司馬遼太郎の『坂の上の雲』が評判である。昨日(10月21日)の新聞に大きな広告が載っていたので書店に行って購入した。『文藝春秋「坂の上の雲」 日本人の奇跡』(12月臨時増刊号)。「世界が驚愕した偉大なる日本人」「10人のリーダー『決断の極意』」「私の中の『坂の上の雲』」などの見出しが躍っている。

 ふと横を見ると『週刊 司馬遼太郎6 「坂の上の雲」の世界【青春編】』というのが積んである。「日本人の美しい心を再発見してほしい」「『坂の上の雲』が描いた凛とした日本人の精神」……。頁をくっていると、「これまで『坂の上の雲』は単行本と文庫本を合わせると累計1800万部以上出版されている『国民小説』である」という言葉が目に飛び込んできた。『坂の上の雲』は昨年、今年、来年と、3年にわたってNHKスペシャルドラマとして放映されるという。

 日本聖公会京都教区では有志で「韓国訪問分ち合いの会」というのを3ヵ月に1回程度続けているが、前回の9月16日、京都復活教会信徒の松本明さんに「司馬遼太郎の『坂の上の雲』見られる日本優越史観を問う」という題でお話しいただいた。松本さんのお話の一部をご紹介したい。

○これは「少年の国=日本」がひたすら「坂の上の雲」を目指し、「満州」の支配を目論んだ「世界一の陸軍国」ロシアを破り、世界の「一等国」に仲間入りした「明るい明治」の一大イベントとして描く。日露戦争はロシアの侵略を打ち砕いた「祖国防衛戦争」とする史観に貫かれている。

○今年、2010年は「日韓併合」から100年に当たる。1905年日露戦争に勝利を収めた日本は、同年11月に「第2次日韓議定書」を締結し、当時の「大韓帝国」の外交権を奪い、日本の保護国とし、「韓国統監府」を漢城(現ソウル)に置いた。

○日清・日露両戦争とも主たる戦場は、朝鮮であり、「満州」でありました。つまり、司馬遼太郎の目には踏みつけにされた朝鮮・中国民衆への苦しみが写っていません。

○日本は明治維新以来、1910年の「日韓併合」に至るまで、自国の「利益線」として朝鮮を我が物にしようと狙っていました。司馬遼太郎氏が描く「明るい明治」は朝鮮人にとっては「悪夢の時代」です。

 松本さんのご指摘に従って私も文庫本『坂の上の雲』を開いて見た。このように書かれている。

「日本は維新によって自立の道を選んでしまった以上、すでにそのときから他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立をたもたねばならなかった。」

「日本は、その歴史的段階として朝鮮を固執しなければならない。もしこれをすてれば、朝鮮どころか日本そのものもロシアに併呑されてしまうおそれがある。この時代の国家自立の本質とは、こういうものであった。」

 このような断定的な言い方によって多くの日本人は説得され、共感してしまうかもしれない。しかし司馬氏に決定的に欠落しているのは、松本さんが言われるように踏みつけにされた側の視点である。「他国(朝鮮)の迷惑の上においておのれの国の自立を」と言うが、「迷惑」を受ける側は受けても仕方がない程度にしか見られておらず、尊厳ある固有の主体的存在とは認識されていない。

 司馬遼太郎は大阪外国語大学の出身であり、私の先輩に当たる。しばらく前、大阪外大(現在は大阪大学外国語学部)の同窓会誌「咲耶」が送られてきた。開くと、6月に行われた大阪大学司馬遼太郎記念学術講演会「近代日本の原風景」のことが記されていたが、その報告は「文と武がほどよく調和していた明治期の話題で盛り上がった」と締めくくられていて、どこにも日本が強いた隣人、隣国の痛みなどは顧みられていない。「外国語」を冠した大学として恥ずかしいことである。

 司馬氏はその後、在日韓国・朝鮮人との交友の中で歴史認識を変えていったとも言われ、またミリタリズムが鼓舞されるのを恐れて『坂の上の雲』の映像化を固く断っていたと伝えられる。この時期に『坂の上の雲』がもてはやされるのは大変危険なことである。

「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り、脅かすものは何もないと、万軍の主の口が語られた。」ミカ4:4

 「坂の上の雲」に自国の栄光を求めて隣人を踏みつけてきた日本の歴史を反省し、「ぶどうの木の下、いちじくの木の下」に、脅かさず、脅かされない平和の世界を祈り求めたい。「あなたたちは互いに呼びかけて、ぶどうといちじくの木陰に招き合う」(ゼカリヤ3:10)と主が言われた日の実現に向けて私たちは努力したい。

<中塚明『司馬遼太郎の歴史観──その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』高文研、は大変有益です。>