Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2014年09月

天使ミカエル

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2014年9月28日・聖霊降臨後第16主日

西大和聖ペテロ教会での説教


 明日9月29日は、「聖ミカエルおよび諸天使の日」です。それで今日は、天使ミカエルのお話をしたいと思います。

 聖書に天使が出て来ます。その中で固有名詞を持つ天使というと、まずクリスマス物語に登場するガブリエルです。乙女マリアに「あなたは神の子を生む」と告知したのは、天使ガブリエルでした。ガブリエルのほかに、もうひとり固有名詞を持つ天使が新約聖書の中に登場します。ミカエルです。マイケル、ミッチェル、ミシェル、ミヘル……は同じミカエルのことです。

 「エル」は「神」の意味、「ミカ」は「だれがそのような?」という意味だそうで、「ミカエル」とは「だれが神のようであろうか?」、つまり、「神と並ぶ者はだれもない」というのが、その名まえの意味だそうです。神と出会った人たち、神さまを経験した人たちの驚きと恐れと喜びが、この名前にはこめられているようです。
……

全文は
  ↓
天使ミカエル


人を惜しまれる神──ヨナ書

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2014年9月21日
聖霊降臨後第15主日
奈良基督教会にて


 今日の旧約聖書はヨナ書という預言書の最後のところでした。ヨナ書はわずか4頁。ほかの聖書とは違い、まるで小説のような物語であって、あまり聖書らしくありません。歴史的事実が背景にあるのか、それともまったくの創作なのかいろいろ説があるようです。
 あらすじをたどってみることにします。

 主なる神はヨナに命じて言われました。
「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」ヨナ1:2

 ニネベは古代アッシリア帝国の都です。今のイラク北部。チグリス川のほとりの大都市でした。そのニネベの悪は甚だしく、言わばその叫喚と悪臭は天に達しました。これ以上放置できないと思われた神は、ヨナをニネベに遣わして、神の審判が迫っていることを伝えさせようとされました。

 ところがヨナはその使命を拒み、ニネベとはまったく反対の西のかなたに逃げようとします。地中海沿岸のヤッファから、はるかに遠いスペインのタルシシュ行きの船に乗り込みました。「主から逃れようと」(1:3)と2回も書いてあります。

全文は
  ↓
人を惜しまれる神──ヨナ書

日ごとの聖句648 天使ミカエル 2014/9/28〜10/4

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2014年9月28日(日)聖霊降臨後第16主日    ダニエル書10:13
ペルシア王国の天使長が二十一日間わたしに抵抗したが、大天使長のひとりミカエルが助けに来てくれた。

9月29日(月)聖ミカエルおよび諸天使の日   ダニエル書10:21
真理の書に記されていることをお前に教えよう。お前たちの天使長ミカエルのほかに、これらに対してわたしを助ける者はないのだ。

9月30日(火)                 ダニエル書12:1
その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで苦難が続く。国が始まって以来なかったほどの苦難が。

10月1日(水)                 ダニエル書12:1
しかし、その時には救われるであろう、お前の民、あの書に記された人々は。

10月2日(木)                 ダニエル書12:3
目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。

10月3日(金)              ヨハネの黙示録12:7-8
天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。

10月4日(土)               ヨハネの黙示録12:9
この巨大な竜、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。その使いたちももろともに投げ落とされた。

日ごとの聖句647 ヨナ書の言葉 2014/9/21〜27

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2014年9月21日(日)聖霊降臨後第15主日       ヨナ書1:9
ヨナは彼らに言った。「わたしはヘブライ人だ。海と陸とを創造された天の神、主を畏れる者だ。」

9月22日(月)福音記者使徒聖マタイ日       ヨナ書2:2、7
ヨナは魚の腹の中から祈った。「わたしは地の底まで沈む。しかし、わが神、主よ、あなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった。」

9月23日(火)                   ヨナ書3:4
ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」

9月24日(水)                   ヨナ書3:5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。

9月25日(木)                   ヨナ書3:10
神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。

9月26日(金)                  ヨナ書4:1、3
ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。「生きているよりも死ぬ方がましです。」

9月27日(土)                   ヨナ書4:11
主は言われた。「どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。」

ウィリアム・ティンダル──人々に英語の聖書を!

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2014年9月14日夜、第55回日本聖公会京都教区信徒の集いの夜のDVD上映会の資料を掲載します。

内容は次のとおりです。

チラシ/主な登場人物/地図/物語の概要/コリント前書第13章の対訳/略年表

ウィリアム・ティンダル──人々に英語の聖書を!

<DVD> GOD'S OUTLAW  ウィリアム・ティンダルの物語

William Tyndale

9月14日(日)の午後から奈良で開かれる京都教区信徒の集いの初日の夜、自由参加で William Tyndale (原語からの英語聖書翻訳者。司祭。殉教者)のDVDの一部を上映する予定をしています。

その終わりの部分を訳してみましたので紹介します。
────

 処刑される直前のティンダルの最後の言葉。

 Lord, open the king of England's eyes!
 (主よ、イングランドの王の目を開いてください!)

(最後のナレーション)
 ティンダルが亡くなったとき、すでにイングランドには二種類の聖書が広がりつつあった。
両者ともに、ティンダルによる新約聖書翻訳を効果的に取り入れていた。
またその旧約聖書にもティンダルの多くの訳業が用いられていた。
それらの一つ、カヴァバデール聖書がヘンリー8世にささげられたとき、主教たちは、その聖書の中には誤りは見出せないと保証した。

 王は言った。「その中に異端がないのであれば、神の名によって、
それが人々の間に広まるようにせよ」。

 翌年、王は非常に意味のある小さな一節を公認して、
それが英語聖書のタイトルページに付加されるように許可した。
「王の最も慈悲深い許可による」。

 1538年9月5日、ヘンリーはイングランドのあらゆる教会に命じて、
英語の最も大きな聖書1巻を置くようにさせた。
英語で印刷された聖書は、イングランドの宗教改革の心臓であった。
それは今も、ウィリアム・ティンダルへの記念であり、
また彼の死に際しての祈りへの答である。

日ごとの聖句646 主のもの

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2014年9月14日(日)聖霊降臨後第14主日       ローマ14:8
生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。

9月15日(月)                    詩編24:1
地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの。主は、大海(おおうみ)の上に地の基(もとい)を置き、潮の流れの上に世界を築かれた。

9月16日(火)                サムエル記上2:8
主は弱い者を塵(ちり)の中から立ち上がらせられる。大地のもろもろの柱は主のもの、主は世界をそれらの上に据えられた。

9月17日(水)                   詩編95:4-5
深い地の底も御手の内にあり、山々の頂も主のもの。海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。

9月18日(木)                   詩編95:6-7
わたしたちを造られた方、主の御前にひざまずこう。主はわたしたちの神、わたしたちは主の民、主に養われる群れ。

9月19日(金)                   詩編100:3
知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民、主に養われる羊の群れ。

9月20日(土)                  オバデヤ1:21
救う者たちがシオンの山に上って、エサウの山を裁く。こうして王国は主のものとなる。

日ごとの聖句645 あなたがたも生きる

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2014年9月7日(日)聖霊降臨後第13主日    エゼキエル33:11
わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。

9月8日(月)                  エゼキエル18:32
「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

9月9日(火)                    アモス5:4
まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。「わたしを求めよ、そして生きよ。」

9月10日(水)                   ヨハネ6:51
イエスは言われた。「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」

9月11日(木)                  ヨハネ14:19
イエスは言われた。「あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」

9月12日(金)                   詩編37:28
主は正義を愛される。主の慈しみに生きる人を見捨てることなく、とこしえに見守られる。

9月13日(土)                  シラ書48:11
あなた[エリヤ]を見る者、また、愛のうちに眠りについた者は幸いである。確かに、わたしたちも生きるであろう。

ウィリアム・ティンダル

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私の継続的な関心のひとつは、ウィリアム・ティンダル
(William Tyndale, 1494?-1536)です。

ギリシア語、ヘブライ語原語からの英語聖書翻訳者。殉教者。イングランドの司祭。
私はこの人を聖公会の礎石のひとりと考えています。

デイヴィド・ダニエル『ウィリアム・ティンダル──ある聖書翻訳者の生涯』
 田川建三訳、2001、勁草書房


これを読みながら自分でも少し調べてみました。

ティンダルは新約聖書全体を翻訳し、旧約聖書は途中まで訳しているうちに、生涯の終わりを迎えました。捕らえられて火刑に処されたのです。

旧約聖書・創世記に関して。

「(ラバンらは)リベカを祝福して言った。『わたしたちの妹よ、あなたが幾千万の民となるように。あなたの子孫が敵の門を勝ち取るように。』」創世記24:60

ここを訳しつつ、ティンダルは欄外に次のような注を付けています。


"To bless a man's neighbour is to pray for him and to
wish him good and not to wag two fingers over him. "
「人の隣人を祝福するということは、その隣人のために祈り、その人のために善を願うことであって、その人の上で2本の指を振ることではない。」


これは当時の教会の聖職者が、形のみの祝福の動作を行って、まったく心を欠いていたことを痛烈に批判しているものです。形式主義批判、儀式主義批判と言ったらいいでしょうか。

私は聖公会の司祭として儀式的聖餐式を司式する立場です。彼が大切にしたかったことを心にとめつつ、儀式の所作(動作)の中に心をこめたい、所作をとおして心を深め表したいと願います。

ティンダルは彼の英訳旧約聖書(五書)の前に、二つの序文を書いています。
第2の序文 (A PROLOGUE SHOWING THE USE OF THE SCRIPTURE) の中で彼が語っている言葉をいくつか紹介します。

「だから、ただ聖書を読んでそれについて語るというだけでは十分ではない。私たちは昼も夜も神に懇願して、神がすぐに私たちの目を開いてくださるように祈り求めなければならない。また神が、聖書が何のために与えられたかを私たちに分からせ、感じさせてくださるように求め、そして私たちが聖書という薬を、あらゆる人のために、それぞれの自分の傷の癒しのために用いていけるように願うべきである。」

「学んで慰めを得ること──それが聖書のもたらす実りであり、それが聖書が書かれた理由である。」

「聖書の物語へと行きなさい。そして読みなさい。あなたの学びと慰めのために。そしてあなたの目の前で行われているあらゆることを見なさい。……」


Thy learning and comfort
<聖書を学ぶことと慰めを受けること>
──ティンダル自身が経験したこの幸福と祝福を、読者も経験してほしいと彼は切望したのです。
 
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