Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2018年04月

あなた自身の井戸から

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「あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。」
        旧約聖書・箴言5:15


「箴言」は旧約聖書の中の一書で、格言集です。「箴」は竹の針のことで、「箴言」とは「人の心をチクリと突く戒め」という意味でしょうか。

ここに掲げた言葉は、夫婦の間の深い信頼と交流を言うもので、人は相手から励ましと力を受けることを述べていると言われます。

けれどもこれを広く主イエスの言葉につなげると、視野が新しく開ける気がします。

「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 ヨハネ福音書4:14

主イエスはわたしの中に泉を開いてくださるのです。

一人ひとりの中には井戸がある。その井戸はしばしば隠れてしまっています。けれどもだれかがその井戸を見つけて、呼び水を注ぎ込むなら、その人の内なる井戸から水が湧き出し、その人自身を潤すともに、ほかの人をも潤すものとなる。

それをなさったのがイエスです。

イエスとの出会いによって、多くの人は自分の内なる井戸、泉を開発されました。私たちもまた、自己の内なる井戸を開発されるとともに、ほかの人の井戸を開くような働きができればと思います。

ふとこんな言葉も思い浮かびます。

「あなたたちは喜びのうちに、救いの泉から水を汲む。」 イザヤ書12:3



日ごとの聖句835 あなたがたも生きる

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2018年4月29日(日)復活節第5主日  ヨハネ14:19
世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。

4月30日(月)            ヨハネ14:20
かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。

5月1日(火)使徒聖ピリポ・使徒聖ヤコブ日
                 ヨハネ14:21
わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。

5月2日(水)              創世記2:7
主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

5月3日(木)             アモス5:14
善を求めよ、悪を求めるな。お前たちが生きることができるために。そうすれば、主は、お前たちと共にいてくださるだろう。

5月4日(金)            ヨハネ一 4:9
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。

5月5日(土)          使徒言行録2:26
わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。

日ごとの聖句834 羊飼い 2018/4/22〜28

GalileePasture

2018年4月22日(日)復活節第4主日  ヨハネ10:14
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。

4月23日(月)           ヨハネ10:16
この囲いに入っていないほかの羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

4月24日(火)             詩編23:1
【賛歌。ダビデの詩。】主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

4月25日(水)福音記者聖マルコ日   詩編23:2-3
主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。

4月26日(木)            詩編23:3-4
主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。

4月27日(金)             詩編23:4
あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭(むち)、あなたの杖、それがわたしを力づける。

4月28日(土)          創世記48:15-16
わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる神よ。どうか、この子どもたちの上に、祝福をお与えください。

【全文】イエス御自身が真ん中に立ち

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ルカ24:36−48
2018年4月15日・復活節第3主日
奈良基督教会での説教

→ 全文

今日の福音書はこのように始まりました。

 「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」ルカ24:36

 聖書日課をお持ちの方は、今日の福音書本文の始まりの所を見ていただきますと、「24:36b」と書いてあるのに気づかれると思います。これは36節の冒頭(36a)が省略されているということを示してい
ます。何が省略されているかと言うと
「こういうことを話していると、」
という言葉です。
 別に省いてもよい気がするかもしれませんが、しかしこの言葉によって、主イエスの弟子たちがどういう状態にあったかがはっきりとわかるのです。
……


イエス御自身が真ん中に立ち

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復活節第3主日(2018/04/15)

ルカによる福音書24:36−48

 イエスが十字架につけられてから3日目の日曜日の深夜のことです。エルサレムに残った弟子たちと、遠いエマオまで行って戻ってきた二人の弟子たちとが集まって、語り合っていました。復活のイエスさまに出会ったことを熱心に話す人もいれば、それを不思議に思う人、疑わしく思う人もいて、議論は尽きません。

 そうしているうちに、イエス御自身が彼らの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と言われました。弟子たちは恐れおののいて、亡霊を見ているのだと思いました。そこでイエスは言われました。

「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」ルカ24:38−39

 そう言ってイエスは弟子たちに、ご自分の両手と両足を示されました。そこにははっきりと、釘を打たれた傷跡が残っていました。
 それを見た弟子たちは、確かにイエスさまだとわかって、喜びが湧き起こってきます。それでもやっぱり不思議で、信じられないのです。

 そこでイエスは「ここに何か食べ物があるか」と言われました。弟子たちが焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って彼らの前で食べられました。

 わたしたちはイエスの復活について議論し、不思議に思い、また疑います。わたしたちの間では解決がつきません。けれども大切なことは、そのようなわたしたちの真ん中にイエス御自身が立たれる、ということです。そしてなかなか信じられないわたしたちを何とかわからせようとして、イエス御自身が懸命になられる、ということです。

 イエスが御自身をわたしたちに示し、そしてわたしたちの心の目を開いてくださるとき、すべては変わります。惑いと疑いは去り、喜びと力が湧き溢れて、自分の中にそれを押し込めておくことはできなくなるのです。

 わたしたちは聖餐式の初めに「主イエス・キリストおいでください。弟子たちの中に立ち、復活のみ姿を現されたように、わたしたちのうちにもお臨みください」と祈ります。

 どうかこの祈りのとおりに、復活の主イエスがわたしたちの真ん中に立って、わたしたちを惑いや疑いから解放し、喜びで満たしてくださいますように。

(日本聖公会京都教区ホームページ「今週のメッセージ」)

日ごとの聖句833 イエス御自身が

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2018年4月15日(日)復活節第3主日   ルカ24:15
話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。

4月16日(月)             ルカ24:30
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。

4月17日(火)             ルカ24:31
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

4月18日(水)             ルカ24:36
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

4月19日(木)             ルカ24:39
「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、わたしにはそれがある。」

4月20日(金)            ルカ24:42-43
そこで、彼らが焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

4月21日(土)           エフェソ2:19-20
あなたがたは神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身です。

日ごとの聖句832 主の傷 2018/4/9〜14

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2018年4月8日(日)復活節第2主日      ヨハネ20:27
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」

4月9日(月)聖マリヤへのみ告げの日      ルカ1:28
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」

4月10日(火)              ペトロ一 2:24
キリストは十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。

4月11日(水)             ペトロ一 2:24-25
そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。あなたがたは、今は、魂の牧者である方のところへ戻って来たのです。

4月12日(木)                イザヤ53:5
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

4月13日(金)復活後金曜日         イザヤ53:11
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。

4月14日(土)復活後土曜日         イザヤ53:12
多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。
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奈良基督教会牧師
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