Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

文学・詩

風が吹いて【尹東柱の詩 5】

강가 바람


風が吹いて

風がどこから吹いてきて
どこへ吹かれていくのか。

風が吹いているが
わたしの苦しみには理由がない。

わたしの苦しみには理由がないのか。

ただひとりの女を愛したこともない。
時代を悲しんだこともない。

風がしきりに吹いているが
わたしの足は岩の上に立っている。

川の水が絶え間なく流れているが
わたしの足は丘の上に立っている。



바람이 불어


바람이 어디로부터 불어와
어디로 불려 가는 것일까,

바람이 부는데
내 괴로움에는 理由가 없다.

내 괴로움에는 理由가 없을까.

단 한 女子를 사랑한 일도 없다.
時代를 슬퍼한 일도 없다.

바람이 자꼬 부는데
내 발이 반석 우에 섰다.

강물이 자꼬 흐르는데
내 발이 언덕 우에 섰다.
 1941.6.2

(韓国語本文は『天と風と星と詩』初版(1948)による。)
理由なく苦しんでいるような自分がいます。
時代を悲しまず、時代に責任を持って生きていないように感じる自分がいます。
けれども彼は問い直します。「わたしの苦しみには理由がないのか。」
むしろ彼は、時代の風にさらされつつ、時代に抗い、自分の使命に忠実に生きようと決意しています。
自分に対する不足感、不充足感を持ちつつ、しかし後半の4行で転換が起こります。彼は確固として岩(盤石)に立っているのです。
直訳すれば「(岩の上に、丘の上に)立った」なのですが、決意して立ち、現在しっかりと立ち続けているという印象を受けたので、「立っている」と訳してみました。
尹東柱、延禧専門学校4年、満23歳。
(訳・井田 泉)


弟の印象画【尹東柱の詩 4】

明東学校



 明東学校(最初の母校)


弟の印象画 
        
赤い額に 冷たい月が差し
弟の顔は 悲しい絵だ。

歩みを止め
そっと幼い手を握って
「お前は大きくなったら何になる」

「人になる」
弟の悲しい ほんとうに悲しい答だ。

そおっと 握っていた手を放し
弟の顔を もう一度見つめる。

冷たい月が 赤い額に濡れ、
弟の顔は 悲しい絵だ。


아우의 인상화


붉은 이마에 싸늘한 달이 서리어
아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.

발걸음을 멈추어
살그머니 애딘 손을 잡으며
“너는 자라 무엇이 되려니”

“사람이 되지”
아우의 설운 진정코 설운 대답이다.

슬며 ─ 시 잡았던 손을 놓고
아우의 얼굴을 다시 들여다본다.

싸늘한 달이 붉은 이마에 젖어,
아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.

  1938.9.15

 「悲しい」(3回)と感じるのは、弟を心から愛しているからでしょう。
 この詩を書いたとき、尹東柱は延禧専門学校の1年生で満20歳、弟の尹一柱(ユンイルジュ)は10歳でした。十も年が離れています。

 詩の日付は1938年9月15日となっています。この日付は重大です。というのは、その5日前の9月10日、朝鮮総督府の強要によって、朝鮮イエス教長老会[長老教会の正式名]総会は神社参拝決議をしたのです。総会が開かれたのは場所は平壤(ピョンヤン)西門外教会。尹東柱のその家族は長老教会の信徒です。家族の暮らす故郷は、行政的には朝鮮ではなく「満州国」間島省なのですが、教会としては朝鮮イエス教長老会東満老会[教区]龍井(ヨンジョン)中央教会に属していました。

 2年前、尹東柱は崇実(スンシル)中学校(平壤)の時代、当局の学校に対する神社参拝強要に抗議して自主退学したのでした。崇実中学校は長老教会に属する学校です。

 この詩を完成させた時点で、尹東柱が長老教会総会の神社参拝決議を知っていたかどうかはわかりません。しかし日本の圧政下にあって、それなりに「人になる」ようなどんな明るい未来がありうるのか。そういう思いが、弟の「人になる」という答えを聞いたときに湧き起こってきたのかもしれません。

新しい道【尹東柱の詩 3】

延禧の森

 延禧の森


新しい道 

川をわたって森へ
峠を越えて村へ

昨日も行き 今日も行く
わたしの道 新しい道

タンポポが咲き かささぎが飛び
娘が通り 風が起こり

わたしの道はいつも新しい道
今日も……明日も……

川をわたって森へ
峠を越えて村へ
        *
새로운 길

내를 건너서 숲으로
고개를 넘어서 마을로

어제도 가고 오늘도 갈
나의 길 새로운 길

민들레가 피고 까치가 날고
아가씨가 지나고 바람이 일고

나의 길은 언제나 새로운 길
오늘도…… 내일도……

내를 건너서 숲으로
고개를 넘어서 마을로

   1938.5.10
          *
希望に満ちた詩。

민들레가 피고 까치가 날고
ミンドゥルレガ ピゴ カッチガ ナルゴ
(タンポポが咲き かささぎが飛び)

아가씨가 지나고 바람이 일고
アガシガ チナゴ パラミ イルゴ
(娘が通り 風が起こり)

この原詩のリズムと響きが楽しく心地よい。
この「新しい道」は、「自画像」とともに彼の葬儀(1945年3月6日)で朗読されたという。
延禧専門学校に入学してしばらくの作。当時満20歳。

少年【尹東柱の詩 2】

IMG_7614


 少年

そこかしこ紅葉(もみじ)のような悲しい秋がはらはらと落ちる。紅葉が落ちてきたところごとに春を備えて、木の枝の上に空が広がっている。そっと空をのぞき見ようとすると、眉毛が青く染まる。両手で温かい頬を撫でてみると、手のひらも青く染まる。もう一度手のひらをのぞいて見る。手の筋には澄んだ川の水が流れ、澄んだ川の水が流れ、川の水の中にはいとしくも悲しい顔 ── 美しい順伊(スニ)の顔が映る。少年はうっとりと目を閉じてみる。なおも澄んだ川の水は流れ、いとしくも悲しい顔 ── 美しい順伊(スニ)の顔は映る。


 소년

여기저기서 단풍잎 같은 슬픈 가을이 뚝뚝 떨어진다. 단풍잎 떨어져 나온 자리마다 봄을 마련해 놓고 나뭇가지 우에 하늘이 펼쳐 있다. 가만히 하늘을 들여다보려면 눈썹에 파란 물감이 든다. 두 손으로 따뜻한 볼을 쓸어보면* 손바닥에도 파란 물감이 묻어난다. 다시 손바닥을 들여다본다. 손금에는 맑은 강물이 흐르고, 맑은 강물이 흐르고, 강물 속에는 사랑처럼 슬픈 얼굴 ── 아름다운 순이(順伊)의 얼굴이 어린다. 소년은 황홀히 눈을 감아 본다. 그래도 맑은 강물은 흘러 사랑처럼 슬픈 얼굴 ── 아름다운 순이(順伊)의 얼굴은 어린다.


※散文詩。木々の紅葉、空の青が印象的。青は顔を染める。「澄んだ川の水が流れ、澄んだ川の水が流れ」の繰り返しが美しい。手のひらに流れる澄んだ川の水の中に、いとしくも悲しいスニ(順伊)の顔が映る。

前回「雪 降る地図」と同じくスニ(順伊)が出て来る。初版の詩集(横書き、1948)では、見開きで左側に「少年」が、右側に「少年」が配されている。
1939年、尹東柱は延禧専門学校2年生、21歳。

雪 降る地図 【尹東柱の詩 1 】

IMG_7651 (2)


雪 降る地図

順伊(スニ)が発つという朝、言葉にできない心にぼたん雪が降り、悲しむかのように窓の外に果てしなく敷かれた地図の上を覆う。
部屋の中を見回してもだれもいない。壁と天井が真っ白だ。部屋の中まで雪が降るのだろうか、ほんとうにあなたはなくしてしまった歴史のようにふわふわ行くのか、発つ前に話しておくことがあったのを、手紙を書いてもあなたが行く所がわからず、どの街、どの村、どの屋根の下、あなたはわたしの心の中にだけ残っているのか、あなたの小さな足跡に雪がしきりに降りかかり、ついて行くこともできない。雪が溶ければ残った足跡の場所ごとに花が咲くだろうから、花の間に足跡を探してゆくなら、1年12か月いつもわたしの心には雪が降るだろう。

           *
눈 오는 지도

順伊가 떠난다는 아츰에 말못할 마음으로 함박눈이 나려, 슬픈것 처럼 窓밖에 아득히 깔린 地図 우에 덮인다.
房안을 돌아다 보아야 아무도 없다. 壁과 天井이 하얗다. 房안에까지 눈이 나리는 것일까, 정말 너는 잃어버린 歴史처럼 홀홀이 가는 것이냐, 떠나기前에 일러둘말이 있든것을 편지를 써서도 네가 가는 곳을 몰라 어느 거리, 어느 마을, 어느 지붕 밑, 너는 내 마음 속에만 남어 있는 것이냐, 네 쪼고만 발자욱을 눈이 작고 나려 덮여 따라갈수도 없다. 눈이 녹으면 남은 발자욱 자리마다 꽃이 피리니 꽃사이로 발자욱을 찾아 나서면 一年열두달 하냥 내 마음에는 눈이 나리리라.
1941.3.12

  (漢字・綴りは初版による。訳は井田)

※順伊(スニ)は詩人が心に深く愛する人なのでしょう。順伊が去って行き、自分はその足跡を追って行きたいのに、雪が降りしきって足跡を隠してしまい、後を追って行けないと歌います。
散文詩。改行は初めのほうの1カ所のみです。
尹東柱、満23歳。延禧専門学校3年の終わり頃の作です。

『杜甫全詩訳注』

杜甫全詩訳注一

(これは Facebook のほうに日記風に書いたものです。意外に反応が多かったこともあり、自分の文だけをここに載せておくことにしました。)

「杜甫は、詩の力で世界を変えることができると、天下の政治も社会の不義も詩の力で正すことができると信じた、おそらく中国の文学史上にただ一人の詩人だった──。」

『杜甫全詩訳注(一)』講談社学術文庫
の松原 朗氏の解説から。

──驚嘆した。ほんとうにそうだったのかはわからないが。
そうであれば、神の言葉の力について私たちはもっと信頼すべきであり、もっと熱心に取り組むべきだと感じた。

杜甫の生涯と精神が自分の中に流れ込んでくる気がする。

高校の頃から杜甫は自分に直接響いてくるので、ある種の危険を感じ、私とはまったく対照的な李白を愛してきたのですが、杜甫を傍らに置くべき時期に来たのかなあと思ったりします。

私の杜甫のイメージは「兵車行」「春望」「登高」が代表的です。
「登高」は杜甫の病を自分のうちに感じてしまうので危険なのです。

「登高」の「万里悲秋 常に客となり 百年多病 独り台に登る……」

長江の波が見え、猿の悲しい声が聞こえます。病んだ杜甫の苦しみが私の心と体の中に入ってきてしまう感じになります。単純と言うか、自分が苦しくなってしまうのです。
それで次から警戒するのですが、それでも大好きなので何度でも読んでしまいます。

曹操の詩「短歌行」

IMG_0318

IMG_0319


魏の曹操の詩「短歌行」

井波律子「曹操論」(『中国的レトリックの伝統』影書房、1987)によって詩人・曹操を知った。

この「短歌行」の中に、後の蘇軾(宋代の詩人・政治家)が「赤壁の賦」に引いた次の言葉があるのを発見。

月明星稀  月明らかに星稀に
烏鵲南飛  烏鵲(うじゃく=カラスとカササギ) 南に飛ぶ

井波氏によれば、曹操は当時の一般的な風潮や考え方に反して、天命とか神秘的なものを信じず、自分で道を切り開いて生きた人だという。

曹操はワルモノのイメージだが、不思議な魅力がある。

メーリケ 「九月の朝」

Septembermorgen


九月の朝

    メーリケ

霧の中になお世界は憩い、
なお夢見る、森と野原は。
やがてあなたは見る、もやが晴れるとき、
青い空をまごうことなく。
秋の力に、湿った世界が
あたたかな黄金の中に流れる。


ふと出会ったメーリケ(1804〜1875)の詩をほぼ直訳してみました。


ドイツ語の詩の朗読の例

「憲法と平和の福音」  リルケ「秋」

IMG_0425

以下をホームページに掲載しました。

講演「憲法と平和の福音」

リルケの詩「秋」の対訳

金素月(キム・ソウォル)詩抄

つつじ

尹東柱とともにわたしが愛してやまない朝鮮(韓国)の詩人、金素月の詩(試訳)をいくつかホームページに掲載しました。

関心のある方はどうぞご覧ください。

金素月(キム・ソウォル)詩抄

白川静の漢字論

最近、漢字学者として知られる白川静に関するものを2冊読んだ。

白川静・梅原猛『呪(じゅ)の思想──神と人間の間』平凡社ライブラリー、2011
松岡正剛『白川静──漢字の世界観』平凡社新書、2008

興味深く思ったのは、漢字が神と人との交流を現すものとして成立した、ということである。

「『風』とはただの自然現象ではなく、『霊』ですね。」

これは聖書の世界と共通している。

「賦」についての説明も興味深い。
「賦」とは自然などの美しい姿を歌い、歌うことによってその対象の持っている生命力を自分のものにする。歌う言葉の力によって対象との霊的な交通が起こり、病が治るという。

「遊」の字に関して──
「神のみが遊ぶことができた。……この神の世界に関わるとき、人もともに遊ぶことができた」
というのも大変面白い。

これに関連して松岡氏は「ユダヤ・キリスト教の神とはまったく異なる」と言われるが、私はそれは一面的に思える。

旧約聖書・箴言には次のような言葉がある。

「御もとにあって、わたし(知恵)は巧みな者となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し
人の子らと共に楽しむ。」8:30‐31


これは神と人がともに遊び楽しむ姿である。こういうところをキリスト教自身が回復すべきであると思う。

『弓と竪琴』

オクタビオ・パス『弓と竪琴』
 岩波文庫、2011

メキシコの詩人、批評家、外交官 1914〜1998

詩論。どうしようもないような難解な内容ですが、洪水のように溢れ出る言葉の中にはっとさせられるものがあります。

誤解や疑問、反論など一切気にせず、思うところを思うままにどんどんと語っていくのが気持ちがよい。
正確を期し、誤解を避けようとして注釈的な言葉がやたらに入るような文章(たとえばある音楽評論家の)がうっとうしく思われてきます。

「詩は独創的にして唯一無二の創造であるが、同時にそれは、読みにして朗誦、つまり参加である。詩人は詩を創る、そして民衆は朗誦することにより、それを再創造する。詩人と読者は同一の現実の二つの契機である。」

「詩は参加においてはじめて完全に実現されるのであって、読者なき作品は、半分しかその名に値しない。」

「もし人がその突風に選ばれたとしたら、いくらそれに抵抗しようとしても無駄である。」

「詩人の使命は、聖職者と哲学者によってゆがめられた、ことばの原型を回復することである。」

「詩人は、たとえ社会という祭壇で聖体を拝領し、この上なく敬虔にその時代の信仰を受け入れたとしても、孤立した存在であり、生来の宿命によって異端者なのである。」

「ヘラクレイトスによるひとつのイメージがこの本の出発点であった。……人間を聖化し、かくして彼を宇宙に位置づける竪琴、そして人間を彼自身の外に向けて発車する。」


尹一柱「たんぽぽの笛」

尹一柱は尹東柱の弟です。
尹一柱氏のご子息である尹仁石氏が、2011年2月20日に行われた「詩人尹東柱とともに」(詩人尹東柱を記念する立教の会)で講演されました。

この集いの資料が送られてきて、その中に「たんぽぽの笛」(日本語訳)が載っていました。
確かめると以前に尹仁石氏からいただいた尹一柱詩集『童画』の中に「たんぽぽの笛」を見つけたので、私なりに訳してみました。


たんぽぽの笛

日の光が温かい兄さんの墓の横に
たんぽぽが1株立っています。

1本には 黄色い花
1本には 白い種。

花は摘んで胸に挿し
種は息で吹いてみます。
かるくかるく
空に消える種。

──兄さんも 黙って行きましたね。

目を閉じて吹いてみるたんぽぽの笛
兄さんの顔 はっきりと浮かびます。

飛び立った種は
春になれば広い野原に
また咲くでしょう。
兄さん、その時は
わたしたちも会えるでしょう。

(1952年の詩だそうです。「種」と直訳しましたが、見えるのは白いわたげです。こういうことも翻訳がむつかしいところです。)

「はかりしれない主の愛」

はかりしれない主の愛が
あなたを わたしを つつみます
「おそれることは何もない
わたしはあなたとともにいる」

ふかくふかくかぎりなく
愛はこころのすみずみを
甘い蜜で満たします
清い光で照らします

愛にまさるものはなく
愛がすべてをつつむとき
真の平和 おとずれる
まことの命 生まれます

愛を知らずに生きている
たましい求めてイエスさまは
涙流して叫ばれる
わたしのもとにおいでなさい

イエスさまあなたのふところに
どうか憩わせてください
そして祈らせてください
世界に平和 来ますよう

2011/3/4

作者   anonymous

リルケ「時です」

あまりに過酷な夏が過ぎて、リルケの「秋の日」の冒頭の1節が思い浮かぶ。

「主よ、時が来ました。夏はとても偉大でした。」

Herr: es ist Zeit. Der Sommer war sehr gross.

[ss はドイツ文字「エスツェット」なのだが文字化けするので代用]

es ist Zeit.
は英語では
It is time.

「時です」と訳すのもいいかもしれない。

ふと気になってドイツ語ルター訳(現代版)聖書の詩編119:126を開いてみた。

Es ist Zeit, dass der HERR handelt;
(主が働かれるべき時です。)

es ist Zeit.
同じ言葉である。

リルケの「秋の日」Herbsttag は、もうひとつの詩「秋」Herbst とともに、学生時代から特別に自分にとっては大切な詩に属する。

当時NHKのドイツ語講座で小塩節先生が語ってくださったのが今も耳に残っている。

「秋」については
http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/50783123.html
をご覧ください。



ヘルダーリン「僕が子どもだったとき」

ヘルダーリン(1770〜1843、ドイツ)
はわたしの愛する詩人のひとりです。

「僕が子どもだったとき」
Da ich ein Knabe war...
の初めのほうを訳してみました。

僕が子どもだったとき、
神さまが僕をしばしば助けてくれた──
人のわめき声とムチから。
僕は安全に楽しく遊んだ、
森の花々と。
そして天のそよ風が
僕と遊んでくれた。

Da ich ein Knabe war,
Rettet’ ein Gott mich oft
Vom Geschrei und der Rute der Menschen,
Da spielt ich sicher und gut
Mit den Blumen des Hains,
Und die Luftchen des Himmels
Spielten mit mir.

続きはいずれまた訳すつもりです。

静けさの中から

静けさの中から
  神の声を聞く

静けさの中から
  人の魂の声を聞く

静けさの中から
  自然の声を聞く

静けさの中に
  休息がある

静けさの中から
  いのちの泉が湧く

静けさの中から
  いやしが起こる

静けさの中で
  新しい促しが起こる  

          2010/06/13

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(4)


4. 「草のように萌え出る」(春)

「悲しむ人はさいわいである」
          八福──マタイ福音書5章3〜12 1940.12

 「八福」という詩があります。八つの幸福。マタイ福音書第5章、イエスの山上の説教冒頭。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」から始まって、「幸い」が8回繰り返されます。それで「八福」なのですが、尹東柱はこれを全部二つ目の幸い、「悲しむ人は、さいわいである」にしてしまいます。八つはすべて「悲しむ人」にまとめられるのです。

 そして「八福」の最後は

 「私たちは(あるいは、彼らは)永遠に悲しむであろう。」
 もしこの世界に悲しむ人が一人でもいるなら、自分もそのために悲しむ。この世界に悲しみが終らない限りは、自分の悲しみも終らない。

 この悲しみはイエスに通じます。

「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」旧約聖書・イザヤ書53:3(口語訳)

 それから約半年後、彼は「十字架」と題する詩を書きました。

「追いかけてきた日の光が
いま 教会堂の尖端
十字架にかかりました。

尖塔があれほど高いのに
どうして登ってゆけるでしょうか。

鐘の音も聞こえてこず
口笛でも吹きつつ さまよい歩いて、

苦しんだ男、
幸福なイエス・キリストにとって
そうだったように
十字架が許されるのなら

首を垂れ
花のように咲きだす血を
暗くなってゆく空の下に
静かに流しましょう。」1941.5.31

 イエスに従って十字架を負い、血を流す静かな決意があります。

 イエスの最期は次のように記されています。

「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、『この人はエリヤを呼んでいる』と言う者もいた。……しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。』」マタイ27:45‐50

 尹東柱の最期について、福岡刑務所の看守のひとりは次のように語ったと言われます。

 「東柱さんは、何の意味かわからぬが、大声で叫び絶命しました。」
 イエスの最期とあまりにも似ています。

 イエスは天を仰ぎ、尹東柱は天を仰いだ。イエスは悲しみ、尹東柱は悲しんだ。イエスは大声で叫んで絶命し、尹東柱は大声で叫んで絶命した。

 何のためか。訪れる朝(「たやすく書かれた詩」)を待つためです。民族に訪れる新しい朝を待つため、悲しむ人に訪れる新しい朝を待つため、「すべての死んでいくもの」に訪れる復活の朝を待つためです。

 「春」

 立教時代の最後の作品、つまり私たちに残された尹東柱の最後の詩です。

「春が血管の中に小川のように流れ
さら、さら、小川の近くの丘に
れんぎょう、つつじ、黄色ーい白菜の花、

長い冬を耐えてきたわたしは
草のように萌え出る。

楽しいひばりよ
どの畝(うね)からでも楽しく舞い上がれ

青ーい空(天)は
ゆら、ゆら、と高いのだが……」春 1942.6?

 この詩は立教大学の便箋に書かれています。
「青ーい空(天)は
ゆら、ゆら、と高いのだが……」
の彼の自筆の上に百合の立教の紋章があります。
 百合には平和、正義、純粋の象徴とされ、また復活、三位一体の神を意味するとも言われます。
「青ーい空(天)は
ゆら、ゆら、と高いのだが……」

 この詩は後に続きがあったけれども失われたと聞きます。尹東柱は東京から京都に移り、京都で逮捕されて福岡で獄死しました。彼の魂は北間島(プッカンド)の故郷に、そして青い空に、天に帰って行きました。

 地上の制約から自由になった彼は、ふたたびここに立ち、待っているのではないでしょうか。

「──ああ 若さは長くそこに残っていてくれ。」

 情熱、想像力、精神を持ってこの時代の課題と真実に向き合うように、尹東柱は私たちに呼びかけています。

 私には、立教大学の百合の紋章が剣(つるぎ)に見えます。闇を暴く剣です。尹東柱を、純粋な魂を踏みにじり殺した闇をふたたび許さず、真実と平和を実現するためにしっかりと立つ。それが、今日、尹東柱を記念する意味だと思います。

(<詩人尹東柱とともに> 2008/02/16 立教学院諸聖徒礼拝堂)

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(3)

3. 「六畳の部屋はひとの国」(たやすく書かれた詩)

「窓の外には 夜の雨がささやいて
六畳の部屋は ひとの国。

詩人というのは悲しい天命であると知りつつも
1行の詩を書いてみるか。

汗のにおいと愛のにおいの ふくよかに漂う
送ってくださった学費封筒を受け取って

大学ノートを脇に抱えて
老いた教授の講義を聞きにいく。
考えてみれば 幼いときの友らを
ひとり、ふたり、みな 失ってしまい

わたしは何を願って
わたしはただ、ひとり沈むのか。

人生は生きがたいというのに
詩がこのようにたやすく書かれるのは
恥ずかしいことだ。

六畳の部屋は ひとの国。
窓の外に夜の雨がささやいているが、
灯火をともして 闇を少し追いやり
時代のように来る朝を待つ 最後のわたし、

わたしは わたしに 小さな手を差し出して
涙と慰めで握る最初の握手。」たやすく書かれた詩 1942.6.3

 立教大学で過ごす学生、尹東柱の姿をここにはっきり見出すことができます。

「六畳の部屋」は東京の彼の下宿でしょう。しかしこれはただ故郷を離れた青年の孤独を歌ったものではありません。自らの名前、歴史、文化、精神を葬ることしなければ生きること自体を許さない日本という国を、「ひと(他人)の国」と感じ、認識した言葉です。「ひとの国」日本は、異なるものを同化するか、それとも「よそもの」として排除するか、その二つしか知りませんでした。

 彼は詩の終わり近くで次のように言います。

「灯火をともして 闇を少し追いやり
時代のように来る朝を待つ 最後のわたし、」
 彼はすでに死を予感し、覚悟していました。この詩から1年と少しで彼は逮捕され、そして1945年2月16日、福岡刑務所の独房で獄死しました。

 ところで昨年11月20日から日本に入国、再入国する外国人に、指紋採取と顔写真撮影が義務づけられました。旧植民地出身者とその子孫である「特別永住者」などは除かれているが、しかし日本での永住許可を得た「一般永住者」である外国人にはこれが適用されています。

 具体的に言えば、たとえば私の高校時代の同級生の韓国人はこの義務を負わない。しかし20年来の韓国の友人は日本に来るたびに指紋と顔写真を取られる。今、一緒に本の編集をしている在日の牧師、研究者も、大韓聖公会から来て日本聖公会の中で働いておられる何人もの宣教師(宣教協働者)とその家族も、韓国を往復するたびに、あるいは他の国に出かけるたびに、これを強制されるのです。

 果たしてほんとうに「テロの未然防止に役立つ」のでしょうか。「テロ対策」と称して他国に対して大規模に軍隊を送り込み、罪のないおびただしい人々の血を流させている国、それを支援している日本。こちらこそ巨大なテロ行為ではないのでしょうか。

 日本で働いているある韓国人司祭はアメリカで講演することが決まっていたのに、指紋と顔写真を取られることを拒み、これをキャンセルしました。彼は私にこう言いました。「みんなが拒否すべきだとは思わない。でもそういう人がひとりくらいいてもいいのではないか」。彼は、自分の親が亡くなったとき、帰国するかどうか苦しむでしょう。

 日本に来るために尹東柱は、自分の名前を平沼東柱という恥ずかしい名前に変えなければなりませんでした。日本は彼に屈辱を与えました。
 今またこの国がしていることは、六畳部屋の尹東柱に与えたと同じように隣人に苦しみと屈辱を与えることです。

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(2)


2. 「足跡の音」(白い影)

 尹東柱が日本に来て最初に作ったと思われる詩は「白い影」です。

「黄昏が濃くなってゆく街角で
一日中、疲れた耳を静かに傾ければ
夕闇の、移される足跡の音」

 私は奇妙な訳し方をしました。「夕闇の、移される足跡の音」。直訳です。「足跡の音」。

 尹東柱は今、夕闇の東京の街を歩いている。人の足音を聞き、自分の足音を聞いています。けれどもそこに、別の足音が聞こえます。すでにここを通って行っただれかの足跡があることに気づきます。過去のだれかです。その足跡からその人の足音が聞こえる。過去から今の自分に向かって、その足音が聞こえてきます。

 その人の足跡(そくせき)、その人が生きて死んだ人生の道と自分が関わりを持たなければ、キルケゴールの言う「世間の人」になっていく。しかしその足跡から足音が聞こえて、自分の耳と心に響いてくれば、世間の人にはなれず、ある種必然の道を歩むことにならざるを得ない。

 その人とはだれか。歴史上の何人もの人かもしれません。韓国・朝鮮の、中国の、あるいはヨーロッパのある人たちの足跡から足音が聞こえる。そしてその中に、決定的に聞こえるのはイエスの足跡の音です。

「足跡の音を聴くことができるように
私は聡明だったのでしょうか。」

 その足跡からその人の音を聴いてしまった。聴くことができるように聡明にされてしまった。

 すると自分にとって大切だったいろんなものを放棄することになります。大切な人やものと別れていくことになります。

「いま愚かにもすべてのことを悟った次に
長く心の奥深くに
苦しんでいた多くの私を
ひとつ、ふたつ、私のふるさとへ送り返せば
街角の闇の中へ音もなく消えゆく白い影、

白い影たち
ずっと愛していた白い影たち、

私のすべてのものを送り返した後
うつろに裏通りをめぐり
黄昏のように色づく私の部屋へ帰ってくれば

信念の深い堂々たる羊のように
一日中憂いなく草でもはもう」白い影 1942.4.14

 最後の1行は突然の変化です。すでに決意をしたから、大きな存在に守られて安心して堂々としていられる。いま詳しくお話しできませんが、ここには旧約聖書・イザヤ書第65章25節とミカ書第7章14節の草をはむ羊が反映しているのではないか、と私は感じます。
 
 「足跡の音」に関連して、尹東柱のそれまでの詩から「道」に触れているものをいくつか年代順に読んでみます。

 「新しい道」

「川をわたって森へ/峠を越えて村へ
昨日も行き、今日も行く/わたしの道、新しい道
タンポポが咲き、かささぎが飛び/娘が通り、風が起こり
わたしの道はいつも新しい道/今日も……明日も……
川をわたって森へ/峠を越えて村へ」1938.5.10

 「道」

「なくしてしまいました。
何を どこで なくしたのか わからず
両手がポケットをさぐり/道に出て行きます。
石と石と石が 果てしなくつづき/道は石垣に沿って行きます。
垣は鉄の門を固く閉ざし/道の上に長い影を落として
道は朝から夕べへ/夕べから朝へ通じました。
石垣を手探りして 涙ぐみ/見上げると 天は恥ずかしいほど青いのです。
草一本ないこの道を歩くのは/垣の向こうに私が残っているからで、
私が生きるのは、ただ、/なくしたものを見出すためなのです。」1941.9.31

 「序詩」

「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥なきことを
木の葉に起こる風にも/わたしは苦しんだ。
星をうたう心で/すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。

今宵も 星が 風に吹きさらされる。」1941.11.20

 1943年7月14日、尹東柱は京都で、治安維持法違反容疑で捕らえられ、懲役2年の判決を受け、1945年の冬、福岡刑務所で獄死しました。今日2月16日がちょうどその日。63年前です。
 尹東柱は福岡の獄中から故郷の家に『英和対訳新約聖書』を送ってほしいと頼みました。聖書が読みたかったのです。送られてきたその聖書を獄中で読んでいました。英語と日本語対訳の聖書。

 朝鮮語聖書はどうしたのでしょうか。彼がいちばん大事にしていたのは朝鮮語の聖書のはずです。京都の下鴨警察に押収されて読めなくなったのではないでしょうか。聖書で生きている人間にとっては、聖書が読めないことは魂が死に瀕することです。
 彼には聖書が必要でした。けれども朝鮮語の聖書は許されない。それで『英和対訳新約聖書』を求めたのではないかと想像します。
 
 「序詩」の冒頭、「ハヌルル ウロロ」について、「(死ぬ日まで)空を仰いで」と訳すか「天を仰いで」と訳すかという議論があります。詩は、唯一の正しい解釈というのはないと思うので、「ハヌル」は「天」でも「空」でも読み手にまかされていると考えたい。ただこういうことがあります。

「ハヌルル ウロロ」という言葉。これは新約聖書に出て来る言葉です。マルコによる福音書第7章にこう語られています。

「人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、『開け』という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。」マルコ7:32‐35

 「天を仰いで深く息をつき」。ここにはイエスの深いため息があります。人の、何ともならないうめきに触れて、イエス自身がうめく。天を仰いでため息をつく。ため息をつきながら神に訴える。そういう場面です。このイエスの「天を仰いで」が「ハヌルル ウロロ」なのです。尹東柱当時のハングルの聖書も調べてみましたが、やはり「ハヌルル ウロロ」です。これはおそらく偶然の一致ではないでしょう。

 尹東柱は聖書を読んでいました。耳が聞こえず舌の回らないその人とイエスの出会いの物語を知っていたはずです。イエスがその人の悲しみを感じつつ天を仰いだその姿は尹東柱の心に刻まれ、その言葉「ハヌルル ウロロ」は彼の耳に残った。そして彼がやがて「序詩」を作るとき、意識してか意識せずかはともかく、マルコ福音書のあの箇所、あの言葉が彼の中に共鳴していた。そのように私は思うのです。

 「ハヌルル ウロロ」は同じマルコ福音書の今の箇所の前、第6章:41節にも出てきます。

「そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。」

 「天を仰ぎ」(ハヌルル ウロロ)によって尹東柱とイエスがつながってきましたので、イエスの生涯の最後の道を新約聖書から引用します。

「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。』イエスは言われた。『行って、あの狐に、“今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える”とわたしが言ったと伝えなさい。だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。』」ルカによる福音書13:31‐33

「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥なきことを
……
星をうたう心で/すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。」

「自分の道を進まねばならない。」ネガ カル キルル カヤハリニ
「わたしに与えられた道を/歩みゆかねば」ネハンテ チュオジン キルル コロガヤゲッタ

 尹東柱の思いとイエスの思いは、尹東柱の決意とイエスの決意は響き合っています。 イエスがエルサレムで死ぬことを覚悟していたように、尹東柱も日本で死ぬことを覚悟していたのでしょうか。日本への道は必然であったように思われます。
最近の記事
Archives
最近の関心

 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
 音と響き
井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

Mail
izaya*da2.so-net.ne.jp
(*を@に変更してください)

カウンター
最新刊
『これが道だ、これに歩め
──イザヤ書による説教』
かんよう出版
213頁 1500円+税

ここをクリックして
  ←左本文をご覧ください
ブログ内検索

WWW を検索 http://blog.livedoor.jp/izaya/ を検索