
2026年2月22日(日)大斎節第1主日 マタイによる福音書 4:1-2
イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
2月23日(月) マタイによる福音書 4:3
すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
2月24日(火)使徒聖マッテヤ日 マタイによる福音書 4:4
イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
2月25日(水) マタイによる福音書 6:13
こう祈りなさい。「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」
2月26日(木) マタイによる福音書 26:41
イエスは言われた。「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」
2月27日(金) ガラテヤの信徒への手紙 6:1
万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったなら、“霊”に導かれて生きているあなたがたは、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。
2月28日(土) ガラテヤの信徒への手紙 6:1-2
あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい。
(新共同訳)
(ひとこと)
イエスは洗礼において「神の霊」を受けられました(マタイ3:22)。その霊は生涯、イエスの導きまた力となりました。イエスの死の場面で「息を引き取る」(マタイ27:50)と訳されたところは、原語では「霊を去らせる」となっているのが印象的です。
ところで洗礼に続く荒野の40日の誘惑の記事には、「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた」と記されています。神の霊がイエスを誘惑の場所に導いたというのです。
誘惑における恐ろしさは、神の存在が感じられなくなること、神が沈黙し、ただ誘惑する悪魔のささやきのみが聞こえることです。まったく無力にされた状態の中で、悪魔の正面からの、また背後からの攻撃にさらされる。これが誘惑です。
イエスは3度にわたる悪魔の攻撃を退けられるのですが、それは自分の力によるものではなく、いずれも「(聖書に)こう書かれている」という反撃によってでした。言い換えれば、聖書の言葉が、イエスを守り支え、誘惑を克服させたのです。
誘惑のとき、神はイエスを見捨てておられるかに見えました。しかし実は、神の霊が聖書の言葉を通して働いたのではないでしょうか。
荒野の40日の苦しみを経て、イエスは「“霊”の力に満ちて」ガリラヤに帰られました(ルカ4:14)。
