Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2023年03月

日ごとの聖句1092 アリマタヤのヨセフ 2023/4/2〜8

墓


2023年4月2日(日)復活前主日   マルコによる福音書 15:37-38
イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。

4月3日(月)復活前月曜日      ルカによる福音書 23:50-51
さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。神の国を待ち望んでいたのである。

4月4日(火)復活前火曜日      マタイによる福音書 27:57
夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。

4月5日(水)復活前水曜日      マルコによる福音書 15:43
アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。

4月6日(木)聖木曜日        ヨハネによる福音書 19:38
その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。

4月7日(金)聖金曜日(受苦日)  マタイによる福音書 27:59-60
ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納めた。

4月8日(土)聖土曜日        マタイによる福音書 27:61
マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。

(新共同訳)

(ひとこと)
アリマタヤのヨセフはイエスの弟子になっていましたが、それを隠していました。非難や迫害がこわかったからです。

しかしイエスが十字架にかけられたとき、彼の良心はうずきました。彼はピラトに願い出てイエスの遺体を引き取り、自分の墓に葬りました。自分がイエスの弟子であることを公然と現したのです。

今やヨセフは、神の国の光の中に立っています。彼の新しい生涯が始まっています。

日ごとの聖句1091 ラザロの復活 2023/3/26〜4/1

IMG_7696


2023年3月26日(日)大斎節第5主日
           ヨハネによる福音書 11:1、3
ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。

3月27日(月)  ヨハネによる福音書 11:11
イエスは言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」

3月28日(火)   ヨハネによる福音書 11:21
マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」

3月29日(水)   ヨハネによる福音書 11:25
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」

3月30日(木)   ヨハネによる福音書 11:27
マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

3月31日(金)  ヨハネによる福音書 11:34-35
イエスは言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。

4月1日(土)   ヨハネによる福音書 11:43-44
イエスは「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。

(新共同訳)

(ひとこと)
ラザロの死と復活は、新共同訳、聖書協会共同訳でほぼ2頁にわたる長い物語です。その中に、聖書全体の中で最も短いとされる節があります。ヨハネ11章35節「イエスは涙を流された」。ギリシア語原典では冠詞を含めて3単語のみ。主な英語聖書は"Jesus wept. "と訳しています。

イエスは人の悲しみをご自分の悲しみとして、涙を流されました。この方が、わたしたちをご自身の復活の命に生かしてくださいます。

日ごとの聖句1090 主よ、信じます 2023/3/19-25

IMG_7692


2023年3月19日(日)大斎節第4主日
           ヨハネによる福音書 9:1
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。

3月20日(月)聖ヨセフ日
           ヨハネによる福音書 9:2
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。」

3月21日(火)   ヨハネによる福音書 9:3
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」

3月22日(水)   ヨハネによる福音書 9:7
イエスは「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。

3月23日(木)   ヨハネによる福音書 9:35
イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。

3月24日(金)  ヨハネによる福音書 9:36
彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」

3月25日(土)聖マリヤへのみ告げの日
         ヨハネによる福音書9:37-39
イエスは言われた。「あなたと話しているのが、その人だ。」
彼は「主よ、信じます」と言って、ひざまずいた。

(新共同訳)

(ひとこと)
「人の病気や障害、不幸は本人か親、先祖の罪のせいである」──こういう考えをイエスは断乎として否定されました。「因果応報」は、人に不当な苦しみを加える悪しき思想です。

この人の抱えた「目が見えない」という困難をとおしてこそ神の業が現れる、と、イエスは将来に向けて希望の道を開かれます。

イエスとの出会いによって目が見えるようになったこの人は、迫害をとおして、イエスとの祝福に満ちた出会いに導かれました。

弟の印象画【尹東柱の詩 4】

明東学校



 明東学校(最初の母校)


弟の印象画 
        
赤い額に 冷たい月が差し
弟の顔は 悲しい絵だ。

歩みを止め
そっと幼い手を握って
「お前は大きくなったら何になる」

「人になる」
弟の悲しい ほんとうに悲しい答だ。

そおっと 握っていた手を放し
弟の顔を もう一度見つめる。

冷たい月が 赤い額に濡れ、
弟の顔は 悲しい絵だ。


아우의 인상화


붉은 이마에 싸늘한 달이 서리어
아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.

발걸음을 멈추어
살그머니 애딘 손을 잡으며
“너는 자라 무엇이 되려니”

“사람이 되지”
아우의 설운 진정코 설운 대답이다.

슬며 ─ 시 잡았던 손을 놓고
아우의 얼굴을 다시 들여다본다.

싸늘한 달이 붉은 이마에 젖어,
아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.

  1938.9.15

 「悲しい」(3回)と感じるのは、弟を心から愛しているからでしょう。
 この詩を書いたとき、尹東柱は延禧専門学校の1年生で満20歳、弟の尹一柱(ユンイルジュ)は10歳でした。十も年が離れています。

 詩の日付は1938年9月15日となっています。この日付は重大です。というのは、その5日前の9月10日、朝鮮総督府の強要によって、朝鮮イエス教長老会[長老教会の正式名]総会は神社参拝決議をしたのです。総会が開かれたのは場所は平壤(ピョンヤン)西門外教会。尹東柱のその家族は長老教会の信徒です。家族の暮らす故郷は、行政的には朝鮮ではなく「満州国」間島省なのですが、教会としては朝鮮イエス教長老会東満老会[教区]龍井(ヨンジョン)中央教会に属していました。

 2年前、尹東柱は崇実(スンシル)中学校(平壤)の時代、当局の学校に対する神社参拝強要に抗議して自主退学したのでした。崇実中学校は長老教会に属する学校です。

 この詩を完成させた時点で、尹東柱が長老教会総会の神社参拝決議を知っていたかどうかはわかりません。しかし日本の圧政下にあって、それなりに「人になる」ようなどんな明るい未来がありうるのか。そういう思いが、弟の「人になる」という答えを聞いたときに湧き起こってきたのかもしれません。

日ごとの聖句1089 イエスとサマリアの女 2023/3/12〜18

Samaria2


2023年3月12日(日)大斎節第3主日
           ヨハネによる福音書 4:6
そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

3月13日(月)   ヨハネによる福音書 4:7
サマリアの女が水を汲みに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。

3月14日(火)    ヨハネによる福音書 4:9
すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女の私に、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。

3月15日(水)   ヨハネによる福音書 4:14
「この水を飲む者は誰でもまた渇く。しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る。」

3月16日(木)   ヨハネによる福音書 4:23
「まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。」

3月17日(金)   ヨハネによる福音書 4:29
「さあ、見に来てください。私のしたことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」

3月18日(土)   ヨハネによる福音書 4:39
町の多くのサマリア人は、「あの方は、私のしたことをすべて言い当てました」と証言した女の言葉によって、イエスを信じた。

(聖書協会共同訳)

(ひとこと)
このサマリアの女は、イエスとの深い出会いをとおして「生ける水」を受けました。その水は彼女の中で泉となって湧き溢れました。

その感動と喜びから、彼女は町の多くの人々をイエスのもとに招きました。彼女こそはイエスのまことの弟子にして証人です。

新しい道【尹東柱の詩 3】

延禧の森

 延禧の森


新しい道 

川をわたって森へ
峠を越えて村へ

昨日も行き 今日も行く
わたしの道 新しい道

タンポポが咲き かささぎが飛び
娘が通り 風が起こり

わたしの道はいつも新しい道
今日も……明日も……

川をわたって森へ
峠を越えて村へ
        *
새로운 길

내를 건너서 숲으로
고개를 넘어서 마을로

어제도 가고 오늘도 갈
나의 길 새로운 길

민들레가 피고 까치가 날고
아가씨가 지나고 바람이 일고

나의 길은 언제나 새로운 길
오늘도…… 내일도……

내를 건너서 숲으로
고개를 넘어서 마을로

   1938.5.10
          *
希望に満ちた詩。

민들레가 피고 까치가 날고
ミンドゥルレガ ピゴ カッチガ ナルゴ
(タンポポが咲き かささぎが飛び)

아가씨가 지나고 바람이 일고
アガシガ チナゴ パラミ イルゴ
(娘が通り 風が起こり)

この原詩のリズムと響きが楽しく心地よい。
この「新しい道」は、「自画像」とともに彼の葬儀(1945年3月6日)で朗読されたという。
延禧専門学校に入学してしばらくの作。当時満20歳。

少年【尹東柱の詩 2】

IMG_7614


 少年

そこかしこ紅葉(もみじ)のような悲しい秋がはらはらと落ちる。紅葉が落ちてきたところごとに春を備えて、木の枝の上に空が広がっている。そっと空をのぞき見ようとすると、眉毛が青く染まる。両手で温かい頬を撫でてみると、手のひらも青く染まる。もう一度手のひらをのぞいて見る。手の筋には澄んだ川の水が流れ、澄んだ川の水が流れ、川の水の中にはいとしくも悲しい顔 ── 美しい順伊(スニ)の顔が映る。少年はうっとりと目を閉じてみる。なおも澄んだ川の水は流れ、いとしくも悲しい顔 ── 美しい順伊(スニ)の顔は映る。


 소년

여기저기서 단풍잎 같은 슬픈 가을이 뚝뚝 떨어진다. 단풍잎 떨어져 나온 자리마다 봄을 마련해 놓고 나뭇가지 우에 하늘이 펼쳐 있다. 가만히 하늘을 들여다보려면 눈썹에 파란 물감이 든다. 두 손으로 따뜻한 볼을 쓸어보면* 손바닥에도 파란 물감이 묻어난다. 다시 손바닥을 들여다본다. 손금에는 맑은 강물이 흐르고, 맑은 강물이 흐르고, 강물 속에는 사랑처럼 슬픈 얼굴 ── 아름다운 순이(順伊)의 얼굴이 어린다. 소년은 황홀히 눈을 감아 본다. 그래도 맑은 강물은 흘러 사랑처럼 슬픈 얼굴 ── 아름다운 순이(順伊)의 얼굴은 어린다.


※散文詩。木々の紅葉、空の青が印象的。青は顔を染める。「澄んだ川の水が流れ、澄んだ川の水が流れ」の繰り返しが美しい。手のひらに流れる澄んだ川の水の中に、いとしくも悲しいスニ(順伊)の顔が映る。

前回「雪 降る地図」と同じくスニ(順伊)が出て来る。初版の詩集(横書き、1948)では、見開きで左側に「少年」が、右側に「少年」が配されている。
1939年、尹東柱は延禧専門学校2年生、21歳。

日ごとの聖句1088 ニコデモ 2023/3/5〜11

IMG_7445




 京都聖三一教会


2023年3月5日(日)大斎節第2主日
           ヨハネによる福音書 3:1
さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。

3月6日(月)    ヨハネによる福音書 3:2
ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。」

3月7日(火)   ヨハネによる福音書 3:2
ニコデモは言った。「神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」

3月8日(水)   ヨハネによる福音書 3:3
イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

3月9日(木)   ヨハネによる福音書 3:14-15
「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」

3月10日(金)   ヨハネによる福音書 19:39
そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。

3月11日(土)   ヨハネによる福音書 19:40
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。

(新共同訳)

(ひとこと)
「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
このイエスの言葉によってニコデモは傷つき、立腹したのではないでしょうか。
「あなたは生まれ変わらなければ救われない」と言われたのと同じだからです。

けれどもニコデモは、心の奥では、イエスが自分の急所に触れたことを感じていました。

イエスが十字架につけられて死んだとき、ニコデモはイエスを葬るため、重い荷物を運んできました。その姿は、自分がイエスの仲間であることを示すものでした。
かつてのイエスの言葉は彼の中に生きて働き、彼は神の国を見る者となったのです。

最近の記事
Archives
最近の関心

 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
 音と響き
井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

Mail
izaya*da2.so-net.ne.jp
(*を@に変更してください)

カウンター
最新刊
『これが道だ、これに歩め
──イザヤ書による説教』
かんよう出版
213頁 1500円+税

ここをクリックして
  ←左本文をご覧ください
ブログ内検索

WWW を検索 http://blog.livedoor.jp/izaya/ を検索