2018年10月

2018年10月28日(日)聖霊降臨後第23主日
イザヤ書25:8
主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい、御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。
10月29日(月)使徒聖シモン・使徒聖ユダ日
列王記下20:5
主は言われる。「わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、あなたは主の神殿に上れるだろう。」
10月30日(火) ヨブ記16:20
ヨブは言った。「わたしのために執り成す方、わたしの友、神を仰いでわたしの目は涙を流す。」
10月31日(水) ヨハネの黙示録7:17
玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれる。
11月1日(木)諸聖徒日 ヨハネの黙示録21:4
神は彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。
11月2日(金) エレミヤ書13:17
あなたたちが聞かなければ、わたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く。涙が溢れ、わたしの目は涙を流す。
11月3日(土) エレミヤ書31:16
主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。

2018年10月21日(日)聖霊降臨後第22主日
イザヤ42:3
彼は傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。
10月22日(月) イザヤ53:3
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。
10月23日(火) イザヤ53:4
彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。彼は神に打たれたのだと。
10月24日(水) イザヤ53:5
彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎(とが)のためであった。
10月25日(木) イザヤ53:5
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
10月26日(金) ペトロ一 2:24
キリストは十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、生きるようになるためです。
10月27日(土) ペトロ一 2:24-25
そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
あなたがたは今は、魂の牧者である方のところへ戻って来たのです。

2018年10月14日(日)聖霊降臨後第21主日
ヘブライ3:1
天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち、わたしたちが公に言い表している使者であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。
10月15日(月) ヘブライ3:2
モーセが神の家全体の中で忠実であったように、イエスは、御自身を立てた方に忠実であられました。
10月16日(火) ヘブライ3:6
キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。
10月17日(水) ヘブライ10:21-22
わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。
10月18日(木)福音記者聖ルカ日 創世記28:17
ヤコブは恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。」
10月19日(金) ペトロ一 4:17,19
今こそ、神の家から裁きが始まる時です。神の御心によって苦しみを受ける人は、真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい。
10月20日(土) ミカ4:2
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」

昨日(2018/10/11)、興福寺中金堂再建落慶法要(最終日=結願けちがん)に出席してきました。
親愛幼稚園園長宛に案内が来たので、奈良基督教会牧師・親愛幼稚園園長として参加したのです。
2時間半ちかく。大変めずらしい、意味ある経験でした。
開始前に雨になり、入り口で簡易なカッパをもらって着ました。そのうち止んで助かりました。
中金堂は七度焼失。そしてこのたびは300年ぶりに再建が成ったとのことです。
舞楽やバロック演奏などもありました。これは信仰的にどう関係しているのか? 「蘭陵王」は長時間でひとりの舞でした。

「講問」というのがあって、ひとりの僧(欧米人でした!)が、長い質問をするのです。お経のようなモノトーンで、内容はよくわかりませんでしたが、問い(数回ありました)の最後は「アーアーアー」と言うのです。
この問いに答えるのが貫首で、これもかなり長く、最後は「イーイーイー」でした。
これまで感じたことのない読経への肯定的印象が起こりました。ひとりの先唱と、合唱(斉唱?)のタイミング、奏楽(笛や太鼓)との関係が興味深かったです。
司会はNHK奈良放送局の女性キャスターでした。
大型スクリーンが左右に用意されていて、直接見えない位置からも中の様子がわかりました。
遠くに見える実物(人間)と、近くに鮮やかに大きく見えるスクリーンの姿とをしばしば見比べました。

スクリーンのほうが実に鮮明で派手に見えるのですが、実物にはスクリーンには十分に感じられない「心と体を持った人間」が感じられます。
今日は建物の中に入ることはできませんでした。
現在の貫首さんは親愛幼稚園のご卒園だそうです。
たまたまこの時期に奈良基督教会牧師として居合わせたばかりに興味深い経験をさせていただきました。
キリスト教の中には他の宗教に対して「偶像崇拝」と決めつける立場があり、そのような立場からすれば法要出席などとんでもないことかもしれません。けれども私(たち)はそういう考えではないのです。
私たちの聖公会は儀式的(典礼的)礼拝をするので、儀式としての関心もありました。
奈良基督教会・親愛幼稚園の土地はかつては興福寺の境内でした。廃仏毀釈で興福寺が手放した土地を教会が後に取得したのです。それですから今も興福寺と教会は壁を隔てて接しています。
私の書斎は牧師館の一番北側ですが、この部分は元々興福寺参道の茶店だったとか。
教会と興福寺の関係の歴史もいろいろあるようです。
(実は私も何度か経験しています。)


2018年10月7日(日)聖霊降臨後第20主日
ヘブライ2:11-12
イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、「わたしは、あなたの名をわたしの兄弟たちに知らせる」と言われます。
10月8日(月) ヘブライ2:13
イエスは「ここに、わたしと、神がわたしに与えてくださった子らがいます」と言われます。
10月9日(火) ヘブライ2:14
ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。
10月10日(水) マルコ3:34
イエスは周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。」
10月11日(木) 使徒言行録9:17
アナニアは言った。「兄弟サウル、主イエスは、あなたが聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」
10月12日(金) コリント一 15:58
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。
10月13日(土) コリント二 13:11
兄弟たち、喜びなさい。励まし合いなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。
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