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マルコ5:22−24、35−43

2018年7月1日・聖霊降臨後第6主日
奈良基督教会での説教

 カファルナウムの会堂長のひとり、ヤイロという人がイエスのもとに来て、ひれ伏して懇願しました。
 「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」マルコ5:23

 「手を置いてやって」とは、手を置いて祈ってほしいのです。イエスさまだけが頼りです。「わたしの幼い娘が」と言っていますが、後で分かるのですが、その子は12歳です。「幼い娘」というと3歳から5歳くらいをイメージしてしまうかもしれません。けれどもこの父親ヤイロにとっては、自分の娘はいつまでもかわいい。幼い頃にその子を呼んでいた愛称があったとすれば、もう大きくなってその愛称は直接使えなくなったとしても、心の中では繰り返しその愛称で呼ぶのです。まして今、この子は命が危ない。「わたしの幼い娘が」という言葉はヤイロの気持ちそのものです。
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全文 → タリタ・クム ──手を取ってくださるイエス