
奈良基督教会
奈良キリ・セミナリオ
2013年3月24日(復活前主日)の夜
およそ20名でバッハのマタイ受難曲(抜粋)を聞いた。
以下は、そこで感じたこと、話したことの一部です。
第65曲のアリア
Mache dich , mein Herze, rein
(わが心よ、おのれを清めよ)
から
1. 信仰の甘美
「イエスが今よりのち、わたしの中で
とこしえに 甘い安らぎを得ますように」
信仰にとって「甘美」ということが大切である。
教訓的になものに重点がかかって、魂が枯渇するということがある。
神の恵みはわたしたちの心を潤す。喜びで満たす。
第67曲では「わたしのイエス」という言葉が繰り返される。
わたしの愛するイエス、わたしを愛してくださるイエス。
わたし個人のイエス、という親密さ、「慕い求める」ということを大切にしたい。
2. わたしの中の主体の交替
「この世よ、出て行け、イエスに入っていただけ」
受難曲をきいて感情が揺さぶられる。
しかしこの音楽によって、緊張が高まり、最後はそれが緩和、解消される(カタルシス)、という感情の出来事でとどまるべきではない。
わたしの中の主体が交替する。
この世の価値観……上下、優劣などに縛られたあり方から変革される。
イエスがわたしの中に入り、わたしの中で生きてくださることは、質的な変化である。
古いわたしはイエスの死とともに死に、新しいわたしがイエスの復活とともに始まる。
第68曲(終曲)
マタイ受難曲は、イエスの墓の前で、涙を流し、
墓の中のイエスに呼びかけるところで終わる。
おやすみください、やすらかに
やすらかに、おやすみください
復活の朝がやがて明けようとしている。