
2023年3月19日(日)大斎節第4主日
ヨハネによる福音書 9:1
さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
3月20日(月)聖ヨセフ日
ヨハネによる福音書 9:2
弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。」
3月21日(火) ヨハネによる福音書 9:3
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」
3月22日(水) ヨハネによる福音書 9:7
イエスは「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。
3月23日(木) ヨハネによる福音書 9:35
イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。
3月24日(金) ヨハネによる福音書 9:36
彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」
3月25日(土)聖マリヤへのみ告げの日
ヨハネによる福音書9:37-39
イエスは言われた。「あなたと話しているのが、その人だ。」
彼は「主よ、信じます」と言って、ひざまずいた。
(新共同訳)
(ひとこと)
「人の病気や障害、不幸は本人か親、先祖の罪のせいである」──こういう考えをイエスは断乎として否定されました。「因果応報」は、人に不当な苦しみを加える悪しき思想です。
この人の抱えた「目が見えない」という困難をとおしてこそ神の業が現れる、と、イエスは将来に向けて希望の道を開かれます。
イエスとの出会いによって目が見えるようになったこの人は、迫害をとおして、イエスとの祝福に満ちた出会いに導かれました。