2025年1月12日(日)顕現後第1主日・主イエス洗礼の日
ルカによる福音書 3:21-22
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。
1月13日(月) イザヤ書42:1
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。
1月14日(火) イザヤ書 42:2-3
彼は叫ばず、傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。
1月15日(水) イザヤ書 42:5
神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。
1月16日(木) イザヤ書 42:6
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光としてあなたを形づくり、あなたを立てた。
1月17日(金) イザヤ書 42:7
見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すために。
1月18日(土) イザヤ書 42:9
見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前に、わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。
(新共同訳)
(ひとこと)
イエスが民衆とともに洗礼を受けられたとき、聖霊がイエスの上に降りました。
それは、イザヤ書第42章に記されたように、遠い昔、預言者が見たあの姿──主の僕が神の霊を受ける──そのものでした。
イエスは聖霊を受けた神の僕として、弱った者をいたわりつつ、救いと解放の業をなしていかれます。その働きは、一人ひとりを大切にするものであるとともに、この世の悪をあらわにし、それに抗するものでした。
わたしたちも同じ聖霊を受けて、イエスとともに神の僕として歩むようにと召されています。