Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2012年04月

日ごとの聖句522 復活の約束

2012年4月29日(日)復活節第4主日         マルコ16:9
イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。

4月30日(月)                  マルコ14:28
イエスは言われた。「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」

5月1日(火)使徒聖ピリポ・使徒聖ヤコブ日     ヨハネ5:21
イエスは言われた。「父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。」
WP_000588
5月2日(水)         ヨハネ6:39
「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。」

5月3日(木)                   ヨハネ11:25
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」

5月4日(金)                 使徒言行録2:24
神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

5月5日(土)          コリントの信徒への手紙 6:14
神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます。

日ごとの聖句521 イエス御自身が 2012/4/22〜28

2012年4月22日(日)復活節第3主日 エフェソの信徒への手紙2:20
あなたがたは神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身です。

4月23日(月)             ルカによる福音書24:15
二人が話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
WP_000535
4月24日(火)      ルカ24:36
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

4月25日(水)福音記者聖マルコ日          ルカ24:39
イエスは言われた。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。」

4月26日(木)                  ルカ24:40-41
こう言って、イエスは手と足をお見せになった。彼らは喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていた。

4月27日(金)                  ルカ24:41-42
そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

4月28日(土)                使徒言行録20:35
主イエス御自身が「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた言葉を思い出してください。

日ごとの聖句520 命の息 2012/4/15〜21

2012年4月15日(日)復活節第2主日          創世記2:7
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

4月16日(月)               ヨハネ福音書20:19
弟子たちは家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

WP_000526
4月17日(火)      ヨハネ20:20
イエスはそう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。

4月18日(水)      ヨハネ20:21
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」

4月19日(木)                  ヨハネ20:22
イエスはそう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」

4月20日(金)                  詩編104:30 あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、地の面(おもて)を新たにされる。

4月21日(土)                  詩編150:3、6
角笛を吹いて神を賛美せよ。琴と竪琴を奏でて神を賛美せよ。
息あるものはこぞって主を賛美せよ。ハレルヤ。

十字架の下で始まった新しい教会 (聖金曜日の説教)

(大和伝道区合同 聖金曜日の礼拝 2012/04/06 奈良基督教会)
WP_000509

ヨハネ福音書による
     主イエス・キリストの受難

   18:1‐19:42


 マリアたち

 主イエスの十字架の下(もと)にはだれがいたでしょうか。それを見つめていきます。

 まず、イエスの母マリアと、そこに一緒にいた人々です。

「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」ヨハネ19:25

 イエスの母マリア。そして母の姉妹といいますから、イエスの叔母にあたる人です。イエスの幼いときからイエスを見守り、世話をし、祈ってきた人でしょう。

 マグダラのマリアは特別イエスの身近にいた女の弟子です。もう一人、クロパの妻マリアも、おそらくはイエスの身近な弟子であったに違いありません。

 これら4人の女の人たちが十字架のそばにいて、どうしていたのでしょうか。
 彼女らは「立っていた」と記されています。
 座っていたのでなく、くずおれていたのではなく、立っていました。

 この「立っていた」の「立つ」という言葉は、「抵抗する」「しっかり立つ」というニュアンスの言葉です。屈しないで、諦めないで、悪しき力に抵抗してしっかり立っていた、ということです。ただ嘆いていたのではなく、はっきりした姿勢を持って、決意を持ってしっかりと立っていたのです。

 かつて母マリアは、わが子イエスの活動があまりに過激にわたるのを心配し、イエスを家に呼び戻そうとしたことがありました。「あなたの息子は気が変になっている」と人々から言われました。マルコ福音書にはこう書かれています。

「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである。」3:21

 しかし今は違います。間違っているのはイエスを捕らえて十字架にかけた者たちです。わが子イエスは神の真理を証しするために生れ、その真理のために生きて、そして死のうとしている。

 たとえどんなに多くの人たちが、どんなに力を持った人たちがイエスを犯罪人として断罪しようとも、自分はイエスの側(そば)に、イエスの側(がわ)に立っている。マリアも、その姉妹も、クロパの妻マリアとマグダラのマリアも、同じ思いで「立っていた」のです。

 地上的な力を持たないけれど、この4人の女の人たちは、闇の力に屈せずに、イエスとともに真理を証しして立っていました。

 数時間にわたる苦しみの後に、イエスは十字架の上で息を引き取られました。
WP_000506
 アリマタヤのヨセフ

「その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。」ヨハネ19:38

 アリマタヤのヨセフは金持ちでした。ユダヤ人の議会の議員でした。イエスを死刑とした議会の決議に、彼は賛成していませんでした。しかし抵抗することはできなかった。

 彼はひそかにイエスの弟子となっていたのですが、それを人には隠していました。こわかったからです。自分がイエスの弟子であることが知れたら、社会的地位も名誉も失ってしまう。命の危険さえあるかもしれない。だからそれを隠していました。

 しかしイエスが十字架の上で息絶えられたとき、彼はもう隠していられなくなりました。何かが彼を動かしました。彼は勇気を奮い起こして、「イエスの遺体を取り降ろしたい」と総督ピラトに申し出ました。そうしてイエスの遺体を十字架から取り降ろしました。

 アリマタヤのヨセフは、今は身の危険を顧みず、自分がイエスの仲間であり弟子であることを公然と示したのです。

 ニコデモ

 もう一人はニコデモです。

「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。」ヨハネ19:39

 彼もユダヤ人の議会の議員でした。ニコデモはファリサイ派の教師として知られていました。

 彼は「かつてある夜、イエスのもとに来たことがある」と記されています。その時のことを伝えているのはヨハネ福音書第3章の初めですが、そこにも「ある夜、イエスのもとに来た」とあります。

 なぜ「夜」なのか。人に知られたくなかったからではないでしょうか。彼はイエスを尊敬していました。出会って話を聞きたかった。ファリサイ派の教師、律法学者、議員でありながら、彼の魂は救いを得ず、渇いていたのです。

 イエスに出会ったとき、ニコデモはイエスにこう言いました。「あなたは神のもとから来られた教師です」と。

 けれどもそのとき、イエスはニコデモに対して
「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
と言われました(3:3)。

 これはニコデモの心臓を突き刺す言葉でした。自分はこのままでは救われないことを彼は感じていたのです。けれどもあまりに率直痛烈なイエスの言葉を、そのときは受け入れることはできませんでした。彼にも誇りがあり面子がありました。自分の立場、名誉、地位が邪魔をして、イエスを受け入れることができなかった。その夜はそれで終わりました。

 しかしその後ずっと、その夜のイエスの言葉は彼のうちに留まっていて、彼にうちにうずきをおこしていたのかもしれません。
WP_000465
 そのニコデモが今、イエスの十字架のもとに姿を現しました。彼はたくさんの没薬と沈香(じんこう)を運んできました。

「没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。」

 100リトラとは、重さ30キログラム以上です。年若くないニコデモがこのように重いものを運んできた。イエスを自分の手で大切に葬りたかったのです。

 世間から非難されても、社会的名誉や地位を失ってもよい、命を失ってもよい。古い自分はイエスとともに葬られよ。

 もう遅い。イエスは死んでしまわれた。もう遅いかもしれないけれど、それでもかつてイエスが自分のために語ってくれたように、「新しく生れて、神の国を見」たいのです。

 アリマタヤのヨセフもニコデモも、あまりに遅かった弟子です。弟子として自分を現したのは、イエスが死んだ後です。

「彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。」ヨハネ19:40‐42

 ふたりは一緒にイエスを新しい墓に葬りました。

 その墓とは、マタイ福音書によれば、アリマタヤのヨセフが、自分のために岩を掘って用意していた墓でした(マタイ27:60)。

 アリマタヤのヨセフとニコデモは、こうしてイエスの遺体を葬りました。自分たちはイエスの弟子です。人と世間への恐れは消え去って、イエスへの愛だけに動かされています。

WP_000490

 十字架の下にいる人々を見つめてきました。

 イエス母マリア、その姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリア。
「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」

 アリマタヤのヨセフとニコデモ。
「彼らはイエスの遺体を受け取り、……新しい墓にイエスを納めた。」

 遅すぎたのではありません。今こそ、新しい命が彼らのうちに脈打っています。

 悲しみと嘆きの十字架の下で、新しいことが始まっています。「イエスを信じ、イエスを愛し、真理を求めてまっすぐに歩もう」とする人たちが、いま決意を持って生き始めています。

 イエスが彼らのうちに蒔かれた種が、いま芽を出して、成長しています。
 これが教会の始まりです。十字架の下に、主の教会が始まっています。

 今、彼ら、彼女らがイエスを愛し、イエスを求めているのですが、その前に、イエスが彼女ら彼らを愛して、求められました。

 十字架の上で死のうとするときにイエスは「渇く」と言われました(ヨハネ19:28)。イエスは、この人々を愛して、その魂を求めておられました。
 イエスは今も、わたしたちを愛して、わたしたちの魂を渇き求めておられます。

 地に落ちて死なれた一粒の種イエスは、わたしたちの中にも貴い命の種となって宿っていてくださいます。
 
 イエスの十字架の下で、わたしたちは嘆くとしても、嘆いて終わるのではありません。

 イエスを見つめて立っていた母マリアとともに、わたしたちは十字架のイエスを見つめて立っています。イエスに愛され、イエスを愛する者として、闇の力に屈服せず、断乎として立つのです。

 アリマタヤのヨセフとニコデモ。今、わたしたちも彼らとともに古い自分を葬ります。神の国を見、神の国に入ることをはっきりと願います。

 そうしてわたしたちも、復活の新しい朝を待ち望みます。
 
 祈ります。

 わたしたちを愛して、わたしたちの魂を渇き求めてくださった主イエスさま。あなたの十字架の死を、わたしたちが空しいものとすることがないようにしてください。あなたがわたしたちのうちに蒔いてくださった真理の種が、わたしたちのうちに育って実を結ぶようにしてください。あなたの死と葬りが古いわたしたちの死と葬りとなり、あなたの復活がわたしたちの復活となりますように。貴い主の御名を賛美します。アーメン

ヨハネ福音書受難朗読

本日(2012年4月6日)夜、奈良基督教会で聖金曜日(受苦日)礼拝(大和伝道区合同礼拝)が行なわれました。

私はヨハネ福音書第18章および19章全体の朗読をひとりで行ないました。

これまでの私の経験した受苦日の礼拝では、受難物語は分担して読んでいたので、一人で朗読したのは初めてかもしれません。
WP_000473
それなりに準備をし、場面、言葉の意味、イメージを自分自身が感じていけるようにしました。

ずいぶん時間がかかりましたが、ヨハネ福音書の受難物語の中からいくつも新しい発見をし、また事態の劇的進展、そのなかでの人の経験や感情、意志に触れる思いでした。


説教は「十字架の下(もと)における新しい教会の誕生」という題で行ないました。

これについては原稿が整ったら公開する予定です。

日ごとの聖句519 復活 2012/4/8〜14

2012年4月8日(日)復活日             ローマ4:25
イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

4月9日(月)復活後月曜日             マルコ14:28
イエスは言われた。「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」
WP_000465
4月10日(火)復活後火曜日             マルコ16:6
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」

4月11日(水)復活後水曜日             マルコ16:7
「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

4月12日(木)復活後木曜日             マルコ16:9
イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。

4月13日(金)復活後金曜日             マルコ4:25
イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

4月14日(土)復活後土曜日             ローマ6:5
もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。

カルヴァン『キリスト教綱要』改訳版

カルヴァン『キリスト教綱要』改訳版 全3巻をある信徒の方からいただいた。

 渡辺信夫訳、新教出版社、2007〜2009

新しい任地、奈良基督教会で最初の主日を迎えようとする前日の3月31日午後に届いた。
キリスト教綱要
「ジャン・カルヴァンより読者の皆さんへ」
「本書の梗概」
「フランス王への献呈の辞」

本文に先立つこの部分を読んでみた。

真理と教会のための情熱が燃えさかっている。

当時の現実に対するものすごく激しい言葉(辛辣な批判)。

学ぶものはとても大きいと思う。

京都聖三一教会 辞任のあいさつ

主にあって愛する皆さま

 京都聖三一教会・聖三一幼稚園での務めが終わろうとしています。6年間、家族ともども大変お世話になりありがとうございました。

 6年前の2006年4月、京都復活教会から西南に移動してこちらに来ました。同じ京都でもここは平安京の中心という印象が強く、地に長く深く蓄積された人々の歴史を思い、他方新しい京都の活気を感じて過ごしてきました。
WP_000429
 この間、2008年には教会創立110周年を祝い、2010年には礼拝堂献堂聖別80周年を記念しました。また個人的にはこの6年の間にわたしは還暦を過ぎ、司祭按手30年を越しました。

 ここでわたしは礼拝、ことに聖餐式の恵みと力を新しく知らされ、また礼拝を中心とする教会生活をとおして一緒に成長する幸いを与えられました。また幼稚園の木曜礼拝は、お話の準備の重荷はあるものの楽しく豊かな時間でした。先日、卒園児のひとりが「またおいのりしようね、えんちょうせんせい」と書いてくれたことをうれしく思いました。ほんとうにありがとうございました。

 聖書の学びや黙想会、サーバー・聖書朗読その他の研修、子どもたちへの働きかけ、訪問の祈りなど、ようやく着手してこれからという時にお別れしなければならないのは残念であり、できなかったこと、不十分なことがたくさんあって申し訳ない思いです。

 4月からは奈良基督教会牧師、親愛幼稚園園長、高田基督教会管理牧師を兼ねることになります。未知の大きな世界です。思い出されたときはお祈りくださいますように。

 着任される柳原義之司祭を迎えて、京都聖三一教会がさらに豊かな信仰共同体として成長していかれますようにお祈りいたします。

              2012年3月25日

              司祭 ヨハネ 井田 泉
最近の記事
Archives
最近の関心

 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
 音と響き
井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

Mail
izaya*da2.so-net.ne.jp
(*を@に変更してください)

カウンター
最新刊
『これが道だ、これに歩め
──イザヤ書による説教』
かんよう出版
213頁 1500円+税

ここをクリックして
  ←左本文をご覧ください
ブログ内検索

WWW を検索 http://blog.livedoor.jp/izaya/ を検索