Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

日記

ペテロと炭火

今日(2011年4月22日)、聖アグネス教会で行われた受苦日礼拝に出席し、聖書の朗読を聞きながら黙想したことです。

「門番の女中はペトロに言った。『あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。』ペトロは、『違う』と言った。僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。」ヨハネ18:17‐18

大祭司の屋敷の中庭で、ペテロは三度イエスを知らないと言いました。彼があたっていたのは、大祭司の僕たちがおこした炭火でした。炭火は、イエスを裏切った自責と一体となって、生涯彼を苦しめることになったかもしれません。

けれども同じヨハネ福音書にはもう一度炭火が出て来ます。

「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、『主だ』と言った。シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。」ヨハネ21:7‐9

徹夜して漁をし、疲れ果てた弟子たちのために、イエスは朝の食事を用意して待っておられました。真っ先に駆けつけたペテロが見たのは、魚が載せられた炭火でした。

炭火についてのペテロの苦い記憶は癒され、炭火はイエスの愛とゆるしと一体となっていつまでも彼の心に残ったのではないでしょうか。

「戦争をしない国日本」

「戦争をしない国日本」(ドキュメンタリー映画「シリーズ 憲法と共に歩む」第1篇)というDVDを見ました。

1945年、戦争しない国として再出発した日本が、どのような経過を経て戦争できる国へと変貌してきたかがよくわかる内容でした。

特にアメリカの軍事的世界支配体制に日本がしっかり組み込まれてしまっていることにあらためて衝撃を受けました。

人を殺傷するために莫大なお金、エネルギー、知恵……が投じられていることを、愚かな、また恐ろしいこととと感じます。

静けさの中から

静けさの中から
  神の声を聞く

静けさの中から
  人の魂の声を聞く

静けさの中から
  自然の声を聞く

静けさの中に
  休息がある

静けさの中から
  いのちの泉が湧く

静けさの中から
  いやしが起こる

静けさの中で
  新しい促しが起こる  

          2010/06/13

幼稚園の礼拝

 
今日の幼稚園の合同礼拝の開始時はいつにも増して静かだった。

 今日はモーセさんのお話の最終回(10回目)。

 ベストリー(礼拝準備室)でお話をメモ書きしながら、子どもたちを礼拝堂に迎えるために何を吹くかを考える。

 今日はシューベルトのドイツ・ミサ曲にしようと心づもりしていたのに、楽譜を書斎に置いてきてしまった。

 礼拝堂の正面の壁の向こう側が私の書斎なのだが、通路がないので大回りしなくてはならない。時間も迫ってくるし、1階ではお母さま方の集まりの最中、園庭を通るのも……、と考えて断念。

 式服に着替え、礼拝堂の所定の位置に座って、コロイ・フレーテ(ソプラノ・リコーダーに似た小さな竪笛)を持つ。

「主こそまことの救い」(テゼ共同体の歌)、「主イエスはまことのぶとうの木」(こどもさんびか)を繰り返し吹く。階段に音がして、やがて子どもたちが入ってくる。先生を含めると80人くらいが入り終わるまで、かなりの時間がかかる。

 子どもが半分くらい入ったところで、このところ毎週歌っている「きれいなものを見るために」、「ナイルの岸の」に。時折、ちょっと首を回して、あとどれくらいかな。

 全員座り終えたら、コロイを譜面台に置く。とても静か。祈りの空気になっている。先生たちがよく気持ちを整えてくれたのだろう。

 礼拝の始まりに笛を吹くのは、安らかな空気をつくるため。それを子どもたちと共有できるのはしあわせ。

 オルガンの前奏でろうそくに火をつける。

 モーセさんは、ピスガの山の頂から約束の地を見渡しました。
 山があり、川が流れ、湖があり、お花が咲いている。
 ぶどうの木が実り、麦の穂が風に揺れている。これが、ふるさとの国。

 でもモーセさんは疲れて、からだが動かなくなった。
 神さまは「モーセさん、ありがとう。もうこちらに帰ってきてやすみなさい」。

 モーセさんのからだは動かなくなった。みんなは悲しんで泣いた。
 でもモーセさんはみんなのために祈ってくれて、今は天国からみんなを見守っていてくれる。……

 よくお話を聞いてくれる子どもたち。一緒に心配したり考えたり、提案してくれたりする子どもたちに感謝。モーセさんも喜んでくれているだろう。

ブログの更新

 ずっとブログのデザインをさわらず、もっとも単純なものにしていたのですが、ちょっと気が変わってデザインを変更しました。

 ところが字が小さかったり、文字の色が薄かったり、タイトルが消えたりするので、いろいろさわっているうちに、自分の意図とは別に何度も変更する羽目になりました。

 ブログの内容の更新は慣れてきましたが、デザインを自分で工夫、調整するには至りません。

 明日は参議院議員選挙。
 平和を実現するために行動しましょう。

 安倍晴明という陰陽師に興味が湧いて、夢枕獏の文庫本を読みかけています。こういうことを聖書と関連させて探求すると何かが開けてくるかもしれません。

 でも説教をつくらないと。

クランマーの殉教の日

 今日、3月21日は聖公会の基礎を築いたというべきカンタベリー大主教トマス・クランマーの殉教の日です。
 
 クランマーはヘンリ8世、エドワード6世のもとでイングランドの宗教改革を推進しました。聖公会の祈祷書は彼が中心になったつくったものです。

 しかしクランマーはメアリーが登位すると大逆罪の罪を着せられ、カトリックへの回帰を強制されました。彼は脅迫のもとで、自分のしてきた宗教改革の働きを全体を否定する内容の撤回文を書かされ、それに署名しました。しかしそれでも赦されませんでした。
 
 1556年3月21日、クランマーは火刑台の前に引き出されました。女王らは、公衆の前で彼が自説を撤回することを期待しました。ところがクランマーはここに至って宗教改革撤回を完全に否定しました。
 
 火が点けられると、彼は右手を伸ばして炎の中に突っ込みました。
 「この手が罪を犯したのだ! なんと恥ずべき手!」
 クランマーは、良心に反して署名した右手を動かさずに、火の中に死んでいきました。
 
 彼の精神が聖公会の基礎をつくったのです。
 私たちがトマス・クランマーの信仰の精神を継承することができますように。
 
 クランマーのことはベンソン・ボブリック『聖書英訳物語』(柏書房)に生き生きと描かれています。この本のウィリアム・ティンダルの項も秀逸です。
 私は、聖公会という教会を考えるとき、ティンダルとクランマーの二人の精神を今日に回復することの必要を強く感じます。
 
 岩波の『世界』4月号は「日本の軍事政策の大転換」を特集しています。
 この上なく愚かなミサイル防衛、私が憲法違反だと思っている「裁判員制度」の問題も採り上げられています。
 

森井眞『ジャン・カルヴァン──ある運命』

2006年9月24日(日)

 森井眞『ジャン・カルヴァン──ある運命』(教文館、3300円)を読み終えた。
 カルヴァンの全書簡に目を通した上で書かれた最新の伝記。
 非常に良かった。
 
 スイス、特にジュネーヴにおける宗教改革について、時代状況、内容、人物、精神等にわたって非常に深く教えられた。フランスにおける宗教改革について知ることができたのも有益。すさまじい労苦と闘い。
 
 彼がギリシャ・ローマの古典を重視していたこと、ジュネーヴに本格的な研究・教育機関であるアカデミーを設立したことも印象的。
 
 広辞苑は次のように説明。
 
 「カルヴァン【Jean Calvin】フランスの宗教改革者。カルヴァン派の祖。1541年以後ジュネーヴで改革を遂行。聖書をキリスト教信仰と教義の唯一最高の基準とする立場から、教会の制度・儀式だけでなく一般市政と市民の風習・生活を改革し、一種の神権政治を行なった。主著『キリスト教綱要』はスイス・フランスのカルヴァン派にとって聖書に次ぐ規範。(1509〜1564)」
 
 「神権政治」という言葉で括るのは誤った印象を与える。
 
 彼が死ぬひと月前に牧師たちに語った別れの言葉。

「私は取るに足りない者なのに、ジュネーヴで起こった騒動を3000件も押さえてきたのです。」

「私の為したことは何の価値もなかったし、私は惨めな被造物なのだと。でも言ってよければ、私の願ったことは正しかったと。」

 カルヴァンの生涯は55年。
 遺言には自分のことを「ジュネーヴにおける神の言葉の仕え人」と記している。

 彼の生涯は誤りなき生涯ではなかった。致命的な罪を犯したと思われる出来事もある。しかし彼は主の証人として、今日の私たちに呼びかける。私はカルヴァンによって魂の底から揺さぶられる経験をした。
  

2006年9月13日(水) カルヴァン

カルヴァン『詩編註解』序文

 昨日、日本基督教学会の会誌『日本の神学』45が届いた。森井眞『ジャン・カルヴァン──ある運命』(教文館、2005)の書評を出村彰氏が書いている。
 その中に言及されているカルヴァンの『詩編註解』の序文に関心が湧き、書斎を探してそれを読んだ。

 カルヴァンがいかに命がけで宗教改革に取り組んだかがわかる。敵対者に対する批判は猛烈であるが、それは彼に対する迫害、誹謗中傷が激しかった証拠である。
 詩編の極めて優れた信仰的解説であると同時に、自分の経てきた道を追って、心情を率直に吐露している自伝的文章でもある。

 ここにこめられたような信仰的情熱があれば、教会はまったく違ったものになるだろう。それを願う。

 出村先生からはかつて同志社で宗教改革についての集中講義を受けた。多くを教えられた。クラスの最後に祈ってくださったことを思い出す。

スポーツドリンク

 健康診断に行きました。
 「水分を取っているか」と聞かれ、スポーツドリンクを勧められました。
 水やお茶だけでは細胞の内部にまで水分が浸透せず、体は水ぶくれでも細胞は渇いた状態になり、夏ばての原因になるとのこと。
 多いほどよい、1日500ml はとるといいそうです。
 ポカリスエットとアクエリアスを1本ずつ買ってきました。

 阪神が危ういところで勝利! 対中日8-7。久しぶりに良い場面をテレビで見ました。藤川11S。

 私はもう半世紀近く阪神を応援していて、にわかファンではありません。南海がなくなったのは残念。

杜甫「新婚の別れ」

 今夜、ふと中国、盛唐の詩人・杜甫(712-770)の「三吏三別」と総称される六つの詩を
思い出しました。その中の一つ、「新婚の別れ」は、結婚したてで夫を兵に取ら
れる妻の心情を歌ったものです。

 これらの詩は政府の政策を批判としているとして、杜甫は華州司功参軍事の官
を免ぜられてしまいました。杜甫48歳の秋。

 関心のある方は→
http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/sanbetu1.htm
 石九鼎という方のサイトから「新婚の別れ」後半の一部(訳)を紹介します。

──
 あなたは,ともすれば死地に往くとのこと,それを思えば沈痛中腸に迫る様で
ございます。心に誓ってあなたに随い着いて行こうと考えますが,それでは余に
も慌てた様子にも見えましょう。
 お出かけのうえは新婚の念を為すことなく,せいぜい務めて戦仲間のお仕事を
なさって下さい。……

 私は貧しい家の娘でございますのに,嫁の来たてとは言え,久し
く薄絹の袖なし上着や,した絹を身に付けていました。今後はその薄絹の上着な
どは二度と施しません。あなたのご覧の前で紅粧もすっかり洗い落としてしまい
ましょう。
 空を仰いでさまざな鳥の飛ぶを看てみると,大きな鳥も小さな鳥も必ず雌と雄
とが双び翔ています。それに,どうした事か,人間の事がらは,侭にならぬ縺れ
の多いものでございます。お別れするのは是非もございません。この上はただお
互い心を変えず,お会いするときまで,あなたを永く相い望んでいます。
──

 杜甫が良いのは、民衆への愛が社会批判とつながっていることです。
 これはハイネとも尹東柱とも通じています。
 そしてその根幹は旧新約聖書、イエスさまとつながっています。

 三吏三別の詩は次のとおりです。

「新安の吏」
「潼関の吏」
「石壕の吏」
「新婚の別れ」
「垂老の別れ」
「無家の別れ」

 徴兵によって人が奪われ、家族が引き裂かれる悲劇を歌っています。これを読
んで私は涙が溢れ、同時に戦争に人を追いやる悪魔的力に対して憤激が起こって
います。

失敗

 このlivedoorのサイトでさっき日記を書いていて、その画面を保存せずに画像を新しく挿入しようとしたところ、せっかく書いた日記本文が失われてしまった。もう書き直す気力がない。
 livedoorの画面に直接書き込むのではなく、エディタで書いて保存しながら進めないといけない。痛い教訓。

朴鍾基神父のこと──日韓聖公会20周年大会(2)

 日韓聖公会宣教協働20周年大会で、私はできれば二つのことを話したく思っていました。

 ひとつは、立教大学で学び、同志社大学留学中に逮捕され、福岡で獄死した詩人・尹東柱のことです。これについては初日の夜の交流会で話す機会がありました。尹東柱については次をご覧ください。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/izaya/Yundonju.htm

 しかしもうひとつのことは話す機会がありませんでした。それは、大韓聖公会のステパノ朴鍾基(パク・チョンギ)神父のことです。 朴鍾基(パク・チョンギ)神父は今から12年前の1992年10月、逝去されました。朴神父は、第2回日韓聖公会宣教セミナーの韓国側準備委員の中心的存在でした。

 私は第1回日韓聖公会宣教セミナーに対しては仲間とともに反対運動をし、その後当時の木川田主教の強い求めによって日本側日韓協働委員になりました。そうして今度は、前回反対していた日韓セミナーの主催側になってしまったのです。一緒に反対運動をした友人たちを裏切った思いに苦しみ、その分どうしても第2回セミナーにおいて日本と日本聖公会の歴史的誤りの事実を取り上げなければならないと思いました。

 ソウルにおける日韓合同準備委員会の議論がなかなか結論に達しなかったとき、韓国側のひとり朴鍾基神父は「日本聖公会が戦争・植民地支配協力の罪を犯したとすれば、大韓聖公会も日本の支配に抵抗しなかったという罪を犯した」と発言されました。そうして「わたしは主に罪を犯した──両国聖公会の歴史をかえりみて」という主題が決まったのです。朴鍾基神父の「ネガ ハヌニムケ チェルル チオッソ」(わたしは主に罪を犯した)と言われた言葉の響きが今も耳に残っています。これはサムエル記下12:13にあるダビデの言葉です。

 韓国を訪問した私たち日本側準備委員は朴鍾基神父の司式されるソウル大聖堂での主日ミサに出席しました。そのとき朴神父は主イエスの変容貌の話をされました。非常に鮮明な説教でした。1985年11月、大阪で第2回のセミナーが開かれました。

 翌1986年7月、韓国民主化運動の高まりとそれに対する政府の弾圧の中、ソウル大聖堂に戦闘警察(機動隊)が突入し、大聖堂主任司祭・朴鍾基神父は殴打され負傷されました。

 その6年後、韓国の『聖公会新聞』第321号(1992.10.18)に次のような記事が出ました。

 ステパノ朴鍾基神父 逝去
 1992年10月5日 江華邑教会で

 ソウル教区朴鍾基(ステパノ・57歳)神父が10月5日夜、江華邑教会で、過労による心臓麻痺で逝去、10月7日午前10時、全国の多くの聖職者と教友たちが参加する中、金成洙主教の司式と文相尹神父の説教で、ソウル大聖堂において告別ミサが行われ、この日の午後、楊平郡延寿里の教会墓地に葬られた。 故朴ステパノ神父は、1964年司祭按手を受け、これまで30年間、清州、釜山、安仲、東大門、ソウル大聖堂、仁川内洞、江華邑の教会で牧会、教区常任委員、全国常任委員等を歴任しながら教会発展に大きく貢献し、また対外的にも韓国キリスト教教会協議会副会長および人権委員長を務め、エキュメニカルな活動に大きく寄与した。

 今回の20周年大会からの帰り道、思いもかけず『麦の種の信仰者 朴鍾基』という本を韓国の友人から見せられました。表紙は若い時の朴鍾基神父の写真です。他の人が皆後ろを向いているのに、朴神父のみは腕を組んで前を見ています。

 私はこの朴鍾基神父のことを、日韓聖公会の宣教協働にかけがえのない役割を果たされた方として、また韓国と大韓聖公会に与えられた現代の預言者として、永遠に記憶したいと思います。

日韓聖公会宣教協働20周年大会(1)

オモニ連合会聖歌隊
(写真は、ソウル教区オモニ連合会聖歌隊。福岡教会礼拝堂。10月20日夜の韓国側主催交流会にて)

 10月18日(月)〜21日(木)、福岡で「日韓聖公会宣教協働20周年大会」が開かれ、私は通訳として参加しました。

 いろいろありましたが、ほんとうに有意義な集まりでした。
 私自身もあらためて日韓聖公会の宣教協働の意義と必要性を再認識しました。特に、今後に向けての新しい希望と意志を共有できたことが良かったと思います。

 日韓両国語で一緒に礼拝をささげる中で私も何度も感動をおぼえました。

 同時に、日本語・韓国語対訳見開きの式文を使いながら、日本語の式文の問題点をいくつか感じました。少しメモします。「朝の礼拝」(日本聖公会祈祷書に基づく)からです。

1.「懺悔と赦しの祈り」

韓国語「罪の赦しを切に求めましょう(懇求)」
日本語「罪の赦しを祈りましょう」

 日本語本文は「求める」という言葉が入っていないのでイメージが曖昧です。「赦しを祈りましょう」ではなく「赦しを祈り求めましょう」とすべきです。
 日本が犯し続けてきた罪を痛切に自覚するならば、日本人は神と隣人(今回の集まりでは、在日を含む韓国・朝鮮人)に対して「赦し」を切に「求める」祈りをしなくてはなりません。

 現在の祈祷書を含め、日本聖公会の礼拝の中には「懺悔と罪の赦しを求める祈り」の切実さが不足しているように感じます。形式的に流れることが多いように思うのです。
 京都復活教会では導入していませんが、聖餐式の冒頭で「懺悔と赦しの祈り」を用いる場合があります。私はこれを用いる時に、司祭の執り成しの祈りがないととても落ち着かないのです。
 罪の赦しを受けることは、私たちが人として再創造されることだと思います。
 マルコ福音書2:12によれば、イエスの赦しは命を回復し、人を立ち上がらせました。「懺悔と赦し」を礼拝の中で生命的に(妙な日本語)回復したい願います。

2.使徒信経における「わたしたちの」の欠落
 これは大会の中で発言したことですが、古代から継承してきた大切な使徒信経に、現在の日本聖公会祈祷書の本文では重大な欠落があります。

韓国語「その独り子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。」
日本語「その独り子、主イエス・キリストを信じます。」

 このように日本聖公会のほうには「わたしたちの」がないのです。
 韓国、日本、在日が共に集って、これまでの加害、被害、痛みと葛藤の歴史を抱えつつ、それでも「<わたしたちの>主イエス・キリストを信じます」と共同で告白できることの幸いを、私たちはこの使徒信経によって与えられています。
 ところが日本語本文にその「わたしたちの」がないとは何たることでしょうか。
 英語ではour、ラテン語ではnostrum、日本聖公会でもずっと「我らの主イエス=キリスト」となっていました。
 私は1992年11月に、この脱落について当時の首座主教様宛に質問を出し、「わたしたちの」を回復してほしいと要請しました。当時の主教会はこれをちゃんと取り上げてくださいましたが、しかしその返答の要旨は「日本語としての簡潔さを考え、ある方の英断によってこうしたのだ」とのことでした。
 しかし信経というものは一字一句に命がかかっているものであり、一語たりとも内容的吟味をせずに変えたり省略をすべきものではありません。
 このたびの20周年記念大会においてあらためて「わたしたちの」の欠落に痛みを覚えましたので、多くの方々に関心をもって議論していただきたいと思います。

3.「恵みのため」

韓国語「危険に遭うとき、いつもあなたの道へと導いてくださり」
日本語「危険にもあわず、たえず主の導きにより」

 韓国語本文が、危険に遭うことを覚悟しつつ主の導きを祈り求めているのに対して、日本語本文は初めから危険を回避することを願う祈りになっています。
「危険にあわせないでください」という祈りの切実さを私も知っているつもりですが、しかし現実には危険なしに人生は生きられず、まして主イエスを信じて従おうとするときにはいっそう危険に遭うことが避けられなくなる場面があります。
 主イエスが最後の晩餐の席で祈られたのは
「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」
という祈りでした。イエスは世に残る弟子たちが、この世から憎まれ、迫害されることを知っておられました。主イエスの祈りを継承するために、日本語本文は改正する必要があると考えます。

 礼拝は聖霊が働いてくださる場所です。一つの言葉の選び方、一つの音の発し方で、そこに命が宿りもし、言葉のみが過ぎ去ることもあります。

 このことを具体的に気づかせてくれた日韓聖公会宣教協働20周年大会と参加された皆様に感謝します。

鈴木雅明パイプオルガン演奏会

 10月3日(日)夕方、日本キリスト教団丸太町教会で開かれた鈴木雅明さんのオルガン演奏会に行った。
 昨年来同氏の『バッハからの贈りもの』『わが魂の安息、おおバッハよ!』を読み、大変尊敬(敬愛)している方である。「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」をはじめCDも何枚も購入している。
 一言で言って音楽と信仰が生き方の中で結びついている方だと感じてきた。「礼拝においては賛美するかしないかのどちらかであって中間はない」といった趣旨を読んだのが印象的であった。

 今回初めて実演に接することができた。第1部で感じたのは「躍動」である。音楽が躍動している。一番印象的だったのは第2部最初の超有名曲「トッカータとフーガニ短調」。あまりにポピュラーになりすぎ、しかもバッハの自作かどうかも確証がないとのことで一部玄人筋からは好まれないようにも聞いていた。
 冒頭が鳴り出したとたんに、聞き慣れたはずの曲がまったく新しく聞こえてきた。これまでただ荘重、荘厳といったイメージしかなかったのが、意外性の発見の連続。表現は適切ではないかもしれないが、こんなに面白く楽しい曲だったのか! 岩に当たり石をまろばせながら雪崩落ち、飛び散りながら光かがやいて川は流れていく……。それが次第に大きなうねりとなって最後はすべてを飲み込み滔々たる大河となっていく、といった印象であった。この曲1曲で十分に来た価値があった。
 続いて「小フーガ」の名で知られる「ト短調」。私はこの曲を愛してやまない。鈴木雅明さんの演奏は私が持っているCDよりはるかにテンポが速く、弾むように進んでいった。
 
 終わってからある人の引き合わせで鈴木さんと出会って握手。
 願わくは「ミサ曲ロ短調」の録音が近い将来に実現することを祈る。

ヘルダーリン

8eaae0dd.jpg 『ヘルダーリン詩集』岩波文庫

 ヘルダーリンという名前は学生時代に知っていた。ハイデッガーの著作集の中に「ヘルダーリンの詩の解明」という標題の巻を何度も見ていたのだ。不思議に気になる名前であった。しかし私の関心はハイデッガーではなく同時代の哲学者カール・ヤスパースのほうにあり、さらにキルケゴールに向かうことになって、ヘルダーリンがいつの時代のどういう人物かは何も知らないままであった。
 先日8月31日、北大路ビブレの大垣書店で文庫の棚をしゃがんで見ていたところ『ヘルダーリン詩集』があったので手に取ってみた。「パトモス」という詩があった。もしかしてあのヨハネ黙示録のパトモスなのか。

 「翼」「一個の霊」……
 「泉に富んだ キュプロスや その他もろもろの島のように
 輝かしくはないパトモスながら。」
 「島は嘆きを聞く……」
 「そのようにこの島は かつていつくしんだのだ 神に愛された預言者を。」

 あのパトモスだった。かつてローマ帝国の迫害の時代に捕らえられて、長老ヨハネはパトモスの島に幽閉された。その島で彼は幻を見た。ヘルダーリンはあのヨハネ、あのパトモスを歌っていたのである。
 翌日河原町の丸善に行き、ヘルダーリンのドイツ語詩集を捜した。「パトモス」が載っていれば買おうと思った。長い間ページを繰り、"PATMOS"を見つけた。ついでにリルケの詩の朗読CDまで衝動買いしてしまった。これは3900円もした。

 「世の喝采」
 「ああ! 世の人が好むのは 市(いち)にひさがれるものばかり」
 ほんとうに価値あるものはお金では買えないのだ。

 ヨハン・クリスティアン・フリートリッヒ・ヘルダーリン。ベートーヴェン、ヘーゲルと同じ1770年生まれ。テュービンゲン大学神学校に学ぶ。牧師への道を放棄、詩人として生きる道を選ぶ。32歳にして心を病む。長い精神の薄明の時を過ごし、1843年、73歳で死去。

 小磯仁『ヘルダーリン』(清水書院「人と思想シリーズ」)は妙につかえる文体で読みづらいが、内容は教えられるところが多い。
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