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2025年4月13日(日)復活前主日           詩編 22:1
わたしの神、わたしの神、どうしてわたしを見捨てられるのですか‖ どうして遠く離れて助けようとはせず、わたしの叫びを聞こうとされないのですか

4月14日(月)復活前月曜日             詩編 22:2
神よ、昼、わたしが叫んでもあなたはこたえられず‖ 夜、叫んでも心は安らぐことはない

4月15日(火)復活前火曜日             詩編 22:4
わたしたちの先祖はあなたを信じ‖ あなたは彼らを救われた

4月16日(水)復活前水曜日             詩編 22:7
わたしを見る者はみな笑い‖ わたしをあざけって言う

4月17日(木)聖木曜日               詩編 22:8
「彼は主を頼みとした。神が救いに来ればよい‖ 神が彼に心を掛けているのなら、救い出せばよい」

4月18日(金)聖金曜日(受苦日)          詩編 22:9
あなたは母の胎からわたしを取り出し‖ その乳房でわたしを育てられた

4月19日(土)聖土曜日               詩編 22:10
この世に生を受けたときからわたしはあなたのもの‖ 母の胎にいたときから、あなたはわたしの神

(日本聖公会祈祷書の詩編から)

(ひとこと)
イエスは十字架の上で「わたしの神、わたしの神、どうしてわたしを見捨てられたのですか」と叫ばれました。これは詩編第22編の冒頭の言葉です。苦しみの極みの中で、イエスのうちに蓄えられている詩編の言葉がご自分の祈りとして噴出したのでしょうか。

イエスが活動を始められる前、40日40夜の断食をして弱り果てた時、サタンの誘惑を受けられました。その時、誘惑を退けたのはイエスのうちに宿っていた聖書の言葉でした。イエスの公生涯の初めと終わりは、このように大切な共通点があります。

イエスは苦しみと絶望の中から「わたしの神」を叫び求めて神を離さず、それによってわたしたちのために「わたしの神」を獲得してくださいました。

「わたしはあなたのもの」「あなたはわたしの神」(詩編22:10)は昔の詩人の祈りにとどまりません。イエスの十字架によって、それは確実にわたしたち自身にとっての事実、またわたしたちの祈りとなったのです。