南東の星の下にはまだ見ぬ日本があります。ある星は自分のこれまでを示しているようであり、ある星は自分の将来を告げているような気がします。星は無言でありながら、何かを語っているようです。星ひとつひとつがそれぞれ言葉を持っているようです。

星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに お母さん、お母さん、

お母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとことずつ呼んでみます。小学校のとき机を並べた子らの名まえと、佩(ペ)、鏡(キョン)、玉(オク)、このような異国の少女たちの名まえと、もう赤ちゃんのお母さんになった娘たちの名まえと、貧しい隣人たちの名まえと、鳩、小犬、兎、らば、鹿、フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ、このような詩人の名まえを呼んでみます。

これらの人たちはあまりにも遠くにいます。
星が 目まいするほど遠いように、

お母さん、
そしてあなたは遠く北間島(プッカンド)におられます。


 尹東柱の故郷である北間島龍井(ヨンジョン)は朝鮮と中国を隔てる豆満江の北側。当時は日本支配の「満州国」に属していました。ソウルから龍井は遠い。龍井はソウルからほぼ真北に1000キロの距離です。帰るには1日1本の夜行列車を使って、およそ24時間かかります。さらに日本に行くとなればどんなに遠いことでしょうか。しかもソウルの学校でさえ、日本の支配の締め付けによって朝鮮語が禁止されてきている時代です。尹東柱は、奪われ、滅ぼされようとする朝鮮語に自分と自分の民族の命を感じて生きている詩人です。日本渡航は危険にさらされることです。けれども学びを深めることが自分の使命であれば、それを選ぶほかはありません。

 故郷では、母が毎日自分のことを心配して祈ってくれているでしょう。父は、息子の日本渡航のために手続きをしてくれているはずです。何の手続きかと言うと、創氏改名。日本に渡るためには尹東柱の名では叶わない。日本式に名前を変えなくては玄界灘を渡ることはできません。渡航証明書には日本の名前でないといけないのです。そのため「尹」の代わりに「平沼」とし、尹東柱は「平沼東柱(とうちゅう)」としなくてはなりません。代々継承してきた「尹」を「平沼」に変えるのは、一家にとってどんなに辛い、屈辱的なことでしょうか。
 
お母さん、
そしてあなたは遠く北間島(プッカンド)におられます。

わたしは何か恋しくて
このたくさんの星の光が降った丘の上に
わたしの名まえの字を書いてみて、
土でおおってしまいました。
たしかに 夜を明かして鳴く虫は
恥ずかしい名を悲しんでいるからです。

 
 尹東柱は日本に渡るために名乗ることになる「平沼東柱」という名前の字を、星の光の下で、石か木片を取って土に刻んだのでしょうか。恥ずかしい名前です。あるいは「尹東柱」とも書いたかもしれません。書いてみて、土で覆ってしまいました。声を立てて泣いている秋の虫は、恥ずかしい名前を悲しんでいる。鳴く虫の声は自分の心の声です。

 尹東柱はここで「星を数える夜」の詩を書き終えて、「一九四一、十一、五」と日付を書きこみました。

 しかし何かこれで全部ではない気がする。恥ずかしい名を書いて、土で覆ってしまって、悲しみで終わっていいでしょうか。こんなにたくさんの星の光が自分にも、丘の上にも降り注いでいるというのに。

 やがて彼は、日付を記した次にもう4行を書き加えました。

けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
誇らしく草が生い繁るでしょう。


 秋も深まってまもなく冬になろうとしています。季節のことだけではない。日本という、自分が朝鮮人として朝鮮語で生きて行くこと許さない国に行くのは、まさに冬を耐えることになるのではないか。

けれども冬が過ぎてわたしの星にも春が来れば

 わたしの星。星のひとつに、彼は自分の尹東柱という名前を呼んでみたのかもしれません。わたしの星にも必ず春が来る。

 どうしてここに「墓の上に」という言葉が出てくるのでしょうか。彼は恥ずかしい名前を土で覆ったばかりではなく、自分自身が墓に葬られることを感じているかのようです。

けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
誇らしく草が生い繁るでしょう。


 23歳の尹東柱はすでにここで自分の死と、そして復活を予感して、決意し、覚悟しているかのようです。自分の青春が尽きてしまうまでに、残された時間はどれくらいあるでしょうか。

 尹東柱は、翌1942年春、東京のキリスト教系学校である立教大学に留学しました。そこで彼は軍事教練を拒否したため、配属将校から憎まれ、圧迫を受けるようになりました。その年の秋、彼はこの同志社大学文学部英文学科に転入しました。69年前です。しかし翌1943年7月14日、夏休みを前に、彼は下宿で下鴨警察署員に逮捕されました。治安維持法違反の容疑。日本国家を転覆する意図をもって活動したというのです。朝鮮語で日記や詩を書くこと自体が、罪に問われることでした。

 彼は京都地方裁判所で懲役2年の判決を受け、福岡刑務所に収監されました。そして1945年2月16日、拷問、虐待の果てに衰弱、獄死しました。満27歳でした。

 今日は、ちょうど70年前に書かれた「星を数える夜」の詩をご紹介しましたが、同じ年同じ月、1941年11月20日に書かれた「序詩」を刻んだ尹東柱詩碑が、この今出川キャンパスに立てられています。
 
 遠い昔、ダニエルという預言者がいました。先ほど読んでいただいたのは旧約聖書・ダニエル書の最後のところです。

「こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。『主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか。』彼は答えた。『ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。……終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」12:8‐10、13
 
 心配し、迷うことはある。苦しみは避けられない。しかしあなたは、あなた自身の道を行きなさい。神さまがあなたに託された使命を確かめ、それを引き受けて終わりまでまっすぐ道を行きなさい。──これは70年前に尹東柱が「星を数える夜」を書いたころに聞いた神さまの声、またそれから1年後にこの同志社大学で過す間に聞いた神さまの声かもしれません。

 あなたは苦難を経て、必ず再び立ち上がるであろう。──あの詩を書いた尹東柱は、70年を経た今、立ち上がってわたしたちに語りかけています。

 わたしたちもまた困難があったとしても、自分に託された使命が何であるかを尋ね求め、確かめ、それを引き受けて、終わりまで真実にまっすぐ自分の道を歩む。そのような人生の道は、輝く星の光をいっぱいに浴びる道。苦難をとおしてイエス・キリストの復活に生かされる道です。

(2011/11/09 同志社大学チャペルアワー 神学館礼拝堂)

日ごとの聖句517 一粒の麦

2012年3月25日(日)大斎節第5主日         ヨハネ12:20
さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。

3月26日(月)聖マリヤへのみ告げの日       ヨハネ12:21
彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
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3月27日(火)          ヨハネ12:22
フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。

3月28日(水)          ヨハネ12:23
イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。」

3月29日(木)                  ヨハネ12:24
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

3月30日(金)                  ヨハネ12:25
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」

3月31日(土)                  ヨハネ12:26
「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」

イエスはパンを取り

ヨハネ6:11

 今わたしたちは聖餐式という礼拝をしているのですが、それは2000年前にイエスさまがなさったことにつながっています。それを今日、ご一緒に確かめたいのです。

 たくさんの人々がイエスのまわりに集まっています。遠いところからやって来た人がおり、解決できない困難を抱えてただイエスにすがる思いで来ている人がいます。

WP_000229 今日の福音書の一節を見てみます。

「さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。」ヨハネ6:11

 ここで行為をなさるのはイエスです。人々の欠乏と困窮の中で、イエスが何をなさるのか。それを人々は見つめています。

 イエスはパンを取られた。集まった多くの人々の飢えを満たすにはまったく足りないパン。しかし少年のまごころのこもったパンです。そのパンをイエスが手に取られた。その手は少年のまごころを大切に受け取られた手です。同時に、それは人々の飢えと困難を感じ、何とかしてそれを満たしたい、助けたいと願われる手です。

 パンを取られたイエスの手は上に向けられます。神に向けられるのです。神さまがこの人々の困難な現実を顧みてくださるように。少年の差し出したパンにこめられたまごころを神が受け取ってくださるように。

 イエスの心に感謝の思いが起こり、感謝の祈りがイエスの口から湧き出ます。神の言葉を聞こうとしてこれだけの人が集まっていることが感謝です。自分にとって大切なものをみんなのために差し出す子どもがいることが感謝です。一緒に祈れることが感謝です。

 人々の祈りがイエスに集められ、イエスの捧げる感謝の祈りは天に届きます。天に届いた祈りは空しくならず、天から祝福が降りてきてパンに注がれます。祝福されたパンを、いま、イエスは座っている人々に分け与えられました。祝福されたパンを一緒にいただく。うれしいことです。

 同じような場面が新約聖書にはもう二つの箇所に記されています。

 ひとつは最後の晩餐のときです。

「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えられた」ルカ22:19

 それが木曜日でした。

 それから3日の後の日曜日の夕方に、もうひとつの場面が出て来ます。エルサレムを脱出して数時間を旅し、ようやく夕暮れにエマオの町に到着したふたりの弟子たち。途中で道連れになった人が、食卓で祈ってくれました。

「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」ルカ24:30‐31
 
 飢えがあり、困窮があり、不安と危険があり、疲労困憊と恐れがあるなかで、イエスはパンを取られる。祈られる。そして祝福のパンを分かち与えてくださる。

 その場面を三つ確かめたのですが、四つ目はどこか。それはここです。今ここに集まっているわたしたちのこの場面です。

 イエスが祈り、祝福される。わたしたちはだれか。群衆です。不安と困難を抱えつつイエスのもとに集まった群衆です。

 わたしたちはだれか。パンを差し出す少年です。わたしたちの捧げる祈りと献金は、少年の捧げたパンです。まごころをもって差し出します。わたしたちの捧げるものをイエスは大切に受けて、手に取られます。手に取って祈り、祝福してくださいます。

 イエスがわたしたちの困窮を顧みてくださり、祝福のパンによってわたしたちを力づけようとしてくださる。第4の場面として、わたしたちは聖餐式を経験しているのです。

 祈ります。

 主イエスさま、わたしたちの抱える現実を顧みてください。わたしたちの捧げるものがたとえわずかであったとしても、まごころから捧げますので、御手に取ってください。そしてそれを祝福し、わたしたちの命の糧としてあなたの御手から与えてください。アーメン

(2012/03/18 京都聖三一教会)

ペテロと十字架

聖書 ヨハネ21:15‐19
聖歌 「イエスさまを見よ」


 ペテロはガリラヤ湖の漁師でした。ペテロはイエスに招かれて、イエスに従いました。

 ペテロはイエスによって、自分の妻の母の熱病をいやしていただき、また自分自身も救われました。
舟を漕ぎ出した夜の湖で、嵐に襲われて死の恐怖に陥ったとき、イエスは風と波を静め、ペテロの心の嵐も静められました。
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 イエスに「あなたがたはわたしを何者だと思うのか」と尋ねられたとき、ペテロは「あなたは生ける神の子、救い主です」と信仰告白しました。その後、連れられて高い山に登り、栄光に輝くイエスの姿を目撃しました。

 しかしイエスが危険に向かって進まれるのをペテロは恐れ、十字架の道を阻止しようとしました。それでイエスからひどく叱られました。ペテロにとって十字架は避けるべきもの、恐ろしいものでした。

 最後の晩餐のとき、ペテロはイエスによって足を洗っていただきました。初めペテロはそれを強く辞退しました。しかしイエスは「わたしがあなたの足を洗わなければ、あなたとは何の関係もなくなる」と言われました。自分のきたない足を洗っていただくことは、はずかしいこと、申し訳ない、もったいないことでした。イエスの愛を深く感じました。
 ペテロはイエスを愛していました。イエスとともに苦しみを受け、死ぬ覚悟でした。

 食事の後、オリーブ山のゲッセマネに行きました。イエスが祈っておられるのを知りつつ、寝てしまいました。
武器を持った者たちが来てイエスが捕らえ、引っぱって行きました。そのとき、ペテロはいったん逃げたものの、あとからこっそりとついて行きました

 大祭司の屋敷の庭に入って、召し使いたちと一緒に焚き火にあたっていました。
「お前はイエスの仲間だろう」と問われて、3度も「違う」「イエスなど知らない」と言いました。

 ペテロはイエスを愛していたのに裏切ってしまいました。外に出て泣きました。
 悲しみと自責。いくら自分を罰しても罰し足りないペテロでした。自分を呪いました。
 十字架は悲しみの十字架。呪いの十字架でした。
 
 ペテロは故郷のガリラヤに帰りました。元の漁師に戻るしかありませんでした。

 ある晩、仲間の弟子たち数人と一緒に夜通し漁をして1匹も獲れず、疲れ果てて舟の中で倒れ込んでいたとき、岸辺にだれかが立っていて「子どもたちよ、何か食べるものがあるか」と呼びかけてきました。「ない」と返事しました。
 ヨハネがペテロに「あれは主だ」と言ったので、ペテロは海に飛び込んで、泳いで岸辺に着きました。

 岸辺には炭火がいこしてあって、魚の焼けるにおいがしていました。

「さあ、朝の食事をしなさい」

 ペテロは、自分がイエスに愛されていることをもう一度知りました。否、はじめてそれをほんとうに知ったのです。

 あの大祭司の屋敷の庭で見た焚き火はおそろしい火でしたが、いま目の前に燃える火は優しい愛の火です。

「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの小羊を飼いなさい』と言われた。

二度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロが、『はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『わたしの羊の世話をしなさい』と言われた。

三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』ペトロは、イエスが三度目も、『わたしを愛しているか』と言われたので、悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』イエスは言われた。『わたしの羊を飼いなさい。』

はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。』
ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、『わたしに従いなさい』と言われた。」ヨハネ21:15‐19

 
 わたしたちもイエスに招かれ、イエスに従いました。

 わたしたちもイエスに従うことができず、逃げることがあり、自分をごまかすことがあり、あるいは自分を責めることがあります。

 けれどもイエスはわたしたちのために、朝の食事を用意してくださいます。

 イエスに養われ、イエスの愛に浸されて、わたしたちもイエスを愛したい。

 イエスさまに託された何かを、だれかを大切に支え、守り、また養うことができますように。

 今、十字架の光がペテロを照らします。ペテロの仰ぐ十字架は愛の十字架です。このうえなく美しい十字架です。その光がわたしたちを照らしています。

(京都朝祷会2012/03/16 河原町カトリック教会)

日ごとの聖句516 深い淵の底から 2012/3/18〜24

2012年3月18日(日)大斎節第4主日        詩編130:1‐2
深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。

3月19日(月)聖ヨセフ日             申命記33:13
ヨセフのためにモーセは言った。「主の祝福がその土地にあるように。天からは露の賜物、下は横たわる淵の賜物が臨むように。」

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3月20日(火)           詩編71:20
あなたは多くの災いと苦しみを、わたしに思い知らせられましたが、再び命を得させてくださるでしょう。

3月21日(水)           詩編71:20‐21
あなたはわたしを、地の深い淵から再び引き上げてくださるでしょう。わたしを力づけ、すぐれて大いなるものとしてくださるでしょう。

3月22日(木)                   詩編71:22
わたしもまた、わたしの神よ、琴に合わせてあなたのまことに感謝をささげます。わたしは竪琴に合わせてほめ歌をうたいます。

3月23日(金)                 イザヤ書63:13
主は彼らを導いて淵の中を通らせられたが、彼らは荒れ野を行く馬のように、つまずくこともなかった。

3月24日(土)                  創世記49:25
どうか、あなたの父の神があなたを助け、全能者によってあなたは祝福を受けるように。上は天の祝福、下は横たわる淵の祝福をもって。

わたしはぶどうの木(幼稚園でのおはなし)

ヨハネ15:5

 イエスさまはたくさんの人の病気をなおしてあげ、また弱っている人たちのためにお祈りして元気になるようにしてくださいました。イエスさまはひとりぼっちの人の友だちになってくださいました。それでみんなはイエスさまが大好きで、いつまでも一緒にいたいと思っていました。ところが悪い人たちがイエスさまを捕まえてしまおうとねらっていました。

 それがわかったとき、イエスさまは皆を集めて、最後の夕食を用意してくださいました。
ぶどう

 ふと見ると、みんなの足がとてもよごれています。砂や泥がたくさんついて気持ち悪そうです。そこでイエスさまは水を汲んでたらいに入れて、手ぬぐいをとって、ひとりひとりの足をきれいに洗ってくださいました。

 ペテロさんの足も、ヨハネさんの足も、マグダラのマリアさんの足も、皆の足もきれいに洗ってくださいました。洗ってもらうのは、とても恥ずかしかった。イエスさまは水で濡れた足をタオルできれいに拭いてくださいました。うれしかった。

 食事をしながらイエスさまはみんなにこう言われました。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」

 みんなは枝ですよ。イエスさまがぶどうの木。ふどうの木から枝が離れてしまったら、枯れてしまいます。けれどもぶどうの木につながっていたら、どんなことがあっても大丈夫。ぶどうの木のイエスさまから力が来る。パワーがくる。栄養が来ます。あたたかいもの、やさしいものがくる。

 今週土曜日にはばら組さんの卒園式があって幼稚園からお別れします。28人のおともだち。イエスさまから離れないように。聖書をプレゼントします。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」

 イエスさまはぶどうの木としていつまでも皆とつながっていてくださいます。
 皆もイエスさまとつながっていてくださいね。

(2012/03/06 聖三一幼稚園)

ペテロの悲しみと喜び(幼稚園でのおはなし)

 ある木曜日の夕方、イエスさまは弟子たちと一緒に最後の食事をされました。
 そのときイエスさまはみんなに言われました。

 「もう皆とはお別れだ。だれかが来て、わたしを連れて行ってします。」

 するとペテロさんは言いました。
 「いいえ、イエスさま、わたしはどんなことがあってもイエスさまについていきます。」

 食事が終わって、皆で聖歌を歌った後、イエスさまは近くに山に登って行かれました。弟子たちもついていきました。
 イエスさまは山の中でお祈りしておられました。
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 すると向こうから、剣や槍や棒を持った人たちがやって来て、イエスさまを捕まえて連れて行ってしまいました。弟子たちは皆逃げてしまいました。

 ペテロさんはそっと、見つからないように、後からついていきました。

 イエスさまが連れて行かれた大きなお屋敷には庭がありました。その庭では焚き火をしていました。寒かったので皆で焚き火に当たっていました。

 ペテロさんも知らん顔をして一緒に火に当たっていました。
 するとそこにいた人がペテロさんの顔を見て言いました。
 「お前はイエスの仲間だろう!」
 ペテロさんは思わず「いいえ、違います」と言いました。
 
 しばらくすると別の人がまた言いました。
 「あなたはイエスの仲間でしょう!」
 「違います。イエスなんて人は知りません!」

 ペテロさんはウソをついてしまったのです。ペテロさんは逃げて飛び出してしまいました。
 けれどもペテロさんは、自分がウソをついたこと、イエスさまを裏切ってしまったことが悲しくて、苦しくてどうしたらよいかわかりませんでした。

 それからしばらくしてペテロさんは故郷に帰りました。ペテロさんはもともとガリラヤ湖という湖の漁師さんだったのです。

 ある晩、仲間の弟子たちと一緒に舟に乗って魚をとろうとしたけれど、一晩かかって1匹もとれずに、朝になって疲れて舟の中で寝てしまっていました。

 すると陸の方からだれかが呼ぶ声がします。
 「おーい、何か食べるものはあるか……?」
 「ありませーん!」

 ペテロさんたちが急いで陸に上がってみると、それはイエスさまだったのです。
 イエスさまは魚を焼いて、パンを用意して朝ご飯を用意していてくださったのです。
 とてもおいしかった。

 でもペテロさんは、自分がウソをついたこと、イエスさまを知らないと言ったことがとても気になっていました。
 心の中で言いました。
 「イエスさま、ゆるしてください」

 イエスさまはペテロさんに言われました。

 「ペテロさん。あなたはどこへ行っても、あなたのまわりの小さな人たちを守ってあげなさい」
 イエスさまはペテロさんをゆるしてくださいました。ゆるしてくださっただけではなく、大切な役目をくださいました。
 「どこへ行っても、まわりの小さな人たちを守ってあげなさい」

 ペテロさんはとてもうれしかった。これからはまちがったことを繰り返さずに、イエスさまが言われたことを大切にしていこうと決心したのでした。

(2012/03/15 聖三一幼稚園)

黙想会「ラビリンスによる聖地巡礼」

2012年3月11日 京都聖三一教会

聖歌 568 うたえ主に感謝 恵みふかい主に
      うたえ主に感謝 アレルヤ


詩編 第130編 都に上る歌

1 深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。

2 主よ、この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。

3 主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら
  主よ、誰が耐ええましょう。

4 しかし、赦しはあなたのもとにあり
  人はあなたを畏れ敬うのです。

5 わたしは主に望みをおき
  わたしの魂は望みをおき 
  御言葉を待ち望みます。

6 わたしの魂は主を待ち望みます
  見張りが朝を待つにもまして
  見張りが朝を待つにもまして。

7 イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに
  豊かな贖いも主のもとに。

8 主は、イスラエルを
  すべての罪から贖ってくださる。

(出発前の黙想と祈り)

 自分の思いを自由に紙に書いてみます。
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1 入り口

さまざまな重荷、心配、あせり……を手放し、静かになり、心を神さまに向かって開きます。

ラビリンスの入り口に立ち、沈黙のうちに神のおられる聖地に向かって出発します。目標は聖なる山の上、エル
サレムのシオンの丘、神のおられる場所です。

 祈り、黙想しつつ、ゆっくりと道に沿って歩んでいきます。

(行く人と帰る人が出会ったら、お互いにそっと道を譲ります。)
 
2 中心

 中心(聖地)に到着したら、心のうちに感謝と賛美を捧げます。しばらく留まって、神と共にあることを深く思いめぐらします。神と一致し、交流していることを感じてみます。

 何か願い、あるいは決意があれば、沈黙のうちにそれを神に捧げます。
 
 聖地において神の前に立ち、神との交流を与えられたことを大切に心に収めつつ、帰途につきます。ゆっくりと歩んでいきます。
 
3 出口

 出口に到着したとき、新しい世界が開けます。そこはわたしが神から何かを託されている場所。使命を与えられて新しく生き始める場所です。


ラビリンス巡礼者の祈り

すべての道の主である神さま
わたしは今日、ラビリンスの前に立って、
主に至る人生の旅路を描いてみます。

近道ばかりを求める性急なこのわたしは
待つことを嫌い、
直線的にのみあなたに向かって
飛び出そうとしてきました。

けれども、かぎりない忍耐の神さまは
くねくねと曲がるまったく違った道を
わたしの前に広げて示されます。

真ん中へと近づくときは喜びにわきますが
すぐに端へとはずれて行くこの道……
なにかわたしの人生と似ています。

一歩ずつ踏み歩むとき
時には目標から遠ざかるようですが、
主はいつもわたしを導いてくださいました。

驚きと神秘の神さま
このラビリンスはその神秘に
わたしをゆだねて、従う道を教えてくれます。

はっきりとはわからないのですが、
信じて仰ぎ行くこの道は、
曲がっては入り、曲がっては出ていきながら
やがては万有の中心である主に
わたしを導きます。
(ジーン・ゾンネンバーグ)

それぞれ与えられた祈り、思いを書いてみます。


詩編 第130編

聖歌 568 うたえ主に感謝 恵みふかい主に
      うたえ主に感謝 アレルヤ




沈黙を解きます。

しばらく分かち合います。

日ごとの聖句515 苦難からの守り 2012/3/11〜17

2012年3月11日(日)大斎節第3主日          詩編32:1
いかに幸いなことでしょう、背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。

3月12日(月)                    詩編32:2
いかに幸いなことでしょう、主に咎(とが)を数えられず、心に欺きのない人は。
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3月13日(火)            詩編32:5
わたしは言いました「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを赦してくださいました。

3月14日(水)                    詩編32:6
あなたの慈しみに生きる人は皆、あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。

3月15日(木)                    詩編32:7
あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって、わたしを囲んでくださる方。

3月16日(金)                    詩編32:8
わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。

3月17日(土)                 詩編32:10‐11
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。神に従う人よ、主によって喜び躍れ。

『続日本紀』

『続日本紀(しょくにほんぎ)』という歴史書を読み終えました。

講談社学術文庫。全3巻。宇治谷孟による現代語訳。
続日本紀
平城京の時代を編年体で記したもの。非常に面白かった。

印象に残った箇所のひとつを記します。

「西宮の寝殿において、僧達に食事を供した。景雲が現れたからである。この日、僧侶の振る舞いは仏門にある者のようでなく、手を拍(う)って歓喜すること俗人とまったく変わらなかった。」

巻28 称徳天皇 神護景雲元年(767)8月8日

今日の牧師・聖職も自ら省みたいことです。



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 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
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井田 泉
奈良基督教会牧師
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