
2018年3月30日・聖金曜日
奈良基督教会での説教です。
(大和伝道区合同礼拝)
全文→クロパの妻マリアと十字架のイエス
わたしたちは今、2000年前の人たちと同じように、主イエスの十字架のもとに集まっています。
今、朗読されたのはヨハネ福音書による主イエスの受難物語ですが、ルカ福音書にはこのように書かれた一節があります。イエスの死の直後です。
「23:48 見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。」
このように、十字架の出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った人たち。その中にはふたとおりの人々がいたのではないでしょうか。一つは、この残酷で衝撃的な出来事に立ち会ったとしても、やがてその記憶は次第に薄れて過去の事柄となり、結局はイエスの十字架と自分の人生の間には特別な関係が生じなかった人たちです。
もう一つは、この十字架の出来事がそれを目撃した人の生涯に決定的な影響を及ぼすことになった人たち。十字架にかけられたイエスがその人の心に刻みこまれて、イエスと自分とをもはや切り離すことができなくなった人たち。十字架のイエスなしの人生などもはやあり得なくなった人たちです。
わたしたちはこの礼拝が終われば、2000年前の人たちと同じように胸を打ちながら帰って行くでしょう。そしてその後はどうなるのでしょうか。願わくは、今述べた後者のようでありたい。十字架のイエスがわたしたちに宿ってくださって、もはやそこから離れられないような、そのようなイエスとの出会いと結びつきが与えられることを願います。
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