Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2023年04月

日ごとの聖句1096 ステファノ 2023/4/30〜5/6

Koelner_Dom_-Stepan




 ケルン大聖堂のステンドグラス
 「ステファノの殉教」

2023年4月30日(日)復活節第4主日      使徒言行録 6:5-6
一同は、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと……を選んで、使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。

5月1日(月)使徒聖ピリポ・使徒聖ヤコブ日   使徒言行録 6:12
彼らは民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。

5月2日(火)                 使徒言行録 6:15
最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。

5月3日(水)                 使徒言行録 7:55
ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見た。

5月4日(木)                 使徒言行録 7:56
ステファノは「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。

5月5日(金)                 使徒言行録 7:59
人々が石を投げつけている間、ステファノは「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。

5月6日(土)                 使徒言行録 7:60
それからひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。


(新共同訳)

(ひとこと)
ステファノ(ステパノ)は、石で打ち殺されようとするとき、「神の右に立っておられるイエス」を見ました。

通常わたしたちは、イエス・キリストが「神(父)の右に『座しておられる』」(使徒信経、ニケヤ信経)と告白します。しかしこの場面でイエスは立っておられたというのです。

ステファノの命の危機のとき、イエスは立ち上がって天から彼を支え、彼をご自分のもとに抱き寄せようとされたのではないでしょうか。

わたしたちはステファノを最初の殉教者として記念します。

日ごとの聖句1095 エマオ 2023/4/23〜29

S__33513478


2023年4月23日(日)復活節第3主日  ルカによる福音書 24:13-14
この日、二人の弟子が、エルサレムからエマオという村に向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。

4月24日(月)             ルカによる福音書 24:15
話し合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいて来て、一緒に歩いて行かれた。

4月25日(火)福音記者聖マルコ日  ルカによる福音書 24:16-17
二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。

4月26日(水)           ルカによる福音書 24:19,21
二人は言った。「ナザレのイエスのことです。私たちは、この方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。」

4月27日(木)             ルカによる福音書 24:30
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、祝福して裂き、二人にお渡しになった。

4月28日(金)             ルカによる福音書 24:31
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

4月29日(土)             ルカによる福音書 24:32
二人は互いに言った。「道々、聖書を説き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか。」

(聖書協会共同訳)

(ひとこと)
学生時代、「復活」がわからなくてとても苦しみました。
卒業が近づいたある日、電車の中でこのルカ福音書の箇所を読みました。

「道々、聖書を説き明かしながら、お話しくださったとき、私たちの心は燃えていたではないか。」

これを読んだとき、急に熱く温かいものが胸とお腹と心に生じました。それは1日たっても1週間たっても消えず、ますます確かなものになっていきました。
「復活されたイエスがわたしに出会ってくださった」
一番の悩みが一番の喜びになりました。
1972年2月、わたしの回心の出来事です。

風が吹いて【尹東柱の詩 5】

강가 바람


風が吹いて

風がどこから吹いてきて
どこへ吹かれていくのか。

風が吹いているが
わたしの苦しみには理由がない。

わたしの苦しみには理由がないのか。

ただひとりの女を愛したこともない。
時代を悲しんだこともない。

風がしきりに吹いているが
わたしの足は岩の上に立っている。

川の水が絶え間なく流れているが
わたしの足は丘の上に立っている。



바람이 불어


바람이 어디로부터 불어와
어디로 불려 가는 것일까,

바람이 부는데
내 괴로움에는 理由가 없다.

내 괴로움에는 理由가 없을까.

단 한 女子를 사랑한 일도 없다.
時代를 슬퍼한 일도 없다.

바람이 자꼬 부는데
내 발이 반석 우에 섰다.

강물이 자꼬 흐르는데
내 발이 언덕 우에 섰다.
 1941.6.2

(韓国語本文は『天と風と星と詩』初版(1948)による。)
理由なく苦しんでいるような自分がいます。
時代を悲しまず、時代に責任を持って生きていないように感じる自分がいます。
けれども彼は問い直します。「わたしの苦しみには理由がないのか。」
むしろ彼は、時代の風にさらされつつ、時代に抗い、自分の使命に忠実に生きようと決意しています。
自分に対する不足感、不充足感を持ちつつ、しかし後半の4行で転換が起こります。彼は確固として岩(盤石)に立っているのです。
直訳すれば「(岩の上に、丘の上に)立った」なのですが、決意して立ち、現在しっかりと立ち続けているという印象を受けたので、「立っている」と訳してみました。
尹東柱、延禧専門学校4年、満23歳。
(訳・井田 泉)


日ごとの聖句1094 トマス 2023/4/16〜22

IMG_7784


2023年4月16日(日)復活節第2主日  ルカによる福音書 6:13-15
イエスは十二人を選んで使徒と名付けられた。それはシモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネ、フィリポ……トマス……である。

4月17日(月)          ヨハネによる福音書 11:15-16
イエスは言われた。「さあ、彼(ラザロ)のところへ行こう。」すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。

4月18日(火)           ヨハネによる福音書 14:5-6
トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。」

4月19日(水)            ヨハネによる福音書 20:25
ほかの弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「この手をそのわき腹に入れてみなければ、決して信じない。」

4月20日(木)            ヨハネによる福音書 20:26
トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

4月21日(金)            ヨハネによる福音書 20:27
イエスはトマスに言われた。「あなたの手をわたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

4月22日(土)            ヨハネによる福音書 20:28
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。

(新共同訳)

(ひとこと)
他の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言ったとき、トマスはそれを強く否定しました。とても信じられなかったのです。けれども一方で、自分だけが取り残されたように思うと、耐えがたい悲しみに心は乱れました。

8日後、イエスが来られたとき、トマスは一緒にいました。
「あなたがたに平和があるように」。
これこそトマスが必要としていた言葉でした。トマスの心は、喜びと平安に満たされました。
イエスはご自分をトマスに示して、彼を「信じる者」として引き寄せられたのです。

日ごとの聖句1093 マグダラのマリア 2023/4/9〜15

IMG_7768


2023年4月9日(日)復活日       ヨハネによる福音書 20:1
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。

4月10日(月)復活後月曜日      ヨハネによる福音書 20:11
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、白い衣を着た二人の天使が見えた。

4月11日(火)復活後火曜日      ヨハネによる福音書 20:13
天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。」

4月12日(水)復活後水曜日      ヨハネによる福音書 20:14
こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。

4月13日(木)復活後木曜日      ヨハネによる福音書 20:16
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。

4月14日(金)復活後金曜日      ヨハネによる福音書 20:17
イエスは言われた。「わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」

4月15日(土)復活後土曜日      ヨハネによる福音書 20:18
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

(新共同訳)

(ひとこと)
マグダラのマリアはかつて非常な苦しみを抱えていた人で、イエスによって「七つの悪霊を追い出していただいた」と言われます。イエスに従い、イエスのために奉仕することを大きな喜びとしていました。

イエスが死刑となったとき、彼女は十字架のそばでイエスを見つめ、そしてその遺体が墓に葬られるのを見届けました。

彼女は翌朝早くにイエスの墓に行き、遺体がなくなっているのを見て、墓の前で悲しみにくれました。
しかしそのとき、イエスは後ろから彼女の名前を呼ばれたのです。

復活のイエスと出会ったことは、彼女の生涯最大の喜びです。
「わたしは主を見ました」。この証言は最初の教会をどんなに力づけたことでしょうか。
最近の記事
Archives
最近の関心

 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
 音と響き
井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

Mail
izaya*da2.so-net.ne.jp
(*を@に変更してください)

カウンター
最新刊
『これが道だ、これに歩め
──イザヤ書による説教』
かんよう出版
213頁 1500円+税

ここをクリックして
  ←左本文をご覧ください
ブログ内検索

WWW を検索 http://blog.livedoor.jp/izaya/ を検索