Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2024年04月

日ごとの聖句1148 エチオピアの宦官 2024/4/28〜5/4

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2024年4月28日(日)復活節第5主日     使徒言行録 8:27-28
エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官がエルサレムに礼拝に来て帰る途中であった。

4月29日(月)                使徒言行録 8:30
フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。

4月30日(火)                使徒言行録 8:31
宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。

5月1日(水)使徒聖ピリポ・使徒聖ヤコブ日   使徒言行録 8:32
聖書の個所はこれである。「彼は羊のように屠(ほふ)り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。」

5月2日(木)                 使徒言行録 8:35
フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。

5月3日(金)                使徒言行録 8:36、38
道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」フィリポは宦官に洗礼を授けた。

5月4日(土)                 使徒言行録 8:39
彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。

(新共同訳)

(ひとこと)
エチオピアからはるばるエルサレムの礼拝にやって来た宦官は、帰りの馬車のなかで、イザヤ書53章の「苦難の僕」の箇所を朗読していました。

彼は、そこに書かれている、殺されようとして「毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない」その人に引きつけられました。なぜかその人が、自分の深い所に関係している気がするのです。

フィリポという人が、それは捕らえられて十字架に死んだイエスのことだと教えてくれました。イエスは、自分を死刑にしようとする人々の訴えに、口を開かなかったのです(マルコ15:5)。

宦官は、沈黙のイエスが自分のすべてを受けとめ、希望を与えてくれる存在だと知りました。
イエスを信じたところから、彼の新しい生涯が始まります。

日ごとの聖句1147 羊飼いイエス 2024/4/21〜27

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2024年4月21日(日)復活節第4主日  ヘブライ人への手紙 13:20
永遠の契約の血による羊の大牧者、わたしたちの主イエスを、死者の中から引き上げられた平和の神。

4月22日(月)          ヘブライ人への手紙 13:20-21
平和の神が、御心に適うことをイエス・キリストによってわたしたちにしてくださり、御心を行うために、すべての良いものをあなたがたに備えてくださるように。

4月23日(火)                  創世記 9:16
雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。

4月24日(水)                 バルク書 2:35
わたしはお前たちと永遠の契約を結び、わたしはお前たちの神となり、お前たちはわたしの民となる。

4月25日(木)福音記者聖マルコ日   マタイによる福音書26:28
これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。

4月26日(金)            ヨハネによる福音書 10:11
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

4月27日(土)            ヨハネによる福音書 10:14
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。

(新共同訳)

(ひとこと)
日本聖公会の復活節第4主日の特祷は次のような呼びかけから始まります。
「永遠の契約の血によって良い羊飼い、主イエス・キリストを死人のうちからよみがえらせられた平和の神よ」

そこでこの特祷の元になっている「ヘブライ人への手紙」の箇所を選び、その次に「永遠の契約」を語る箇所を記しました。

この主日は伝統的に「良き羊飼いの主日」と呼ばれ、神学校のために祈る日になっています。

良い羊飼いイエスは「わたしは自分の羊を知っている」と言われます。イエスは、わたしたちの良いところも、望ましくないところもご存じであり、またわたしたちの願い、希望、不安、負い目も知っておられます。イエスは、わたしたちの一切を知りつつ、わたしたちをご自分のものとして愛していてくださいます。

わたしたちが「死の陰の谷」(詩編23:4)を行くとき、イエスはわたしたちの先となり後となって守り導かれます。

日ごとの聖句1146 パンを裂く 2024/4/14〜20

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 京都聖三一教会の聖卓


2024年4月14日(日)復活節第3主日    ルカによる福音書 24:29
二人が、「もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。

4月15日(月)             ルカによる福音書 24:30
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。

4月16日(火)             ルカによる福音書 24:31
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

4月17日(水)             ルカによる福音書 24:32
二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

4月18日(木)                使徒言行録 2:42
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

4月19日(金)               使徒言行録 2:46-47
信者たちは家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。

4月20日(土)                使徒言行録 20:11
パウロはまた上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。

(新共同訳)

(ひとこと)
日本聖公会で用いる復活節第3主日の特祷は「神よ、祝福されたみ子は、パンを裂くみ姿のうちに、ご自身を弟子たちに示されました」という言葉で始まっています。そこで今週は、復活のイエスがエマオの弟子たちの家でパンを裂かれた箇所を中心に選びました。

イエスの姿が見えなくなったとき、二人の弟子たちはこう語り合います。
「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」

この言葉を読んだとき、わたしのおなかあたりが温かくなり、不思議な喜びが起こりました。その温かいもの、熱いものは何日経っても消えず、ますますはっきりしたものになりました。復活のイエスがわたしにご自身を示してくださった! 長い精神的彷徨の果て、今から52年前、わたしの原点となった出来事です。

ある学者はこのように言います。「イエスの意味を熟考した結果、弟子たちの心にはイエスが『蘇った』のである」。
しかしこれでは、「イエスの主体性と働き」は消し去られ、復活の力とリアリティは覆われてしまいます。

わたしたちを生かすために十字架に死んで復活された方の存在と愛に出会うことが、わたしたちの願いです。

日ごとの聖句1145 トマス 2024/4/7〜4/13

St. Thomas, from Rubens' Twelve Apostles Series




 聖トマス(ルーベンス画)

2024年4月7日(日)復活節第2主日   ヨハネによる福音書 20:24
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。

4月8日(月)聖マリヤへのみ告げの日 ヨハネによる福音書 20:25
トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

4月9日(火)                   詩編 42:12
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ、なぜ呻くのか。神を待ち望め。わたしはなお、告白しよう、「御顔こそ、わたしの救い」と。わたしの神よ。

4月10日(水)            ヨハネによる福音書 20:26
八日の後、弟子たちは家の中におり、トマスも一緒にいた。イエスが来て真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように」と言われた。

4月11日(木)            ヨハネによる福音書 20:27
イエスはトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

4月12日(金)            ヨハネによる福音書 20:28
トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。

4月13日(土)            ヨハネによる福音書 20:29
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

(新共同訳)

(ひとこと)
復活のイエスが弟子たちのところに来られたとき、トマスはそこにいませんでした。

イエスに出会ったと喜んでいる他の弟子たちに対する疑いと拒絶、また自分だけが見捨てられたと感じる孤独。トマスはどれほど苦しんだでしょう。その苦しみはイエスを愛していたからこそでした。

8日後、イエスは再び来られました。イエスはこのトマスに会おうとして来られました。
イエスはトマスが求めていたように、ご自分のわき腹に手を入れるようにと言われます。けれどもトマスは、イエスにお会いできただけで十分でした。

イエスはトマスに言われました。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
しかしイエスはトマスにご自分を示されたのであって、見ることを拒否されたのではありませんでした。

「わたしは復活して、たとえ見えなくても生きてあなたと共にいるのだから、心配せずに信じていなさい。わたしを信じることの幸せの中にいなさい。」

特別の苦しみを味わったトマスは、そのゆえに特別の恵みを受け、彼にしかできない働きをこれから始めていくことになります。
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井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

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