Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2024年08月

日ごとの聖句1166 抵抗せよ 2024/9/1〜7

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2024年9月1日(日)聖霊降臨後第15主日
                エフェソの信徒への手紙 6:10-11
主にあって、その大いなる力によって強くありなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるように、神の武具を身に着けなさい。

9月2日(月)           エフェソの信徒への手紙 6:12
私たちの戦いは、人間に対するものではなく、支配、権威、闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊に対するものだからです。

9月3日(火)            エフェソの信徒への手紙 6:13
悪しき日にあってよく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を取りなさい。

9月4日(水)         エフェソの信徒への手紙 6:14-15
立って、真理の帯を締め、正義の胸当てを着け、平和の福音を告げる備えを履物としなさい。

9月5日(木)          エフェソの信徒への手紙 6:16
これらすべてと共に、信仰の盾を手に取りなさい。それによって、悪しき者の放つ燃える矢をすべて消すことができます。

9月6日(金)           エフェソの信徒への手紙 6:17
また救いの兜をかぶり、霊の剣(つるぎ)、すなわち神の言葉を取りなさい。

9月7日(土)           エフェソの信徒への手紙 6:18
どのような時にも、霊によって祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。

(聖書協会共同訳)

(ひとこと)
エフェソ書の著者は、この世界に働く悪しき力とその本質をよく見抜いていました。それを彼は「支配、権威、闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊」(6:12)と呼びます。

悪しき力はある場合には組織や人間関係の中に働き、ある場合には国家の暴力として働きます。公立学校における君が代の斉唱の強制、音楽の先生に対する伴奏の強制(さらに抵抗する者への処罰)もその例です。

著者はそのような悪しき力に対して無条件に従うのではなく、「抵抗せよ」と呼びかけます。

ここで「立つ」「立ち向かう」と訳された言葉(6:11、13、14)は、イエスの十字架のもとに立っていた女性たちを思わせます。

「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」ヨハネ19:25。

彼女たちは痛切に悲しみつつも、イエスを十字架につけた悪しき力に抵抗して「立っていた」のです。

わたしはこのように理解するので、ある研究者がエフェソ書について「敵対者を知らず観照的な態度で思索する」などと決めつけるのにまったく賛成できません。

日ごとの聖句1165 聖なる方 2024/8/25〜31

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 聖光教会 聖卓のフロンタル中央部


2024年8月25日(日)聖霊降臨後第14主日
                      ヨハネによる福音書 6:68-69
シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

8月26日(月)           マルコによる福音書 1:23-24
この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」

8月27日(火)                使徒言行録 4:30
「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」

8月28日(水)               サムエル記上 2:1-2
ハンナは祈って言った。聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。

8月29日(木)                   詩編 71:22
イスラエルの聖なる方よ、わたしは竪琴に合わせてほめ歌をうたいます。

8月30日(金)                 イザヤ書 29:19
苦しんでいた人々は再び主にあって喜び祝い、貧しい人々は、イスラエルの聖なる方のゆえに喜び躍る。

8月31日(土)                   箴言 9:10
主を畏れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは分別の初め。

(新共同訳)

(ひとこと)
イエスの活動はある時、重大な危機を迎えました。自分たちの求めることにイエスは応えてくれない、と失望して、多くの弟子たちが去ってしまったのです。

しかし踏みとどまった少数の弟子たちの思いと決意を代表するかのように、シモン・ペトロは言います。
「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」

ペトロたちは、すでにイエスの言葉によって生かされており、それなしには生きていけないことを自覚していました。イエスが神から来られた方であり、イエスをとおして自分たちは聖にして愛なる神と出会っているのを知っていたのです。

ペトロの信仰告白がわたしたちの信仰告白になりますように。

日ごとの聖句1164 命を得る 2024/8/18〜24

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2024年8月18日(日)聖霊降臨後第13主日       箴言 4:4-5
わたしの言葉をお前の心に保ち、わたしの戒めを守って、命を得よ。知恵を獲得せよ、分別を獲得せよ。

8月19日(月)                   箴言 9:5-6
知恵は言った。「わたしのパンを食べ、わたしが調合した酒を飲むがよい。浅はかさを捨て、命を得るために。」

8月20日(火)                  詩編 119:50
あなたの仰せはわたしに命を得させるでしょう。苦しみの中でもそれに力づけられます。

8月21日(水)                 イザヤ書 55:3
耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。

8月22日(木)            ヨハネによる福音書 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

8月23日(金)            ヨハネによる福音書 6:54
イエスは言われた。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」

8月24日(土)使徒聖バルトロマイ日 ローマの信徒への手紙 5:18
一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。

(新共同訳)

(ひとこと)
日本聖公会で用いられている3年周期の主日日課では、旧約聖書「箴言」は、B年の「特定15」のたった1回しか出て来ません。この主日はその貴重な機会です。

ここに「知恵」が登場します。知恵は人格を持ったものとして描かれ、神のみもとにあって神を楽しませ、また人と共に楽しみます(8:30-31)。このような喜び、楽しみが信仰の大切な一面であることを知らされます。

箴言第9章に至って、知恵は人々をみずから整えた食卓に招きます。人々が「命を得る」ためです。

神から来られた独り子イエスは、わたしたちに「命を得させるために」ご自分を差し出されます。
わたしたちは主の命を、み言葉として受け、また聖餐のパンとぶどう酒として授かります。こうして何ものにも代えがたい喜びと力が与えられます。

日ごとの聖句1163 主の口 2024/8/11〜17

いちじく


2024年8月11日(日)聖霊降臨後第12主日       申命記 8:3
主はあなたを苦しめ、マナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。

8月12日(月)                   詩編 33:6
御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。

8月13日(火)                    箴言 2:6
知恵を授けるのは主。主の口は知識と英知を与える。

8月14日(水)                   ミカ書 4:4
人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り、脅かすものは何もないと、万軍の主の口が語られた。

8月15日(木)主の母聖マリヤ日           哀歌 1:18
主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ。聞け、諸国の民よ、見よ、わたしの痛みを。

8月16日(金)            マタイによる福音書 5:1-3
弟子たちが近くに寄って来た。イエスは口を開き、教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」

8月17日(土)             ルカによる福音書 4:22
皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」

(新共同訳)

(ひとこと)
「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り、脅かすものは何もないと、万軍の主の口が語られた」(ミカ書4:4)。

紀元前8世紀、人々は戦争と虐政と災害によって生命と生活が脅かされていました。この現実に対して、預言者ミカをとおして、主がこれを語られました。
「万軍の主の口が語られた」と言われているのは、これを実現しようとされる断乎たる神の決意を示しています。

今日、多くの人々が生命を奪われ、生活が脅かされている現実を思うとき、わたしたちは無力感に沈み込んでしまいそうになります。

けれども今こそ、平和の実現を「主の口が語られた」ことを思い起こしましょう。「脅かすものは何もない」世界の実現を目指して歩むことがわたしたちの道です。

「戦争放棄」と「基本的人権の尊重」を宣言する日本国憲法の中に、ミカが伝えた主の言葉が響いています。

日ごとの聖句1162 天からのパン 2024/8/4〜10

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2024年8月4日(日)聖霊降臨後第11主日    出エジプト記 16:4
主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。」

8月5日(月)               出エジプト記 16:14
この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。

8月6日(火)主イエス変容の日       出エジプト記 16:15
モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。」

8月7日(水)           ヨハネによる福音書 6:32-33
イエスは言われた。「わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降(くだ)って来て、世に命を与えるものである。」

8月8日(木)             ヨハネによる福音書 6:35
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

8月9日(金)             ヨハネによる福音書 6:38
「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。」

8月10日(土)            マルコによる福音書 14:22
イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」

(新共同訳)

(ひとこと)
イエスは「わたしが命のパンである」(ヨハネ6:35)と言って、ご自身をわたしたちに差し出されます。

「わたしが」。この主語が、ギリシア語原文ではとても強調されています。ほかのだれでもない「わたし」イエスが、そうなのだと。

この世界にはおびただしい声が溢れています。聖書に限っても、実にさまざまな声が渦巻くように感じられて、時には混乱してしまうことがあります。しかし中心は、「わたしが」と言われるイエスです。イエスの声を聞きましょう。

「命のパンである」。イエスはご自身を「命のパン」としてわたしたちに向かって差し出されます。わたしたちが、それによって生きていくことのできる(それなしには生きていくことができない)パンです。それを食べてこそ、命が保たれるばかりではなく、命が充溢します。

「命のパン」。ひとつは、それはイエスの声、イエスの言葉です。「安心せよ。わたしだ」(マルコ6:50)。このイエスの声が命となってわたしたちを支え救います。

「命のパン」。もうひとつは、聖餐のパンです。聖餐のパンは、物質という形をとおして、わたしの中に入り、わたしの命となるのです。イエスの愛がわたしの心に、そして全身に浸透していきます。
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