Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2022年11月

日ごとの聖句1074 平和の君 2022/11/27〜12/3

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 京都聖ヨハネ教会


2022年11月27日(日)降臨節第1主日
              イザヤ書 2:1-2
アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。
終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭(かしら)として堅く立つ。

11月28日(月)      イザヤ書 2:3
多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。

11月29日(火)      イザヤ書 2:4
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣(つるぎ)を打ち直して鋤(すき)とし、槍を打ち直して鎌とする。

11月30日(水)使徒聖アンデレ日
              イザヤ書 2:4-5
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。

12月1日(木)      イザヤ書 9:5
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。

12月2日(金)       イザヤ書 9:5
その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。

12月3日(土)      イザヤ書 9:6
ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。

(新共同訳)

(ひとこと)
「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。」

大軍拡が叫ばれる今こそ、かつて神が預言者をとおして示された平和のビジョンを生き生きと心に抱き、その実現に向けて祈り努力したいと願います。

日ごとの聖句1073 王の王 2022/11/20〜26

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 奈良基督教会
 聖卓フロンタル中央

2022年11月20日(日)降臨節前主日
             ヨハネの黙示録 17:14
この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。

11月21日(月)    ルカによる福音書 19:38
「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」

11月22日(火)    ルカによる福音書 22:25-26
「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。」

11月23日(水)    ルカによる福音書 23:36-38
兵士たちも侮辱して言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。

11月24日(木)      マタイ福音書 25:40
そこで、王は答える。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」

11月25日(金)     ヨハネによる福音書 6:15
イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。

11月26日(土)     テモテへの手紙一 6:15
神は、定められた時にキリストを現してくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主です。

(新共同訳)

(ひとこと)
教会暦の1年の最後の主日、降臨節前主日は「王であるキリスト」という名称で呼ばれることがあります。キリストが地上的な王とはまったく異なる、わたしたちの真の王であることを心にとめる日です。そこで今回は、新約聖書の中から「王」という言葉が用いられている箇所を選んでみました。

ヨハネの黙示録17章の「この者ども」とは悪の勢力であり、「小羊」とは神にご自身を献げられたイエス・キリストのことです。イエス・キリストはわたしたちを守って悪に勝利し、わたしたちに平和をもたらしてくださいます。

日ごとの聖句1072 耳を傾け 2022/11/13〜19

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2022年11月13日(日)聖霊降臨後第23主日
               マラキ書 3:16
そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。

11月14日(月)      歴代誌下 6:40
わが神よ、この所でささげる祈りに目を向け、耳を傾けてください。

11月15日(火)      歴代誌下 7:14
もしわたしの民が、ひざまずいて祈り、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。

11月16日(水)      シラ書 4:8-9
貧しい人の訴えに耳を傾け、穏やかにそして柔和に、答えるがよい。
不当に扱われている者を、加害者の手から救い出せ。

11月17日(木)      シラ書 5:11
人の言葉には、速やかに耳を傾け、答えるときは、ゆっくり時間をかけよ。

11月18日(金)    イザヤ書 48:17-18
あなたを贖(あがな)う主はこう言われる。わたしの戒めに耳を傾けるなら、あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる。

11月19日(土)  マルコによる福音書 12:37
大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。

(新共同訳)

(ひとこと)
ずいぶん昔、わたしが神学校を卒業した年のクリスマスの頃、刊行されたばかりのルドルフ・ボーレン著『説教学』を読み始めていました。その中にこういう言葉がありました。
「マルコが、宮において教えられるイエスについて『大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた』(マルコ12:37)と語ったことの、いささかの痕跡でも繰り返されることはあり得ないのであろうか」。

「群衆は喜んで耳を傾けた」。
説教においてこのことが起こってほしい。それはわたしのなかで強い願いとなってきました。

日ごとの聖句1071 神を仰ぎ見る 2022/11/6〜12

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 宝ヶ池(京都)


2022年11月6日(日)聖霊降臨後第22主日
                詩編 34:6-7
主を仰ぎ見る人は光と輝き、辱めに顔を伏せることはない。この貧しい人が呼び求める声を主は聞き、苦難から常に救ってくださった。

11月7日(月)       ヨブ記 19:25-26
わたしを贖(あがな)う方は生きておられ、ついには塵(ちり)の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。

11月8日(火)       ヨブ記 19:27
このわたしが仰ぎ見る、ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。

11月9日(水)       イザヤ書 6:5
「わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は、王なる万軍の主を仰ぎ見た。」

11月10日(木)    マナセの祈り 1:9
わたしは天の高みを仰ぎ見るには、ふさわしくありません。多くの悪事を行ったからです。

11月11日(金)        詩編 40:4
主はわたしの口に新しい歌を、わたしたちの神への賛美を授けてくださった。人はこぞって主を仰ぎ見、主を畏れ敬い、主に依り頼む。

11月12日(土)   ヨハネの黙示録 22:3-4
神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。

(新共同訳)

(ひとこと)
「この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。」
自分の命以外のすべてを失ったヨブにとって、<神を仰ぎ見る>ことだけが望みであり、それだけが生きる支えでした。

今、わたしたちは神を見ることはできません。しかしいつか必ず、わたしたちの目と心は清められ、涙は拭われて、神を仰ぎ見ることが許されるでしょう。
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井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

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