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2018年11月25日・降臨節前主日
 (日本聖公会京都教区ホームページ・メッセージ)

 わたしはアルファであり、オメガである

        ヨハネの黙示録1:1−8

 教会の暦の最後の主日にあたる今日、降臨節前主日の使徒書には、聖書の最後の書物である「ヨハネの黙示録」の中の言葉が選ばれています。「ヨハネの黙示録」は1世紀の終わり頃、ローマ帝国の迫害の中にあって書かれた一種の秘密文書です。それとは名指ししていないのですが、ローマ皇帝を神として礼拝することを強制する恐ろしい力に抗して、キリスト者が信仰と勇気をもって生き抜くように励ます書物です。

 その序文の中にこのように記されています。
「神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。『わたしはアルファであり、オメガである。』」1:8

 「アルファ」はギリシア語アルファベットの最初の文字、「オメガ」はその最後の文字です。神さまがご自身を指して「アルファ」(最初)であると言い、また「オメガ」(最後)であると言われるのはどういうことでしょうか。

 この後、黙示録を書き記したとされる教会の指導者のひとり、長老ヨハネが不思議な体験をする場面に移っていきます。当時彼は、捕らえられてパトモスという地中海の島に閉じ込められていました。迫害にさらされている人々のことを思って彼の心はうずき、彼自身も苦しみつつ祈っていたある主日(日曜日)のこと、彼は肉体は地上にありながら霊において天に引き上げられ、天上でささげられている聖なる礼拝を目撃するのです。

 こうしてヨハネの黙示録は、神による悪への厳しい審判の連続を示した後に、新しい天と新しい地のビジョンを示します。そのとき、ヨハネは再び神の声を聞きます。

「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。」21:6-7

 そしてヨハネは、美しい平和の世界を示されます。

「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。 川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。」22:1-3

 最後の22章に至ってあの同じ言葉が3度目に響きます。

「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」22:13

 これを言われるのは救い主イエス・キリストです。

 「わたしはアルファ」「わたしは最初の者」というのは、神が、キリストが世界の最初に立っておられることの宣言です。天地創造の初め、人類の創造の初め、そして私たちの人生の初めに神が、キリストがおられて、世界の、また私たちの人生の出発をさせてくださったのです。言い換えれば、キリストは私たちの先頭に立って私たちを導いてくださる方なのです。

 そして「わたしはオメガ」「わたしは最後の者」。これはキリストが私たちの歩みの最後を守ってくださるということです。しんがり(殿)という言葉があります。これは昔の歴史書や文学によく出てくる言葉ですが、軍が撤退しようとするとき、その最後を守るのが「しんがり」です。敵は撤退していく軍に襲いかかります。「しんがり」は最も危険で責任のある、多くの犠牲をともなう役割です。キリストは私たちを一人も落伍させないように、しんがりとなって、最後の者、オメガとなって私たちの後ろを、深く傷つきつつも守り支えてくださるのです。

 私たちの人生の始まりにも終わりにもイエス・キリストがおられ、また1年の初めにも終わりにもイエス・キリストがおられます。教会の暦の1年の終わりにあたって、キリストの守りと恵みを心に留め、新しい1年をキリストに従いまた導きを信じつつ始める。これが信仰者に与えられる慰めであり励ましです。