Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2021年02月

日ごとの聖句983 人の子 2021/2/28〜3/6

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 「人の子」は普通は弱さと限界をもった「人」を意味します。けれどもダニエル書では、メシア(救い主)の称号として用いられているようです。イエスがご自分をしばしば「人の子」と言われたのは、神から託された使命と権威を持つ特別の存在であることを自覚しておられたからでしょう。

 けれどもその権威とは、上に立って人を抑圧するような世俗的権威とはまったく違っていました。それは反対に、人の傍らから、あるいは下から人を生かし支えるものでした。人の苦しみを知り、人を愛し生かそうとされた「人の子」イエスは、この世の権威と権力を持つ者たちから迫害され、苦しみを受け、命を奪われます。しかしそれによって多くの人が新しい生命を与えられたのでした。

 最初の教会の指導者ステファノは、石で打たれて死のうとするとき、「人の子」イエスが神の右に立って自分を引き受けてくださるのを見ました。

 聖公会古今聖歌集330(現行聖歌集356、讃美歌122)「みどりも深き」の3節ではこう歌われます。
 ♪ 人の子イエスよ きみのみ名を み使いたちの ほむるときに
  恵みににおい 愛にかおる み足のあとを われはたどらん



2021年2月28日(日)大斎節第2主日  マルコ8:31
イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。

3月1日(月)           ダニエル7:13
夜の幻を見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り、「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威を受けた。

3月2日(火)           ダニエル10:16
すると見よ、人の子のような姿の者がわたしの唇に触れたので、わたしは口を開き、前に立つその姿に話しかけた。

3月3日(水)           ダニエル10:19
彼は言った。「恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい。」こう言われてわたしは力を取り戻した。

3月4日(木)            マルコ10:45
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

3月5日(金)          ヨハネ12:23-24
「人の子が栄光を受ける時が来た。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

3月6日(土)         使徒言行録7:55-56
ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、イエスを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。

【説教】荒れ野のイエス

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マルコ1:9−13

2021年2月21日
大斎節第1主日

全文PDF → 荒れ野のイエス

「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。」
マルコ1:12

 主イエスが人々の間で救いの働きを開始される前に、二つのことが必要でした。一つは洗礼を受けること、もう一つは荒れ野でサタンから誘惑(試練)を受けることです。洗礼と試練あるいは誘惑、この二つを経て初めて、イエスはその働きを開始することができたのです。この二つのことが簡潔に今日の福音書に語られていました。
 
 第1の洗礼は、神とその愛、その臨在を経験することでした。「天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降(くだ)って来るのを御覧になった」(マルコ1:10)と記されているように、イエスは洗礼において神の霊を受けられました。そして「あなたはわたしの愛する子」(1:11)と呼びかける神の声を聞かれました。洗礼は神の祝福と恵みに満たされる経験でした。

 しかしそれに続いて、もうひとつの経験をイエスはなさいます。今度は神不在の経験、あるいは神の沈黙の経験です。荒れ野にただひとり追いやられて(聖書協会共同訳)、イエスは試練を受けられるのです。

 洗礼に続いてこう記されていました。
「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。」
マルコ1:12
 わたしたちの新共同訳聖書には訳されていないのですが、ここには「すぐに」という言葉が原文にはあります。洗礼の恵みの経験に浸っているわけにはいかなかった。イエスはすぐに厳しい試練にさらされることになったのです。また「送り出した」とありますが、「(“霊”が)追いやった」あるいは「(荒れ野に)投げ込んだ」というニュアンスです。

 その主語は“霊”です。神の霊です。洗礼においてイエスをご自分の愛する子として呼びかけ、ご自分の愛の命でイエスを包まれた神は、今度はすぐにイエスに別の経験を強いられました。ギリシア語原文のニュアンスはこんな感じです。
「それからすぐに“霊”はイエスを荒れ野に投げ込んだ。」
容赦ない。神のなさることは非常に厳しかったのです。
……

日ごとの聖句982 試みを受ける 2021/2/21〜27

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【ひとこと】
 先週水曜日の「大斎始日」から大斎節(レント)が始まりました。大斎節は主イエスの40日40夜の荒れ野での試練を思い巡らす期節です。四旬節(「四旬」は40日の意味)とも呼ばれる期間です。
 その最初の日曜日「大斎節第1主日」に、今年はマルコ福音書の該当箇所が読まれます。

 イエスは公の働きを開始される前、この試練の時を過ごされました。「イエスは神の子であるから、試練と言っても特別たいしたものではなかった」と考えてはなりません。イエスまったくの孤独の中で無力にされ、体も心も弱り果てた中で悪魔の攻撃にさらされたのです。恐ろしい暗黒の時です。神は姿を隠しておられます。

 それでも実は、神はイエスを守っておられます。「天使たちがイエスに仕えていた」というのはそのことを言っているのでしょう。

 イエスがこのような試練に遭い、そしてそれに最後まで耐えて勝利を得られたことは、わたしたちにとっての助けです。わたしたちの試練のとき、イエスはわたしたちと共におられ、そして最後にはわたしたちに勝利を与えてくださるからです。「ヘブライ人への手紙」はこれを伝えています。

 詩編17編の祈りは特別なものです。普通わたしたちは意識するとしないとにかかわらず「汚れた思い」を抱えています。けれどもこの詩人はおそらく正しいことを貫こうとして迫害を受け、不当に苦しめられて神にすがったのでしょう。そのとき、だれにも理解されない彼の孤独な魂は、このように告白するしかなかったのに違いありません。
「あなたはわたしの心を調べ、夜なお尋ね、火をもってわたしを試されますが、汚れた思いは何ひとつ御覧にならないでしょう」と。

2021年2月21日(日)大斎節第1主日  マルコ1:12
それからすぐに、霊はイエスを荒れ野に追いやった。

2月22日(月)            マルコ1:13
イエスは四十日間荒れ野にいて、サタンの試みを受け、また、野獣と共におられた。そして、天使たちがイエスに仕えていた。

2月23日(火)            詩編66:10
神よ、あなたは我らを試みられた。銀を火で練るように我らを試された。

2月24日(水)使徒聖マッテヤ日
               使徒言行録1:24,26
「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。」
二人のことでくじを引くとマティアに当たった。

2月25日(木)           ヘブライ2:18
事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。

2月26日(金)           ヘブライ4:15
この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点で同じように試練に遭われたのです。

2月27日(土)             詩編17:3
あなたはわたしの心を調べ、夜なお尋ね、火をもってわたしを試されますが、汚れた思いは何ひとつ御覧にならないでしょう。

日ごとの聖句981 イエスだけがおられた 2021/2/14〜20

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2021年2月14日(日)大斎節前主日  マルコ9:2
六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2月15日(月)          マルコ9:2-3
イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。

2月16日(火)           マルコ9:7
雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

2月17日(水)大斎始日 (灰の水曜日) 
                  マルコ9:8
弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。

2月18日(木)           詩編22:20
主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ、今すぐにわたしを助けてください。

2月19日(金)            詩編4:9
平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに、わたしをここに住まわせてくださるのです。

2月20日(土)          歴代誌下6:30
あなたはお住まいである天から耳を傾け、罪を赦してください。まことにあなただけが人の心をご存じです。

【説教】祈っておられたイエス

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マルコ1:35−39

2021年2月7日・顕現後第5主日
上野聖ヨハネ教会にて

全文PDF → 祈っておられたイエス

自分の生涯を振り返ってみたときに、ある聖書の箇所があるとき自分の中に深く印象を残した、という経験を皆さまはお持ちでしょうか
今読まれた福音書の後半、マルコ福音書第1章35節以下は、わたしにとってはそのような箇所のひとつです。
「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」マルコ1:35

このイエスさまがとても慕わしい。今から46年前、1975年のことを思い出します。
46年前の2月、わたしは大津聖マリア教会の信徒でした。すでに聖職候補生の認可を受けていたので、正式にはわたしの籍は教会ではなく京都教区に移っていたのですが。それはともかく、京都伝道区で大斎集会というのがあって、毎週京都伝道区の教会をめぐって礼拝をささげました。まもなく神学校に行くことが決まっていたわたしも、その大斎集会でお話しさせていただくことになりました。そのときにこの箇所を中心にお話をしたのです。聞いた人の感想──内容は良かった、しかし長かった。それで今日は長くならないように気をつけます。

イエスさまに呼ばれて弟子となってまだ日の浅いシモン・ペテロとその兄弟アンデレ、そしてヤコブとヨハネ。彼らはカファルナウムの町の、シモンの家に泊まりました。朝早くまだ暗いうちに、シモンがふと目を覚ますと、傍らに休んでおられるはずのイエスの姿がない。じっと待っていたのですが、戻ってこられる気配がない。だんだん気になってきて起き上がりました。
……

日ごとの聖句980 祈っておられたイエス 2021/2/7〜13

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2021年2月7日(日)顕現後第5主日   マルコ1:35
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。

2月8日(月)           マルコ1:36-37
シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。

2月9日(火)            マルコ1:38
イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」

2月10日(水)             ルカ9:29
祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。

2月11日(木)            ルカ22:32
「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

2月12日(金)           ヨハネ17:15
「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」

2月13日(土)           ヨハネ17:20
「また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。」
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