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2025年3月30日(日)大斎節第4主日          詩編 32:1
いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。

3月31日(月)                   詩編 32:2
いかに幸いなことでしょう
主に咎(とが)を数えられず、心に欺きのない人は。

4月1日(火)                    詩編 32:3
わたしは黙し続けて
絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。

4月2日(水)                    詩編 32:4
御手は昼も夜もわたしの上に重く
わたしの力は、夏の日照りにあって衰え果てました。

4月3日(木)                    詩編 32:5
わたしは罪をあなたに示し、咎を隠しませんでした。
わたしは言いました、「主にわたしの背きを告白しよう」と。

4月4日(金)                    詩編 32:5
そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを
赦してくださいました。

4月5日(土)                    詩編 32:8
わたしはあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう。
あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。

(新共同訳)

(ひとこと)
この詩編第32編には個人的な記憶があります。

もう40年も前のことです。韓国の教会との交流を重ねる中で、日本の教会のしてきたかつての戦争協力、植民地支配協力の過ちが、自分にのしかかってきました。

ある仕事で仙台に行ったとき、その重荷が自分を押しつぶすほどに耐えがたく、聖書に助けを求めました。そのとき、この詩編32編の「罪の告白」を自分のことと感じたのです。自分はこの課題から逃れられないと思いました。

それからおよそ10年して、日本聖公会は総会において「戦争責任の告白」を表明しました。

個人においても、共同体や集団においても、罪の告白から新しい出発が与えられます。神の恵みがわたしたちに迫り、「告白」をとおしてわたしたちを解放します。