Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2018年01月

日ごとの聖句823 祈るイエス 2018/2/4〜10

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2018年2月4日(日)顕現後第5主日      マルコ1:35
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。

2月5日(月)                ルカ3:21-22
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。

2月6日(火)                ルカ5:15-16
大勢の群衆が、集まって来た。だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。

2月7日(水)                ルカ6:12-13
イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、十二人を選んで使徒と名付けられた。

2月8日(木)                 ルカ9:29
祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。

2月9日(金)                 ルカ11:1
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに「主よ、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。

2月10日(土)                ルカ22:32
「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

「使徒言行録」および「ローマ書」講義録2018

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OCCカレッジ(大阪クリスチャンセンター)〈日本福音学校大阪校〉
での講義です。

使徒言行録「パウロの回心と働き」2018年1月13日(土)
ローマの信徒への手紙「恵みと信仰──キリスト教信仰の根幹」2018年1月27日(土)

これは2017年の奈良基督教会公開聖書講座の原稿にいくらか加筆修正したものです。

→ 使徒言行録「パウロの回心と働き」

→ ローマの信徒への手紙「恵みと信仰──キリスト教信仰の根幹」

わたしについて来なさい

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2018年1月21日・顕現後第3主日
奈良基督教会での説教です。

マルコ1:16−20

「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。」マルコ1:16
 
聖書を読むときに、その場面、情景を想像してみたい。
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。」
 
イエスが、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられます。夜が明けた頃かもしれません。湖を渡ってくる風が頬をなで、髪の毛を揺らします。朝の新鮮な空気。朝日が湖を照らしています。イエスが踏まれる海辺の砂がザクザクと音を立てています。

二人の人が目に入りました。漁師です。岸辺からそれほど遠くない、湖に浮かべた舟の上から網を打って漁をしています。イエスはそれをご覧になりました。
……

→ 「わたしについて来なさい」全文

日ごとの聖句822 会堂に入られたイエス 2018/1/29〜2/3

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2018年1月28日(日)顕現後第4主日     マルコ1:21
一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。

1月29日(月)               マルコ1:22
人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。

1月30日(火)              マルコ3:1-2
イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎(な)えた人がいた。
人々はイエスを訴えようと思って、注目していた。

1月31日(水)               マルコ3:3
イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。

2月1日(木)                マルコ3:5
イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。

2月2日(金)被献日            ルカ2:28-29
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。」

2月3日(土)              ルカ2:30-32
「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救い、異邦人を照らす啓示の光です。」

主よ、お話しください

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2018年1月14日・顕現後第2主日
奈良基督教会での説教です。
サムエル記上3:1−10

 「主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております」

 これがわたしたちの教会の今年の年間聖句です。年間聖句は毎週の週報に書かれてあり、また信徒の方が墨で書いてくださって礼拝堂とベタニアに掲げられています。

 この聖句はわたしが決めているのですが、それは年度の終わり頃に教会の現状を振り返りながら、神さまが何をわたしたちに呼びかけておられるのかを思いめぐらすなかで与えられたものです。

 「主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております」

 わたしたちは話す。大事なことです。けれどもわたしたちが話している間に、神さまの声が聞こえなくなる。聞くことを忘れる。これはとても危険なことです。
 いろんな課題を抱えて、たくさん心配したり迷ったりするわたしたちです。そのわたしたちに対して、神さまは何と言われるのか。神さまは何を語りかけておられるのか。わたしたちの教会に対して、この社会に対して、またわたし個人に対して。これに心の耳を澄まして聞きたい。神さまの思い、神さまの言葉の中に、わたしたちの希望と命がかかっているのです。
……

→説教全文PDF

日ごとの聖句821 わたしについて来なさい 2018/1/21〜27

ガリラヤ湖畔

2018年1月21日(日)顕現後第3主日      マルコ1:16
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。

1月22日(月)              マルコ1:16-18
彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。

1月23日(火)                マルコ1:19
また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になった。

1月24日(水)                マルコ1:20
するとすぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。

1月25日(木)使徒聖パウロ回心日    使徒言行録26:16
「起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたを奉仕者、また証人にするためである。」

1月26日(金)               マタイ11:28
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう。

1月27日(土)                ヨハネ1:39
イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行った。

シューベルト「詩編第23編」対訳

Schubert

シューベルト「詩編第23編」Der 23 Psalm
1820年12月作曲 D706

以前にも紹介したものですが、対訳と解説を少し改訂し、PDFにしました。

シューベルト「詩編第23編」PDF

アルフレート・アインシュタインは『シューベルト──音楽的』の中でこの曲について
「その品位(変イ長調)の点で、音響と転調の豊かさの点で、高揚の烈しさの点で、人の心を奪い去るこの『詩編第23編』」
と述べています。
(白水社、1963)

日ごとの聖句820 主よ、お話しください 2018/1/14〜20

アンナプルナ

2018年1月14日(日)顕現後第2主日    サムエル記上3:9
エリはサムエルに言った。「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」

1月15日(月)             サムエル記上3:10
主は来てそこに立たれ、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」

1月16日(火)             ダニエル書10:19
彼は言った。「恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい。」

1月17日(水)             ダニエル書10:19
こう言われて、わたしは力を取り戻し、こう答えた。「主よ、お話しください。わたしは力が出てきました。」

1月18日(木)              イザヤ書30:21
あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け、右に行け、左に行け」と。

1月19日(金)              ハバクク書2:20
しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。

1月20日(土)              列王記上22:19
だが、ミカヤは続けた。「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座(みざ)に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。」

『杜甫全詩訳注』

杜甫全詩訳注一

(これは Facebook のほうに日記風に書いたものです。意外に反応が多かったこともあり、自分の文だけをここに載せておくことにしました。)

「杜甫は、詩の力で世界を変えることができると、天下の政治も社会の不義も詩の力で正すことができると信じた、おそらく中国の文学史上にただ一人の詩人だった──。」

『杜甫全詩訳注(一)』講談社学術文庫
の松原 朗氏の解説から。

──驚嘆した。ほんとうにそうだったのかはわからないが。
そうであれば、神の言葉の力について私たちはもっと信頼すべきであり、もっと熱心に取り組むべきだと感じた。

杜甫の生涯と精神が自分の中に流れ込んでくる気がする。

高校の頃から杜甫は自分に直接響いてくるので、ある種の危険を感じ、私とはまったく対照的な李白を愛してきたのですが、杜甫を傍らに置くべき時期に来たのかなあと思ったりします。

私の杜甫のイメージは「兵車行」「春望」「登高」が代表的です。
「登高」は杜甫の病を自分のうちに感じてしまうので危険なのです。

「登高」の「万里悲秋 常に客となり 百年多病 独り台に登る……」

長江の波が見え、猿の悲しい声が聞こえます。病んだ杜甫の苦しみが私の心と体の中に入ってきてしまう感じになります。単純と言うか、自分が苦しくなってしまうのです。
それで次から警戒するのですが、それでも大好きなので何度でも読んでしまいます。

幼子の名はイエス(2018)

Sea of Galilee

2018年1月1日・主イエス命名の日
奈良基督教会での説教です。

……
その子の名はイエス。「イエス」とは「主(ヤハウェ)は救う」「神は救い」という意味です。神の救いをこの世界にもたらすために生まれた幼子の名前はイエス。誕生から8日目の今日1月1日に、幼子は正式にイエスと名付けられました。イエスの名はマリアから愛をもって呼ばれ、ヨセフから愛をもって呼ばれ、隣人たちから愛をもって呼ばれました。

ところでこのイエス命名の出来事を伝えるルカ福音書の中で、直接このイエスの名を呼んだ人たちがいるのだろうか。いるとしたらどんな人たちが「イエスよ」とイエスの名を呼んだのか。それが気になって調べて見ました。それほど多くはないので、短くたどってみます。
……

全文は → 幼子の名はイエス

日ごとの聖句819 わたしの愛する子 2017/1/7〜13

Jordan River

2018年1月7日(日)顕現後第1主日・主イエス洗礼の日
                      マルコ1:9
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。

1月8日(月)                マルコ1:10
水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降(くだ)って来るのを、御覧になった。

1月9日(火)                マルコ1:11
すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

1月10日(水)                マルコ2:5
イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。

1月11日(木)                ヨハネ21:5
イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。

1月12日(金)                マルコ9:7
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

1月13日(土)               テモテ二 2:1
そこで、わたしの子よ、あなたはキリスト・イエスにおける恵みによって強くなりなさい。
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