
2025年10月26日(日)聖霊降臨後第20主日 詩編 30:11
主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。
10月27日(月) イザヤ書 33:2
主よ、我らを憐れんでください。我々はあなたを待ち望みます。朝ごとに我らの腕となり、苦難のとき、我らの救いとなってください。
10月28日(火)使徒聖シモン・使徒聖ユダ日 ヨエル書 2:17
祭司は神殿の入り口と祭壇の間で泣き、主に仕える者は言うがよい。「主よ、あなたの民を憐れんでください。」
10月29日(水) バルク書 3:2
主よ、お聞きください。憐れんでください。わたしたちはあなたに対して罪を犯しました。
10月30日(木) ルカによる福音書 18:13
徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人のわたしを憐れんでください。」
10月31日(金) ルカによる福音書 18:38
彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。
11月1日(土)諸聖徒日 テモテへの手紙二 1:16-17
どうか、主がオネシフォロの家族を憐れんでくださいますように。彼は、わたしをしばしば励まし、ローマに着くとわたしを熱心に探し、見つけ出してくれたのです。
(新共同訳)
(ひとこと)
「主よ、憐れんでください」は聖書を貫く痛切な祈りです。自分の心から、はらわたからの、全身全霊の嘆きの訴えです。
イエスは「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(マタイ9:36)。人々の苦しみと悲しみのゆえに、イエスのはらわたは圧迫されてもだえ苦しみ、そこから愛と憐れみが溢れ出ました。
日本聖公会の聖餐式文はこの「主よ、憐れんでください」(キリエ・エレイソン)を長く保ってきました。ここには、世界の、また自分自身の痛切な祈りがこめられているはずです。
ところが今、祈祷書改正において、その「憐れみ」が「いつくしみ」に変えようとされています。
「いつくしみ」自体は大切な言葉ですが、「憐れみ」の持つ情感、涙と汗と血からの祈りの切実さが薄められてしまうのではないでしょうか。
