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 京都聖三一教会の聖卓


2024年4月14日(日)復活節第3主日    ルカによる福音書 24:29
二人が、「もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。

4月15日(月)             ルカによる福音書 24:30
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。

4月16日(火)             ルカによる福音書 24:31
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

4月17日(水)             ルカによる福音書 24:32
二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。

4月18日(木)                使徒言行録 2:42
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

4月19日(金)               使徒言行録 2:46-47
信者たちは家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。

4月20日(土)                使徒言行録 20:11
パウロはまた上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。

(新共同訳)

(ひとこと)
日本聖公会で用いる復活節第3主日の特祷は「神よ、祝福されたみ子は、パンを裂くみ姿のうちに、ご自身を弟子たちに示されました」という言葉で始まっています。そこで今週は、復活のイエスがエマオの弟子たちの家でパンを裂かれた箇所を中心に選びました。

イエスの姿が見えなくなったとき、二人の弟子たちはこう語り合います。
「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」

この言葉を読んだとき、わたしのおなかあたりが温かくなり、不思議な喜びが起こりました。その温かいもの、熱いものは何日経っても消えず、ますますはっきりしたものになりました。復活のイエスがわたしにご自身を示してくださった! 長い精神的彷徨の果て、今から52年前、わたしの原点となった出来事です。

ある学者はこのように言います。「イエスの意味を熟考した結果、弟子たちの心にはイエスが『蘇った』のである」。
しかしこれでは、「イエスの主体性と働き」は消し去られ、復活の力とリアリティは覆われてしまいます。

わたしたちを生かすために十字架に死んで復活された方の存在と愛に出会うことが、わたしたちの願いです。