Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2012年06月

使徒信経の祈り

  使徒信経

 わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。
 また、その独り子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。主は聖霊によって宿り、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみに降(くだ)り、三日目に死人のうちからよみがえり、天に昇られました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこから主は、生きている人と死んだ人とを審(さば)くために来られます。
 また、聖霊を信じます。聖なる公会、聖徒の交わり、罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命を信じます。アーメン


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 神よ、わたしはあなたが愛の神であることを信じます。

 わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。

 神よ、あなたがわたしの存在を望み、わたしの父また母としてわたしを産んでくださったこと、そしてこれまでも今もそしてこれからもずっと、わたしを愛し導いてくださることを信じます。あなたは闇の中に光を、絶望の中に希望を造り出してくださること、不可能と思えることを可能にし、荒れ野の中にわたしのために道を開いてくださることを信じます。


 わたしはその独り子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。

 イエス・キリストよ、あなたはわたしたちを救うため、人となってわたしたちのところにおいでになりました。

 あなたはわたしたちの悩みと病と罪を負い、どこまでもわたしたちと一つになってくださいました。あなたは極みまでわたしたちを愛し、わたしたちのために血の汗を流して祈り、罪なくして捕らえられ、苦しみの果てに十字架の上に死なれました。あなたの死の中にわたしたちの罪と死は飲み込まれました。あなたの光に照らされぬ闇はなく、あなたの救いの手の届かない深みはありません。あなたの流された貴い血はわたしたちを清め、また救ってくださいます。

 あなたは死んで葬られ、陰府(よみ)に降られました。あなたは死者の国にまで降(くだ)ってすべての人を迎え、天国に導き入れてくださいます。

 あなたは三日目に死人のうちから復活されました。洗礼によってあなたの死と一つにされたわたしは、あなたのよみがえりと一つにされて新しく生きることができます。あなたが生きておられるのでわたしも生きることができます。

 あなたは変わることのない友として、いつもどのようなときにもわたしと一緒にいてくださいます。

 また、あなたが天に昇られたことを信じます。あなたは、父なる神の傍らでわたしたちのために祈りつつ、わたしたちを天国に迎えるために備えをしていてくださいます。

 あなたがやがて再びおいでになることを信じます。あなたは正しい審きをなして悪の力を滅ぼし、虐げられた者を救い、ささげられたすべての労苦に報いてくださいます。そのときわたしはあなたと顔と顔とを合わせてお会いし、限りない喜びを与えられ、あなたに似る者とされるでしょう。

 

 聖霊よ、わたしはあなたを信じます。

 あなたは疲れた魂に力を満たし、イエス・キリストの声を聞かせ、その姿を見させてくださいます。あなたはわたしが祈り疲れたときもわたしに代わって祈り、うめきつつ神に執り成してくださいます。あなたはわたしの心の中に入り、わたしの内に生きて、神と人を愛する者とならせてくださいます。


 神よ、あなたは造り主として、救い主イエス・キリストとして、聖霊としてご自身をあらわしてくださいました。わたしはあなたが三位一体の神であることを信じます。

 わたしはあなたを信じます。わたしは孤独ではありません。あなたがわたしと共におられるからです。

 あなたは今もこの地上に御心を実現しようとして働いておられ、わたしをその働きの中に用いてくださいます。

 わたしを愛してくださるあなたをわたしも愛し、あなたを慕い、あなたと共に歩みます。アーメン

(2012/07/01)
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点鐘・点火・入堂聖歌 ──聖餐式の学び 1

(2012年5月から、高田基督教会の礼拝後に「ミニ・キリスト教講座」を始めました。内容は「聖餐式の学び」です。月1回、短時間ですのでどれくらいかかるかわかりませんが、自分でも楽しみながらブログにも少しずつ書いていくことにします。)

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 聖餐式にはその備えがとても大切です。聖餐式において主イエス・キリストはわたしたちのために最高のもの(ご自身の愛のいのち)を用意して、わたしたちを招いてくださいます。

 わたしたちは、招いてくださった方と深くつながり、心といのちを通い合わせるために、祈りの備えをして礼拝の開始を待ちます。

 鐘の点鐘は耳に告げる礼拝の始まりの知らせ、ろうそくの点火は目に示す礼拝の開始の合図です。心と身体全体でわたしたちの救い主をお迎えします。期待と喜びをもって十字架を仰ぎます。

 鐘を打つときは余韻を大切に聞きます。打ち終わった後、やわらかな響きが空間と自分の心に浸透していくような気持ちで待ちます。

 ろうそくの光は、わたしたちの心を照らしてくださるキリストのいのちの光です。光を心に感じるようにします。

 最初の入堂聖歌は、会衆全員で一緒に捧げる祈りです。歌詞を大切にし、音楽を感じつつ、神さまへの感謝と賛美を少しずつ深めていきます。

日ごとの聖句531 主イエスの手 2012/7/1〜7

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2012年7月1日(日)聖霊降臨後第5主日      使徒言行録4:30
「主よ、どうか御手を伸ばし、聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」

7月2日(月)                   マルコ1:31
イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。

7月3日(火)                 マルコ1:41‐42
イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。

7月4日(水)                 マルコ5:22‐23
ヤイロが来てイエスに願った。「どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」

7月5日(木)                 マルコ5:41‐42
イエスは子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。 少女はすぐに起き上がって、歩きだした。

7月6日(金)                   マルコ10:16
イエスは子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

7月7日(土)                   マルコ8:23
イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」とお尋ねになった。

日ごとの聖句530 キリストの愛 2012/6/24〜30

2012年6月24日(日)聖霊降臨後第4主日        ローマ1:4
キリストは、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。

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6月25日(月)洗礼者聖ヨハネ誕生日         詩編97:10
主を愛する人は悪を憎む。主の慈しみに生きる人の魂を主は守り、神に逆らう者の手から助け出してくださる。

6月26日(火)                   ローマ8:34
復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

6月27日(水)                   ローマ8:39
何ものも、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできません。

6月28日(木)                  エフェソ3:18
どうか、あなたがたがキリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、この愛を知るようになりますように。

6月29日(金)使徒聖ペテロ・使徒聖パウロ日  コリント二 5:14-15
キリストの愛がわたしたちを駆り立てています。その一人の方、キリストはすべての人のために死んでくださいました。

6月30日(土)                   詩編31:24
主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。主は信仰ある人を守られる。

神の国の種を蒔く

  2012年6月17日
  聖霊降臨後第3主日
  高田基督教会にて

マルコ4:26‐29

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イエスさまが地上にもたらそうとされたもの。わたしたちの間に実現しようと願われたもの。それをイエスさまは「神の国」と言われました。

 イエスさまはそのために弟子たちを集め、神の国の実現のために一緒に祈るようにと教えられました。それでわたしたちも祈っています。主の祈りです。

 「み国が来ますように」

 「み国」とわたしたちは言っているのですが、聖書の原文ではもっとはっきり書いてあります。

「あなたの国」

あなたの国とは神さまの国です。神に呼びかけて祈ります。

「あなたの国が来ますように」

 Thy (Your) Kingdom come.

 わたしたちは主の祈りの第2において、神の国、天国を地上に呼び寄せる祈りをしているのです。

 これをイエスは祈っておられました。神の国を焦がれるように求めて、祈り行動されました。それがイエスの生涯でした。そして弟子たちにも、神の国を求めて共に祈り、働くように求められました。

 天の光が射していてほしい。天上だけではなく地上に。神さまの愛が満ちていてほしい。真理と真実を大切にし、お互いに生かし合う世界であってほしい。これが神の願いであり、イエスさまの願いでした。

 しかし現実の世界は正反対です。闇が覆っている。人の力が人を支配している。いつわりとごまかしがまかりとおっている。強い者が弱い者を圧迫し、搾り取り、人を殺している。これがイエスの嘆きでした。

 けれどもイエスはただ嘆いておられたのではありません。この、人がほしいままの支配をしている世界にかわって、神が統治される世界、神の恵みと真理が満ちる世界を実現しようとされました。

 イエスさまは人々にひとつのたとえを語られました。神の国のたとえです。

「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」マルコ4:26‐29

 人が土に、大地に種を蒔く。神の国の種を蒔くのです。祈りながら種を蒔く。
 麦が土から芽を出すように、神の国の種も土から芽を出す。人が夜昼、寝起きしている間に、自然に成長する。麦の茎が伸び、やがて穂ができ、そしてその穂には豊かな実ができる。神の国は実を結び始めました。実が熟すと、早速鎌を入れる。収穫の時が来たからです。

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 かつてある人々がこの地に神の国の種を蒔きました。祈りながら、実を結ぶことを信じて種を蒔きました。それが実ってこの教会ができました。

 人が種を蒔いたのですが、その人を通して、イエスさまがここに神の国の種を蒔かれたのです。祈って期待して信じて種を蒔かれた。それがあって今日に至っています。

 イエスさまはこのわたしたち、このわたしの中に種を蒔かれます。神の国の種がわたしの中に蒔かれた。わたしの中に、あなたの中に神の国が育ってほしいと願って、祈って、イエスが種を蒔かれました。神の国の種は芽を出して成長します。わたしは、神の国の種が蒔かれた土です。大地です。

「土はひとりでに実を結ばせる……」4:28

 わたしにはそうさせる力がある。わたしの中には神の国の種を成長させる養分、力があるのです。

 わたしの中で神の国の種が育つように。茎が伸び、穂ができ、穂に豊かな実ができるように。これがわたしに対するイエスさまの祈りです。願いです。励ましです。

 それを邪魔するものが二つあります。神の国ではなく、わたしの国、人間の国を栄えさせようとする思いです。神が働いてくださるよりも、わたしの思い、わたしの名誉、わたしの業績のほうが大事になる。神の国の種はわたしの中でしおれます。これがわたしたちの抱える危険です。

 もうひとつ邪魔するものがあります。今度はその反対。誤った謙遜です。わたしなど何もできない。わたしなど力も価値もない。誤った謙遜が神の国の種を押しつぶしてしまう。
 
わたしたちは皆、これら二つの危険を抱えています。

 しかしその危険に取り囲まれながら、イエスの声を聞いてそれを思い続けていた人がいました。イエスが生きておられるうちは、決心がつきませんでした。神の国の種を蒔かれたのに、それを枯らせてしまうかに見えました。

 イエスが捕らえられて、十字架に死なれたとき、初めてその人は動き出しました。

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 今日と同じマルコ福音書のずっと後のほうにこのように書かれています。

「既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。」マルコ15:42‐43

 アリマタヤのヨセフ。

「この人も神の国を待ち望んでいたのである。」

 彼はユダヤ人議会の議員でした。密かにイエスの弟子となっていましたが、イエスが罪に定められるとき、反対の声を上げる勇気はありませんでした。自分の中に蒔かれた神の国の種をむだにするかに見えました。けれども今、十字架の下に行き、遺体を引き取ります。イエスの蒔かれた神の国の種には、いのちがあって、アリマタヤのヨセフの中で確実に成長しています。十字架の下に神の国が始まっています。

 祈ります。

 神さま、イエスさまはわたしたちの中にも神の国の種を蒔いてくださいました。その種がわたしたちの中で成長して実を結ぶように祝福し、守り導いてください。わたしたちもアリマタヤのヨセフと共に、神の国を待ち望みます。アーメン

原発のない世界を求めて −原子力発電に対する日本聖公会の立場 −

原発のない世界を求めて−原子力発電に対する日本聖公会の立場 −

2012年5月23日
日本聖公会第59(定期)総会

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日ごとの聖句529 神の国 2012/6/17〜23

2012年6月17日(日)聖霊降臨後第3主日       マタイ6:33
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」

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6月18日(月)                 マルコ4:26‐27
「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長する。」

6月19日(火)                 マルコ4:28‐29
「土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。」

6月20日(水)                  マルコ10:14
イエスは言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」

6月21日(木)                    ルカ6:20
イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」

6月22日(金)                 マルコ1:14‐15
イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

6月23日(土)                  ローマ14:17
神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。

日ごとの聖句528 あなたを癒す 2012/6/10〜16

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2012年6月10日(日)聖霊降臨後第2主日      イザヤ書57:19
わたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。わたしは彼をいやす、と主は言われる。

6月11日(月)使徒聖バルナバ日       出エジプト記15:26
主は言われた。「わたしはあなたをいやす主である。」

6月12日(火)                  歴代誌下7:14
もしわたしの民が、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。

6月13日(水)                  詩編36:8‐9
神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ、あなたの家に滴る恵みに潤い、あなたの甘美な流れに渇きを癒す。

6月14日(木)                   箴言16:24
親切な言葉は蜜の滴り。魂に甘く、骨を癒す。

6月15日(金)                    ルカ9:1
イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。

6月16日(土)                  マラキ書3:20
わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。

燃え尽きない柴──神の愛の情熱

出エジプト記3:1‐6


 2012年6月3日
 聖霊降臨後第1主日・三位一体主日
 奈良基督教会

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 先週の聖霊降臨日には、使徒言行録第2章の初めからお話をしました。主イエスを信じた人々はその日曜日の礼拝において、天からの音を聞いた。天の音は激しい風を運んできた。その風とは神の息吹であった、という内容でした。

 先週は触れませんでしたが、イエスを信じた最初の祈りの群れは風とともにもうひとつのものを経験しました。それは燃える火、炎です。

 神からの風と火を受けて、最初の教会は出発したのです。

 ところで今日の旧約聖書に燃える火、炎が出て来たのに気づかれたでしょうか。

「モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。」出エジプト記3:1‐2

 山の中に火が燃えています。山の名前は「ホレブ」。「荒廃した」あるいは「渇ききった」という意味だそうです。

 その日、モーセは羊の群れを荒れ野の奥まで導いてホレブに至りました。そのときモーセは80歳。40年前、彼はエジプトでエジプト人の監督を殺害し、ひとりエジプトを脱出して遠くミディアンまで来たのでした。そこでツィポラという女の人と結婚し、羊飼いとなって異国で40年を暮らしてきました。

 けれども一日として忘れられないのはエジプトにいる同胞のことです。イスラエルの民はエジプトで人間扱いされず奴隷とされ、強制労働に服しています。風の中に、同胞の嘆きの声を聞く気がする。モーセはずっとそれを思って苦しみ続け、祈り続けてきたのです。

 けれどもすでに年老いました。遠く異国にあって、何もできないままに生涯を終えることになるのでしょうか。無力です。望みは失せて、けれども諦めきれない。今日、やって来た荒れ野の奥の山はホレブ。「荒廃」は自分の姿のようです。

 ふと気づきました。山の中に火が燃え上がっています。柴が燃えている。ほんのわずかの柴が、いつまでたっても燃え尽きない。モーセは不思議に思って近づいていきます。

「モーセは言った。『道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。』」3:3

 モーセはそれが何かはまだ知りません。けれども聖書は先に、わたしたちにそれが何であるかを教えてくれます。

「そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。」3:2

 柴の燃える炎の中に、主の御使いが現れた。「主の御使い」と書いてあるのですが、実は主なる神御自身が炎の中に現れたのです。

 モーセが道をそれて不思議な燃え尽きない柴を確かめようと近づいたとき、神は柴の間からモーセを呼ばれます。

「主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、『モーセよ、モーセよ』と言われた。彼が、『はい』と答えると、神が言われた。『ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。』神は続けて言われた。『わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。」出エジプト記3:4‐6

 これは始まりです。このホレブ(荒廃の地)でモーセは神と出会い、やがて神に強制されてエジプトに帰り、イスラエルの民をエジプトから脱出させることになります。
 ところで今日わたしたちが注目したいのは、この言葉です。

「彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。」

「どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」


 すぐに燃え尽きるはずのわずかな柴がどうして燃え尽きないのか。それは、ここに燃えているのが、神の愛だからです。神の愛の情熱がここに燃え続けています。

 人が無力になっても、望みを失っても、諦めても、神は諦めない。無力な人間のために力になろうとし、希望を失うわたしたちの希望になろうとし、わたしたちを救うために燃えて燃え尽きない。それが神の愛です。その情熱の火、愛の火がモーセに向かって燃え、神の民のために向かって燃えています。

 旧約聖書の中心、出エジプトという神の救いの出来事はここから始まります。

 ところで神は諦めない。無力な人間のために力になろうとし、わたしたちを救うために燃えて燃え尽きない、と言いました。三位一体とはそのことです。

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 今日は聖霊降臨日の後の最初の主日、三位一体主日です。

 わたしたちの神は三位一体の神。それは、わたしたちの神が、父と子と聖霊という三つのありよう、三つの働きかたをされるひとりの神だということです。
三位一体とはどういうことでしょうか。

 神は世界とわたしたちを造られました。創造主である神。これが第一です。

 しかし人間は自分を造ってくださった神、命の源である神さまに背いて遠く離れ、滅びに向かい、罪と死に閉じ込められてしまった。神はその人間を放置せず、みずから人となってわたしたちのところに来てくださった。これが第二です。イエス・キリスト、子なる神

 イエス・キリストはわたしたちと共におられ、わたしたちと共に歩み、わたしたちの苦しみと罪と死を引き受けて死なれました。そして復活してわたしたちに新しい永遠の命を用意してくださいました。

 ところがわたしたちはなお、分からないと言い、あるいは頭では受け入れても心では受け入れない。

 神さまはそのようなわたしたちを見捨てず、諦められない。あの聖霊降臨日にはっきり示されたように、神はみずから音となってわたしたちの心に届き、風となってわたしたちの身体に吹き入り、炎となってわたしたちの心を燃やそうとされる。これが第三、聖霊です。神は音となり、風となり、愛の火となって、わたしたちのうちに宿られる。そうして命を与えてくださいます。

 これがわたしたちの信じる三位一体の神。三つであって一人の神です。
 
神はわたしたちを造られました。人間が離れて行くならほっておいてもよかったかもしれません。けれども神はわたしたち人間を愛されたがゆえに、わたしたちが神から離れて救いのない状態に陥っていることに耐えられなかった。わたしたちを愛される神の愛が燃えて燃え尽きなかったので、神は人となって人の重荷と苦しみを担われました。

 わたしたちを愛し救おうとされる神の情熱は燃えて燃え尽きなかったので、神は音となり風となり、炎となってわたしたちに宿り、わたしたちのいのちとなってくださいます。
 
 神がわたしたちを造り、神が人となってわたしたちのところに来てくださり、神がわたしたちの内に宿ってくださる。この喜び、この祝福に触れた人々の賛美のほとばしりが、「三位一体」という信仰に結実しました。

 神はわたしたちがそれを知り、それを喜んで力を得ることを願われます。かつてモーセを呼ばれたように、神は御自身を燃やし、炎の中からわたしたちを呼ばれます。

 祈ります。

 三位一体として御自身を現された神さま、あなたの愛をわたしたちに示してください。たとえわたしたちが無力となり希望を失ったとしても、あなたがわたしたちの力となり希望となってくださることを教えてください。あなたの愛がわたしたちのために燃えて燃え尽きないことを聖霊によって経験させてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

月と三重塔

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奈良基督教会から見た本日(2012年6月3日)の月(14夜)と興福寺三重塔です。
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 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
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井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

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