Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2020年09月

†1536年10月6日 ウィリアム・ティンダル記念の祈り

Tyndal肖像

司祭 英語聖書翻訳者
William Tyndale, Priest

全能の神よ、あなたはあなたの僕ウィリアム・ティンダルの心に、人々に聖書を彼らの言葉で提供したいとの燃え尽くすような情熱をお与えになり、彼に力強く品位ある表現の賜物と、あらゆる妨げに打ち勝って成し遂げる強さをお与えになりました。あなたにお願いします。わたしたちが聖書を読みまた学ぶとき、そしてみ言葉がわたしたちを悔い改めと命へと招いていてくださることを聞くとき、どうかあなたの救いのみ言葉をわたしたちに現してください。父と聖霊とともに一体であって永遠に生きて統治されるわたしたちの主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

(アメリカ聖公会ウェブサイトからの翻訳)
https://episcopalchurch.org/lectionary/william-tyndale-priest-1536

Almighty God, who didst plant in the heart of thy servant William Tyndale a consuming passion to bring the Scriptures to people in their native tongue, and didst endow him with the gift of powerful and graceful expression and with strength to persevere against all obstacles: Reveal to us, we pray thee, thy saving Word, as we read and study the Scriptures, and hear them calling us to repentance and life; through Jesus Christ our Lord, who liveth and reigneth with thee and the Holy Spirit, one God, for ever and ever. Amen.

日ごとの聖句962 イエスと詩編 1 2020/10/4〜10

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2020年10月4日(日)聖霊降臨後第18主日
                 マタイ4:6
神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える。

10月5日(月)           マタイ13:35
わたしは口を開いてたとえを用い、天地創造の時から隠されていたことを告げる。

10月6日(火)            マタイ21:9
群衆は叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」

10月7日(水)           マタイ21:16
あなたたちこそ、「幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美を歌わせた」という言葉をまだ読んだことがないのか。

10月8日(木)           マタイ21:42
家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。

10月9日(金)           マタイ22:44
主はわたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、わたしがあなたの敵をあなたの足もとに屈服させるときまで。」

10月10日(土)           マタイ27:46
三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

沈黙を破られた神 ── ハバククとティンダル

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ハバクク書1:12−2:2
2016年10月2日・聖霊降臨後第20主日
奈良基督教会にて

全文PDF → 沈黙を破られた神 ── ハバククとティンダル

「あなたの目は悪を見るにはあまりに清い。
人の労苦に目を留めながら
捨てて置かれることはない。
それなのになぜ、欺く者に目を留めながら
黙っておられるのですか
神に逆らう者が、自分より正しい者を
呑み込んでいるのに。」ハバクク1:13

今日はお話ししたいことが二つあります。一つは、今日の旧約聖書、預言者ハバククのことです。もうひとつは、今週の木曜日、10月6日に殉教の記念日を迎えるウィリアム・ティンダルです。彼は英国の宗教改革の最初の時期に、聖書を原典から英語に翻訳しました。そのことが異端のわざとされ、死刑となりました。しかしわたしはこのウィリアム・ティンダルこそ、生きた神の言葉を民衆にもたらし、かつ聖公会の基礎を築いた人物の一人として尊敬しています。

まず旧約聖書のハバククです。彼は、紀元前600年頃、ユダ王国で活動した預言者です。彼はその時代のひどい不正と暴力の現実に耐えがたい思いをしていました。彼のことを嘆きの預言者と言ってもよいくらいです。
彼は冒頭から、このように神に訴えます。

「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに
いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。
わたしが、あなたに『不法』と訴えているのに
あなたは助けてくださらない。」1:2

ハバククは正しい人が神に逆らう者たちによって取り囲まれ、糾弾を受けているのを知っていました。正義が曲げられる現実に直面していました。

社会の暴力と人の欺きの現実に苦しみつつ、ハバククは神に向かって叫びました。どうしてあなたは沈黙しておられるのか。

「それなのになぜ、欺く者に目を留めながら
黙っておられるのですか
神に逆らう者が、自分より正しい者を
呑み込んでいるのに。」1:13

ハバククはしかしただ神の沈黙を嘆いただけではありません。沈黙しておられるかに見える神の声を聞こうとしたのです。

「わたしは歩哨の部署につき
砦の上に立って見張り
神がわたしに何を語り
わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。」2:1

ハバククは神に向かって集中しました。集中して、神が自分に何を語られるかを聞こうとしたのです。しかも彼は「聞こう」と言わず、「見よう」と言います。見るほどにはっきりと神の答を求めたのです。

たくさんのことを抱え混乱し、嘆くわたしたちにも、ハバククのような神への集中が必要ではないでしょうか。

神は沈黙を破って彼に答えられました。

「主はわたしに答えて、言われた。
『幻を書き記せ。
走りながらでも読めるように
板の上にはっきりと記せ。』」2:2

書いて読めるように、見えるようにはっきりとご自身の答を示す、と神は言われたのです。神は沈黙を破って彼に語られたのでした。

もう一つのお話のほうに移ります。ハバククの時代から2100年くらい後の、16世紀のイギリスです。これはわたしたち聖公会の源流に遡る話です。

16世紀初めのイギリスにおいても、他のヨーロッパ諸国と同じく、神は沈黙しておられるかのようでした。なぜかと言えば、日曜日には礼拝に行くのですが、一般の人には祈りの言葉も、朗読される聖書の言葉も意味がわかりません。学者か聖職者にしかわからないラテン語で礼拝が行なわれているからです。何となくありがたい、と思う人も多かったかもしれません。しかし、人々の魂は潤されていなかった。神の言葉を聞くことができないということは、神を知る、神を経験する道も塞がれているということです。しかし人々の心の奥には、神を、救いを、導きを求める渇望があったのです。

ひとりの若い司祭が、神によって心を燃やされて、普通の人々に神の言葉を届けたいと決意しました。ウィリアム・ティンダルです。彼は原典から英語に聖書を翻訳し、人々が直接神の言葉に触れるようにしなければならないと信じたのです。
しかし当時、聖書を勝手に翻訳することは禁じられていました。人々が聖書を自分で読んで解釈することによって、権威に逆らい秩序を乱すことを恐れたのです。

迫害の手が伸びてきます。イギリスにとどまることは危険でした。そこで彼は大陸に渡り、協力者を得て聖書の翻訳と出版の事業を進めました。

彼は正確な翻訳を目指すとともに、普通の人々にわかりやすい翻訳を目指しました。たとえば、綴りの長い単語ではなく、できるだけ短い言葉を用いて訳す。複雑な言い方ではなく、単純な表現を工夫する。聖書本文を目で追っていってそのまま理解できるようにする。これは大変な努力です。
ティンダルの英訳聖書は船の荷物の中に隠されて、海を渡ってイギリスに持ち込まれました。彼の新約聖書は、非常な勢いで売れました。人々はそれを待っていたのです。
ティンダルの聖書をとおして神は沈黙を破って語り出されたのです。

しかし弾圧、迫害の手が及びます。聖書は見つかり次第没収され、火で焼かれました。そして彼自身も逮捕され、異端宣告を受け、司祭職を剥奪されました。1年以上の獄中生活の後、処刑されることになりました。

彼が公衆の面前で、身体を柱に縛り付けられて、首を絞められて火に焼かれようとするその瞬間、彼は叫びました。

「主よ、イングランドの王の目を開いてください!」
Lord, open the king of England's eyes!

しかし彼の内に燃えていた神の愛、彼のうちに燃えていた神への愛と人への愛は、空しくはなりませんでした。彼の生涯と殉教は多くの人々を福音の真理のために奮い立たせました。彼の福音のための情熱とその生涯と死は、多くの人々を眠りから呼び覚ましました。福音に基づいて本当のイエス・キリストの教会を再建しようとする運動が大きな力となり、長い曲折を経た後、ローマ・カトリックから独立した英国教会(聖公会)が誕生します。

ヘンリー8世は、まもなく英語の聖書を各教会に備えつけるように命じました。

アメリカ聖公会の1979年の祈祷書の教会暦には、10月6日に司祭ティンダルの名前が記されています。そしてホームページにはティンダルを記念して次のような祈りが掲げられています。

全能の神よ、あなたはあなたの僕ウィリアム・ティンダルの心に、人々に聖書を彼らの言葉で提供したいとの燃え尽くすような情熱をお与えになり、彼に力強く品位ある表現の賜物と、あらゆる妨げに打ち勝ってやり通す強さをお与えになりました。あなたにお願いします。わたしたちが聖書を読みまた学ぶとき、そしてみ言葉がわたしたちを悔い改めと命へと招いていてくださることを聞くとき、どうかあなたの救いのみ言葉をわたしたちに現してください。父と聖霊とともに一体であって永遠に生きて統治されるわたしたちの主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

日ごとの聖句961 天使ミカエルとウリエル 2020/9/27〜10/3

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2020年9月27日(日)聖霊降臨後第17主日
               ダニエル書12:1
その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで苦難が続く。国が始まって以来なかったほどの苦難が。

9月28日(月)         ダニエル書12:1
しかし、その時には救われるであろう、お前の民、あの書に記された人々は。

9月29日(火)聖ミカエルおよび諸天使の日
              ダニエル書12:3
目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々は、とこしえに星と輝く。

9月30日(水)     エズラ記(ラテン語)4:34
天使は言った。「いと高き方を差し置いて、心をせかせてはならない。かの優れたお方は多くの人のためを考えておられる。」

10月1日(木)   エズラ記(ラテン語)6:33-34
神はわたしを遣わしてこう言われる。「信頼せよ。恐れるな。今の時代に焦ってむなしいことを考えるな。」

10月2日(金)    エズラ記(ラテン語)6:26-27
その声は言った。「地に住む人々の心は変えられて、新しい感覚を身に付ける。悪はぬぐい去られ、欺きは消え去るからである。」

10月3日(土)     エズラ記(ラテン語)6:28
「そして信仰が花開き、腐敗は克服され、長い間実らなかった真理が明らかになるだろう。」

日ごとの聖句960 ヨナの祈り 2020/9/20〜26

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2020年9月20日(日)聖霊降臨後第16主日
                  ヨナ書1:6
船長はヨナに言った。「寝ているとは何事か。さあ、起きてあなたの神を呼べ。神が気づいて助けてくれるかもしれない。」

9月21日(月)福音記者使徒聖マタイ日  ヨナ書2:2-3
苦難の中で、わたしが叫ぶと、主は答えてくださった。陰府(よみ)の底から、助けを求めると、わたしの声を聞いてくださった。

9月22日(火)            ヨナ書2:4
あなたは、わたしを深い海に投げ込まれた。潮の流れがわたしを巻き込み、波また波がわたしの上を越えて行く。

9月23日(水)            ヨナ書2:5
わたしは思った、あなたの御前から追放されたのだと。生きて再び聖なる神殿を見ることがあろうかと。

9月24日(木)            ヨナ書2:7
わたしは地の底まで沈み、地はわたしの上に永久に扉を閉ざす。しかしわが神、主よ、あなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった。

9月25日(金)            ヨナ書2:8
息絶えようとするとき、わたしは主の御名を唱えた。わたしの祈りがあなたに届き、聖なる神殿に達した。

9月26日(土)            ヨナ書2:10
わたしは感謝の声をあげ、いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。

日ごとの聖句959 初めにして終わり 2020/9/13〜19

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2020年9月13日(日)聖霊降臨後第15主日
               イザヤ書52:12
急いで出る必要はない、逃げ去ることもない。あなたたちの先を進むのは主であり、しんがりを守るのもイスラエルの神だから。

9月14日(月)        出エジプト記14:19
イスラエルの部隊に先立って進んでいた神の御使いは、移動して彼らの後ろを行き、彼らの前にあった雲の柱も移動して後ろに立った。

9月15日(火)        出エジプト記14:20
神の御使いはエジプトの陣とイスラエルの陣との間に入った。光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。

9月16日(水)        出エジプト記14:21
モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。

9月17日(木)        出エジプト記14:31
イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。

9月18日(金)           イザヤ書44:6
イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。

9月19日(土)       ヨハネの黙示録22:13
わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。

【説教】「わたしは生きている」 2020/09/07

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 写真は上野聖ヨハネ教会(三重県伊賀市)




エゼキエル33:7−11

2020年9月6日・聖霊降臨後第14主日
上野聖ヨハネ教会にて


全文PDF →「わたしは生きている」


「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。」エゼキエル33:11

 時は紀元前600年頃です。エゼキエルはエルサレムの祭司ブジの息子で、自分も将来は祭司として神と人に仕えるつもりで成長しました。ところが東に起こった超大国バビロニアによってユダの国は占領され、数多くの人々が捕らえられて、遠くユーフラテス川のほとりに移住させられました。バビロン捕囚と言います。エゼキエルもまたそのうちの一人でした。およそ25歳でした。そして30歳のとき、彼はその異国の地で預言者として召されたのです。これについてはエゼキエル書第1〜3章が詳しく伝えています。
 
 エゼキエルは自分の国の滅亡を経験し、また自分の将来の目標も断たれて、絶望の淵に落ちました。しかしその中で彼は、主が生きておられる、神がこの悲惨な現実の中で生きて呼びかけておられることを知ったのです。しかも彼はその主なる神の言葉を語る口とされました。彼はその結果、頑なな人々の反抗に遭い迫害を受けることになりました。

 そのころ流行した言葉がありました。その言葉はことわざのように故国イスラエルの地から伝えられて、捕囚の地の人々の心も捕らえてしまいました。
「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く。」18:2

 これは宿命論です。子孫とは今生きている自分たちのことです。自分たちの先祖が神に背いて悪いことをしたから、自分たちはその報いを受けている。それで国が滅びて、自分たちは異国に連れて来られて何の希望もない。こうなったのは先祖たちのせいで、もう自分たちはどうすることもできない。何をしてもむだだ、どうせ自分たちは滅びてしまう。

「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く。」
この言葉とともに、諦め、絶望、投げやり、自暴自棄、無責任……こういう空気が人々を支配していきます。

 これに対して神は言われました。
「わたしは生きている、と主なる神は言われる。お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない。」
18:3

「わたしは生きている。」
 当時、「主は生きておられる」というのは、よく使われる挨拶言葉であったようです。人々は出会うたびに「主は生きておられる」と言うのです。ところが、人々は口にしている言葉の内容を忘れてしまってまったく意識していない。神さまが生きておられるとは本気で思っていないのです。
 神さまはそのような人々のありさまを放置せず、みずから発言されます。
「わたしは生きている。」

 わたしたちもひょっとしたら、神さまが生きておられることを忘れているかもしれません。不真面目だから、とは限りません。一生懸命取り組んで悩んで、苦労して、疲れて悲観的になる。神さまが生きておられることを忘れる、見失うことがあるかもしれません。

 神は捕囚の地の人々にエゼキエルをとおして呼びかけられました。
「悪人であっても、もし犯したすべての過ちから離れて、わたしの掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、必ず生きる。死ぬことはない。」18:21
 「どうせ」とか「所詮」はやめなさい。宿命論は許さない。あなたが過ちから離れてまっすぐに生きれば、あなたは滅びることはない。未来は開ける。神は、人それぞれが自分の責任でしっかり生きていくことを促されました。それが救いの道なのです。
 
 捕囚の地の人々はエゼキエルの伝えた神の言葉に心を動かされました。今の苦境と悲惨を先祖のせいにすることをやめて、自分たちのありようを反省するようになりました。あのことわざから解放されたのです。
 けれども今度は人々はこう言います。今日のエゼキエル書第33章10節です。
 「我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか。」
 先祖のせいだとは言わなくなりました。自分たち自身が神に背き、過ちをおかしていると悟ったのです。しかしそこで絶望に陥りました。「どうして生きることができようか。」神に帰ろうとはしない。帰る気力も勇気もありません。
「我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか」

 これを神は聞かれました。聞かれた神はそれをどうされるのか。放置されるのでしょうか。
 神のうちに憐れみが起こるのです。このどうしようもない民も、ご自分の愛する民なのです。

 神はエゼキエルに命じて言われます。
「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」33:11

 神は冷たく見捨てられるのではありません。人がしっかり生きること、まっすぐに生きることを切望される。人が生きることを願われる、湧き立つ情熱の神、愛の神は、民をご自分のもとに呼び返されます。
「わたしは生きている……。どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」

 この神の切なる願いと呼び返す言葉はそれで終わらず、やがて600年後にわたしたちの世界に、形をとって肉体をもって現れました。これがイエス・キリストです。神がみずから人となってわたしたちを呼び返しに来られたのが、イエス・キリストです。この方はこう言われました。
 「わたしが生きているのであなたがたも生きる。」
               ヨハネ14:19

 今日、わたしたちが知るべきことがあります。それは、神は生きておられる、ということです。神は生きておられて、わたしたちの現実を見ておられます。見ておられるばかりではなく、わたしたちをご自分のもとに呼び返し引き寄せて、生かしてくださいます。

 「わたしは生きている。」
 「わたしが生きているので、あなたがたも生きる。」
 
 神さま、あなたが生きておられることをわたしたちに教えてください。あなたがわたしたちを呼び返しておられる声を聞かせてください。わたしたちを宿命論や諦めや絶望から解放してください。新しく生きる勇気と信仰をお与えください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

日ごとの聖句958 わたしは生きている 2020/9/6〜12

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2020年9月6日(日)聖霊降臨後第14主日
                ヨハネ14:19
イエスは言われた。「わたしが生きているので、あなたがたも生きる。」

9月7日(月)          エゼキエル33:10
お前たちはこう言っている。「我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか」と。

9月8日(火)          エゼキエル33:11
わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。

9月9日(水)          エゼキエル33:11
立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。

9月10日(木)         エゼキエル34:16
わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。

9月11日(金)         エゼキエル34:23
わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。彼は彼らを養い、その牧者となる。

9月12日(土)         エゼキエル34:26
わたしは、彼らとわたしの丘の周囲に祝福を与え、季節に従って雨を降らせる。それは祝福の雨となる。
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