Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2021年08月

日ごとの聖句1009 自分自身に 2021/8/29〜9/4

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2021年8月29日(日)聖霊降臨後第14主日
                 申命記4:9
ただひたすら注意してあなた自身に十分気をつけ、目で見たことを忘れず、生涯心から離すことなく、子や孫たちにも語り伝えなさい。

8月30日(月)         シラ書37:27
子よ、生きているかぎり、自分自身を究明し、自分に何が有害かを見極め、それを避けよ。

8月31日(火)        ガラテヤ6:1
だれかが何かの罪に陥ったなら、柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。

9月1日(水)         ペトロ一 5:7
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。

9月2日(木)         マルコ9:50
塩は良いものである。だが塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。

9月3日(金)        テモテ一 4:16
自分自身と教えとに気を配りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。

9月4日(土)          箴言5:15
あなた自身の井戸から水を汲み、あなた自身の泉から湧く水を飲め。

(新共同訳)

【ひとこと】
 聖書は何度も「自分自身に気をつけるように」と促します。わたしたちは誘惑に陥りやすい、弱い人間だからです。けれどもこのようなわたしを、「神が心にかけていてくださる」(水)。それなら、わたしたちは緊張の糸をゆるめて、身も心も神にゆだねて休息することができます。

 弱く危ういわたしは、それにもかかわらず、自分のうちに「井戸」「泉」を持っている、と言われています(土)。わたしの中に清く豊かな水源がある、というのです。神さまはそのようなものとしてわたしたちを造られました。
 この言葉は、イエスがサマリアの女の人に言われた「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4:14)を思い起こさせます。
[注・(水)は水曜日の言葉です]

IZUMI IDA

日ごとの聖句1008 信仰告白 2021/8/22〜28

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日ごとの聖句1008 信仰告白

2021年8月22日(日)聖霊降臨後第13主日
                 イザヤ12:2
見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。
主こそわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなってくださった。

8月23日(月)         イザヤ12:3
あなたたちは喜びのうちに、救いの泉から水を汲む。

8月24日(火)使徒聖バルトロマイ日
                ヨハネ1:49
ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」

8月25日(水)       ヨハネ6:66-67
弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。

8月26日(木)         ヨハネ6:68
シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」

8月27日(金)         ヨハネ6:69
「あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

8月28日(土)       ヨシュア記24:24
民はヨシュアに答えた。「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」

(新共同訳)

【ひとこと】
 (水)(木)(金)イエスの約3年間と言われる活動にあって、この時が最大の危機ではなかったでしょうか。イエスが「わたしは命のパンである」と言われたことから、多くの弟子たちがつまずいて離れ去って行きました。十二弟子さえも離れ去るかもしれません。イエスは彼らに尋ねられました。「あなたがたも離れて行きたいか。」

 しかしペトロは踏みとどまります。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」イエスにこそ命があり、希望があるのです。このとき、ペトロたちも試みを受けました。試みを経たがゆえに、イエスへの思いはいっそう強まったに違いありません。

 (火)のバルトロマイは十二弟子のひとりですが、ヨハネ福音書に登場するナタナエルと同一人物ではないかとも言われます。ここではナタナエルのイエスに対する呼びかけ(信仰告白)を取り上げました。

 (土)のヨシュアはモーセの後継者。彼は約束の地に入るに際し、民に対して信仰の決断を求めたのでした。

【説教】詩編と賛歌と霊的な歌によって

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エフェソ5:15−20

2021年8月15日・聖霊降臨後第12主日

聖光教会にて

全文PDF → 詩編と賛歌と霊的な歌によって


 今日の特祷でわたしたちはこのように祈りました。
「主よ、どうか絶えることのない憐れみをもって主の教会を守ってください。」
「主の教会を守ってください。」

 この祈りが今ほんとうに必要ではないでしょうか。感染症の広がりによって教会はこれまでしてきた活動ができない。集まりにくい。教会は将来どうなるのか、という心配があります。けれどもここでこそ祈りが必要です。今、この率直な祈りが必要です。
 「主よ、どうか主の教会を守ってください。」

 この祈りに答えて、今日の使徒書でパウロは助言を与えてくれてます。助言というより、もっと強い「指示」といったほうがいいかもしれません。

「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。」エフェソ5:15-17
 
 「時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。」5:16
今は悪い時代、また辛い時代です。このような時期こそ、時をよく用いなさい、時間を活用しなさい、というのです。

 「今は悪い時代」
 新約聖書が書かれた時代も、悪い時代でした。そして今も、悪い時代です。日本の国は歴史の反省を忘れて、戦争する国へと傾いていく。人の心は荒れています。命を尊ぶ、心を大切にする、ということが失われていく。人を責め、自分を責めて、傷つけ傷つく。わたしたちもこういう時代にあって悪い影響を受けています。
 そのような時代であるからこそ、逆にわたしたちは、それ以上に良いものに触れて、良い影響を受けて、良いものを人と共有して、それを広げて行きたいと願います。

……

日ごとの聖句1007 主に向かって 2021/8/15〜21

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2021年8月15日(日)聖霊降臨後第12主日 
                  詩編95:1
主に向かって喜び歌おう。
救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。

8月16日(月)主の母聖マリヤ日 
               出エジプト15:25
モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。

8月17日(火)         エフェソ5:19
詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。

8月18日(水)        エレミヤ20:13
主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を、悪事を謀(はか)る者の手から助け出される。

8月19日(木)          シラ書49:3
ヨシヤは心をまっすぐに主に向け、不法のはびこる時代にひたすら神を敬った。

8月20日(金)           哀歌2:18
おとめシオンの城壁よ、主に向かって心から叫べ。
昼も夜も、川のように涙を流せ。休むことなくその瞳から涙を流せ。

8月21日(土)           詩編37:7
沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。
繁栄の道を行く者や、悪だくみをする者のことでいら立つな。

(新共同訳)

 【ひとこと】
 (月)エジプト脱出後の荒野の旅で、民は飲み水を得られず苦しみました。ようやくマラという所に着いて水を見つけましたが、苦くて飲むことができませんでした。民はモーセに不平を言い、モーセは苦しみに耐えられず主に向かって叫びました。1本の木を示されたモーセがそれを水に投げ込むと、その水は甘くなりました。

 この1本の木は、木にかけられたイエス・キリストを連想させます。キリストの十字架から甘美な愛と救いの水が溢れ出て、わたしたちを潤す──そのように感じてみたい。

 「主に向かって」心を上げる。このことを大切にしましょう。主はわたしたちを心にとめておられます。

 (木)ヨシヤは古代ユダ王国第15代の王(紀元前7世紀)。偶像を排して宗教改革を行ったことで知られます。心をまっすぐに主に向けることから、必要な行動が生まれたことを思います。

日ごとの聖句1006 神の愛 2021/8/8〜14

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2021年8月8日(日)聖霊降臨後第11主日
                 エレミヤ31:3
わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。

8月9日(月)          ヨハネ一 4:9
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。

8月10日(火)          エフェソ5:1
あなたがたは神に愛されている子どもですから、神に倣う者となりなさい。

8月11日(水)          エフェソ5:2
キリストがわたしたちを愛して、御自分をわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。

8月12日(木)          エフェソ5:8
あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。

8月13日(金)         ヨハネ一 4:16
わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。

8月14日(土)          エレミヤ31:3
わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ、わたしは絶えずあなたに、真実をつくしてきた。〈口語訳〉

(新共同訳)

【ひとこと】
 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ書第31章3節)。
 この言葉は、わたしが神学生時代に、ある説教集を読んでいて出会った言葉です。当時わたしは神を見失い、繰り返し焦りと絶望感に襲われていました。

 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」。
 とても素直に受け入れることができず、つぶやきました。
 (「わたしは」と言われても、そのあなたがわからない。)
 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」。
 (「限りなき愛」と言われても、その愛を感じることができません。)
 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」。
 (「あなたを」と言われても、そのわたしはこんなに孤独に苦しんでいます。)
 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」。

 10回つぶやけば10回、100回問えば100回、「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」という言葉が返ってくるようでした。それによってわたしは再び神を見出したのではありません。その後も長く信仰の迷いに苦しみ続けました。けれどもエレミヤ書のこの言葉は、不思議に当時のわたしを支えてくれました。神がわたしの渇いた心に語りかけつづけてくださったのでしょう。

 今回は日曜日(新共同訳)と土曜日(口語訳)の2回、同じ箇所を選んでみました。

【ひとこと】
 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(エレミヤ書第31章3節)。
 この言葉は、わたしが神学生時代に、ある説教集を読んでいて出会った言葉です。当時わたしは神を見失い、繰り返し焦りと絶望感に襲われていました。

 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」。
 とても素直に受け入れることができず、つぶやきました。
 (「わたしは」と言われても、そのあなたがわからない。)
 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」。
 (「限りなき愛」と言われても、その愛を感じることができません。)
 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」。
 (「あなたを」と言われても、そのわたしはこんなに孤独に苦しんでいます。)
 「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」。

 10回つぶやけば10回、100回問えば100回、「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」という言葉が返ってくるようでした。それによってわたしは再び神を見出したのではありません。その後も長く信仰の迷いに苦しみ続けました。けれどもエレミヤ書のこの言葉は、不思議に当時のわたしを支えてくれました。神がわたしの渇いた心に語りかけつづけてくださったのでしょう。

 今回は日曜日(新共同訳)と土曜日(口語訳)の2回、同じ箇所を選んでみました。

【説教】天からのパン

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出エジプト記16:2−4、9−15

2021年8月1日・聖霊降臨後第10主日
上野聖ヨハネ教会にて

全文PDF → 天からのパン


 「主はモーセに言われた。『見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。』出エジプト記16:4

 今日の旧約聖書は、遠い昔、イスラエルの民がエジプトを脱出して約束の地まで長い旅をしたとき、神さまが彼らにマナという食べ物を与えられたことを伝えるものでした。
 彼らが奴隷の家と呼んだエジプトからの脱出は、大きな感動と神への感謝の出来事でした。しかしそこから始まった約束の地に向けての旅は、たちまちさまざまな困難に襲われました。今日の出エジプト記第16章に描かれているのは、食べ物の不足、飢餓の危機です。

 今日の本文はこう始まっていました。
 「荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。イスラエルの人々は彼らに言った。『我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだ方がましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。』」出エジプト記16:2-3

 今、イスラエルの人々全体から非難を浴びせられているモーセとアロンはどうしたらよいのでしょうか。神さまに強いられて、皆を救い出すために命をかけてここまで来たのに。
 このとき、神は人々の不平が実はご自分に向けられていることを知って、モーセにこう言われました。
 「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。わたしは、彼らがわたしの指示どおりにするかどうかを試す」。

……

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