Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2022年07月

日ごとの聖句1057 憐れみ 2022/7/31〜8/6

むくげ

2022年7月31日(日)聖霊降臨後第8主日
                コロサイ 3:12
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。

8月1日(月)      出エジプト記 34:6
主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、罪と背きと過ちを赦す。」

8月2日(火)      ゼカリヤ 12:10
わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。

8月3日(水)        イザヤ 33:2
主よ、我らを憐れんでください。我々はあなたを待ち望みます。朝ごとに我らの腕となり、苦難のとき、我らの救いとなってください。

8月4日(木)        マタイ 5:7
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

8月5日(金)        マタイ 9:36
イエスは、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

8月6日(土)主イエス変容の日
                 ホセア 11:8
ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。

(新共同訳)

【ひとこと】
紀元前8世紀の預言者ホセアは、苦悩の中で次のような神の声を聞きました。
「わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。」

イエスがわたしたちに注がれる憐れみは、このように激しく深いものであることを知りたいと思います。

日ごとの聖句1056 祈り 2022/7/24〜30

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2022年7月24日(日)聖霊降臨後第7主日
                ルカ 11:1
イエスはある所で祈っておられた。

7月25日(月)使徒聖ヤコブ日
                ルカ 11:1
祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。

7月26日(火)        ルカ 11:2
そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。』」

7月27日(水)        ルカ 24:30
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。

7月28日(木)          ユダ 20
愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下(もと)に祈りなさい。

7月29日(金)       ヤコブ 5:15
信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。

7月30日(土)         詩編 63:5
命のある限り、あなたをたたえ、手を高く上げ、御名(みな)によって祈ります。

(新共同訳)

【ひとこと】
イエスが祈っておられる──これがわたしたちの助けです。
イエスの祈りがわたしたちを支え、わたしたちを包んでいます。

それにしても「祈りをばおこたりし」(聖歌251、2節)と何度も反省するのが自分の現実です。

祈りの言葉だけではなく、祈ることそのものを、繰り返し主イエスに学びたいと願います。

マルタに与えられた三つの幸い

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【ショートメッセージ】

ルカによる福音書10:38-42

38 一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。39 彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。40 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

 この話で、マルタはイエスから注意され、ただ否定的に見られているような印象があるかもしれません。けれどもおそらくはそうではありません。ここでマルタは三つの祝福(幸い)を経験したのです。

 1つ目は、マルタがイエスを自分の家に迎え入れたことです。この積極的な行動によって、彼女自身がイエスに出会うとともに、妹マリアをはじめ他の人々もイエスと出会うことができるようになりました。わたしたちは聖餐式を「主イエス・キリストよ、おいでください」という呼びかけで始めます。マルタがイエスを迎え入れたように、わたしたちもイエスを迎え入れて礼拝を始めるのです。マルタはイエスを家に迎え入れた。このこと自体が大きな幸いです。

 2つ目は、マルタがイエスから、一度ならず二度も自分の名前を呼ばれたことです。イエスはマルタに心を向けておられます。この呼びかけの中に、イエスのマルタに対する愛が込められています。
 
 3つ目は──想像するのですが──マルタがイエスに注意されて自分のあり方に気づいたことです。マルタはイエスを愛するあまり、接待することのほうに気を取られていました。イエスの足もとに座ってその話に聞き入っているマリアにいらだちました。けれども今からは、イエスの話に聞き入る幸いを自分も経験します。こうしてマルタは、行動力を持つ祈りの人として、大きく成長していったのではないでしょうか。

 やがてマルタは、弟ラザロを失う悲しみの中で、イエスをはっきりと「神の子、救い主」として信じて告白する(ヨハネ11:27)幸いを経験します。

日ごとの聖句1055 マグダラのマリア 2022/7/17〜23

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気比の松原(敦賀市)



2022年7月17日(日)聖霊降臨後第6主日

              ルカ 8:1
イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。

7月18日(月)        ルカ 8:2
七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。

7月19日(火)       ルカ 23:27
民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。

7月20日(水)       ヨハネ 19:25
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。

7月21日(木)      マルコ 16:1-2
安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。

7月22日(金)マグダラの聖マリヤ日

              ヨハネ 20:16
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

7月23日(土)       ヨハネ 20:18
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

(新共同訳)

【ひとこと】
今週7月22日が「マグダラの聖マリヤ日」にあたるので、彼女の歩みを追ってみました。

マグダラのマリアは、十字架のそばまで、イエスに従った人でした。
彼女はイエスの墓の前で泣いていました。
その嘆きと涙をイエスは無視されませんでした。イエスは彼女の後ろに立って、「マリア!」と呼びかけられたのです。

「わたしは主を見ました!」 彼女は主イエスの復活の、最初の証人となったのです。

日ごとの聖句1054 御子(みこ) 2022/7/10〜16

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2022年7月10日(日)聖霊降臨後第5主日
                コロサイ 1:13
御父(おんちち)は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。

7月11日(月)       コロサイ 1:14
わたしたちは、この御子によって、贖(あがな)い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

7月12日(火)        ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

7月13日(水)        ヨハネ 3:17
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

7月14日(木)        ローマ 1:2-3
この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。

7月15日(金)        ヘブライ 5:8
キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。

7月16日(土)        ヨハネ一 3:2
御子が現れるとき、わたしたちは御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。

(新共同訳)

【ひとこと】
「御子(みこ)」はクリスマスによく耳にする言葉ですが、この言葉が新約聖書の中でどのように語られているか、少し調べてみました。

コロサイ書によれば、わたしたちはすでに神の御子イエス・キリストの支配下に移し入れられている、といいます。いかに闇が深いように見えても、わたしたちはすでに光の世界に入れられているのです。

御子の愛と力に目を開かれ、それによって生かされていることを知る。そのような経験を重ねていくことができますように。

日ごとの聖句1053 平和 2022/7/3〜9

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 大津聖マリア教会


日ごとの聖句1053 平和

2022年7月3日(日)聖霊降臨後第4主日
                 ガラテヤ 1:3
わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

7月4日(月)        イザヤ 60:17
わたしがあなたに与える命令は平和、あなたを支配するものは恵みの業。

7月5日(火)        イザヤ 66:12
主はこう言われる。見よ、わたしは彼女に向けよう。平和を大河のように、国々の栄えを洪水の流れのように。

7月6日(水)          ルカ 10:5
主は言われた「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。」

7月7日(木)          ルカ 10:6
「平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」

7月8日(金)       ガラテヤ 6:15-16
大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。

7月9日(土)         ルカ 24:36
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

(新共同訳)

【ひとこと】
この主日「特定9」の聖書日課を見ると、旧約聖書・使徒書・福音書のいずれにも「平和」という言葉が出て来ます。今回はそれを中心に聖句を選びました。

イエスは弟子たちを派遣するにあたって、「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい」と求められました。それに従って弟子たちは平和を広げていきます。
わたしたちもそれに倣いたいと思います。

しかしわたしたちはしばしば平和とは反対の状態に陥ります。

そのわたしたちのために、復活のイエスは「あなたがたに平和があるように」と呼びかけて平和を満たしてくださいます。

小さな平和への営みが大きな平和につながりますように。
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奈良基督教会牧師
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