Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

詩編黙想

詩編第45編

2005/11/02

1. 「わたしの作る詩」45:2

この詩編の初めと終わりに、作者は詩人としての自分の思いを表現している。


2. 「あなたは人の子らのだれよりも美しく」3

この詩編は「王の婚礼の歌」と言われる。「あなた」とは王のこと。
10節から王妃のことが歌われる。

3. 「真実と謙虚と正義を駆って」5

イスラエルの王は、神から、民を守り治める使命を託された者。
自分の力、富、威光の増大を目的としてはならない(現実にはそれを目的にする王がほとんどであった)。

4. 「神の祝福を受ける方」3

「あなたにあなたの神は油を注がれた」8
これはここで直接歌われた実際の王を越えて、イエス・キリストを指し示す。

イエスは私たちの王。東方の博士たちの献げた宝物のひとつは黄金。これは王のしるし。「イエスさま、私たちのほんとうの王になってください」という祈りが込められている。

ローマ総督の兵士たちはイエスに赤い外套を着せ、茨の冠をかぶせ、葦の棒を持たせて、「ユダヤ人の王、万歳」と言って侮辱した(マタイ27:27-37)。

「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」ヨハネ19:19

彼らは自分では知らずして、イエスが王であることを示していた。
イエスは自ら苦難を負って私たちを守り、救い、治める方。

神の祝福を受け、私たちに祝福を注がれる。

イエスは聖霊を受け、私たちに聖霊を注がれる。

平和──詩編から


   詩編第85編8‐13節

8 神の語られる言葉を聞こう‖ 主はその民、聖徒たち、神に信頼する人に平和を約束される

9 救いは神を畏れる人に近く‖ 栄光はわたしたちの地に住む

10 慈しみとまことはともに会い‖ 正義と平和は抱き合う

11 まことは地から芽生え‖ 正義は天から見守る

12 主はみ恵みを注ぎ‖ 地は豊かに実る

13 正義は神のみ前を進み‖ 神の歩む道を備える

栄光は‖ 父と子と聖霊に
初めのように、今も‖ 世々に限(かぎ)りなく アーメン

(9月28日の京都教区宣教局「平和の集い」で用いた詩編です)

詩編第46編

  詩編第46編                2005/12/07

  主はわたしたちと共にいます 46:8

1. 「神はわたしたちの避けどころ」46:2
 この詩の作者と歌い手は、強い力に脅かされ、苦しめられて、危うい。
 しかし神はその人々の避難所になってくださる。
 私たちを守ってくださるのは神。この方のもとに身を隠す。

2. 「必ずそこにいまして」2
 この詩編は特に「神がおられる」ことを強調して繰り返す。
「必ずそこにいまして」2
「いと高き神のいます聖所」5
「その中にいまし」6
「わたしたちと共にいます。」8、12
 モーセに示された神の名は「ヤハウェ」(「主」と訳されている。かつて「エホバ」と読まれた)。その意味は「わたしはある」ということ。

3. 「万軍の主はわたしたちと共にいます」8、12
 力をもって働き、戦ってくださる神が、遠方にではなく、「わたしたちと共に」おられる。
 このことが具体的に実現したのがクリスマスの出来事。神が人となって私たちのところに来られた。イエス・キリスト=人となられた神。

「地に来たまいし神 わが救い主」聖歌224

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。
この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」マタイ1:23

○神が生きて私たちと共におられる。その事実を信じて生きるのが信仰。

○この詩編はルターの「われらの神は堅き城」(聖歌389 神はわがやぐら)の元になった。
 バッハはこれにもとづいて教会カンタータ第80番を作曲した。

○祈り
 神が、危険の中、苦しみや悲しみの中にある人々と共にいてくださいますように。

詩編第44編

詩編第44編 

                           2005/07/06


 先祖の時代、いにしえの日に
  あなたが成し遂げられた御業を
 ……
 自分の腕の力によって勝利を得たのでもなく
 あなたの右の御手、あなたの御腕
 あなたの御顔の光によるものでした。  44:2、4

  京都復活教会の月1回の「お茶の会」で詩編毎回ひとつずつ読んでいます。
  今回は第44編でしたが、ひとつの箇所に注目しました。

 「あなたの右の御手」

 神さまには手があるのです。その手は後ろ手に組まれているのではなく、私たちを救うために私たちに向かって伸ばされます。

 「日毎の聖句」というのを作っているのですが、今週は「神の御手」の特集でしたのでそれを一つずつ味わいました。

7月4日(月)
立ち上がってください、主よ。神よ、御手を上げてください。貧しい人を忘れないでください。詩編10:12

7月5日(火)
 あなたは必ず御覧になって、御手に労苦と悩みをゆだねる人を、顧みてくださいます。詩編10:14

7月6日(水)
わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます。詩編16:11

7月7日(木)
 あなたを避けどころとする人を、右の御手をもって救ってください。詩編17:7

7月8日(金)
主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ、大水の中から引き上げてくださる。詩編18:17

7月9日(土)
あなたは救いの盾をわたしに授け、右の御手で支えてくださる。詩編18:36


 

詩編第43編

詩編第43編
                   2005/06/01

  あなたはわたしの神 43:2

1.「神よ、あなたのさばきを」43:1
 この人はさげすまれ、圧迫され、ゆえなく非難されてきた。神がほんとうのことをあらわし、示してくださるように。

2.「あなたはわたしの神」2
 神は「私たちの神」であるとともに「私の神」である。
 神が私個人のための神でいてくださることの幸い。

 ヤコブの見た夢。それまでは家族、一族の神であったのが「わたしの神」となる。創世記28:10-

3.「あなたの光とまことを遣わしてください」3
 この願いは、まったく思いもかけない仕方で聞かれた。
 神の光と神の真実が、人となって(肉体となって)私たちのところに遣わされた。それがイエス・キリスト。ヨハネ1:4-14

4.「御顔こそ、わたしの救い」5
「だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。」コリント 13:12

 私たちの生涯の果てに、神の顔を仰ぐ。イエスさまの慈しみに満ちた顔を見て、私たちの顔も光り輝く。

詩編第42編

詩編第42編 
                   2005/04/11

  命の神に、わたしの魂は渇く 42:3

1.「涸れた谷に鹿が水を求めるように」42:2
 この様子を思い浮かべよう。必要で、それがなくては渇き死ぬのに、それを求めて見いだせない苦しみ。

2.「神よ、わたしの魂はあなたを求める。」2
 見いだせないけれども、神を呼ぶ。神に訴え、あるいはつぶやき求める。

3.「神に、命の神に、わたしの魂は渇く。」3
 神は命の神。抽象的な、漠然としたものではなく、命を与えてくださる方。

 地上の命も、天に至る永遠の命も与えてくださる方。

「主は命の神。わたしの岩をたたえよ。わたしの救いの岩なる神をあがめよ。」サムエル記下22:47
「主は真理の神、命の神、永遠を支配する王。」エレミヤ10:10

4.命の神を求めたサマリアの女(ヨハネ第4章)

「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネ4:14
 彼女は命の神を見出した。

「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」7:37-38

 主イエスこそは命の神、渇きをいやしてくださる方。

 しかもイエスは、私たちの渇きをご自分の渇きとして、私たちに代って神を渇き求めてくださった。
「この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く」と言われた。」ヨハネ19:28

「マスキール」:詩篇の表題には、明確な意味がわからないことばが幾つか用いられている。これもその一つ。「教えを含んだ歌」といった意味ではないかとも言われる。

第38編

                2004/11/10

  わたしを責めないでください 38:2

1.主よ、怒ってわたしを責めないでください 38:2
この詩編の主題。祈り求めの中心。
この祈りを心に抱いていた人(あるいはこの祈りを必要としていた人)
──ルカ5:17-26(マルコ2:1-12)
この中風の人は体を動かせなかったばかりではなく、自分を責める罪の思いで動けなかった。

2.あなたの矢はわたしを射抜き 38:3
苦しみの生々しい表現。自分の罪が耐えがたい重荷となっている。

3.わたしの願いはすべて御前にあり 38:10
自分の願いを神の前に広げる。
神の自分を差し出し、見ていただく、聴いていただく。

4.主よ、わたしはなおあなたを待ち望みます 38:16
唯一の希望である神。
この詩編は贖い主イエス・キリストを待ち望む。

「人よ、あなたの罪は赦された。」ルカ5:20
イエスはこの人の苦しみを知り、この人がもっとも必要としている言葉をかけられた。それが罪の赦しである。「あなたはもはや自分を責める必要はない。それはわたしが引き受けたのだ」と主イエスは言われる。私たちも洗礼において罪の赦しを決定的に受け、また礼拝ごとに自分の現実を差し出して赦しを受ける。

「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。」エフェソ1:7

聖歌402 罪の重荷をイエスの肩に
 置きてぞ われは やすらわまし
聖歌453 いともかしこし イエスのめぐみ
     罪に死にたる 身をも生かす

詩編第36編 あなたの翼の陰に

  詩編第36編             2004/09/01

  あなたの翼の陰に 36:8

1.悪に支配された人間の姿 36:2‐5

「罪が語りかける」36:2
「自分の目に自分を偽っているから、自分の悪を認めることも、それを憎むこともできない。」36:3
 これはイエスが直面しておられた人間の現実。神の愛と救いを阻止しているのは<悪>の力。
 イエスさまの愛と真実の語りかけを(権力や地位、富を持った)人々は憎んだ。ヨハネ8:40、15:18

2.あなたの翼の陰に 36:8

 6節からは祈りとなる。悪の救いがたい現実に苦しめられながら、詩人は祈る。
「あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ……」
「瞳のようにわたしを守り/あなたの翼の陰に隠してください。」詩編17:8
 神は私たちをみ翼の陰に守り憩わせてくださる。
──そのことを黙想し、感じてみよう。

聖歌189「3 みつばさのもとに やすけく 憩いて」

3.あなたを知る人の上に慈しみが 36:11‐

 人のためのとりなしと、自分のための祈り。
神を知り、神を信じ、神に従おうとする人が悪しき力によって踏みにじられてはならない。
 「慈しみが常にありますように」

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