Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

文学・詩

『杜甫全詩訳注』

杜甫全詩訳注一

(これは Facebook のほうに日記風に書いたものです。意外に反応が多かったこともあり、自分の文だけをここに載せておくことにしました。)

「杜甫は、詩の力で世界を変えることができると、天下の政治も社会の不義も詩の力で正すことができると信じた、おそらく中国の文学史上にただ一人の詩人だった──。」

『杜甫全詩訳注(一)』講談社学術文庫
の松原 朗氏の解説から。

──驚嘆した。ほんとうにそうだったのかはわからないが。
そうであれば、神の言葉の力について私たちはもっと信頼すべきであり、もっと熱心に取り組むべきだと感じた。

杜甫の生涯と精神が自分の中に流れ込んでくる気がする。

高校の頃から杜甫は自分に直接響いてくるので、ある種の危険を感じ、私とはまったく対照的な李白を愛してきたのですが、杜甫を傍らに置くべき時期に来たのかなあと思ったりします。

私の杜甫のイメージは「兵車行」「春望」「登高」が代表的です。
「登高」は杜甫の病を自分のうちに感じてしまうので危険なのです。

「登高」の「万里悲秋 常に客となり 百年多病 独り台に登る……」

長江の波が見え、猿の悲しい声が聞こえます。病んだ杜甫の苦しみが私の心と体の中に入ってきてしまう感じになります。単純と言うか、自分が苦しくなってしまうのです。
それで次から警戒するのですが、それでも大好きなので何度でも読んでしまいます。

曹操の詩「短歌行」

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魏の曹操の詩「短歌行」

井波律子「曹操論」(『中国的レトリックの伝統』影書房、1987)によって詩人・曹操を知った。

この「短歌行」の中に、後の蘇軾(宋代の詩人・政治家)が「赤壁の賦」に引いた次の言葉があるのを発見。

月明星稀  月明らかに星稀に
烏鵲南飛  烏鵲(うじゃく=カラスとカササギ) 南に飛ぶ

井波氏によれば、曹操は当時の一般的な風潮や考え方に反して、天命とか神秘的なものを信じず、自分で道を切り開いて生きた人だという。

曹操はワルモノのイメージだが、不思議な魅力がある。

メーリケ 「九月の朝」

Septembermorgen


九月の朝

    メーリケ

霧の中になお世界は憩い、
なお夢見る、森と野原は。
やがてあなたは見る、もやが晴れるとき、
青い空をまごうことなく。
秋の力に、湿った世界が
あたたかな黄金の中に流れる。


ふと出会ったメーリケ(1804〜1875)の詩をほぼ直訳してみました。


ドイツ語の詩の朗読の例

「憲法と平和の福音」  リルケ「秋」

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以下をホームページに掲載しました。

講演「憲法と平和の福音」

リルケの詩「秋」の対訳

金素月(キム・ソウォル)詩抄

つつじ

尹東柱とともにわたしが愛してやまない朝鮮(韓国)の詩人、金素月の詩(試訳)をいくつかホームページに掲載しました。

関心のある方はどうぞご覧ください。

金素月(キム・ソウォル)詩抄

白川静の漢字論

最近、漢字学者として知られる白川静に関するものを2冊読んだ。

白川静・梅原猛『呪(じゅ)の思想──神と人間の間』平凡社ライブラリー、2011
松岡正剛『白川静──漢字の世界観』平凡社新書、2008

興味深く思ったのは、漢字が神と人との交流を現すものとして成立した、ということである。

「『風』とはただの自然現象ではなく、『霊』ですね。」

これは聖書の世界と共通している。

「賦」についての説明も興味深い。
「賦」とは自然などの美しい姿を歌い、歌うことによってその対象の持っている生命力を自分のものにする。歌う言葉の力によって対象との霊的な交通が起こり、病が治るという。

「遊」の字に関して──
「神のみが遊ぶことができた。……この神の世界に関わるとき、人もともに遊ぶことができた」
というのも大変面白い。

これに関連して松岡氏は「ユダヤ・キリスト教の神とはまったく異なる」と言われるが、私はそれは一面的に思える。

旧約聖書・箴言には次のような言葉がある。

「御もとにあって、わたし(知恵)は巧みな者となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し
人の子らと共に楽しむ。」8:30‐31


これは神と人がともに遊び楽しむ姿である。こういうところをキリスト教自身が回復すべきであると思う。

『弓と竪琴』

オクタビオ・パス『弓と竪琴』
 岩波文庫、2011

メキシコの詩人、批評家、外交官 1914〜1998

詩論。どうしようもないような難解な内容ですが、洪水のように溢れ出る言葉の中にはっとさせられるものがあります。

誤解や疑問、反論など一切気にせず、思うところを思うままにどんどんと語っていくのが気持ちがよい。
正確を期し、誤解を避けようとして注釈的な言葉がやたらに入るような文章(たとえばある音楽評論家の)がうっとうしく思われてきます。

「詩は独創的にして唯一無二の創造であるが、同時にそれは、読みにして朗誦、つまり参加である。詩人は詩を創る、そして民衆は朗誦することにより、それを再創造する。詩人と読者は同一の現実の二つの契機である。」

「詩は参加においてはじめて完全に実現されるのであって、読者なき作品は、半分しかその名に値しない。」

「もし人がその突風に選ばれたとしたら、いくらそれに抵抗しようとしても無駄である。」

「詩人の使命は、聖職者と哲学者によってゆがめられた、ことばの原型を回復することである。」

「詩人は、たとえ社会という祭壇で聖体を拝領し、この上なく敬虔にその時代の信仰を受け入れたとしても、孤立した存在であり、生来の宿命によって異端者なのである。」

「ヘラクレイトスによるひとつのイメージがこの本の出発点であった。……人間を聖化し、かくして彼を宇宙に位置づける竪琴、そして人間を彼自身の外に向けて発車する。」


尹一柱「たんぽぽの笛」

尹一柱は尹東柱の弟です。
尹一柱氏のご子息である尹仁石氏が、2011年2月20日に行われた「詩人尹東柱とともに」(詩人尹東柱を記念する立教の会)で講演されました。

この集いの資料が送られてきて、その中に「たんぽぽの笛」(日本語訳)が載っていました。
確かめると以前に尹仁石氏からいただいた尹一柱詩集『童画』の中に「たんぽぽの笛」を見つけたので、私なりに訳してみました。


たんぽぽの笛

日の光が温かい兄さんの墓の横に
たんぽぽが1株立っています。

1本には 黄色い花
1本には 白い種。

花は摘んで胸に挿し
種は息で吹いてみます。
かるくかるく
空に消える種。

──兄さんも 黙って行きましたね。

目を閉じて吹いてみるたんぽぽの笛
兄さんの顔 はっきりと浮かびます。

飛び立った種は
春になれば広い野原に
また咲くでしょう。
兄さん、その時は
わたしたちも会えるでしょう。

(1952年の詩だそうです。「種」と直訳しましたが、見えるのは白いわたげです。こういうことも翻訳がむつかしいところです。)

「はかりしれない主の愛」

はかりしれない主の愛が
あなたを わたしを つつみます
「おそれることは何もない
わたしはあなたとともにいる」

ふかくふかくかぎりなく
愛はこころのすみずみを
甘い蜜で満たします
清い光で照らします

愛にまさるものはなく
愛がすべてをつつむとき
真の平和 おとずれる
まことの命 生まれます

愛を知らずに生きている
たましい求めてイエスさまは
涙流して叫ばれる
わたしのもとにおいでなさい

イエスさまあなたのふところに
どうか憩わせてください
そして祈らせてください
世界に平和 来ますよう

2011/3/4

作者   anonymous

リルケ「時です」

あまりに過酷な夏が過ぎて、リルケの「秋の日」の冒頭の1節が思い浮かぶ。

「主よ、時が来ました。夏はとても偉大でした。」

Herr: es ist Zeit. Der Sommer war sehr gross.

[ss はドイツ文字「エスツェット」なのだが文字化けするので代用]

es ist Zeit.
は英語では
It is time.

「時です」と訳すのもいいかもしれない。

ふと気になってドイツ語ルター訳(現代版)聖書の詩編119:126を開いてみた。

Es ist Zeit, dass der HERR handelt;
(主が働かれるべき時です。)

es ist Zeit.
同じ言葉である。

リルケの「秋の日」Herbsttag は、もうひとつの詩「秋」Herbst とともに、学生時代から特別に自分にとっては大切な詩に属する。

当時NHKのドイツ語講座で小塩節先生が語ってくださったのが今も耳に残っている。

「秋」については
http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/50783123.html
をご覧ください。



ヘルダーリン「僕が子どもだったとき」

ヘルダーリン(1770〜1843、ドイツ)
はわたしの愛する詩人のひとりです。

「僕が子どもだったとき」
Da ich ein Knabe war...
の初めのほうを訳してみました。

僕が子どもだったとき、
神さまが僕をしばしば助けてくれた──
人のわめき声とムチから。
僕は安全に楽しく遊んだ、
森の花々と。
そして天のそよ風が
僕と遊んでくれた。

Da ich ein Knabe war,
Rettet’ ein Gott mich oft
Vom Geschrei und der Rute der Menschen,
Da spielt ich sicher und gut
Mit den Blumen des Hains,
Und die Luftchen des Himmels
Spielten mit mir.

続きはいずれまた訳すつもりです。

静けさの中から

静けさの中から
  神の声を聞く

静けさの中から
  人の魂の声を聞く

静けさの中から
  自然の声を聞く

静けさの中に
  休息がある

静けさの中から
  いのちの泉が湧く

静けさの中から
  いやしが起こる

静けさの中で
  新しい促しが起こる  

          2010/06/13

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(4)


4. 「草のように萌え出る」(春)

「悲しむ人はさいわいである」
          八福──マタイ福音書5章3〜12 1940.12

 「八福」という詩があります。八つの幸福。マタイ福音書第5章、イエスの山上の説教冒頭。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」から始まって、「幸い」が8回繰り返されます。それで「八福」なのですが、尹東柱はこれを全部二つ目の幸い、「悲しむ人は、さいわいである」にしてしまいます。八つはすべて「悲しむ人」にまとめられるのです。

 そして「八福」の最後は

 「私たちは(あるいは、彼らは)永遠に悲しむであろう。」
 もしこの世界に悲しむ人が一人でもいるなら、自分もそのために悲しむ。この世界に悲しみが終らない限りは、自分の悲しみも終らない。

 この悲しみはイエスに通じます。

「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」旧約聖書・イザヤ書53:3(口語訳)

 それから約半年後、彼は「十字架」と題する詩を書きました。

「追いかけてきた日の光が
いま 教会堂の尖端
十字架にかかりました。

尖塔があれほど高いのに
どうして登ってゆけるでしょうか。

鐘の音も聞こえてこず
口笛でも吹きつつ さまよい歩いて、

苦しんだ男、
幸福なイエス・キリストにとって
そうだったように
十字架が許されるのなら

首を垂れ
花のように咲きだす血を
暗くなってゆく空の下に
静かに流しましょう。」1941.5.31

 イエスに従って十字架を負い、血を流す静かな決意があります。

 イエスの最期は次のように記されています。

「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、『この人はエリヤを呼んでいる』と言う者もいた。……しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。』」マタイ27:45‐50

 尹東柱の最期について、福岡刑務所の看守のひとりは次のように語ったと言われます。

 「東柱さんは、何の意味かわからぬが、大声で叫び絶命しました。」
 イエスの最期とあまりにも似ています。

 イエスは天を仰ぎ、尹東柱は天を仰いだ。イエスは悲しみ、尹東柱は悲しんだ。イエスは大声で叫んで絶命し、尹東柱は大声で叫んで絶命した。

 何のためか。訪れる朝(「たやすく書かれた詩」)を待つためです。民族に訪れる新しい朝を待つため、悲しむ人に訪れる新しい朝を待つため、「すべての死んでいくもの」に訪れる復活の朝を待つためです。

 「春」

 立教時代の最後の作品、つまり私たちに残された尹東柱の最後の詩です。

「春が血管の中に小川のように流れ
さら、さら、小川の近くの丘に
れんぎょう、つつじ、黄色ーい白菜の花、

長い冬を耐えてきたわたしは
草のように萌え出る。

楽しいひばりよ
どの畝(うね)からでも楽しく舞い上がれ

青ーい空(天)は
ゆら、ゆら、と高いのだが……」春 1942.6?

 この詩は立教大学の便箋に書かれています。
「青ーい空(天)は
ゆら、ゆら、と高いのだが……」
の彼の自筆の上に百合の立教の紋章があります。
 百合には平和、正義、純粋の象徴とされ、また復活、三位一体の神を意味するとも言われます。
「青ーい空(天)は
ゆら、ゆら、と高いのだが……」

 この詩は後に続きがあったけれども失われたと聞きます。尹東柱は東京から京都に移り、京都で逮捕されて福岡で獄死しました。彼の魂は北間島(プッカンド)の故郷に、そして青い空に、天に帰って行きました。

 地上の制約から自由になった彼は、ふたたびここに立ち、待っているのではないでしょうか。

「──ああ 若さは長くそこに残っていてくれ。」

 情熱、想像力、精神を持ってこの時代の課題と真実に向き合うように、尹東柱は私たちに呼びかけています。

 私には、立教大学の百合の紋章が剣(つるぎ)に見えます。闇を暴く剣です。尹東柱を、純粋な魂を踏みにじり殺した闇をふたたび許さず、真実と平和を実現するためにしっかりと立つ。それが、今日、尹東柱を記念する意味だと思います。

(<詩人尹東柱とともに> 2008/02/16 立教学院諸聖徒礼拝堂)

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(3)

3. 「六畳の部屋はひとの国」(たやすく書かれた詩)

「窓の外には 夜の雨がささやいて
六畳の部屋は ひとの国。

詩人というのは悲しい天命であると知りつつも
1行の詩を書いてみるか。

汗のにおいと愛のにおいの ふくよかに漂う
送ってくださった学費封筒を受け取って

大学ノートを脇に抱えて
老いた教授の講義を聞きにいく。
考えてみれば 幼いときの友らを
ひとり、ふたり、みな 失ってしまい

わたしは何を願って
わたしはただ、ひとり沈むのか。

人生は生きがたいというのに
詩がこのようにたやすく書かれるのは
恥ずかしいことだ。

六畳の部屋は ひとの国。
窓の外に夜の雨がささやいているが、
灯火をともして 闇を少し追いやり
時代のように来る朝を待つ 最後のわたし、

わたしは わたしに 小さな手を差し出して
涙と慰めで握る最初の握手。」たやすく書かれた詩 1942.6.3

 立教大学で過ごす学生、尹東柱の姿をここにはっきり見出すことができます。

「六畳の部屋」は東京の彼の下宿でしょう。しかしこれはただ故郷を離れた青年の孤独を歌ったものではありません。自らの名前、歴史、文化、精神を葬ることしなければ生きること自体を許さない日本という国を、「ひと(他人)の国」と感じ、認識した言葉です。「ひとの国」日本は、異なるものを同化するか、それとも「よそもの」として排除するか、その二つしか知りませんでした。

 彼は詩の終わり近くで次のように言います。

「灯火をともして 闇を少し追いやり
時代のように来る朝を待つ 最後のわたし、」
 彼はすでに死を予感し、覚悟していました。この詩から1年と少しで彼は逮捕され、そして1945年2月16日、福岡刑務所の独房で獄死しました。

 ところで昨年11月20日から日本に入国、再入国する外国人に、指紋採取と顔写真撮影が義務づけられました。旧植民地出身者とその子孫である「特別永住者」などは除かれているが、しかし日本での永住許可を得た「一般永住者」である外国人にはこれが適用されています。

 具体的に言えば、たとえば私の高校時代の同級生の韓国人はこの義務を負わない。しかし20年来の韓国の友人は日本に来るたびに指紋と顔写真を取られる。今、一緒に本の編集をしている在日の牧師、研究者も、大韓聖公会から来て日本聖公会の中で働いておられる何人もの宣教師(宣教協働者)とその家族も、韓国を往復するたびに、あるいは他の国に出かけるたびに、これを強制されるのです。

 果たしてほんとうに「テロの未然防止に役立つ」のでしょうか。「テロ対策」と称して他国に対して大規模に軍隊を送り込み、罪のないおびただしい人々の血を流させている国、それを支援している日本。こちらこそ巨大なテロ行為ではないのでしょうか。

 日本で働いているある韓国人司祭はアメリカで講演することが決まっていたのに、指紋と顔写真を取られることを拒み、これをキャンセルしました。彼は私にこう言いました。「みんなが拒否すべきだとは思わない。でもそういう人がひとりくらいいてもいいのではないか」。彼は、自分の親が亡くなったとき、帰国するかどうか苦しむでしょう。

 日本に来るために尹東柱は、自分の名前を平沼東柱という恥ずかしい名前に変えなければなりませんでした。日本は彼に屈辱を与えました。
 今またこの国がしていることは、六畳部屋の尹東柱に与えたと同じように隣人に苦しみと屈辱を与えることです。

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(2)


2. 「足跡の音」(白い影)

 尹東柱が日本に来て最初に作ったと思われる詩は「白い影」です。

「黄昏が濃くなってゆく街角で
一日中、疲れた耳を静かに傾ければ
夕闇の、移される足跡の音」

 私は奇妙な訳し方をしました。「夕闇の、移される足跡の音」。直訳です。「足跡の音」。

 尹東柱は今、夕闇の東京の街を歩いている。人の足音を聞き、自分の足音を聞いています。けれどもそこに、別の足音が聞こえます。すでにここを通って行っただれかの足跡があることに気づきます。過去のだれかです。その足跡からその人の足音が聞こえる。過去から今の自分に向かって、その足音が聞こえてきます。

 その人の足跡(そくせき)、その人が生きて死んだ人生の道と自分が関わりを持たなければ、キルケゴールの言う「世間の人」になっていく。しかしその足跡から足音が聞こえて、自分の耳と心に響いてくれば、世間の人にはなれず、ある種必然の道を歩むことにならざるを得ない。

 その人とはだれか。歴史上の何人もの人かもしれません。韓国・朝鮮の、中国の、あるいはヨーロッパのある人たちの足跡から足音が聞こえる。そしてその中に、決定的に聞こえるのはイエスの足跡の音です。

「足跡の音を聴くことができるように
私は聡明だったのでしょうか。」

 その足跡からその人の音を聴いてしまった。聴くことができるように聡明にされてしまった。

 すると自分にとって大切だったいろんなものを放棄することになります。大切な人やものと別れていくことになります。

「いま愚かにもすべてのことを悟った次に
長く心の奥深くに
苦しんでいた多くの私を
ひとつ、ふたつ、私のふるさとへ送り返せば
街角の闇の中へ音もなく消えゆく白い影、

白い影たち
ずっと愛していた白い影たち、

私のすべてのものを送り返した後
うつろに裏通りをめぐり
黄昏のように色づく私の部屋へ帰ってくれば

信念の深い堂々たる羊のように
一日中憂いなく草でもはもう」白い影 1942.4.14

 最後の1行は突然の変化です。すでに決意をしたから、大きな存在に守られて安心して堂々としていられる。いま詳しくお話しできませんが、ここには旧約聖書・イザヤ書第65章25節とミカ書第7章14節の草をはむ羊が反映しているのではないか、と私は感じます。
 
 「足跡の音」に関連して、尹東柱のそれまでの詩から「道」に触れているものをいくつか年代順に読んでみます。

 「新しい道」

「川をわたって森へ/峠を越えて村へ
昨日も行き、今日も行く/わたしの道、新しい道
タンポポが咲き、かささぎが飛び/娘が通り、風が起こり
わたしの道はいつも新しい道/今日も……明日も……
川をわたって森へ/峠を越えて村へ」1938.5.10

 「道」

「なくしてしまいました。
何を どこで なくしたのか わからず
両手がポケットをさぐり/道に出て行きます。
石と石と石が 果てしなくつづき/道は石垣に沿って行きます。
垣は鉄の門を固く閉ざし/道の上に長い影を落として
道は朝から夕べへ/夕べから朝へ通じました。
石垣を手探りして 涙ぐみ/見上げると 天は恥ずかしいほど青いのです。
草一本ないこの道を歩くのは/垣の向こうに私が残っているからで、
私が生きるのは、ただ、/なくしたものを見出すためなのです。」1941.9.31

 「序詩」

「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥なきことを
木の葉に起こる風にも/わたしは苦しんだ。
星をうたう心で/すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。

今宵も 星が 風に吹きさらされる。」1941.11.20

 1943年7月14日、尹東柱は京都で、治安維持法違反容疑で捕らえられ、懲役2年の判決を受け、1945年の冬、福岡刑務所で獄死しました。今日2月16日がちょうどその日。63年前です。
 尹東柱は福岡の獄中から故郷の家に『英和対訳新約聖書』を送ってほしいと頼みました。聖書が読みたかったのです。送られてきたその聖書を獄中で読んでいました。英語と日本語対訳の聖書。

 朝鮮語聖書はどうしたのでしょうか。彼がいちばん大事にしていたのは朝鮮語の聖書のはずです。京都の下鴨警察に押収されて読めなくなったのではないでしょうか。聖書で生きている人間にとっては、聖書が読めないことは魂が死に瀕することです。
 彼には聖書が必要でした。けれども朝鮮語の聖書は許されない。それで『英和対訳新約聖書』を求めたのではないかと想像します。
 
 「序詩」の冒頭、「ハヌルル ウロロ」について、「(死ぬ日まで)空を仰いで」と訳すか「天を仰いで」と訳すかという議論があります。詩は、唯一の正しい解釈というのはないと思うので、「ハヌル」は「天」でも「空」でも読み手にまかされていると考えたい。ただこういうことがあります。

「ハヌルル ウロロ」という言葉。これは新約聖書に出て来る言葉です。マルコによる福音書第7章にこう語られています。

「人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、『開け』という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。」マルコ7:32‐35

 「天を仰いで深く息をつき」。ここにはイエスの深いため息があります。人の、何ともならないうめきに触れて、イエス自身がうめく。天を仰いでため息をつく。ため息をつきながら神に訴える。そういう場面です。このイエスの「天を仰いで」が「ハヌルル ウロロ」なのです。尹東柱当時のハングルの聖書も調べてみましたが、やはり「ハヌルル ウロロ」です。これはおそらく偶然の一致ではないでしょう。

 尹東柱は聖書を読んでいました。耳が聞こえず舌の回らないその人とイエスの出会いの物語を知っていたはずです。イエスがその人の悲しみを感じつつ天を仰いだその姿は尹東柱の心に刻まれ、その言葉「ハヌルル ウロロ」は彼の耳に残った。そして彼がやがて「序詩」を作るとき、意識してか意識せずかはともかく、マルコ福音書のあの箇所、あの言葉が彼の中に共鳴していた。そのように私は思うのです。

 「ハヌルル ウロロ」は同じマルコ福音書の今の箇所の前、第6章:41節にも出てきます。

「そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。」

 「天を仰ぎ」(ハヌルル ウロロ)によって尹東柱とイエスがつながってきましたので、イエスの生涯の最後の道を新約聖書から引用します。

「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。』イエスは言われた。『行って、あの狐に、“今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える”とわたしが言ったと伝えなさい。だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。』」ルカによる福音書13:31‐33

「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥なきことを
……
星をうたう心で/すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。」

「自分の道を進まねばならない。」ネガ カル キルル カヤハリニ
「わたしに与えられた道を/歩みゆかねば」ネハンテ チュオジン キルル コロガヤゲッタ

 尹東柱の思いとイエスの思いは、尹東柱の決意とイエスの決意は響き合っています。 イエスがエルサレムで死ぬことを覚悟していたように、尹東柱も日本で死ぬことを覚悟していたのでしょうか。日本への道は必然であったように思われます。

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(1)


 2008年2月16日、立教大学諸聖徒礼拝堂で行われた尹東柱記念のつどい<詩人尹東柱とともに>での講演を掲載します。
 詩の訳は私訳です。

1. 「若さは長くそこに」(いとしい追憶)

 今日は、この立教大学で、聖公会の式文による祈りをとおして尹東柱を記念することができ、感謝いたします。

 先ほどの祝辞の中に「彼は自由のための歴史の犠牲になってしまった」という言葉がありました。尹東柱はひとりで勝手に犠牲になった訳ではありません。誰が彼を犠牲にしたのか。日本と日本人が彼を犠牲にしたのです。それを明確にしておかなくてはなりません。控えめに言っても、私たちは彼を守ることができなかった。しかし彼が今、私たちを支え、導いてくれる。この大切な名前を、私たちが自分のために利用することは恥ずかしいことであり、許されないことです。

「春はみな行き──東京郊外のある静かな下宿部屋で、昔の街に残ったわたしを希望と愛のようになつかしむ。

今日も汽車は何度も無意味に通り過ぎ、

今日もわたしはだれかを待って停車場近くの
坂を行ったり来たりするだろう。

──ああ 若さは長くそこに残っていてくれ。」いとしい追憶

 尹東柱は今から66年前の1942年春、海を渡って日本に来ました。東京のここ、立教大学文学部(英文科)で学びました。
 私事ですが、それから40年後の1982年、私はその立教大学文学部(キリスト教学科)助手になり、3年をそこで過ごしました。そのころキリスト教学科と英米文学科は隣でしたからしばしば行き来することがありました。けれどもまだ尹東柱のことはほとんど知りませんでした。

 1986年に韓国に行ったとき、『尹東柱全詩集──空と風と星と詩』(하늘과 바람과 별과 詩)を書店で見つけて購入し、伊吹郷さんの訳書と読み合わせて次第に引き込まれるようになりました。
 私の母校のひとつは同志社大学、京都・今出川キャンパスですので、尹東柱とは立教と同志社と二重の重なりがあります。

 先ほど朗読したのは、彼の残された最後の詩、立教時代の五つの詩の一つ、「いとしい追憶」の最後のところです。

「──ああ 若さは長くそこに残っていてくれ。」

 彼が「若さ」と言ったとき、それは何でしょう。残っていてほしいと彼が願った「若さ」とはどういうものだったのでしょうか。その手がかりを探ってみたいと思います。

 尹東柱はソウルの延禧(ヨンヒ)専門学校の学生時代の終わり頃、日本に来る直前ですが、デンマークの思想家キルケゴール(1813〜1855)を耽読していたと言われます。キルケゴールの何をどんなふうに読んでいたのか分かりませんが、しかしたとえば次のような言葉を読んでいたのではないか、と想像してみます。キルケゴールの代表作のひとつ『死に至る病』の一節です。

「ところで絶望はただ青年期にのみ固有なものであるというような見当違いに至っては、これは全く絶望的である。……精神に関しては人々は年とともに自ずから何物かを失うということがきわめて容易に起るのである。おそらく人々は年とともに自分のもちあわしていた僅かばかりの熱情・感情・想像力と僅かばかりの内面性を失う、それから人々は無論また自ずから何物かに――すなわち世間人特有の処世術に到達するのである。」(岩波文庫)

 私は今から35年くらい前の学生時代にキルケゴールを読みふけっていたのですが、今の言葉が鮮明に心に響いたのを覚えています。
「年とともに自分のもちあわしていた僅かばかりの熱情・感情・想像力と僅かばかりの内面性を失う、それから世間人特有の処世術に到達する」。

 これを尹東柱は望んでいなかった。そんなふうになるなら、彼にとってそれは生きることそのものを失うことであったと思います。

 66年前、1942年の5月、尹東柱は東京のある駅の近くの坂道を行ったり来たりしていました。故郷を、過去の自分を思い出して懐かしみながら、今を生きています。だれかを待っています。だれかが汽車を降りてくるのを待っています。でも待っているそのだれかは降りてこない。

「今日も汽車は何度も無意味に通り過ぎ、」

 でも毎日毎日待っています。当てはないけれど、停車場の近くの坂を行ったり来たりしながら待っています。
 
 それから66年経って、彼は今も待っているのではないでしょうか。

「──ああ 若さは長くそこに残っていてくれ。」

 彼が長くそこに残っていてほしいと願った若さは、ここに残っているだろうか。私たちの中に残っているでしょうか。たとえ絶望を繰り返すことがあったとしても、熱情・感情・想像力と内面性、精神を、失わずにいたいと願います。

 尹東柱は幼い頃からキリスト教信仰を持って成長しました。1917年12月30日に生まれた彼は、まもなく幼児洗礼を受け、幼い頃から家族とともに明東(ミョンドン)教会に通いました。延禧専門学校時代は、故郷の龍井(ヨンジョン)北部教会の夏期聖書学校で教師をしました。ソウルでは協成教会に通い、英語聖書班に参加していました。

 もうふたつキルケゴールの『死に至る病』から引用します。

「キリスト教的なるものが口にされはしたが、それが、人々の多くはそれを聞いても結局何も考えないような仕方で口にされたという点に不幸が存するのである。」
「信ずるというのは実に神を獲得するために、正気を失うことにほかならない。」

 尹東柱は学生時代に信仰について懐疑を抱いたと言われます。これは消極的なことではなく、自分が生きて死ぬこととキリスト教信仰がどう関係するのかをめぐって苦闘した、ということではないでしょうか。

 「それを聞いても結局何も考えないような仕方」ではなく、生き死に関わることとして苦しみ求めて聖書を読み、またキルケゴールを読みふけった。そのように思うのです。

 尹東柱はキルケゴールをとおして、自分が、人生が、根本的に問われる経験をしたでしょう。厳しい道を行くか楽な道を選ぶか。それが日本渡航に深く関わっていたのではないかという気がするのです。


尹東柱「ひまわりの顔」

尹東柱の詩をひとつ訳します。



ひまわりの顔

姉さんの顔は
  ひまわりの顔
日がいま昇るや
  仕事場に行く
  
ひまわりの顔は
  姉さんの顔
顔がやつれて
  家に帰る
       (1938 推定)

この詩は2月26日(土)、立教大学で開かれた「詩人尹東柱とともに」で「姉さんの顔」という歌(作曲・金永東)の歌詞として紹介されたものです。

歌詞になっているものは原詩と微妙に違ったので、原詩から訳してみました。

この1938年の秋、朝鮮イエス教長老会(固有の教派名。イエス教というのはキリスト教のこと)総会は、日本当局により神社参拝決議を強制されました。

 当時尹東柱はソウルの延禧専門学校の学生で、その総会前後に「弟の印象画」「コスモス」を書いています。


シューベルト「ドイツ・ミサ曲」

 シューベルトの「ドイツ・ミサ曲」を自分で訳したものを掲載します。できるだけ直訳し、元のドイツ語歌詞と対比しやすいようにしてありますが、そのぶん日本語として通りのよくないものになっているかもしれません。私はドイツ語に明るくないので、間違いがあればご指摘ください。
(転載の場合は訳者名を明示してくださるようにお願いします。)
 
 ミサ曲(キリスト教会の中心的な礼拝である聖餐式の祈りの言葉を歌うための曲)は、伝統的なラテン語ミサ(聖餐式)式文に作曲されました。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、そしてシューベルトもラテン語のミサ曲を残しています。

 しかしこのドイツ・ミサ曲はそれとは異なり、ヨハン・フィリップ・ノイマンが、自由に書き下ろしたドイ語のテキストに、シューベルトが作曲したものです。ドイツ語による宗教作品は教会では演奏を禁止されていましたが、それ以外の場での演奏は認められていたので、コンサート作品として普及していったとのことです。

 この曲は私の最愛の曲のひとつです。最愛の曲もたくさんありますが。聖書の最重要の言葉がたくさんあるのと同じ。

 フランツ・シューベルト「ドイツ・ミサ曲」D 872(1827年作曲)

各曲の標題と大意

1.入祭唱(Zum Eingang)
 悩み、悲しみのとき、私はだれのもとに行けばいいだろう。あなたのもとに、父(神)よ、私は行く。

2.栄光の歌(Zum Gloria)
いと高きところ、栄光神にあれ

3.福音書と信仰告白
(Zum Evangelium und Credo)
神は言われた、「光あれ」と。すると光が生じた。

4.奉献(Zum Offertorium)
主よ、あなたは存在と生命と、あなたの教えと天上の光を与えられた。

5.聖なるかな(Zum Sanctus サンクトゥス)
 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主は!

6.聖変化の後に(Nach der Wandlung)
 あなたは言われる。「これはわたしのからだ、わたしの血」。これを受けて、わたしの愛を思え。

7.主の祈り

8.神の小羊(Agnus Dei アニュス・デイ)
わが救い主、神の小羊よ、あなたはおのが身をささげて、重い罪を除いてくださった。

9.終祭の歌(Schlußgesang)
 天上の喜びは、今やこの世界に降(くだ)った。
 祝福してください。わたしと家族を。わたしたちの人生の旅路を。


「ドイツ・ミサ曲」D 872(1827年)

1. 入祭唱

どこへわたしは自分を向けるべきでしょうか、
悲しみと悩みがわたしを押しつぶすとき。
だれにわたしはわたしの喜びを語るべきでしょうか、
わたしの心が喜びに鼓動するとき。
あなたに、あなたに、おお父よ、
わたしは行きます、喜びのときも苦しみのときも。
あなたは喜びを送ってくださいます。
あなたはすべての苦しみを癒される。

ああ、もしわたしがあなたを持たなければ、
何でしょうか、わたしにとって地と天は。
あらゆる場所は追放の地となり、
わたし自身は偶然の手に落ちてしまいます。
あなたこそは、わたしの道に
確かな目標を与えてくださる方、
そして地と天を聖別して
甘い故郷の地としてくださる方です。


2. 栄光の歌

栄光、栄光が神にありますように、いと高きところで!
幸いなる天の大軍は歌います。
栄光、栄光が神にありますように、いと高きところで!
地が産んだ私たちも口ごもりつつ歌います。
私はただ驚くばかり、驚きつつ喜びます。

全世界の父よ! それでも私はともに加わります──
栄光、栄光が神にありますように、いと高きところで!

栄光、栄光が神にありますように、いと高きところで!
輝く星の軍勢が告げます。
栄光、栄光が神にありますように、いと高きところで!
空気はうなり、海はとどろきます。
賛美の果てしない合唱が
永遠の感謝の歌を高らかに歌います。
栄光、栄光が神にありますように、いと高きところで!

3. 福音と信仰告白

世界は形なく横たわっていました、
聖なる報告によれば。
そのとき主は言われました、光あれ!と。
主が語られると、光が生じました。
生命が生じ、活動し
秩序が現れました。
そして至るところ、あらゆる場所で
賛美と感謝が響き渡ります。

力と勇気をお授けください、私たちが
救い主が行かれた道を
ただ見るばかりではなく
努力してそれに従うことができますように。
そうしてあなたの福音が
私たちにとって天の知らせとなりますように。
そして私たちを、主よ、あなたの憐れみによって
喜びの国に導き入れてください。


4. 奉献

あなたはお与えになりました、主よ、私に存在と生命を
そしてあなたの教え、天の光を。
それに対して塵にすぎない私があなたに何を与えることができましょうか。ただ感謝をささげることのほかに。

なんと幸いなことでしょう! あなたはあなたの愛のために、ただそれに答える愛のほか、何も求められません。
そして愛は、感謝に満ちた愛は
必ず私の生涯の喜びとなるでしょう。


5. サンクトゥス(聖なるかな)

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主は!
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、ただこの方は!
この方は、はじめなく
この方は、つねにおられた。
永遠であって統治される。
いつまでもおられる。

聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主は!
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、ただ主は!
全能、驚き、愛
すべてのものが取り囲んでいる!
聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主は!


6. 聖変化の後に

あなたの憐れみと慈しみを見つめながら
おお、私の救い主よ、私に、
私は見ます──最後の晩餐において
あなたの大切な人々の交わりの中で
あなたはパンを裂き
あなたは杯を差し出し
あなたは言われます、「これは私のからだ、私の血。
取って、私の愛を思いなさい、
あなたがたが身を献げつつ同じように行うときに」と。

私たちは自らをここに献げます、あなたの言葉に従って
あなたの聖なる祭壇の上に。
そしてあなたが、私の救い主、あなたが共におられます。
霊(心)の目はあなたを認めます。
主よ、あなたは苦しみと死を負われました、
私たちに生命を与えるために。
この天の糧が私たちにとって力の源となりますように、
生きるときも死ぬときも!


7. 主の祈り

あなたの力と偉大さを崇めつつ
私はおののきつつ、自分の無の中に沈みます。
あなたにふさわしいどのような名をもって
あなたをほめたたえましょうか。言葉では言い表わせないあなたを。なんと私は幸いなことでしょう! 私はあなたを父と呼ぶことがゆるされています。あなたのみ子の教えによって。
それで私はあなたに語りかけます、私の造り主よ
幼子のように喜ばしい確信をもって。
おお、父よ、あなたは天におられ
そしてどのような所にもどのようなときもおられます。
あなたの父の名を賛美することが
あらゆる心にとってこの上ない喜びとなりますように。
おお、あなたの憐れみと愛によって
あなたの恵みの国が私たちに現れますように。
そして真実のわざが、あなたの御心に従って
この地をも天のように造りかえますように!


8. 神の小羊

わが救い主、主よ、師よ!
あなたの口は祝福に満ちて
かつて救いの言葉を語られた
「平和があなたがたとともにあるように!」と。
おお、小羊よ、身をささげて
人類の重い罪を除かれた主よ。
あなたの平和を私たちにもお送りください、
あなたの恵みと慈しみによって。

私の救い主よ、主よ、師よ!
おお、憐れみ深く語ってください、
私たちに救いの御言葉を
「平和があなたがたとともにあるように!」と。
私たちに天に平和を送ってください。
この地上がけっして与えることのない平和を。
それはただこのような心にだけ呼びかけるのです。
清く真実にあなたを愛する心に!


9. 終祭の歌

主よ、あなたは私の切なる祈りを聴かれました。
私の胸の中で何かが、この上ない幸せに鼓動しています。地上へと、またこの命の中へと
いま天の喜びが私に伴います。
そこにあなたは私に近くおられ
至るところ、どのようなときにもおられます。
あらゆるところはあなたの神殿です、
人が心を深くあなたに献げるところは。
祝福してください、主よ、私と私のものを。
祝福してください、私たちの人生の道を!
私たちのすべてのわざと働きが
真心からの賛美の歌となりますように。


Deutsche Messe


1. Zum Eingang

Wohin soll ich mich wenden,
Wenn Gram und Schmerz mich drücken?
Wem künd' ich mein Entzücken,
Wenn freudig pocht mein Herz?
Zu dir, zu dir, o Vater,
Komm ich in Freud' und Leiden,
Du sendest ja die Freuden,
Du heilest jeden Schmerz.

Ach, wenn ich dich nicht hätte,
Was wär' mir Erd' und Himmel?
Ein Bannort jede Stätte
Ich selbst in Zufalls Hand.
Du bist's, der meinen Wegen
Ein sich'res Ziel verleihet,
Und Erd' und Himmel weihet
Zu süßem Heimatland.


2. Zum Gloria

Ehre, Ehre sei Gott in der Höhe!
Singet der Himmlischen selige Schar.
Ehre, Ehre sei Gott in der Höhe!
Stammeln auch wir, die die Erde gebar.
Staunen nur kann ich und staunend mich freu'n;
Vater der Welten! doch stimm' ich mit ein: Ehre sei Gott in der Höhe!

Ehre, Ehre sei Gott in der Höhe!
Kündet der Sterne strahlendes Heer.
Ehre, Ehre sei Gott in der Höhe!
Säuseln die Lüfte, brauset das Meer.
Feiernder Wesen unendlicher Chor
Jubelt im ewigen Danklied empor:
Ehre sei Gott in der Höhe!

3. Zum Evangelium und Credo

Noch lag die Schöpfung formlos da,
Nach heiligem Bericht;
Da sprach der Herr: Es werde Licht!
Er sprach's und es ward Licht.
Und Leben regt, und reget sich,
Und Ordnung tritt hervor.
Und überall, allüberall
Tönt Preis und Dank empor.

Verleih' uns Kraft und Mut, daß wir
Nicht nur die Wege seh'n,
Die der Erlöser ging, daß wir
Auch streben nachzugeh'n.
Laß so dein Evangelium
Uns Himmels Botschaft sein,
Und führ' uns, Herr; durch dein Huld
In's Reich der Wonnen ein.


4. Zum Offertorium

Du gabst, o Herr, mir Sein und Leben,
Und deiner Lehre himmlisch Licht.
Was kann dafür, ich Staub, dir geben?
Nur danken kann ich, mehr doch nicht.

Wohl mir ! Du willst für deine Liebe
Ja nichts, als wieder Lieb' allein;
Und Liebe, dankerfüllte Liebe
Soll meines Lebens Wonne sein.


5. Zum Sanctus

Heilig, heilig, heilig, heilig ist der Herr!
Heilig, heilig, heilig, heilig ist nur er!
Er, der nie begonnen,
Er, der immer war,
Ewig ist und waltet,
Sein wird immerdar.

Heilig, heilig, heilig, heilig ist der Herr!
Heilig, heilig, heilig, heilig ist nur er!
Allmacht, Wunder, Liebe,
Alles ringsumher!
Heilig, heilig, heilig, heilig ist der Herr!


6. Nach der Wandlung

Betrachtend deine Huld und Güte,
O mein Erlöser, gegen mich,
Seh‘ ich, beim letzten Abendmahle
Im Kreise deiner Teuren dich.
Du brichst das Brot,
Du reichst den Becher,
Du sprichst: Dies ist mein Leib, mein Blut,
Nehm hin und denket meiner Liebe,
Wenn opfernd ihr ein Gleiches tut.

Wir opfern hier, nach deinem Worte,
Auf deinem heiligen Altar;
Und du, mein Heiland, bist zugegen,
Des Geistes Aug' wird dich gewahr.
Herr, der du Schmerz und Tod getragen,
Um uns das Leben zu verleih'n,
Laß dieses Himmelsbrot uns Labung
Im Leben und im Tode sein!


7.Anhang: Das Gebet des Herrn

Anbetend Deine Macht und Größe
Versinkt in Nichts mein bebend Ich.
Mit welchem Namen, Deiner würdig,
Du Unnennbarer, preis ich Dich?
Wohl mir! Ich darf Dich Vater nennen,
nach Deines Sohnes Unterricht;

So sprech' ich denn zu Dir, mein Schöpfer
Mit kindlich froher Zuversicht.
O Vater, der Du bist im Himmel
Und überall zu jeder Zeit,
Zu preisen Deinen Vaternamen
Sei jedem Herzen Seligkeit!
O laß durch Deine Huld und Liebe
Erscheinen uns Dein Gnadenreich,
Und treues Tun nach Deinem Willen
Mach' auch die Erde himmelgleich!


8. Zum Agnus Dei

Mein Heiland, Herr und Meister!
Dein Mund so segenreich,
Sprach einst das Wort des Heiles:
»Der Friede sei mit Euch!«
O Lamm, das opfernd tilgte
Der Menschheit schwere Schuld,
Send' uns auch deinen Frieden
Durch deine Gnad' und Huld.

Mein Heiland, Herr und Meister,
O sprich erbarmungsreich
Zu uns das Wort des Heiles:
»Der Friede sei mit Euch!«
Send' uns den Himmelsfrieden,
Den nie die Erde gibt,
Der nur dem Herzen winket,
Das rein und treu dich liebt!


9. Schlußgesang

Herr, du hast mein Fleh'n vernommen,
Selig pocht's in meiner Brust,
In die Welt hinaus, in's Leben
Folgt mir nun des Himmels Lust.
Dort auch bist ja du mir nahe,
Überall und jederzeit.
Allerorten ist dein Tempel,
Wo das Herz sich fromm dir weiht.
Segne, Herr, mich und die Meinen,
Segne unsern Lebensgang!
Alles unser Tun und Wirken
Sei ein frommer Lobgesang.

「道」──尹東柱の詩4


 キリスト新聞2006年9月第4週の号、コラム「橄欖」に掲載されたものです。


「わたしは道であり、真理であり、命である。」ヨハネ14:6

 「もうひとつの故郷」と同じ1941年9月(31日!の日付)に書かれた「道」を直訳してみます。


「なくしてしまいました。
何を どこで なくしたのか わからず
両手がポケットをさぐり
道に出て行きます。

石と石と石が 果てしなくつづき
道は石垣に沿って行きます。

垣は鉄の門を固く閉ざし
道の上に長い影を落として

道は朝から夕べへ
夕べから朝へ通じました。

石垣を手探りして 涙ぐみ
見上げると 天は恥ずかしいほど青いのです。

草一本ないこの道を歩くのは
垣の向こうに私が残っているからで、

私が生きるのは、ただ、
なくしたものを見出すためなのです。」


 尹東柱が見出したいと切に願ったのは魂の故郷だったかもしれません。それは、民族の歴史、文化、言葉と無関係のものではなかったでしょう。

 彼はそれを見出すために決意して日本に留学し、キリスト教大学である立教、同志社で学びました。

 しかし自分の魂の求めを自分の言葉で、ハングルで綴ること自体が、戦時下の日本では犯罪でした。京都左京区田中高原町の下宿で逮捕。治安維持法違反で懲役2年の判決。解放の半年前、1945年2月16日午前3時、福岡刑務所の酷寒の独房で死去しました。

 彼は草一本ない荒野の道を歩みました。しかし彼は天を仰ぎ、夜の闇が朝に通じることを知っていました。来年は生誕90年。憲法、教育基本法の「改正」、軍事化、共謀罪……。彼を死に至らせた闇の支配をふたたび許してはならないと思います。

「もうひとつの故郷」──尹東柱の詩3


 キリスト新聞2006年9月第3週の号、コラム「橄欖」に掲載されたものです。


「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。」ヘブライ11:16

 「自画像」から2年後、1941年9月に書かれた「もうひとつの故郷」を直訳してみます。


「ふるさとへ帰ってきた日の夜に
わたしの白骨がついて来て ひとつの部屋に横たわった。

暗い部屋は 宇宙へ通じ
天からか 音のように 風が吹いてくる。

闇の中で きれいに風化作用する
白骨をのぞきこみながら
涙ぐむのは わたしが泣くのか
白骨が泣くのか
美しい魂が泣くのか

志操の高い犬は
夜を明かして 闇に向かって吠える。

闇に向かって吠える犬は
わたしを追うのだろう。

ゆこう ゆこう
追われる人のように ゆこう
白骨の知らぬまに
美しいもうひとつの故郷に ゆこう。」


 1940年2月、創氏改名が実施された。

「言葉ばかりじゃいけない。もっともっと風俗や習慣も近寄って、一層立派な日本人にならねばいけないのだ。……この度有難い思召しで、いよいよ朝鮮の人にも氏を創ることが許されたのだ」(飯田彬『半島の子ら』1942年)。

 尹東柱はそのような時代に、自分が死んで白骨となり、風化していくのを感じつつ、なお自分が生きて死ぬことのできる道を模索していた。それは自分の中に言葉を集めて蓄え、自分をとおして命の言葉が保たれ、それが表現を取る、という道であったに違いない。

 「もうひとつの故郷」から3ヵ月後の12月に太平洋戦争が勃発。戦時のため月末には延禧専門学校を繰り上げ卒業。翌1942年春、留学のために日本渡航。渡航証明書取得のため、彼は「平沼東柱(ひらぬまとうちゅう)」という恥ずかしい名まえを受け容れざるを得なかった。
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