Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2021年06月

日ごとの聖句1000 少女よ、起きなさい 2021/6/27〜7/3

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2021年6月27日(日)聖霊降臨後第5主日
                詩編90:4
千年といえども御目(おんめ)には、昨日(きのう)が今日(きょう)へと移る夜の一時(ひととき)にすぎません。

6月28日(月)       マルコ5:22-23
会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、しきりに願った。

6月29日(火)使徒聖ペテロ・使徒聖パウロ日
                 マルコ5:23
「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」

6月30日(水)         マルコ5:24
そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。

7月1日(木)         マルコ5:40
イエスは皆を外に出し、子どもの両親と三人の弟子だけを連れて、子どものいる所へ入って行かれた。

7月2日(金)         マルコ5:41
そして子どもの手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、起きなさい」という意味である。

7月3日(土)         マルコ5:42
少女はすぐに起き上がって、歩きだした。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。
(新共同訳)

【ひとこと】
 1000号を迎えたので「千」の出てくる詩編の言葉を一つ選びました。神さまの時間は私たちの時間とは違う。それを思って焦らずに過ごしたいものです。
 
 (月)からは会堂長ヤイロの幼い娘の物語です。前半は娘の命の危機に直面して必死にイエスにすがる父親の姿が浮かび上がってきます。後半は、何としてもその子の命を救うというイエスの断乎たる決意と行動が印象的です。
 
 「タリタ、クム」はギリシア語原典聖書の中に残されたアラム語、言わばイエスの肉声です。この言葉をその場で聞いたのは、少女の両親、3人の弟子、そして少女自身です。どのようにしてこのアラム語「タリタ、クム」が伝えられて、マルコ福音書に書き込まれたのでしょうか。

 私たちの心の耳にも、「クム」(起きなさい)と言って命へと呼び出すイエスの呼びかけが響いていますように。

日ごとの聖句999 突風を静める 2021/6/20〜27

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日ごとの聖句999 突風を静める

2021年6月20日(日)聖霊降臨後第4主日
                 マルコ4:35
その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。

6月21日(月)         マルコ4:36
そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。

6月22日(火)         マルコ4:37
激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。

6月23日(水)         マルコ4:38
しかし、イエスは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。

6月24日(木)洗礼者聖ヨハネ誕生日
                  マルコ4:39
イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪(なぎ)になった。

6月25日(金)         マルコ4:40
イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」

6月26日(土)         マルコ4:41
弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。

(新共同訳)

【ひとこと】
 もう45年も前のこと、わたしは重い風邪で心身の具合が悪く、神学校の学生寮の自室で横になっていました。聖書の話を思い浮かべて、いつの間にか自分も嵐の海に呑み込まれそうな大揺れの小舟の中にいるようでした。明日の授業の準備ができない焦り、さらに自分の将来に対する大きな不安も一緒になって頭の中は渦を巻いていました。恐怖です。

 わたしは舟の中で眠っておられるイエスに向かって心で叫びました。「先生、わたしたちが溺れ死んでもかまわないのですか!」
 するとイエスは風を叱り、湖に向かって「黙れ、静まれ!」と言い、わたしに向かって「どうして信仰がないのか!」と叱責されました。その声が響いたとき、わたしの中の嵐は静まりました。わたしは起き上がって感謝し、机に向かいました。
 こうしてイエスによって叱責されることが救いであることを知ったのでした。

日ごとの聖句998 神の内に隠されている 2021/6/13〜19

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日ごとの聖句998 神の内に隠されている

2021年6月13日(日)聖霊降臨後第3主日
               コリント二 4:16
わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。

6月14日(月)       コリント二 5:1
わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。

6月15日(火)       コリント二 5:9
わたしたちは体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。

6月16日(水)        コロサイ3:3
あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。

6月17日(木)        コロサイ3:4
あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。

6月18日(金)         ヨハネ5:24
イエスは言われた「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、死から命へと移っている。」

6月19日(土)         ヨハネ5:25
「死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」

(新共同訳)

【ひとこと】
 最近、身近な人を天に送りました。その葬儀のときに読まれた聖句を(日)と(月)に選びました。
 死と死後のことは、わたしたちがそれを理解しつくすことを許されない神秘に属することです。
 けれどもわたしたちの慰めは、「死から命へと移る」こと、「永遠の命」の約束をイエス・キリストによって与えられていることです。

 ♪ 主 生きたまえば 死は滅びならず
   永遠(とわ)の命に 入るべき門(かど)なり  ハレルヤ
(聖公会聖歌集181 2節)

【説教】神の御心を行う人こそ

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マルコ3:20−35

2021年6月6日・聖霊降臨後第2主日

上野聖ヨハネ教会にて

全文PDF → 神の御心を行う人こそ

 「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」マルコ3:35

 今日はこのイエスさまの言葉を心に留めたいと願います。

 ところでおよそ15年前、ひとつの翻訳小説が大ベストセラーになったことがあります。ダン・ブラウンという人の『ダ・ヴィンチ・コード』という小説です。
わたしはあまりベストセラーなどに興味がないので、自分では読む気がありませんでした。ところが当時、わたしは京都復活教会の牧師兼復活幼稚園の園長をしていて、月曜日を除く毎朝、園児の出迎えをしていました。それで園児のお母さん方とも親しくなったのですが、そのうちのおひとりがとてもキリスト教に関心を持たれていて、「『ダ・ヴィンチ・コード』をどう思うか」と質問してこられました。何でもキリスト教を根本から揺さぶるような内容だということらしいのです。

 それでその本を購入して読んでみました。冒頭にこう書いてありました。
「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」。
 小説なのに、「すべて事実に基づいている」と書いてあるものですから、まんまとだまされることになります。小説としては非常に面白い、よくできた作品だと思いました。けれどもひとつ大きなひっかかりを感じました。それは「キリスト教を根本から揺さぶる」ようなものか、という点です。
……

日ごとの聖句997 神の御心(みこころ) 2021/6/6〜12

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2021年6月6日(日)聖霊降臨後第2主日
              マルコ3:34-35
「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

6月7日(月)       出エジプト記2:24-25
神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。

6月8日(火)           詩編136:23
低くされたわたしたちを、御心に留めた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。

6月9日(水)           イザヤ59:15
主は正義の行われていないことを見られた。それは主の御目(おんめ)に悪と映った。

6月10日(木)           イザヤ58:6
わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛(くびき)の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。

6月11日(金)使徒聖バルナバ日   マタイ6:10
「御国(みくに)が来ますように。御心(みこころ)が行われますように、天におけるように地の上にも。」

6月12日(土)           ヨハネ6:39
わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。

【ひとこと】
 もう15年も前、『ダ・ヴィンチ・コード』という翻訳小説がベストセラーになりました。評判によればキリスト教を根本から揺さぶるような内容とのことで、ある人からこれについてどう思うかと尋ねられたので買って読みました。小説としては非常によくできた作品だと思いましたが、一つの大きな疑問を感じました。本の要点を乱暴に言ってしまえば、「イエスはマグダラのマリアと結婚し、2000年後の今もその子孫(血筋を受け継いだ者)がひそかに生きている」というのです。

 ここでわたしたちは一つの問いの前に立ちます。イエスの血脈、血筋というのは決定的な重大なことなのか。その答が上記(日)のイエスの言葉です。
 「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
 重要なのは血筋ではありません。神の御心を行うことこそが大切です。神の御心を行う者をイエスは「わたしの兄弟」「わたしの姉妹」と呼ばれるのです。
 
 神の御心が何であるか、個別具体的にはわからない場合が多く、わたしたちは迷うことがしばしばです。しかし根本においては、神の御心は曖昧で漠然としたものではありません。神は愛、正義、平和の実現を願い、虐げられた者、嘆く者に耳を傾け、その解放と回復、救いのために行動されます。そしてその働きへとわたしたちを招かれるのです。
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奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
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