「門番の女中はペトロに言った。『あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。』ペトロは、『違う』と言った。僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。」ヨハネ18:17‐18
大祭司の屋敷の中庭で、ペテロは三度イエスを知らないと言いました。彼があたっていたのは、大祭司の僕たちがおこした炭火でした。炭火は、イエスを裏切った自責と一体となって、生涯彼を苦しめることになったかもしれません。
けれども同じヨハネ福音書にはもう一度炭火が出て来ます。
「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、『主だ』と言った。シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。」ヨハネ21:7‐9
徹夜して漁をし、疲れ果てた弟子たちのために、イエスは朝の食事を用意して待っておられました。真っ先に駆けつけたペテロが見たのは、魚が載せられた炭火でした。
炭火についてのペテロの苦い記憶は癒され、炭火はイエスの愛とゆるしと一体となっていつまでも彼の心に残ったのではないでしょうか。

