Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2025年01月

日ごとの聖句1188 シメオンとアンナ 2025/2/2〜8

St. Anna




 アンナ(レンブラント画)

2025年2月2日(日)被献日        ルカによる福音書 2:22
さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。

2月3日(月)              ルカによる福音書 2:25
シメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。

2月4日(火)              ルカによる福音書 2:27
シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のためにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。

2月5日(水)            ルカによる福音書 2:28-29
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたはお言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。」

2月6日(木)              ルカによる福音書 2:36
また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていた。若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らした。

2月7日(金)              ルカによる福音書 2:37
アンナは夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた。

2月8日(土)              ルカによる福音書 2:38
彼女はそのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

(新共同訳)

(ひとこと)
「彼女は神殿を離れず」(ルカ2:37)とあります。夫を失って以降アンナは、深い悲しみと労苦を経験しつつ、どんなことがあっても神から離れず、神にすがって生きてきたのでしょう。

アンナはそうした中で、いつしか神の声を聞くようになりました。彼女はそれを、苦しみや悲しみを抱えた人々に伝えました。アンナをとおして神の声が聞こえる。それで彼女は預言者と呼ばれるようになったのです。

アンナは、この日、そのエルサレムの神殿で幼子イエスと出会いました。彼女の心に喜びが溢れ、神を賛美せずにはおれませんでした。そしてこの幼子のことを、救いを待ち望んでいる人々に話したのです。

日ごとの聖句1187 主の霊がわたしの上に 2025/1/26〜2/1

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2025年1月26日(日)顕現後第3主日    ルカによる福音書 4:14
イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。

1月27日(月)             ルカによる福音書 4:16
イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。

1月28日(火)             ルカによる福音書 4:17
預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

1月29日(水)             ルカによる福音書 4:18
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。」

1月30日(木)            ルカによる福音書 4:18-19
「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」

1月31日(金)             ルカによる福音書 4:20
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。

2月1日(土)              ルカによる福音書 4:21
そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

(新共同訳)

(ひとこと)
今回の箇所は、ルカ福音書によれば、イエスの伝道の開始の場面です。

ここでイエスについて「“霊”の力に満ちて」(4:14)と記され、またナザレの会堂礼拝においてイエスは「主の霊がわたしの上におられる」(4:18)というイザヤ書の言葉をご自分のこととして朗読されたことが印象的です。

イエスは「主の霊」によって生かされ、動かされて、その働きをなさったのでした。

イエスはわたしたちにも同じ霊を注ぎ、ご自身の働きの中にわたしたちを加えてくださいます。
それが現実となるために、わたしたちは「主の霊」「聖霊」についてもっと知り、それを求めて祈ることを日常の営みとしたいと願います。

日ごとの聖句1186 御手の中で 2025/1/19〜25

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2025年1月19日(日)顕現後第2主日     イザヤ書 62:1
シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず、エルサレムのために、わたしは決して黙さない。

1月20日(月)                 イザヤ書 62:1
わたしは決して黙さない。彼女の正しさが光と輝き出で、彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。

1月21日(火)                 イザヤ書 62:2
諸国の民はあなたの正しさを見、王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。主の口が定めた新しい名をもって、あなたは呼ばれるであろう。

1月22日(水)                 イザヤ書 62:3
あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり、あなたの神の御手の中で王冠となる。

1月23日(木)                 イザヤ書 62:5
若者がおとめをめとるように、あなたを再建される方があなたをめとり、花婿が花嫁を喜びとするように、あなたの神はあなたを喜びとされる。

1月24日(金)                 イザヤ書 62:6
エルサレムよ、あなたの城壁の上に、わたしは見張りを置く。昼も夜も決して黙してはならない。

1月25日(土)使徒聖パウロ回心日       イザヤ書 62:6-7
主に思い起こしていただく役目の者よ、決して沈黙してはならない。
また、主の沈黙を招いてはならない。

(新共同訳)

(ひとこと)
「主の御手」(イザヤ62:3)という言葉は、イエスの手によって起こされた12歳の少女のことを思い起こさせます。

会堂長ヤイロがイエスの前に伏して、重病の娘に手を置いてほしいと願いました。
イエスは出かけ、手を伸ばして少女の手を取り、「タリタ、クム」(少女よ、起きなさい)と言われました。すると少女は起き上がり、元気になったのです(マルコ5:42)。

主イエスの御手の中で少女は命を取り戻し、光を放ちます。

わたしたちもイエスの御手に支えられ包まれて、その御手の中で光を放つ者となるのです。

日ごとの聖句1185 わたしの霊 2025/1/12〜18

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2025年1月12日(日)顕現後第1主日・主イエス洗礼の日
                  ルカによる福音書 3:21-22
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。

1月13日(月)                 イザヤ書42:1
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。

1月14日(火)                イザヤ書 42:2-3
彼は叫ばず、傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。

1月15日(水)                 イザヤ書 42:5
神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。

1月16日(木)                 イザヤ書 42:6
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光としてあなたを形づくり、あなたを立てた。

1月17日(金)                 イザヤ書 42:7
見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために。

1月18日(土)                 イザヤ書 42:9
見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前に、わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。

(新共同訳)

(ひとこと)
イエスが民衆とともに洗礼を受けられたとき、聖霊がイエスの上に降りました。
それは、イザヤ書第42章に記されたように、遠い昔、預言者が見たあの姿──主の僕が神の霊を受ける──そのものでした。

イエスは聖霊を受けた神の僕として、弱った者をいたわりつつ、救いと解放の業をなしていかれます。その働きは、一人ひとりを大切にするものであるとともに、この世の悪をあらわにし、それに抗するものでした。

わたしたちも同じ聖霊を受けて、イエスとともに神の僕として歩むようにと召されています。

日ごとの聖句1184 とこしえの愛 2025/1/5〜11

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 上野聖ヨハネ教会礼拝堂の十字架

2025年1月5日(日)降誕後第2主日       エレミヤ書 31:3
遠くから、主はわたしに現れた。「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。」

1月6日(月)顕現日              エレミヤ書 31:4
おとめイスラエルよ、再び、わたしはあなたを固く建てる。再び、あなたは太鼓をかかえ、楽を奏する人々と共に踊り出る。

1月7日(火)                 エレミヤ書 31:8
わたしは彼らを地の果てから呼び集める。その中には目の見えない人も、歩けない人も、身ごもっている女も、臨月の女も共にいる。

1月8日(水)                 エレミヤ書 31:9
彼らは泣きながら帰って来る。わたしは彼らを慰めながら導き、流れに沿って行かせる。

1月9日(木)                エレミヤ書 31:16
主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。

1月10日(金)                エレミヤ書 31:23
人々は、再びこの言葉を言うであろう。「正義の住まうところ、聖所の山よ、主があなたを祝福されるように。」

1月11日(土)               エ レミヤ書 31:33
来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

(新共同訳)

(ひとこと)
エレミヤ書第31章は「新しい契約」の預言が記されている(31節)非常に重要な箇所です。旧約聖書の中で新約のイエス・キリストを指し示す代表的な箇所の一つとされます。

けれどもわたしは個人的には、3節の言葉によって支えられた大切な記憶があります。もう50年近くも前の神学生のとき、神を見失って闇の中にいたわたしは、ある日、この言葉に出会いました。

「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している」(口語訳)。

実感はありませんでした。けれどもわたしが悲観的否定的につぶやくたびにこの言葉が返ってきました。100回つぶやけば100回この言葉が返ってくる。これによってわたしは不思議に支えられたのです。

この31章は、全体が深い慰めに満ちており、そして「正義の住まうところ」へとわたしたちの目を向けさせます。
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