IMG_1719(1)

2025年11月9日(日)聖霊降臨後第22主日      ヨブ記 19:21
憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ。神の手がわたしに触れたのだ。あなたたちはわたしの友ではないか。

11月10日(月)                 ヨブ記 19:22
なぜ、あなたたちまで神と一緒になって、わたしを追い詰めるのか。肉を打つだけでは足りないのか。

11月11日(火)                 ヨブ記 19:23
どうか、わたしの言葉が書き留められるように。碑文として刻まれるように。

11月12日(水)                 ヨブ記 19:24
たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され、いつまでも残るように。

11月13日(木)                 ヨブ記 19:25
わたしは知っている。わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。

11月14日(金)                 ヨブ記 19:26
この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう。

11月15日(土)                 ヨブ記 19:27
このわたしが仰ぎ見る。ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。

(新共同訳)

(ひとこと)
ヨブは、突然自分に襲いかかった苦難と悲惨の中から、神を叫び求めました。
自分を不当に苦しめる神、沈黙して答えない神に、なお訴え続けました。

そして言います。「わたしを贖う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう。」

ただ「わたしを救う方」と言わず、「わたしを贖う方」。わたしの傷も病も、血も涙も引き受けて、自らを投げ出して傷つき血を流すほどの方でなくては、わたしを救うことはできない。その方は必ず生きておられて、必ず地上に、わたしの前に立たれる。

イエス・キリストはそのような方としておいでになりました。
それですから、わたしたちはこの方のことを「救い主」と呼ぶだけではなく、「贖い主」(日本聖公会祈祷書280頁)と呼ぶのです。