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2024年6月23日(日)聖霊降臨後第5主日 
        コリントの信徒への手紙二 5:13
わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。

6月24日(月)洗礼者聖ヨハネ誕生日
        コリントの信徒への手紙二 5:14
なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。

6月25日(火)         コリントの信徒への手紙二 5:14
わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。

6月26日(水)         コリントの信徒への手紙二 5:15
その一人の方はすべての人のために死んでくださった。

6月27日(木)         コリントの信徒への手紙二 5:15
その目的は、生きている人たちが、もはや自分によって生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方によって生きることなのです。

6月28日(金)         コリントの信徒への手紙二 5:17
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。

6月29日(土)使徒聖ペテロ・使徒聖パウロ日
                コリントの信徒への手紙二 5:17
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。

(新共同訳、一部変更)

(ひとこと)
「わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであった……」
このパウロの言葉を読むと、思い出すことがあります。

大学生時代の後半、いつも持ち歩いていたデンマークの思想家、キルケゴールの『死に至る病』の1節です。

「信ずるというのは実に神を獲得するために、正気を失うことにほかならない」。

この言葉にわたしは打ちのめされました。自分がいかに信仰がないかを思い知らされたのです。と同時にキリスト教には、自分がまだ知らないものすごいものがあると感じました。

神によって平安を与えられる。これは大切にしたいことです。けれどもまた、正気を失うほどの神への渇望、キリストの愛に駆り立てられる情熱を経験する者でありたいと思います。

なお(木)の15節は、解釈により、新共同訳の「自分自身のために」を「自分によって」、「……方のために」「を「……方によって」と変更を加えています。