Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2013年01月

日ごとの聖句562 あなたと共にいる 2013/2/3〜9

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2013年2月3日(日)顕現後第4主日       出エジプト記3:12
神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたたちはこの山で神に仕える。」

2月4日(月)                  ヨシュア記1:5
主は言われた。「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」

2月5日(火)                  歴代誌上28:20
「勇気をもって雄々しく実行せよ。恐れてはならない。わたしの神なる主はあなたと共にいて、決してあなたを離れず、捨て置かず、奉仕する職務をことごとく果たさせてくださるからである。」

2月6日(水)                   イザヤ書41:10
恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。わたしの救いの右の手であなたを支える。

2月7日(木)                  エレミヤ書1:8
「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と主は言われた。

2月8日(金)                  使徒言行録18:9
ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。」

2月9日(土)                  使徒言行録18:10
「わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」

鑑真とイエス

安藤更生『鑑真』(吉川弘文館、1968)

興福寺の隣に住んで鑑真への関心が続いていて、この本を読んだ。

渡日に反対した弟子の霊祐に対して鑑真が言ったという言葉。

「自分のことを心配してくれる気持はよくわかる。しかし自分が決行しようとしたことは仏法のためであり、人民のためである。そのめたには自分の一身などは小さな問題である。人間は自分の志した大事の完成にこそ生命を賭けるべきだ。」

「霊祐の心配は……かえって自分の志を殺すものである。自分の肉身を心配してくれて、かえって自分の志を遂げることを障げた霊祐は、わが同志とも門下ともいえない。」

霊祐は懺悔して、毎晩8時から朝の4時まで立ったなりで罪を謝すること60日に及び、やっと赦されることになったという。

これはペテロを叱責されたイエスとよく通じる。

「それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
三日の後に復活することになっている、
と弟子たちに教え始められた。
しかも、そのことをはっきりとお話しになった。
すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。
『サタン、引き下がれ。
あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。』」
マルコ8:31-33

日ごとの聖句561  あなたの救いを見た 2013/1/27〜2/2

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2013年1月27日(日)顕現後第3主日           ルカ2:22
さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。

1月28日(月)                     ルカ2:25
エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。

1月29日(火)                    ルカ2:27
シメオンが"霊"に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のためにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。

1月30日(水)                  ルカ2:28-29
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。」

1月31日(木)                    ルカ2:30
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」

2月1日(金)                   ルカ2:31-32
「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

2月2日(土)被献日                 ルカ2:33
父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。

わたしはあなたの手を取った

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イザヤ42:1‐9
ルカ3:15‐16、21‐22

 2013年1月13日
 顕現後第1主日・主イエス洗礼の日

 奈良基督教会にて

「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」ルカ3:21-22

 はっきりと聞こえます。ある人々は、それは空耳だと言うかもしれません。しかしほんとうに声が聞こえたのです。神さまの声です。

 「あなたはわたしの愛する子」
 
 それはイエスが洗礼を受けられた時のことです。イエスが祈っておられた。イエスと一緒に洗礼を受けたたくさんの人たちも祈っていました。場所はヨルダン川です。
 その時、神がイエスに呼びかけられました。

 「あなたはわたしの愛する子」
 
神の思いが溢れています。神の心臓が鼓動し、脈打っています。この子が特別に愛おしいからです。
 もちろん最初から神は、その独り子イエスを愛しておられました。誕生から30年の間、その成長を見守っておられました。けれども今は特別の時です。神さまはイエスの洗礼がうれしいのです。

 何がうれしいのでしょうか。

 「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて……」

 イエスが、民衆とひとつになったことがうれしい。神さまの赦しと助けがなければ生きていけない人々。そのゆえに救いを切望する人々。その民衆とイエスはひとつになった。イエスが人々の苦しみを引き受けつつ、その救いのために身を献げようとしていることがうれしい。わが子の決意を、神は感じておられます。

 イエスが神を呼んで祈り、天を開くほどに切なる真実の祈りをすることがうれしい。まっすぐに自分に呼びかけ語りかけてくれるのが、神さまにはうれしいのです。

 そのとき、神がイエスに呼びかけられたことを、今日の旧約聖書・イザヤ書がいっそう詳しく伝えています。

 「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び
 あなたの手を取った。」イザヤ42:6


 神がいま、イエスを呼び、イエスの手を取られました。
 これはどういうことでしょうか。

 第1に、神の祝福、力づけ、励ましです。神はイエスの手を取って、祝福し、力づけ、励まされます。どんなことがあっても、神はイエスを支え保ち続けられるのです。

 第2に、これは人々への紹介です。神はイエスの手を取ってわたしたちに紹介されます。イエスはこの世界で、人々の間で、わたしたちの間で、神の使命を行っていかれる。メシア、救い主であるイエスを、神はわたしたちにはっきりと示されました。このイエスを見つめ、このイエスから命を受け、このイエスに従って行きなさい、と、神はわたしたちに呼びかけられるのです。

 第3に、任命、派遣です。神は、ご自分の願いをイエスに託し、神の国を地上に実現していくためにイエスを任命されました。神はイエスの手を取って、握りしめて、そして送り出されるのです。

 ここまでわたしは、今日ヨルダン川で洗礼を受けられたイエスに目を注いできました。けれども聖書がわたしたちに告げるのは、このイエスに起こったことは、洗礼を受ける(受けた)わたしたちに当てはまるということです。

  「あなたがたは洗礼によって、キリストと共に葬られ、
また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、
キリストと共に復活させられたのです。」コロサイ2:12


 洗礼とは、イエスさまとひとつとされることです。死と滅びにおいても、命とよみがえりにおいても、わたしたちはイエスとひとつとされます。どれほどわたしたちのありようがイエスとかけ離れていても、イエスがわたしを捕らえ、わたしをご自分のものとしてくださったのです。

 イエスの願いは、イエスが洗礼において神から聞かれたことを、そのままわたしたちのこととしてわたしたちが聞いて受け取ることです。

 「あなたはわたしの愛する子」
 
 神さまはわたしたちのことを、たまらなく愛おしい。わたしたちは「あなたはわたしの愛する子」と呼びかけられています。

  「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び
 あなたの手を取った。」


 ここで言われる「あなた」とは、わたしのこと、また皆さんひとりひとりのことです。
 神がわたしの手を取ってくださっている。それを自分の手に感じてみたい。

 神がわたしの手を取ってくださるとは、どういうことでしょうか。

 第1に、神の祝福、力づけ、励ましです。神はわたしの手を取って、祝福し、力づけ、励まされます。神はどんなことがあっても、わたしを支え保ち続けられるのです。

 第2に、これは人々への紹介です。わたしを、神は誇りに思ってくださって、ひそかにではなく、公的に紹介してくださる。神はわたしの手を取ってみんなに紹介されます。
 「これはわたしの愛する子。」

 第3に、任命、派遣です。神は、ご自分の願いをイエスとともにわたしたちに託し、神の国を地上に実現していくためにわたしたちを任命されました。神はわたしの手を取って、握りしめて、そして送り出されるのです。

 わたしたちも神さまの手を握り返し、神の祝福と任命を喜びたい。わたしたちが神さまの祝福と任命を喜び、神さまの願いを実現しようと決意するなら、神さまの喜びはどれほど増し加わることでしょうか。

 祈りましょう。

 神さま、あなたはわたしたちをご自分の愛する子として呼びかけ、わたしたちを喜び、わたしたちの手を取ってくださいます。わたしたちに注がれた洗礼の祝福をわたしたちの間に呼び覚ましてください。わたしたちもあなたを喜び、あなたに答えることができますように。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

日ごとの聖句560 パウロの回心 2013/1/20〜26

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2013年1月20日(日)顕現後第2主日        イザヤ書62:3
あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり、あなたの神の御手の中で王冠となる。

1月21日(月)                  使徒言行録9:3
サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。

1月22日(火)                  使徒言行録9:4
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

1月23日(水)                 使徒言行録9:5
「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

1月24日(木)使徒聖パウロ回心日        使徒言行録9:17
そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。

1月25日(金)                 使徒言行録9:17
「兄弟サウル、主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」

1月26日(土)                 使徒言行録9:18
すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受けた。

日ごとの聖句559 主の熱情 2013/1/13〜19

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2013年1月13日(日)顕現後第1主日・主イエス洗礼の日
                          イザヤ書42:6
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。

1月14日(月)                   イザヤ書42:5
神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。

1月15日(火)                   イザヤ書42:9
見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前に、わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。

1月16日(水)                 イザヤ書42:10
新しい歌を主に向かって歌え。地の果てから主の栄誉を歌え。海に漕ぎ出す者、海に満ちるもの、島々とそこに住む者よ。

1月17日(木)                  イザヤ書42:13
主は、勇士のように出で立ち、戦士のように熱情を奮い起こし、叫びをあげ、鬨(とき)の声をあげ、敵を圧倒される。

1月18日(金)                  イザヤ書42:16
わたしは目の見えない人を導いて知らない道を行かせ、通ったことのない道を歩かせる。

1月19日(土)                  イザヤ書42:16
わたしは行く手の闇を光に変え、曲がった道をまっすぐにする。わたしはこれらのことを成就させ、見捨てることはない。

あなたに輝きを与える聖なる神

イザヤ60:1‐6、9
マタイ2:1‐12

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2013年1月6日
顕現日
奈良基督教会にて

 今日の旧約聖書はイザヤ書第60章からの言葉でした。その言葉を伝えた人は、いつの時代のどのような人かは知られません。イザヤ書に収められていますけれども、歴史に名を留めた預言者イザヤではなく、それより200年あるいは300年後の、名前の知られない別の預言者の言葉です。研究者たちはこれを仮に「第3イザヤ」と呼んでいます。名前がわからないのは残念なことです。けれども幸いなことに、彼の伝えた神の言葉が残って今日に至った。彼の語った言葉によってわたしたちは神に近づくことができます。そのことがこの預言者にとっても、わたしたちにとっても何より大切なことです。

 イザヤ書第60章の今日の言葉を注意深く聞かれた方は、わずか28行の中に「輝き」あるいは「輝く」という言葉が5回も出て来たことに印象を持たれたかもしれません。

 この預言者は、神さまから発する光が輝いているのをはっきりと見ていました。確かめてみましょう。まず三つです。

「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。」イザヤ60:1

「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。」60:2

「国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。」60:3

 この言葉のとおり、その輝きに向かって歩み出した人たちがいました。東の国の3人の博士たちです。

 天を仰ぐと、明るい星が輝いていました。その星をしるべに(聖歌111)、3人の博士たちが救い主を尋ねてはるばる旅をしてきました。不思議な光に招かれ促されて、博士たちは旅立ったのです。 昔のペルシャ、あるいはバビロニアの人たちです。今のイラン、イラクあたりでしょうか。

 この人たちは、星を見て、まことの王、ほんとうの救い主を求めてはるばる旅をして来ました。何十日もかけて遠い道を旅してきました。彼らは町にいれば、暖かい家と便利な生活があったのに、偉い先生として町中、いやおそらく国中から尊敬を受けて大事にされていたのに、それを置いて、生きて帰れるかどうかもわからない危険な旅に出ました。

 途中でオオカミにやられるかもしれない。強盗に襲われるかもしれない。砂漠で道に迷うかもしれない。それでも旅に出発しました。なぜか。どうしても救い主に会いたかったからです。どんなに危険でも、どんなにおそろしい目にあっても、たとえ死んでもよいから、救い主に会いたかった。拝みたかった。それが博士たちです。
 遠い遠い道。途中で何度も何度も道に迷って、もうだめかもしれないと思ったかもしれません。食べ物がなくなってきたり、水がなくなったり、大雨が降ったり、嵐になったりしたかもしれない。けれども諦めませんでした。輝く星だけを頼りに、辛抱して進みました。必ず救い主に会う決意でした。
 
「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」マタイ2:9-10

 博士たちは救い主イエスさまを見出しました。神の子イエスに出会って拝みました。今までのどんな時よりどんなことよりうれしかった。

 星の輝きに照らされ、導かれて、本当の光、真実の輝きに向かって歩んで、ついにその輝きそのものであるイエスさまに出会いました。イエスさまに会えたことが生涯の喜びです。力です。

 イエスを見たとき、イエスを拝んだとき、イエスに大切な贈り物をささげたとき、博士たちはどのような顔をしていたでしょうか。
 それは喜びの顔、幸せに光り輝く顔です。博士たちの心の中に、救い主の輝きが宿っています。幼子イエスのほほえみが博士たちを幸せで包み、救い主の輝きが彼らに輝きを与えています。

 もう一度イザヤ書第60章に戻って続きを読みましょう。

「そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる。」60:5

 これは、博士たちが経験したことです。彼らは、畏れつつも喜びに輝いたのです。

「それは島々がわたしに向けて送るもの。……あなたの神、主の御名のため、あなたに輝きを与える、イスラエルの聖なる神のために。」60:9
 
 遠い島の人が、はるかかなたの異国の人々が、イスラエルの聖なる神のもとに宝を運んできます。
 遠い東の国の博士たちは、黄金、乳香、没薬を携えて来ました。飼い葉桶の中に聖なる神を見、その輝きに照らされています。彼らの顔も輝いています。神が、彼らに輝きを与えられたのです。

 博士たちに起こったことはわたしたちにも起こりえます。

 わたしたちはほんとうに救い主に会いたいという願いを持ちたい。教会につながっていること自体が、大切な、意味あることです。けれどもそこから一歩二歩踏み出して、あの博士たちのように、本気で救い主を求めて近づきたい。イエスを見て喜び、イエスを拝んで喜び、イエスに捧げ物をして喜びたい。そのとき、わたしたちの顔も輝きを与えられます。

 神さまは、わたしたちに曇っていてほしくない。わたしたちを輝かせたいのです。
 
 あなたに輝きを与える、イスラエルの聖なる神!

 この方がわたしたちの神です。わたしたちを照らし、守り導かれる神が、わたしたちに輝きを与えてくださるのです。

 祈ります。

 わたしたちの聖なる神さま、わたしたちはしばしば無力感に捕らえられ、闇に閉ざされます。けれどもあなたはわたしたちに輝きを与えようとしてくださいます。わたしたちに、新たに救い主を求める熱心をお与えください。あの博士たちのように、飼い葉桶の中の幼子をはっきりと見て、喜ぶ幸いをわたしたちにもお与えください。あなたの輝きがみ子をとおしてわたしたちに注がれ、わたしたちも喜びに輝くようにしてください。救い主のみ名によってお願いいたします。アーメン

キリストの恵みと知識において、 成長しなさい

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ペトロの手紙二 3:18

2013年1月1日 主イエス命名の日
奈良基督教会にて

「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。」ペトロの手紙二 3:18

 およそ半月前の12月17日、聖書からこの言葉が響いてきました。響いてきた言葉が胸にとどまったので、神さまがわたしたちの教会のために与えてくださった言葉だと受けとめました。この新しい年に、この言葉をわたしたちに対する神さまの呼びかけとして心に宿して、歩んでいきましょう。

「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。」

 これはペテロの手紙の言葉ですが、ペテロをとおして神さまがわたしたちに言われます。
「成長しなさい」と。

 わたしたちは成長することができるのです。今が、これまでが限界なのではありません。

 ひょっとしたらわたしたちは思ってきたかもしれません。所詮これくらい。結局はこの程度だと。ところが神さまが言われるには、そうではないのです。諦めるな。失望するな。あなたがたはこれから成長することができる。ひとりひとりも、また教会も。

 神さまはわたしたちが成長するのを期待して待っておられます。わたしたちを成長させようと働きかけられます。今から、これからわたしたちは伸びていく。成長していくのです。

 何において成長するのでしょうか。

「イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。」
 
 わたしたちが期待されている成長とは、イエス・キリストの恵みをより深く経験することです。わたしたちを愛していてくださるイエス・キリストを、より深く知ることです。

 第1に、聖書の恵みにおいて成長する。
 わたしたちは、聖書は活字だと思ってきたかもしれません。ところが活字である聖書が起き上がってくる。呼びかけてくる。聖書からわたしたちに流れ込む生きた言葉が、わたしたちを慰め、励ますようになってくる。これが聖書の恵みにおいて成長することです。
 神さまが聖書を通して語りかけてくださるのを聞くようになる。しあわせなことです。

 第2に、祈りの恵み、祈ることの恵みにおいて成長する。
祈りは神さまとの対話です。神さまとの間の交流です。祈れば交流のパイプが太くなる。パイプが太くなるほどに、神の恵みが豊かに伝わってきます。祈りにこめる気持ちにおいても、また祈る言葉においても成長したいのです。

 祈りは祈祷書と、特に聖書では詩編から学ぶことができます。短い祈りの言葉をおぼえて日に何度も唱えましょう。「主よ、憐れんでください」「み国が来ますように」
そしてまとまった祈りの言葉が出てくるようになりますように。自由祈祷も臆せずにできるようになりますように。

 第3に、聖餐の恵み、主の食卓の恵みを受けることにおいて成長する。
イエスさまはわたしたちを生かすために、ここに、この礼拝に食卓を用意されました。聖餐を受けることの恵みをより深く味わいたい。聖餐を受け続けることの祝福を、これまでよりもっと知りたいと願います。

 わたしたちが恵みを受けていれば喜びが起こります。わたしたちが神の恵みを喜んでいればそれは人に波及します。それが伝道になります。

 一人ひとりの成長とともに、教会全体としても成長したい。そのあらゆることの中心として、礼拝において成長したいのです。

 聖書を朗読し、またそれを聞くことにおいて成長したい。口を大きく開いて、ゆっくりていねいに読む。心を傾けて聞く。聖書朗読の講習もしたいと思います。

 また聖歌を歌うことにおいても成長したい。歌詞の意味を大切に受けとめて、心で感じて歌いたい。

 最近連続して聖歌441(み言葉は人となり、わたしたちの間に住まわれた)を歌いました。救い主がわたしたちのところに来られて、わたしたちの間に宿ってくださった。それをイメージする。その柔らかさ、温かさ、確かさを、感じるようにして歌いたい。

 しっかりと声を出す。口を開いて声と気持ちを神さまに向かって届けるようにします。チャンセル(聖所)にいて会衆の声がはっきり聞こえないとさびしい。頼りない。反対にしっかり歌ってくださっているとこちらも力づけられます。
 知らないから、自信がないから歌いにくいということもあります。それなら、歌う機会を作りましょう。
 
 ずっと以前、韓国の教会の礼拝に出席したことがありました。知らない歌が歌われました。けれども一度で憶えました。それが自分の愛唱歌になったほどでした。なぜか。会衆が心と声を合わせてしっかり歌っていたからです。

 この口は、神さまを賛美するために造られました。この口は辛(つら)いことも言う。この口からいやな言葉も出る。けれどもそれ以上に、祈る言葉が、神を賛美する声が、この口から、皆さんの口から出るように。わたしたちの口から出る声と言葉が、他の人の力になっていくように。そのように、わたしたちの心も口も、共に成長したいのです。
 
 親は子どもの成長を喜びます。神さまはわたしたちを愛する子として見守っておられて、わたしたちの成長を喜んでくださいます。
 神さまがわたしたちに期待し、わたしたちを成長させてくださいます。わたしたちもイエス・キリストの恵みと知識において、成長しましょう。

「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。」

「わたしたちの主、救い主イエス・キリスト」

 この方はベツレヘムに生まれ、ナザレで成長されました。福音書にはこう書かれています。

「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」ルカ2:40

 今年、わたしたちもイエスさまと共に成長しましょう。この方はわたしたちの主であり、救い主です。

 祈ります。

 神さま、この新しい年、わたしたちを成長させてください。あなたの恵みを受け、恵みを知ることにおいて成長させてください。聖書を読むこと、祈ること、聖餐に共にあずかることにおいて成長させてください。危ういことがあっても、困難があっても、わたしたちを育んでください。この教会をとおして、礼拝を通して、あなたの恵みの光が輝くように、それがわたしたちと人々を照らすようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

日ごとの聖句558 輝き

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2013年1月6日(日)顕現日             マタイ2:9-10
東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。

1月7日(月)                    マタイ2:11
幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

1月8日(火)                    イザヤ60:1
起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。

1月9日(水)                   イザヤ60:2
見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。

1月10日(木)                   イザヤ60:3
国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。

1月11日(金)                   イザヤ60:5
そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる。

1月12日(土)                   イザヤ60:9
それは島々がわたしに向けて送るもの。あなたの神、主の御名のため、あなたに輝きを与える、イスラエルの聖なる神のために。

2013年の主題聖句

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「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。」
ペトロの手紙 3:18


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