
「人の子」は普通は弱さと限界をもった「人」を意味します。けれどもダニエル書では、メシア(救い主)の称号として用いられているようです。イエスがご自分をしばしば「人の子」と言われたのは、神から託された使命と権威を持つ特別の存在であることを自覚しておられたからでしょう。
けれどもその権威とは、上に立って人を抑圧するような世俗的権威とはまったく違っていました。それは反対に、人の傍らから、あるいは下から人を生かし支えるものでした。人の苦しみを知り、人を愛し生かそうとされた「人の子」イエスは、この世の権威と権力を持つ者たちから迫害され、苦しみを受け、命を奪われます。しかしそれによって多くの人が新しい生命を与えられたのでした。
最初の教会の指導者ステファノは、石で打たれて死のうとするとき、「人の子」イエスが神の右に立って自分を引き受けてくださるのを見ました。
聖公会古今聖歌集330(現行聖歌集356、讃美歌122)「みどりも深き」の3節ではこう歌われます。
♪ 人の子イエスよ きみのみ名を み使いたちの ほむるときに
恵みににおい 愛にかおる み足のあとを われはたどらん
2021年2月28日(日)大斎節第2主日 マルコ8:31
イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。
3月1日(月) ダニエル7:13
夜の幻を見ていると、見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り、「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威を受けた。
3月2日(火) ダニエル10:16
すると見よ、人の子のような姿の者がわたしの唇に触れたので、わたしは口を開き、前に立つその姿に話しかけた。
3月3日(水) ダニエル10:19
彼は言った。「恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい。」こう言われてわたしは力を取り戻した。
3月4日(木) マルコ10:45
「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
3月5日(金) ヨハネ12:23-24
「人の子が栄光を受ける時が来た。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」
3月6日(土) 使徒言行録7:55-56
ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、イエスを見て、「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。





