Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2012年12月

日ごとの聖句557 成長

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2012年12月30日(日)降誕後第1主日         ヨハネ1:14
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。

12月31日(月)                   ルカ13:19
神の国は、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。

2013年1月1日(火)主イエス命名の日          ルカ2:21
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

1月2日(水)                  ペトロ二 3:18
わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。

1月3日(木)                 コリント一 3:6
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

1月4日(金)                 コリント一 3:7
大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

1月5日(土)                 コリント二 9:10
種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。

欽定訳英語聖書1611 復刻版

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欽定訳英語聖書1611 復刻版

Holy Bible 1611 King James Version

400th Anniversary Edition


を手に入れました。

絵などもなり、大変興味深いものです。

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心からの願いを注ぎ出す ─ ハンナと張準相(チャンジュンサン) ─

サムエル記上1:9─20
ルカ4:16─22

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桃山学院創立記念日礼拝
2012年9月4日
奈良基督教会にて

  司祭 ヨハネ 井田 泉

 桃山学院中学校の皆さん、こんにちは。
 奈良基督教会にようこそいらっしゃいました。

 皆さんの学んでおられる桃山学院は1884年、今から128年前に大阪の川口に創立されたと聞きました。その次の年、1885年に、大阪川口の教会から伝道師さん(中島虎次郎、田中宇喜治両氏)が来られて、この奈良でキリスト教伝道が始まりました。これが奈良基督教会の始まりです。1887年に奈良基督教会は創立されました。

 地図で見ると大阪川口と奈良市は東西ほとんど真横。桃山学院はキリスト教の聖公会の学校。奈良基督教会は聖公会の教会。桃山学院と奈良基督教会はこのようにつながっています。

 短い時間ですが、奈良基督教会、ことにこの礼拝堂を味わってほしいと願います。
 
 わたしたちは今、礼拝堂で礼拝をしています。先ほど読んでいただいた旧約聖書、新約聖書両方とも、礼拝堂での出来事が語られていました。

 旧約聖書・サムエル記の個所は、今から3000年も前、紀元前1000年頃のイスラエルでの話です。その場面に近づいてみましょう。

 場所はシロという町。古代イスラエルの首都でした。エルサレムが建設される前のことです。シロには神殿があって、エリという年老いた祭司がそこに仕え、イスラエルの人々の指導者として尊敬を集めていました。

 ある日のこと、祭司エリは神殿(つまり礼拝堂ですね)の柱に近い席に座っていました。祈るため、また黙想するためです。この礼拝堂の前のほうにも柱がありますね。

 するとそこにひとりの若い女の人が入ってきました。そしてずっと黙ったまま座っています。

 あまりに長時間その女の人がじっとしているので、エリは気になって、その人を見ました。すると唇をもぐもぐさせています。様子がおかしい。表情も普通ではないようです。エリは思いました。この人は酒を飲んで酔っているのだ。酔った状態で神殿に入って長々と過ごすとは何たることか。エリはその女の人を咎めて言いました。

「いつまで酔っているのか。酔いを覚ましてきなさい。」サムエル記上1:14

 すると女の人は答えて言いました。

「いいえ、祭司様、違います。わたしは深い悩みを持った女です。ぶどう酒も強い酒も飲んではおりません。ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。はしためを堕落した女だと誤解なさらないでください。今まで祈っていたのは、訴えたいこと、苦しいことが多くあるからです。」1:15-16

 エリは悪かったと思い、その女の人の話を聞きました。その女の人はハンナという人で、とても苦しんでいました。食事も喉を通らない状態だというのです。

 夫はエルカナという人で、エルカナには二人の妻がいる。もうひとり妻はペニナといい、子どもを何人も産んだ。しかし自分には子どもがない。毎年、家族でこのシロの神殿に礼拝に来ている。今年も家族でやって来て礼拝をささげた。礼拝の後、家族で食事をした。

 その食事の席でペニナが、自分に対して子どもがないことで意地悪を言う。それがもう何年も何年も続いていて、特に家族で神さまを礼拝した後の会食という大事な場所で、皆の前でそれを言うので、悲しみと屈辱で自分は耐えられない。

 今で言えばいじめであり、虐待ですね。

 それでハンナは、誰にもそれを訴えることができず、耐えられない悲しみと怒りと屈辱の思いを神さまだけにはわかっていただきたくて、辛い思いを注ぎ出して祈っていたのです。

「ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。」

 ハンナはこう祈っていました。

「万軍の主よ、はしための苦しみを御覧ください。はしために御心を留め、忘れることなく、男の子をお授けくださいますなら、その子の一生を主におささげし、その子の頭には決してかみそりを当てません。」1:11
 
 祭司エリはそれを聞いて心が苦しくなり、どうかしてこのハンナに神さまが喜びと平安を与えてくださるように心から祈りました。そしてハンナに言いました。

「安心して帰りなさい。イスラエルの神が、あなたの乞い願うことをかなえてくださるように」1:17

続きを読んでみます。

「ハンナは、『はしためが御厚意を得ますように』と言ってそこを離れた。それから食事をしたが、彼女の表情はもはや前のようではなかった。」1:18

 ハンナは元気を取り戻しました。食事もしました。将来に希望を持って生きることができるようになりました。

 シロの神殿、礼拝堂で何が起こったか。ハンナが苦しい胸の内を全部神さまに注ぎ出して祈ったこと。それが大事なひとつです。もう一つは祭司エリが、最初は誤解したけれども、よく受けとめて、一生懸命ハンナのために祈ってくれたことです。

 それからしばらくして、ハンナは男の子を産みました。サムエルという名前を付けました。サムエルとは、「その名は神」という意味です。「祈りを聞いてくださったその方の名は『神』」という思いをわが子の名前に託したのです。サムエルはやがて成人し、イスラエルを守り導く預言者となります。

 今、3000年のイスラエルのシロの礼拝堂での出来事を思いました。

 まったく違うけれども、重要なことがかつてこの奈良基督教会で起こりました。今から89年前。奈良基督教会の現在のこの礼拝堂ができる7年前のことです。

 89年前の1923(大正12)年9月1日に何が起こったかご存じでしょうか。関東大震災です。10万人余りが死亡または行方不明になったと言われます。大震災の被害のものすごさに加えて、そのとき、もうひとつの大きな悲劇が起こりました。震災後の不安な空気の中で、根も葉もない噂、流言蜚語が広まったのです。

 どういうのかと言うと、朝鮮人が井戸に毒を撒いた。朝鮮人が村を襲っている……などといったでたらめな噂でした。ところがそれを信じ込んだ人たちが大勢いて、震災で逃げ惑い、あるいは避難生活をしている人たちを次々に検問し、取り調べ、朝鮮人とみると有無を言わさず殺してしまうという恐ろしい事態が発生しました。普段は善良な市民が、狂ったようになって朝鮮人を殴り、突き刺して殺すのです。犠牲になった人は3000人とも6000人とも言われます。

 その渦中に張準相(チャンジュンサン)という22歳の朝鮮人留学生がいました。この奈良基督教会の信徒で、立教の学生だったようです。張準相青年は命からがら東京を脱出、この奈良基督教会に助けを求めました。

 当時、奈良基督教会の牧師は吉村大次郎司祭でした。張準相青年は今にも日本人が自分を殺しに来るのではないかと恐怖を抑えることができません。その話を聞いた吉村司祭は、日本刀を持って来て、張準相青年にこう言ったそうです。

「あなたをもし、殺そうとしてだれかがやって来たら、この日本刀でわしを殺してからにせよと言ってやる。絶対にあなたを見放しはしない」

 そのようにして張準相青年はこの奈良基督教会で守られ、ここで自分を決して見捨てないイエス・キリストの愛に触れました。このキリストの愛を苦難のうちにある同胞に伝えたいと決心し、牧師になるために、その年の12月、ここから送り出されて福岡神学校に入学したのでした。奈良基督教会の教籍簿には「大正12年12月18日、福岡神学校チャペルに転出ス」と記されています。

 張準相青年は奈良の当時の礼拝堂で、心から願いを注ぎ出して祈ったに違いありません。

 張準相師はやがて大阪に聖ガブリエル教会を創立されました。当時の状況から日本名を使うようになり、張本栄という名前で働かれました。これが現在、大阪の生野区にある聖ガブリエル教会の始まりです。

 わたしはこの話を、張先生のご長女の張聖子(チャンソンジャ)さんから聞いたのでした。
 この張準相(張本栄)先生の人生の新しい出発は、教会で、また礼拝堂で起こったのです。

 礼拝と礼拝堂は出会いの場です。ハンナはシロの礼拝堂で祭司エリと出会い、それによって神さまと出会いました。この奈良の教会で張準相青年は吉村司祭と出会い、キリストと出会いました。
 
 そして1000年前、ナザレの礼拝堂では、人々はイエスと出会い、神の声を聞きました。

 皆さんの学校がキリスト教学校であることはとても大事です。礼拝と礼拝堂をとおして、人は人と出会い、神との出会いを与えられます。耐えがたい苦しみの中でも祈ることができ、祈りがきっかけになって出会いが与えられ、神さまの励ましと導きを受けることができるようになります。


 シロの礼拝堂で起こったこと、ナザレの礼拝堂で起こったこと、奈良基督教会で起こったこと。そこで起こった神さまの働きが、皆さんの学校生活で、またことに礼拝、祈り、聖書をとおして起こることを祈り願います。

 ハンナを、また張先生を守り支え導かれた神さまが、皆さんを守り、支え、導いてくださいますように。アーメン

日ごとの聖句556 光の到来 2012/12/23〜29

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2012年12月23日(日)降臨節第4主日         創世記1:3
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

12月24日(月)                  イザヤ書9:1
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

12月25日(火)降誕日               ヨハネ1:9
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

12月26日(水)最初の殉教者聖ステパノ日      ヨハネ1:14
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。

12月27日(木)福音記者使徒聖ヨハネ日       ヨハネ1:14
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

12月28日(金)聖なる幼子の日           ヨハネ8:12
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

12月29日(土)                  ヨハネ12:46
わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。

「出家者は皇帝に拝礼すべきか」

鑑真岩波

東野治之『鑑真』
 岩波新書、2009
を読んだ。

時代も状況も立場も違うが、何か示唆されるものが大きい。

鑑真に従って日本に来た弟子の法進が『梵網経註』で述べているという次のような主張が印象的である。

著者の説明を引用する。

「出家者が皇帝に拝礼すべきかどうか、という問題は、仏教が中国で広まってゆく中で、常にひっかかってきた難題でした。皇帝が絶対権力を持つ国で、皇帝を拝礼しないでいるのは、本来許されません。仏教界も妥協を重ねてきたいきさつがあります。法進は(中略)国王であっても僧を礼拝すべきだと、正論を述べています。」
(170頁)

これは古代キリスト教がローマ帝国との間で直面したことと同じであり、また「出家者」を「牧師」あるいは「司祭」に、「皇帝」を「国家(あるいは天皇)」に読み替えれば、日本のキリスト教の歴史の困難そのものである。





夕べになっても光がある〜 預言者ゼカリヤからのメッセージ

救い主イエス・キリストの降誕より数百年前、古代イスラエルにゼカリヤという預言者がいました。彼の言葉を中心にまとめられた旧約聖書『ゼカリヤ書』から毎日ひとつの言葉を黙想し、クリスマスを迎える心の準備をしましょう。わたしたちの心にあたたかな光がともりますように。

2012年12月9日(日)から23日(日)まで、日ごとの小さな黙想と祈り集です。


夕べになっても光がある
〜 預言者ゼカリヤからのメッセージ〜



ひがしむき 光のページェント & チャペルコンサート

 主催 : 東向商店街・奈良基督教会・親愛幼稚園

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日ごとの聖句555 ゼカリヤ書から 2 2012/12/16〜22

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2012年12月16日(日)降臨節第3主日       ゼカリヤ書8:12
平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。

12月17日(月)                ゼカリヤ書9:16
彼らの神なる主は、その日、彼らを救い、その民を羊のように養われる。彼らは王冠の宝石のように、主の土地の上で高貴な光を放つ。

12月18日(火)                ゼカリヤ書10:6
わたしは彼らを憐れむゆえに連れ戻す。わたしは彼らの神なる主であり、彼らの祈りに答えるからだ。

12月19日(水)               ゼカリヤ書11:16、17
見よ、わたしはこの地に羊飼いを起こす。災いだ、羊を見捨てる無用の羊飼いたちは。

12月20日(木)                ゼカリヤ書12:10
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。

12月21日(金)使徒聖トマス日         ゼカリヤ書13:1
その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。

12月22日(土)                ゼカリヤ書14:5わが神なる主は、聖なる御使いたちと共に、あなたのもとに来られる。

日ごとの聖句554 ゼカリヤ書から 1 2012/12/9〜15

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2012年12月9日(日)降臨節第2主日       ゼカリヤ書1:13
わたしに語りかけた御使いに、主は優しい言葉、慰めの言葉をもって答えられた。

12月10日(月)                ゼカリヤ書2:12
万軍の主がこう言われる。「あなたたちに触れる者は、わたしの目の瞳に触れる者だ。」

12月11日(火)                ゼカリヤ書3:10
「その日には」、と万軍の主は言われる。「あなたたちは互いに呼びかけて、ぶどうといちじくの木陰に招き合う。」

12月12日(水)                 ゼカリヤ書4:6
「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」と万軍の主は言われる。

12月13日(木)                 ゼカリヤ書5:5
わたしに語りかけた御使いが現れ、わたしに言った。「目を留めて、そこに出て来るものが何であるか、よく見るがよい。」

12月14日(金)                ゼカリヤ書6:12
「見よ、これが『若枝』という名の人である。その足もとから若枝が萌えいでる。彼は主の神殿を建て直す。」

12月15日(土)                 ゼカリヤ書7:9
万軍の主はこう言われる。「正義と真理に基づいて裁き、互いにいたわり合い、憐れみ深くありなさい。」
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