
祈祷書 1549
2022年3月27日(日)大斎節第4主日
コリント二 5:17
誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。
3月28日(月) ローマ 6:11
あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きている者だと考えなさい。
3月29日(火) ローマ 12:5
私たちも数は多いが、キリストにあって一つの体であり、一人一人が互いに部分なのです。
3月30日(水) コリント一 15:22
アダムにあってすべての人が死ぬことになったように、キリストにあってすべての人が生かされることになるのです。
3月31日(木) フィリピ 4:1
私が愛し、慕っているきょうだいたち、私の喜びであり、冠である愛する人たち、このように、主にあってしっかりと立ちなさい。
4月1日(金) エフェソ 3:12
キリストにあって、私たちは、キリストの真実により、確信をもって、堂々と神に近づくことができます。
4月2日(土) 黙示録 14:13
私は、天からこう告げる声を聞いた。「書き記せ。『今から後、主にあって死ぬ人は幸いである。』」霊も言う。「然(しか)り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。」
(聖書協会共同訳)
【ひとこと】
聖書協会共同訳の「キリストにある」「キリストにあっては」、新共同訳では多くの場合「キリストに結ばれる」「キリストに結ばれて」と訳されていました。ギリシア語原文には「結ばれる」にあたる動詞はなく、「エン・クリストー」(in Christ)という言葉です。
「キリストにあって」──これはイエス・キリストとわたしたちの一体性、深い交わりと結びつきを表します。わたしたちがキリストの中におり、キリストがわたしたちの中におられるとは、何と慰めに満ちた、力強いことでしょうか。