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2024年8月4日(日)聖霊降臨後第11主日    出エジプト記 16:4
主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日必要な分だけ集める。」

8月5日(月)               出エジプト記 16:14
この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。

8月6日(火)主イエス変容の日       出エジプト記 16:15
モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。」

8月7日(水)           ヨハネによる福音書 6:32-33
イエスは言われた。「わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降(くだ)って来て、世に命を与えるものである。」

8月8日(木)             ヨハネによる福音書 6:35
「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」

8月9日(金)             ヨハネによる福音書 6:38
「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。」

8月10日(土)            マルコによる福音書 14:22
イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」

(新共同訳)

(ひとこと)
イエスは「わたしが命のパンである」(ヨハネ6:35)と言って、ご自身をわたしたちに差し出されます。

「わたしが」。この主語が、ギリシア語原文ではとても強調されています。ほかのだれでもない「わたし」イエスが、そうなのだと。

この世界にはおびただしい声が溢れています。聖書に限っても、実にさまざまな声が渦巻くように感じられて、時には混乱してしまうことがあります。しかし中心は、「わたしが」と言われるイエスです。イエスの声を聞きましょう。

「命のパンである」。イエスはご自身を「命のパン」としてわたしたちに向かって差し出されます。わたしたちが、それによって生きていくことのできる(それなしには生きていくことができない)パンです。それを食べてこそ、命が保たれるばかりではなく、命が充溢します。

「命のパン」。ひとつは、それはイエスの声、イエスの言葉です。「安心せよ。わたしだ」(マルコ6:50)。このイエスの声が命となってわたしたちを支え救います。

「命のパン」。もうひとつは、聖餐のパンです。聖餐のパンは、物質という形をとおして、わたしの中に入り、わたしの命となるのです。イエスの愛がわたしの心に、そして全身に浸透していきます。