Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2021年04月

日ごとの聖句991 良い羊飼い 2021/4/25〜5/1

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日ごとの聖句991 良い羊飼い

2021年4月25日(日)復活節第4主日  ヨハネ10:10
わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。

4月26日(月)福音記者聖マルコ日  ヨハネ10:11
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

4月27日(火)           ヨハネ10:14
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。

4月28日(水)           ヨハネ10:16
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

4月29日(木)             詩編23:1
主は私の羊飼い。
私は乏しいことがない。

4月30日(金)             詩編23:2
主は私を緑の野に伏させ
憩いの汀(みぎわ)に伴われる。

5月1日(土)使徒聖ピリポ・使徒聖ヤコブ日
                  詩編23:3
主は私の魂を生き返らせ
御名(みな)にふさわしく、正しい道へと導かれる。

【ひとこと】
 イエスが「わたしは良い羊飼いである」と言われるのを聞くとき、半世紀近くも前に読んだある本の一節を思い出します。
 「『われ……<を>信ず』──これは、『私は孤独ではない』ということにほかならない。……神は、われわれ人間に歩み寄り給う。……私は、いついかなる時にも、所詮神と共にいるのである」(カール・バルト)。

 ここでの強調点は、「信じる(あるいは迷ったり信じなかったりする)わたし」にあるのではなく、わたしたちの信じる相手=神にあるのです。
 イエスはわたしたちの前に歩み出て、あるいはわたしたちをご自身のもとに引き寄せつつ、「わたしは良い羊飼いである」と言われます。そしてその言葉に責任を持たれます。
 イエスは羊飼いとして、わたしたちを守り、養い、導かれます。

 (木)から(土)は、イエスより数百年前の詩人の言葉です。この人は死ぬほどの恐ろしい危険をとおして、神を自分の羊飼いとして経験しました。今なお苦しみの中にあっても、彼は神への信頼を歌います。
 この言葉を繰り返し心で味わうとき、やがてこれはわたし(たち)自身の祈りとなり歌となってきます。
 聖書の引用は原則として「新共同訳」を用いていますが、この部分は「聖書協会共同訳」(2018)を用いました。

【説教】イエス御自身が真ん中に立ち

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ルカ24:36−48

2021年4月18日・復活節第3主日
聖光教会(京都)

全文PDF → イエス御自身が真ん中に立ち


 今日の福音書はこのように始まりました。
 「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」ルカ24:36
 実はここでは、書き出しの一言が省略されています。何が省略されているかと言うと、「こういうことを話していると」という言葉です。
 別に省いてもよい気がするかもしれませんが、しかしこの言葉に注意を払うと、そのときに主イエスの弟子たちがどういう状態にあったかがはっきりとわかるのです。
「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」

 弟子たちはどういう状態にあったのでしょうか。
 時は日曜日の真夜中です。その日曜日は大変な1日だったのです。
 その日曜日の明け方早く、女の人たちがイエスの墓に行ったところ、ご遺体がなかった。輝く衣を着た二人の人が現れて「イエスは復活された」と告げた、というのです。イエスを失った悲しみと、イエスが復活したという話による驚きと混乱。さらにイエスはペテロにも現れた、といいます。そんなことで集まった弟子たちは夜中まで興奮して語り合っていました。
 そこに、その日曜日の午後、エルサレムから数時間もかかる山の下の町、エマオまで行っていた二人の弟子が戻ってきてこういうことを話しました。──自分たちは道で復活されたイエスに出会った、何時間も話をした。夕食を共にしたとき、祈ってパンを裂いてくださったときにそれがイエスだとわかった、というのです。
 復活のイエスに出会ったと確信と喜びをもって語る人。信じられない人。驚き、興奮、困惑、期待……が渦巻いて議論が続いています。
……

日ごとの聖句990 まさしく わたしだ 2021/4/18〜24

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2021年4月18日(日)復活節第3主日   ルカ24:36
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

4月19日(月)            ルカ24:37
彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。

4月20日(火)            ルカ24:38
そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。」

4月21日(水)            ルカ24:39
「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

4月22日(木)            ルカ24:40
こう言って、イエスは手と足をお見せになった。

4月23日(金)            ルカ24:41
彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。

4月24日(土)           ルカ24:42-43
そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。

【ひとこと】
 時は日曜日の真夜中です。その日の明け方早く、女の人たちがイエスの墓に行ったところ、ご遺体がなかった、天使が現れて「イエスは復活した」と告げた、と仲間の弟子たちは聞きました。イエスを失った悲しみと、イエスが復活したという話による驚きや困惑。集まった弟子たちは夜中まで、興奮して語りあっていました。

 そこに、エルサレムから数時間もかかる山の下の町、エマオまで行っていた二人の弟子が戻ってきてこういうことを話しました。──自分たちは道で復活されたイエスに出会った、何時間も話をした、夕食を共にしたとき、祈ってパンを裂いてくださったときにそれがイエスだとわかった、というのです。

 復活のイエスに出会ったと確信と喜びをもって語る人。驚き、興奮、困惑、期待……が渦巻いて議論が果てしなく続いています。そのとき、イエス御自身が彼らの真ん中に立たれたのです。
 「こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」ルカ24:36

 わたしたちが悩んだり困惑したり、果てしない議論をしたりしているとき、イエスさまご自身がわたしたちの真ん中に立って、平和を呼びかけてくださいますように。

日ごとの聖句989 トマスと復活のイエス 2021/4/11〜17

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日ごとの聖句989 トマスと復活のイエス

2021年4月11日(日)復活節第2主日  ヨハネ20:24
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。

4月12日(月)           ヨハネ20:25
トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

4月13日(火)           ヨハネ20:26
八日の後、弟子たちは家の中におり、トマスも一緒にいた。イエスが来て真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言われた。

4月14日(水)           ヨハネ20:27
イエスはトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

4月15日(木)           ヨハネ20:28
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。

4月16日(金)           ヨハネ20:29
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

4月17日(土)           ヨハネ11:16
すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。

【ひとこと】
 十二弟子のひとりであるトマスは「ディディモ」(双子)と呼ばれていました。彼は、復活されたイエスが弟子たちの前に現れたとき、一緒にいませんでした。仲間の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言うと、彼は「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言いました。このため彼は「疑い深いトマス」と呼ばれ、そのようなイメージで見られてきたかもしれません。

 しかしトマスには他の弟子に見られないほどの真剣さがありました。イエスが愛しておられたラザロの病が重い、という知らせが届いたとき、彼はイエスがどうされるかをずっと気にしていました。イエスが「ラザロの所に行く」と言われたとき、他の弟子たちは反対しました。石で打ち殺される危険があったからです。そのときトマスは、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言いました。命の危険をおかしてでもラザロの所に行こうとされるこのイエスと一緒なら、自分も死んでよいと思ったのです。

 仲間の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言ったとき、トマスは頑なに「信じない」と言いましたが、そのとき彼は、イエスに会えない悲しみを耐えがたく思っていたに違いありません。しかし復活されたイエスは八日の後、このトマスに会うために来られたのです。彼の驚きと喜びは「わたしの主、わたしの神よ」というイエスへの叫びに現れています。

【説教】弟子たちとペトロに告げなさい

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マルコ16:1‐8

2021年4月4日・復活日

上野聖ヨハネ教会にて

全文PDF→ 弟子たちとペトロに告げなさい


 週の初めの日、日曜日の朝早く、マグダラのマリアたちはイエスを葬った墓に行きました。イエスのご遺体をきれいに拭って、香油を塗って差し上げるためです。ところが行ってみると、墓の入り口を閉ざしていた大きな石が脇に転がしてありました。墓は横穴で、その入り口が開いています。

「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。」マルコ16:5

 「白い長い衣を着た若者」とは何者でしょう。天使が若者の姿で現れたのでしょうか。その若者は言います。

「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」16:6‐7

 イエスの復活を伝えるために、若者はここでマグダラのマリアたちを待っていたのでした。

 ここでひとつ注意を向けたいことがひとつあります。若者がこう言った言葉です。
「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。」

 なぜペテロ(ペトロ)の名前があげられたのでしょうか。「弟子たち」と言えば当然ペテロも含まれているはずなのに、どうして「弟子たちとペトロに」と言われるのでしょうか。これは若者の考えではなく、彼をここに遣わした方、つまり復活されたイエスさまご自身がそう伝えるようにと、彼に託されたのに違いありません。

 ……

アニマ クリスティ(キリストの魂)

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キリストの魂よ、わたしを聖なる者にしてください、
キリストのお体よ、わたしをお救いください、
キリストのおん血よ、わたしを酔わせてください、
キリストのわき腹から流れ出た水よ、わたしを洗い清めてください。

キリストの苦難よ、わたしを強めてください。

おお、善きイエスよ、わたしの祈りをお聞きください。
わたしを隠してください、あなたの傷のうちに
そしてけっしてわたしをあなたから離れさせないでください。

悪しき敵からわたしを守ってください、
わたしの死の時、わたしを呼んでください
そしてあなたのもとに来るようにわたしに命じてください。

そうしてあなたの聖徒とともに、あなたを賛美することができますように。
いつまでも永遠に。
アーメン

(英国教会の式文に収められた次の英訳から訳しました。)

Soul of Christ sanctify me,
body of Christ, save me,
blood of Christ inebriate me,
water from the side of Christ, wash me.
Passion of Christ strengthen me.
O good Jesus, hear me:
hide me within your wounds
and never let me be separated from you.
From the wicked enemy defend me,
in the hour of my death, call me
and bid me come to you,
so that with your saints I may praise you
for ever and ever
Amen.

(Anima Christi 14th century)

日ごとの聖句988 ペトロと復活のイエス 2021/4/4〜10

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日ごとの聖句988 ペトロと復活のイエス

2021年4月4日(日)復活日      マルコ16:7
「行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお目にかかれる』と。」

4月5日(月)復活後月曜日      マルコ14:31
ペトロは力を込めて言った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」

4月6日(火)復活後火曜日       ルカ22:32
イエスはペトロに言われた。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

4月7日(水)復活後水曜日      ヨハネ21:7
シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。

4月8日(木)復活後木曜日      ヨハネ21:15
食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。

4月9日(金)復活後金曜日      ヨハネ21:15
ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。

4月10日(土)復活後土曜日     ヨハネ21:22
イエスは言われた。「あなたは、わたしに従いなさい。」

【ひとこと】
 今回はペトロと復活のイエスの出会いを後半に選び、前半はそれに至る複数の場面を取り上げました。

 最初(復活日)は、イエスの十字架の死から3日目の日曜日の早朝、女の人たちがイエスの墓に行ったときの出来事です。若者(天使?)がイエスの復活を告げます。「行って、弟子たちとペトロに告げなさい」と、特にペトロの名前を挙げています。ここには、誓いに反してイエスを裏切り、自責に念にだれよりも苦しむペトロへの深い配慮がこめられているのではないでしょうか。

 (月)はイエスの受難直前、最後の食卓でのペトロの誓い、(火)は同じ食卓でのイエスのペトロに対する言葉です。ペトロの挫折をイエスは予見しておられました。「信仰が無くならないように」と、特にペトロのために祈られたイエスは、同時に他の弟子たちのためにも、またわたしたちのためにも祈っていてくださいます。

 (水)は、ガリラヤ湖で仲間とともに夜通し漁をし、何もとれずに疲れはてて朝を迎えたときのことです。岸辺から自分たちに呼びかけるのがイエスだと聞いたペトロは、一刻も早くイエスに会いたくて湖に飛び込みました。イエスは朝食を用意して弟子たちを待っておられました。

 (木)以下は食事の後のイエスとペトロの対話です。イエスへの愛を確かめられたペトロは、新しい使命を与えられます。人のことが気になるペトロですが、イエスは他の人がどうであれ「<あなたは>わたしに従いなさい」と言われます。
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