Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2021年10月

日ごとの聖句1018 眠りについた人たち 2021/10/31〜11/6

IMG_6306


2021年10月31日(日)聖霊降臨後第23主日
               テサロニケ一 4:13
既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。

11月1日(月)諸聖徒日  テサロニケ一 4:14
イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。

11月2日(火)諸魂日    テサロニケ一 4:14
神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。

11月3日(水)      テサロニケ一 4:16
合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降(くだ)って来られます。

11月4日(木)    テサロニケ一 4:16-17
キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたちが、主と出会うために彼らと一緒に引き上げられます。

11月5日(金)     テサロニケ一 4:17
このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。

11月6日(土)       エフェソ5:14
「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。
そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」

(新共同訳)

【ひとこと】
 11月1日は諸聖徒日、2日は諸魂日。世を去った人々を記念する時期です。
 わたしたちは希望を与えられています。死は滅びではありません。主イエスが復活されたのは、眠りについた人々を永遠の命へと導き出すためです。
 先に世を去った人々と一緒に、わたしたちは永遠に主イエスと共にいることになると、聖書は約束しています。

IZUMI IDA

日ごとの聖句1017 憐れみ 2021/10/24〜30

IMG_6284

2021年10月24日(日)聖霊降臨後第22主日
                  マルコ10:47
バルティマイという盲人はナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。

10月25日(月)        マルコ10:49
イエスは立ち止まって「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心せよ。立ちなさい。お呼びだ。」

10月26日(火)       マルコ10:51
イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。

10月27日(水)        マルコ10:52
イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人はすぐ見えるようになり、道を進まれるイエスに従った。

10月28日(木)使徒聖シモン・使徒聖ユダ日
                 テトス3:5
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。

10月29日(金)         詩編123:3
わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでください。わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。

10月30日(土)        マタイ9:36
イエスは、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

(新共同訳)

【ひとこと】
 「主よ、憐れんでください」はわたしの、またわたしたちの祈りです。日々、繰り返し祈る祈りです。神が、主イエスが、わたしたちの現実に心を動かしてくださることを願って祈ります。

 聖公会の聖餐式では、この祈りが「キリエ」「大栄光の歌」「懺悔(ざんげ)」「神の小羊」の4箇所に組み込まれています。

 「主よ、憐れんでください」。この祈りが真実であれば、主はそれをけっして無視されません。主の憐れみは溢れて、わたしたちに注がれます。

【説教】わたしが飲む杯を飲み

IMG_6279

マルコ10:35−40

2021年10月17日・聖霊降臨後第21主日
聖光教会にて

全文PDF→わたしが飲む杯を飲み

「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。』」マルコ10:39

これは今日の福音書で、イエスがヤコブとヨハネに言われた言葉です。
このヤコブとヨハネは兄弟で、二人ともガリラヤ湖の漁師でした。漁(りょう)に使う網の手入れをしていたときにイエスに呼ばれて、父ゼベダイと雇い人たちを舟に残してイエスに従ったのでした。今日はそのゼベダイの子の兄のほう、ヤコブに関心を向けてみます。

ヤコブは弟ヨハネとともに主イエスに信頼され、ペテロとともに弟子たちの中のリーダー格、またイエスの側近ともいうべき存在になりました。イエスさまの山の上での変容貌を見たのも、この三人です。
ヤコブとヨハネの兄弟は、イエスさまからあだなを付けられていました。「ボアネルゲス」──「雷の子ら」という意味です。時々彼らは憤りを爆発させることがあったのでしょう。

さて今日の福音書の場面は、イエスがすでにご自身の受難を覚悟して、まっすぐにエルサレムに向かわれる途中の出来事です。
……

日ごとの聖句1016 苦難の僕 2021/10/17〜23

IMG_6254

2021年10月17日(日)聖霊降臨後第21主日
                イザヤ52:13-14
見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。
彼の姿は損なわれ、人とは見えず、もはや人の子の面影はない。

10月18日(月)福音記者聖ルカ日
                 イザヤ53:3
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

10月19日(火)        イザヤ53:4
彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであった。

10月20日(水)        イザヤ53:4
それなのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。

10月21日(木)        イザヤ53:5
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

10月22日(金)        イザヤ53:11
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、彼らの罪を自ら負った。

10月23日(土)        イザヤ53:12
多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。

(新共同訳)

【ひとこと】
 この箇所(イザヤ書52:13〜53:12)は「主の僕の歌」と呼ばれます。
 主の僕とは、ある預言者のことと言われ、あるいは主の民イスラエルのこととも言われます。

 その「姿が損なわれ」(日)、「軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている」(月)と言われると、わたしたちはそこに、苦難を受けられたイエス・キリストを見ないわけにはいきません。
 この方は、わたしたちが癒やされるために自らは傷を受け、わたしたちが正しい者とされるために、わたしたちの罪を負われたのです(木、金)。

 苦難と死を経て、この方は高く上げられます(月)。それはわたしたちも過ちと背きから解放されて引き上げられるためです。

日ごとの聖句1015 生きよ 2021/10/10〜16

IMG_6250

2021年10月10日(日)聖霊降臨後第20主日
                   アモス5:4
まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
わたしを求めよ、そして生きよ。

10月11日(月)         アモス5:6
主を求めよ、そして生きよ。

10月12日(火)       アモス5:10,12
彼らは町の門で訴えを公平に扱う者を憎み、真実を語る者を嫌う。
町の門で貧しい者の訴えを退けている。

10月13日(水)        アモス5:13
それゆえ、知恵ある者はこの時代に沈黙する。まことに、これは悪い時代だ。

10月14日(木)        アモス5:14
善を求めよ、悪を求めるな、お前たちが生きることができるために。そうすれば万軍の神なる主は、お前たちと共にいてくださるだろう。

10月15日(金)       アモス5:15,24
悪を憎み、善を愛せよ、また、町の門で正義を貫け。正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。

10月16日(土)        エゼキエル18:32
「わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

(新共同訳)

【ひとこと】
 アモスは紀元前8世紀の預言者です。アモス書から強く呼びかける声が聞こえます。神の声です。
 「わたしを求めよ、そして生きよ」(日)
 アモス自身も呼びかけます。
 「主を求めよ、そして生きよ」(月)
 この呼びかけはわたしたちを励まして、失望、諦め、無気力から解放します。

 さらにその声は、悪を退けて善を求め、貧しい者を擁護し正義を行うように呼びかけます。
 「町の門」(火、金)の内側には広場があり、そこで集会が開かれ、重要事項が審議され、また裁判が行われていました。
 昔も今も、公平や真実をねじ曲げることは(火)、神に背くことです。

【説教】イエスは彼らを兄弟と呼ばれる

IMG_2335

ヘブライ人への手紙 2:11−12

2021年10月3日・聖霊降臨後第19主日

上野聖ヨハネ教会にて

全文PDF → イエスは彼らを兄弟と呼ばれる

 今日は先ほど読まれた使徒書、ヘブライ人への手紙に耳を傾けてみましょう。第2章11節後半からです。
「それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、12 『わたしは、あなたの名を、わたしの兄弟たちに知らせ、集会の中であなたを賛美します』と言い、……」
 
 ここから知らされることは、イエスがわたしたちを「兄弟」と呼ばれる、ということです。
「イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない」
「彼ら」とは、わたしたちのことです。イエスはわたしたちを「きょうだい」、ご自分の弟、妹と呼ばれる。

 これは当たり前のことではありません。わたしたちは人から生まれた人の子。イエスは神から来られた神の子。わたしたちは罪を犯す人間。イエスは罪なき方。イエスは永遠の命を持っておられる方。わたしたちは死と滅びを免れることができない者。まったく違っています。それなのにイエスはわたしたちを「きょうだい」と呼ばれます。イエスはわたしたちを愛するがゆえに、わたしたちのことをご自分の弟、妹と呼ばれるのです。

……

日ごとの聖句1014 大祭司イエス 2021/10/3〜9

IMG_3585

2021年10月3日(日)聖霊降臨後第19主日
                 ヘブライ2:13
イエスは「ここに、わたしと、神がわたしに与えてくださった子らがいます」と言われます。

10月4日(月)        ヘブライ2:14
子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。

10月5日(火)       ヘブライ2:14-15
それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。

10月6日(水)         ヘブライ2:17
イエスは、憐れみ深い忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。

10月7日(木)         ヘブライ2:18
イエスは御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。

10月8日(金)        ヘブライ4:15
この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。

10月9日(土)        ヘブライ4:16
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

(新共同訳)

【ひとこと】
 神の子イエスはわたしたちと同じ人間仲間となられました。そしてわたしたちを集め、わたしたち全体を大きく両手で囲むようにして、神に向かって言われます。「ここに、わたしと、あなたがわたしに与えてくださった子らがいます」(日)。
 イエスは、ご自身の傍らに引き寄せたわたしたちを、一人も失わない決意なのです。

 「あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」(金)イエスが、わたしたちのためにおられます。この方が、わたしたちを永久に神と結びつけてくださいます。
最近の記事
Archives
最近の関心

 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
 音と響き
井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

Mail
izaya*da2.so-net.ne.jp
(*を@に変更してください)

カウンター
最新刊
『これが道だ、これに歩め
──イザヤ書による説教』
かんよう出版
213頁 1500円+税

ここをクリックして
  ←左本文をご覧ください
ブログ内検索

WWW を検索 http://blog.livedoor.jp/izaya/ を検索