Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2013年10月

気を落とさずに、絶えず祈れ

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創世記32:23‐32
ルカによる福音書18:1‐8

2013年10月20日
聖霊降臨後第22主日
聖ガブリエル教会(大阪教区)にて

「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。」ルカ18:1

 イエスさまは、人が悩みを抱えて苦しんでいることをよくご存じでした。イエスの直弟子たちもそうですし、2000年後の弟子であるわたしたちもそうです。
 わたしたちは問題のむつかしさ、苦しさに容易に失望してしまいます。時々は祈るけれども、心配のほうがまさってしまうことが多い。そういうわたしたちのことをご存じであるイエスが言われます。

「あなたがたは失望するな。勇気を失うな。いつも、どんな時にも祈っていなさい。」

 これはわたしたちを悩みの淵から救おうとされるイエスの呼びかけです。この呼びかけに支えられて、わたしたちは祈ります。わたしたちの抱えている困難や苦しみ、願いや葛藤を神さまにはっきり届けて聞いてもらったら、事柄は神さまとしっかり共有したのです。

 ここでイエスがなさったのは「やもめと裁判官」のたとえです。やもめ、夫を失った女性は、しばしば力ある者によって苦しめられ、孤立させられ、不利益を強いられて、場合によっては持っているわずかなものまで奪われたりすることがありました。

 このたとえの中でやもめの訴えのことをイエスが話されたとき、イエスご自身が出会われたやもめたちの姿が目に浮かび、彼女たちの悲しみや訴えがイエスさまの心の中に響いていたに違いありません。

 律法学者たちに食い物にされているやもめのこと(マルコ12:40)。

 神殿の賽銭箱にレプトン銅貨2枚を入れた貧しいやもめのことのこと(マルコ12:42)。

 ひとり息子を失ったやもめのこと(ルカ7:12)。

 この人たちの訴えを、神さまは絶対に放置されることはないのです。

 けれども今はしばらくこのたとえから離れて、先ほど朗読された旧約聖書の箇所から、ひとりの祈る人の姿に目を注いでみましょう。創世記第32章、はるかな昔の先祖ヤコブの姿です。

 旧約聖書・創世記に登場するヤコブは、アブラハムの孫で、イサクとリベカの息子です。ヤコブは双子の弟で、兄はエサウです。若い日に兄エサウから相続権をだまし取り、兄の憎しみを買いました。ヤコブは母リベカの勧めに従い、母の兄、自分にとっては伯父にあたるラバンのもとに身を寄せ、20年の間そこで家畜の世話をして過ごしました。

 そこでヤコブはラバンの娘、いとこのレアとラケルを妻とし、たくさんの子どもを授かりました。姉妹の両方を妻としたことから、家庭内での葛藤は激しいものでした。やがてヤコブは家族と家畜の群れを連れてラバンのもとから脱走し、遠い道を旅して故郷の地に戻っていきます。

 ヤコブは20年という長い年月を経ても、兄エサウが今も自分を憎んでいるのではないか、会えば自分を殺そうとするのではないかと恐れました。
ヤコブは先に使いの者を遣わし、エサウに挨拶させました。使いの者は帰ってきて報告しました。

「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます。」創世記32:7

400人! ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ末、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けました。エサウがやって来て、一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのです。

 ヤコブは叫ぶように祈りました。

「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」32:10-13

 ヤコブは自分の持ち物の中から兄エサウへの贈り物を選びました。第1の贈り物、第2の贈り物、第3の贈り物と、三重におびただしい贈り物を用意して、順々に兄エサウに届けさせました。

 ヤコブは川に至りました。ヤボクの渡しです。ここを渡れば、万一の場合エサウの手から逃れるのは困難です。ヤコブは先に僕たちを渡らせ、持ち物を渡らせ、家族も渡らせました。しかし彼は川の手前に留まっています。渡ることができないのです。兄エサウが恐ろしい。

 ヤボクの渡しを前にして渡ることができず、ヤコブは神の救いと祝福を求めて徹夜で神と格闘するほどに祈りました。

 こう書いてあります。

「ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿(もも)の関節がはずれた。『もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから』とその人は言ったが、ヤコブは答えた。『いいえ、祝福してくださるまでは離しません。』『お前の名は何というのか』とその人が尋ね、『ヤコブです』と答えると、その人は言った。『お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。』

『どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、『どうして、わたしの名を尋ねるのか』と言って、ヤコブをその場で祝福した。ヤコブは、『わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている』と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。

ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。」32:25-32


 ヤコブは天使と、もっとはっきり言えば神と格闘したのです。こうしてヤコブの祈りは聞かれ、20年ぶりに兄エサウと平和な再会をしました。
 
 諦めてはいけないのです。神の救いと祝福を得るまでは、祈り続ける。毎日毎日神に訴え続けるのです。
 イエスは言われます。気落ちしてはいけない。祈る勇気を失ってはいけない。いつも、どんな時にも祈っていなさい。神さまは絶対に放置されない。無視されない。

 このように弟子たちに教えられたイエスは、やがてあのヤボクの渡しのヤコブのように、苦しみもだえて祈られました。ゲッセマネです。

 ヤコブのようにかつての自分の負い目の故に死の恐怖におびえて祈られたのではありません。自分の救いのためではなく、人の救いのためです。イエスは死を前にして、ゲッセマネで神と格闘して祈られました。血の汗を流して祈られました。わたしたちを神の国に入れるためです。

 ヤコブは祈りの格闘をとおして神の祝福を受け、自分の命を長らえました。しかしイエスは、祈りの格闘をとおしてご自分の死を受け入れ、わたしたちのために神の祝福を獲得してくださいました。

 あのやもめと裁判官のたとえを話された最後に、イエスはこう言われました。

「言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」ルカ18:8
 人の子とは、イエスご自身のことです。弟子たちのために、天国の門を開いてイエスが再び戻ってこられるとき、「果たして地上に信仰を見いだすだろうか」。

 「果たして」と訳された言葉は、ἆρα(アラ)というギリシア語の単語です。これは心配、心の切望、耐えがたい思いをこめて発せられる言葉です。

 そのとき、地上に信仰を見出したい。わたしが帰ってきてみんなを迎えるとき、わたしを信じて、諦めずに祈って待っていてくれるあなたがたと出会いたい。
 それがイエスの心配であり切望です。

 神さまが祈りを聞いておられます。イエスがわたしたちのために祈っていてくださいます。イエスが一緒に祈っていてくださいます。やがて来られるイエスは、わたしたちのうちに、信仰を、祈りを見出したいと切望しておられます。
 今日聞いたイエスさまの言葉を、わたしたちが無にすることがありませんように。

 神さま、わたしたちを、失望せずに祈る人にしてください。諦めずに祈り続ける者、いつも祈る者にしてください。イエスさまがご自分の命を献げるまでにわたしたちの救いのために祈ってくださったことを無にすることのないようにしてください。イエスさまがすべてを正しく裁くために再びおいでになるとき、わたしたちが信じて祈ってきた者としてお会いすることができますように。アーメン


日ごとの聖句601 詩編118編 2013/11/3〜9

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2013年11月3日(日)聖霊降臨後第24主日      詩編118:1、4
恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。
主を畏れる人は言え。慈しみはとこしえに。

11月4日(月)                   詩編118:5
苦難のはざまから主を呼び求めると、主は答えてわたしを解き放たれた。

11月5日(火)                  詩編118:6、8 主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。人間がわたしに何をなしえよう。人間に頼らず、主を避けどころとしよう。

11月6日(水)                 詩編118:13、14
激しく攻められて倒れそうになったわたしを、主は助けてくださった。主はわたしの砦(とりで)、わたしの歌。主はわたしの救いとなってくださった。

11月7日(木)                 詩編118:17、18
死ぬことなく、生き長らえて、主の御業を語り伝えよう。
主はわたしを死に渡すことはなさらなかった。

11月8日(金)                  詩編118:19、20
正義の城門を開け、わたしは入って主に感謝しよう。
これは主の城門、主に従う人々はここを入る。

11月9日(土)                  詩編118:27、28
主こそ神、わたしたちに光をお与えになる方。
あなたはわたしの神、あなたに感謝をささげる。

モーセ物語

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ホームページの「幼稚園の礼拝でのおはなし」にモーセ物語1〜4を掲載しました。

幼稚園の礼拝でのおはなし

ヨブ──旧約聖書の祈り 10

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奈良基督教会の聖書研究会(2013/10/23)での講話のレジュメをホームページに掲載しました。

ヨブ──旧約聖書の祈り 10

日ごとの聖句600 目を上げて 2013/10/27〜11/2

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2013年10月27日(日)聖霊降臨後第23主日       ルカ6:20
イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」

10月28日(月)使徒聖シモン・使徒聖ユダ日     ヨハネ6:5
イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われた。

10月29日(火)                  詩編121:1-2
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。

10月30日(水)                  詩編123:1-2
目を上げて、わたしはあなたを仰ぎます、天にいます方よ。わたしたちは、神に、わたしたちの主に目を注ぎ、憐れみを待ちます。

10月31日(木)                 ヨハネ4:35-36
目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。

11月1日(金)諸聖徒日               詩編25:1-2
主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み、わたしの神よ、あなたに依り頼みます。

11月2日(土)                  マルコ16:4-6
目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「あの方は復活なさったのだ。」

日ごとの聖句599 祈りなさい 2013/10/20〜26

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2013年10月20日(日)聖霊降臨後第22主日       ルカ18:1
イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

10月21日(月)                   マタイ6:6
あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。

10月22日(火)                   ルカ22:40
いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。

10月23日(水)                  ルカ22:41-42
イエスは、ひざまずいてこう祈られた。「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。」

10月24日(木)                   ルカ22:43
「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。

10月25日(金)                   ルカ6:28
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

10月26日(土)                   ユダ1:20
愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。

日ごとの聖句598 真実の神 2013/10/13〜19

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2013年10月13日(日)聖霊降臨後第21主日
               テモテへの手紙二 2:13
わたしたちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる。

10月14日(月)         コリントの信徒への手紙一 1:9
神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

10月15日(火)        コリントの信徒への手紙一 10:13
神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

10月16日(水)                 イザヤ書65:16
この地で祝福される人は、真実の神によって祝福され、この地で誓う人は真実の神によって誓う。

10月17日(木)        テサロニケの信徒への手紙二 3:3
しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。

10月18日(金)福音記者聖ルカ日         ゼカリヤ書8:8
彼らはわたしの民となり、わたしは真実と正義に基づいて、彼らの神となる。

10月19日(土)              ヨハネの黙示録6:10
彼らは大声でこう叫んだ。「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行われないのですか。」

日ごとの聖句597 聖書の朗読 2013/10/6〜12

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2013年10月6日(日)聖霊降臨後第20主日        ルカ4:16
イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。

10月7日(月)                    ルカ4:17
預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

10月8日(火)                    ルカ4:18
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。」

10月9日(水)                使徒言行録8:27-28
エチオピア人の宦官(かんがん)が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。

10月10日(木)                 使徒言行録8:32
彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠(ほふ)り場に引かれて行った。黙している小羊のように、口を開かない。」

10月11日(金)                使徒言行録8:35
宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。」そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。

10月12日(土)               テモテ一 4:13-14
わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。
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