Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

メッセージ

【全文】イエス御自身が真ん中に立ち

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ルカ24:36−48
2018年4月15日・復活節第3主日
奈良基督教会での説教

→ 全文

今日の福音書はこのように始まりました。

 「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」ルカ24:36

 聖書日課をお持ちの方は、今日の福音書本文の始まりの所を見ていただきますと、「24:36b」と書いてあるのに気づかれると思います。これは36節の冒頭(36a)が省略されているということを示してい
ます。何が省略されているかと言うと
「こういうことを話していると、」
という言葉です。
 別に省いてもよい気がするかもしれませんが、しかしこの言葉によって、主イエスの弟子たちがどういう状態にあったかがはっきりとわかるのです。
……


イエス御自身が真ん中に立ち

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復活節第3主日(2018/04/15)

ルカによる福音書24:36−48

 イエスが十字架につけられてから3日目の日曜日の深夜のことです。エルサレムに残った弟子たちと、遠いエマオまで行って戻ってきた二人の弟子たちとが集まって、語り合っていました。復活のイエスさまに出会ったことを熱心に話す人もいれば、それを不思議に思う人、疑わしく思う人もいて、議論は尽きません。

 そうしているうちに、イエス御自身が彼らの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と言われました。弟子たちは恐れおののいて、亡霊を見ているのだと思いました。そこでイエスは言われました。

「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」ルカ24:38−39

 そう言ってイエスは弟子たちに、ご自分の両手と両足を示されました。そこにははっきりと、釘を打たれた傷跡が残っていました。
 それを見た弟子たちは、確かにイエスさまだとわかって、喜びが湧き起こってきます。それでもやっぱり不思議で、信じられないのです。

 そこでイエスは「ここに何か食べ物があるか」と言われました。弟子たちが焼いた魚を一切れ差し出すと、イエスはそれを取って彼らの前で食べられました。

 わたしたちはイエスの復活について議論し、不思議に思い、また疑います。わたしたちの間では解決がつきません。けれども大切なことは、そのようなわたしたちの真ん中にイエス御自身が立たれる、ということです。そしてなかなか信じられないわたしたちを何とかわからせようとして、イエス御自身が懸命になられる、ということです。

 イエスが御自身をわたしたちに示し、そしてわたしたちの心の目を開いてくださるとき、すべては変わります。惑いと疑いは去り、喜びと力が湧き溢れて、自分の中にそれを押し込めておくことはできなくなるのです。

 わたしたちは聖餐式の初めに「主イエス・キリストおいでください。弟子たちの中に立ち、復活のみ姿を現されたように、わたしたちのうちにもお臨みください」と祈ります。

 どうかこの祈りのとおりに、復活の主イエスがわたしたちの真ん中に立って、わたしたちを惑いや疑いから解放し、喜びで満たしてくださいますように。

(日本聖公会京都教区ホームページ「今週のメッセージ」)

クロパの妻マリアと十字架のイエス

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2018年3月30日・聖金曜日
奈良基督教会での説教です。
(大和伝道区合同礼拝)

全文→クロパの妻マリアと十字架のイエス

 わたしたちは今、2000年前の人たちと同じように、主イエスの十字架のもとに集まっています。

 今、朗読されたのはヨハネ福音書による主イエスの受難物語ですが、ルカ福音書にはこのように書かれた一節があります。イエスの死の直後です。

「23:48 見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。」

 このように、十字架の出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った人たち。その中にはふたとおりの人々がいたのではないでしょうか。一つは、この残酷で衝撃的な出来事に立ち会ったとしても、やがてその記憶は次第に薄れて過去の事柄となり、結局はイエスの十字架と自分の人生の間には特別な関係が生じなかった人たちです。
 もう一つは、この十字架の出来事がそれを目撃した人の生涯に決定的な影響を及ぼすことになった人たち。十字架にかけられたイエスがその人の心に刻みこまれて、イエスと自分とをもはや切り離すことができなくなった人たち。十字架のイエスなしの人生などもはやあり得なくなった人たちです。

 わたしたちはこの礼拝が終われば、2000年前の人たちと同じように胸を打ちながら帰って行くでしょう。そしてその後はどうなるのでしょうか。願わくは、今述べた後者のようでありたい。十字架のイエスがわたしたちに宿ってくださって、もはやそこから離れられないような、そのようなイエスとの出会いと結びつきが与えられることを願います。
……

自分のもとへ引き寄せよう ──トマス・クランマーの殉教

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ヨハネ12:32

2018年3月18日・大斎節第5主日
奈良基督教会での説教

「わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」ヨハネ12:32

 今日のヨハネ福音書によれば、主イエスは弟子たちとの別れが迫ったとき、このように言われました。 その言葉のとおりに主イエスのもとに引き寄せられたひとりの人のことを、今日はお話しします。それは16世紀、今からおよそ500年前に、聖公会という教会の土台を築いたトマス・クランマーという大主教です。
……

全文→ 自分のもとへ引き寄せよう ──トマス・クランマーの殉教

ハバククの祈り

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日本CGNTV(インターネット放送)「みことばに聞く」のための原稿です。

1 ハバククの嘆き
2 ハバククの沈黙
3 ハバククの賛美

2018年2月23日、日本聖公会奈良基督教会礼拝堂で収録。

→ ハバククの祈り 原稿

「預言者ハバクク」。彼は紀元前7世紀、イエスさまよりも600年くらい前に、ユダの国で活動した人です。

預言者は神さまから言葉を受けて、それを人びとに伝える人です。けれどもただ「神から人へ」という一方通行ではありません。預言者は神からの言葉を受けて伝えるばかりではなく、人の声、人の思いを神に届けます。「神から人へ」と「人から神へ」と──この両方の間に立つのです。ここに預言者の栄光と苦しみがあります。

ことにハバククはその時代の苦しみの中で、神に向かって嘆きの声を上げました。
……

「使徒言行録」講義の動画

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OCCカレッジ(大阪クリスチャンセンター)で行った使徒言行録講義全体がインターネット放送局(CGNTV)で公開されました。
全体は四つに分けられています。

下記を開くと最新の(つまり途中から)ものがいきなり始まります。

日本CGNTV OCC COLLEGE

動画の下方、いったん ■ を押して停止させ、画面の下のほうをたどるとメニューが表示されます。

原稿にはないことも自由に話しています。
私の願いは正確でバランスのとれた解説をすることではなく、自分に関心のあるところから福音のメッセージを受け取ることにあります。
(とはいえ、恥ずかしくて自分では見ることができません。)

当日配布した講義原稿は
   ↓
使徒言行録「パウロの回心と働き」

わたしについて来なさい

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2018年1月21日・顕現後第3主日
奈良基督教会での説教です。

マルコ1:16−20

「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。」マルコ1:16
 
聖書を読むときに、その場面、情景を想像してみたい。
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。」
 
イエスが、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられます。夜が明けた頃かもしれません。湖を渡ってくる風が頬をなで、髪の毛を揺らします。朝の新鮮な空気。朝日が湖を照らしています。イエスが踏まれる海辺の砂がザクザクと音を立てています。

二人の人が目に入りました。漁師です。岸辺からそれほど遠くない、湖に浮かべた舟の上から網を打って漁をしています。イエスはそれをご覧になりました。
……

→ 「わたしについて来なさい」全文

主よ、お話しください

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2018年1月14日・顕現後第2主日
奈良基督教会での説教です。
サムエル記上3:1−10

 「主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております」

 これがわたしたちの教会の今年の年間聖句です。年間聖句は毎週の週報に書かれてあり、また信徒の方が墨で書いてくださって礼拝堂とベタニアに掲げられています。

 この聖句はわたしが決めているのですが、それは年度の終わり頃に教会の現状を振り返りながら、神さまが何をわたしたちに呼びかけておられるのかを思いめぐらすなかで与えられたものです。

 「主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております」

 わたしたちは話す。大事なことです。けれどもわたしたちが話している間に、神さまの声が聞こえなくなる。聞くことを忘れる。これはとても危険なことです。
 いろんな課題を抱えて、たくさん心配したり迷ったりするわたしたちです。そのわたしたちに対して、神さまは何と言われるのか。神さまは何を語りかけておられるのか。わたしたちの教会に対して、この社会に対して、またわたし個人に対して。これに心の耳を澄まして聞きたい。神さまの思い、神さまの言葉の中に、わたしたちの希望と命がかかっているのです。
……

→説教全文PDF

幼子の名はイエス(2018)

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2018年1月1日・主イエス命名の日
奈良基督教会での説教です。

……
その子の名はイエス。「イエス」とは「主(ヤハウェ)は救う」「神は救い」という意味です。神の救いをこの世界にもたらすために生まれた幼子の名前はイエス。誕生から8日目の今日1月1日に、幼子は正式にイエスと名付けられました。イエスの名はマリアから愛をもって呼ばれ、ヨセフから愛をもって呼ばれ、隣人たちから愛をもって呼ばれました。

ところでこのイエス命名の出来事を伝えるルカ福音書の中で、直接このイエスの名を呼んだ人たちがいるのだろうか。いるとしたらどんな人たちが「イエスよ」とイエスの名を呼んだのか。それが気になって調べて見ました。それほど多くはないので、短くたどってみます。
……

全文は → 幼子の名はイエス

モーセ物語〜旧約聖書・出エジプト記から〜

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親愛幼稚園の礼拝でのお話です。計3回。
2017年10月〜11月。

昔々遠い昔、神さまを信じていたイスラエルの人たちはエジプトで暮らしていました。イスラエルの人たちとエジプトの人たちは仲良く暮らしていたのです。ところが悪い王さまが現れて、恐ろしい命令を出しました。「イスラエルの家に男の子が生まれたら、ナイル川に投げ込んでしまえ」。

そのころ、レビさんというイスラエルの人の家に赤ちゃんが生まれました。男の子でした。とってもうれしかったけれども、とても心配です。悪い王さまに見つかったら捕まえられてしまいます。

ずっと赤ちゃんを家の中に隠していました。でも赤ちゃんは泣きます。どうしよう。お母さんはお祈りしました。お父さんはお祈りしました。お姉さんのミリアムさんもお祈りしました。「どうか赤ちゃんを助けてください。」
……

全文 → モーセ物語

ヨナを愛される神

Sea of Galilee, Southward View

2017年9月24日
聖霊降臨後第16主日
奈良基督教会での説教です。

今日の旧約聖書は、ヨナ書という預言書の最後のところでした。ヨナ書は預言書には数えられているのですが、内容はまるで小説のようです。あらすじをたどってみることにします。

主なる神はヨナに命じて言われました。
「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」ヨナ1:2

ニネベは古代アッシリア帝国の都です。今のイラク北部。チグリス川のほとりの大都市でした。そのニネベの悪は甚だしく、これ以上放置できないと思われた神は、ヨナをニネベに遣わして、神の審判が迫っていることを伝えさせようとされました。

ところがヨナは、ニネベとはまったく反対の西のかなた、スペインのタルシシュ行きの船に乗り込みました。神さまから逃げたのです。
……

全文 → ヨナを愛される神


終わりの日を思って今を生きる ──シラ書から

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2017年9月17日
聖霊降臨後第15主日
奈良基督教会での説教です。

 本日の「シラ書」は旧約聖書続編に含まれるもので、紀元前200年頃、ベン・シラ(イエスス)という人が編集した信仰的教訓集とも言うべきものです。今日はそのシラ書の言葉のいくつかに触れてみることにしましょう。

 ところで聖書を読んでいて、ここは避けて通りたい、という箇所があります。わたしにとってのその一つが、実は今日の箇所なのです。しかし避けて通りたい箇所にこそ、大切な神さまからの呼びかけがあるのではないか。そう思って立ち止まって聞いてみることにします。
……

全文 → 終わりの日を思って今を生きる ──シラ書から

ペテロと赦し

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2017年9月17日 聖霊降臨後第15主日

「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。』イエスは言われた。『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』」(マタイ18:21-22)

 このとき、ペテロは同じ弟子仲間に対してひどく立腹していたのかもしれません。「赦しがたい」と感じつつ、なお「赦さなければ」という葛藤の中にあったのではないでしょうか。

 しばらく前にペテロはイエスさまに対する信仰告白をしました。
「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)

 これに対してイエスは言われました。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」(16:17-18)

 ご自分の教会をこのペテロの信仰を土台として建てると言われたイエスは、今だけではなく将来のペテロのつまずきと立ち直り、使命と困難を見通しておられました。
 この後、イエスが捕らえられたとき、ペテロはイエスを裏切って「そんな人は知らない」と言います。もう生きて行けないほどの負い目を負ったペテロを立ち直らせたのは、イエスの赦しの愛です。赦しを必要としたのはペテロ自身でした。

 主イエスの復活と聖霊降臨の後、ペテロが信仰共同体(教会)の責任を負うことになるとき、どれほど多くの人の不当な言動に直面して行かなくてはならないことでしょうか。憤りと失望によって、あるいは自身の過ちや無力によってペテロは自分を失い、務めに耐えられなくなってしまうかもしれません。

「わたしの羊を飼いなさい。」(ヨハネ21:17)

 耐えがたい困難を乗り越えてペテロを支え生かし続けるのは、主イエスの七の七十倍以上も彼を赦す愛、無限の赦しの愛と、彼への使命の委託、そしてペテロの悔いの涙なのです。

説教者としてのわたしの歩み

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以前に『福音と世界』に書いた文章です。
(写真は京都復活教会礼拝堂)

本文 → 説教者としてのわたしの歩み

歴史を忘れない 2017長崎原爆の日

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2017年8月9日 奈良基督教会
「長崎原爆の日 平和の祈り」メッセージ


72年前に広島、長崎で投下された原子爆弾によって命を失った人々を覚えて祈りましょう。

すべて世にある人また世を去った人の父なる神よ、
72年前に広島、長崎に投下された原子爆弾によって
命を失った人々の死を悼(いた)み、
その魂を主のみ手にゆだねます。
わたしたちがその犠牲をむなしくせず、
世界の平和の実現と核兵器の廃絶を求め、
また人の魂にまごころと愛が満ちることを願い求めて歩むようにしてください。
主イエス・キリストによってお願いします。アーメン

点鐘 8:15(8月6日) 11:02(8月9日)

司式者 亡くなった人びと、ことに広島、長崎の原爆犠牲者に
    永遠の平安と慰めをお与えください。
    またそのうちに含まれる外国人、
    ことに韓国・朝鮮人被爆者を顧みてください。
 会衆 主よ、お聞きください


 72回目の原爆記念日を迎えました。
 1945年当時、広島の人口は約35万人、そのうち約14万人が犠牲となったと言われます。長崎の人口は約24万人、そのうち約7万人が犠牲となったと言われます。

 歴史の記憶は、意識しなければ消え去ってしまいます。痛ましい事実も、むごく苦しめられた人々のうめきも、なかったことになってしまいます。しかも、それを「なかったことにしたい」人々がいます。しかしそのようなことは許されません。

 わたしたちは主日ごとに主イエスの受難と復活を記念して聖餐式を行います。主イエスの出来事を絶対になかったことにせず、生き生きと記憶し、よみがえらせるためです。それが信仰の営みです。ここから繰り返し新しい歩み出しが起こります。

 ところでこの8月7日、国連では「核兵器禁止条約」が122カ国の賛成で締結されました。条約は前文で「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の帰結を憂慮する」とし、「核兵器を完全に除去する」必要性を強調。広島、長崎の被爆者の訴えをくみ取り、「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)と核実験の被害者の受け入れがたい苦しみと被害に留意する」との文言も盛りこまれました。

 会議を主導した南アフリカの代表は「被爆者がいなければここまで来られなかった」と述べ、被爆者らの条約制定への働きかけをたたえたとのことです。

 しかし日本政府はこれに参加しませんでした。被爆国としての責任と使命を裏切るものとしか思えません。

 わたしたちは戦争の悲惨と過ち、原爆の悲劇と悪を繰り返すことがないように、平和の実現を求めて歩みたいと願います。

知恵は神の友と預言者を育成する ──旧約聖書続編「知恵の書」をひもとく

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2017年7月23日 奈良基督教会
2017年7月25日 奈良朝祷会
旧約聖書続編「知恵の書」についての説教・講話です。

全文 → 知恵は神の友と預言者を育成する ──旧約聖書続編「知恵の書」をひもとく

 旧約聖書続編に「知恵の書」という書物があります。「ソロモンの知恵」とも呼ばれるものですが、あまり触れる機会がないかもしれません。今日は、この「知恵の書」をひもといてみたいと思います。
 この書物は、エジプトのアレクサンドリアのユダヤ人によって書かれたと言われます。イエスさまの誕生より50年前から100年前くらいの間に書かれたそうです。

 まず冒頭はこう始まっています。
「1:1 国を治める者たちよ、義を愛せよ、
善良な心で主を思い、
素直な心で主を求めよ。」


 これは今の日本の為政者、政治家に聞かせたい言葉です。不正、ごまかし、欲望、そして戦争するための国づくり……。どこに義があるのか。どこに善良な心があるのか。
「義」とは、神さまが願われるところを求め、それに従って生きることです。
……

神に対して生きている

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2017年7月2日
聖霊降臨後第4主日
奈良基督教会での説教です。

ローマ6:3−11

全文 → 神に対して生きている

 わたしたちの教会は先週、創立130周年を記念して礼拝をささげ、神さまを賛美し、先輩たちの信仰の労苦を感謝しました。同時にこの教会に新しく6名の堅信、ひとりの初陪餐者が与えられたことをともに喜び祝いました。礼拝、祝会、130周年記念誌、その他さまざまな面で多くの方々が祈りと奉仕をささげてくださったことを心から感謝します。

 記念礼拝と祝会は終わった。しかしただ終わったのではありません。ここから新しい教会の歴史が始まったのです。神さまの祝福と使命を受けて、将来に向かって歩んで行きましょう。
 
 ところで教会創立130周年記念の一環として、公開聖書講座を昨年から開始し、この5月には第6回として「ローマの信徒への手紙」を取り上げました。十分な準備したとはとうてい言えませんが、しかしそれでもローマ書の中の核心部分、言い換えれば、ローマ書の中に燃える神の愛の火について触れたものです。(全文原稿を印刷したものがありますから、参加されなかった方もご一読くださればありがたく思います。)
 この聖書公開講座を思いついたひとつのきっかけがあります。
……

父よ、あなたをほめたたえます

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2017年7月9日
聖霊降臨後第5主日
奈良基督教会での説教です。

全文 → 父よ、あなたをほめたたえます

「そのとき、イエスはこう言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。』」マタイ11:25

 今日の福音書の冒頭で、このようにイエスは祈っておられます。その祈りは賛美の祈りです。

「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます」

 このとき、イエスさまはどのような表情をしておられたのでしょうか。聖書には直接書かれてはいません。だいたい聖書を読むとき、わたしたちはイエスさまの表情を考えたり思い浮かべたりすることがあるでしょうか。でも今はあえて想像してみます。そのときのイエスさまの表情は? 目は開けておられたか閉じておられたか。手は組んでおられたか合わせておられたか。それとも両手を上げておられたか。何も書かれていないのですから、唯一の正しい答えはなく、どう想像したとしても誤りではありません。

 けれどもわたしはこのように想像します。イエスは喜びに満ちてほほえんでおられた。場所は戸外で、目は開いて天に注がれていた。両手は開いて上に向けられていた。
……
 


聖霊を受けなさい──神の愛の火

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2017年6月4日
聖霊降臨日
奈良基督教会での説教です。

全文→聖霊を受けなさい──神の愛の火

 今日は聖霊降臨日。祭壇のフロンタルの色は赤です。説教壇も聖書朗読台も、司祭のストールも赤。わたしたちの教会では期節、またその主日の意味に応じて四つの色を使い分けますが、主日に赤を使うのは2回しかありません。

 ひとつは主イエスの受難を記念する復活前主日(棕櫚の主日)。そのときの赤は、主イエスが流された血を象徴します。もうひとつは今日の聖霊降臨日で、今日の赤は神さまの燃える愛の火を現します。この礼拝堂の赤を心に写して、神の燃える愛を感じたいと願います。

 2000年前、最初の主イエスの弟子たちの祈りの群れの中に、神の愛が激しく燃えた。その愛の火が教会を誕生させました。
……

イエスご自身が近づいて来て

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2017年4月30日
復活節第3主日
奈良基督教会での説教です。

 二人の人が遠い山道を下って行きます。日曜日の午後です。二人は、悲しみと困惑と恐怖の入り交じった思いで道を急いでいます。

 悲しみというのは、もっとも大切な人、主イエスを失ったからです。このイエスを信じ、このイエスにのみ希望を託し、頼りにしてきたのに、無残にもイエスは一昨日の金曜日、十字架にかけられて殺されました。イエスを失ったことはすべてを失ったことでした。

 困惑というのは、今朝聞いたことです。仲間の女の人たちが朝早くにイエスの墓に行ったところ、イエスの遺体がなくなっていた。そして天使が現れて彼女らに、「イエスは生きておられる」と告げた、というのです。いったいどういうことなのか。いくら考えても議論してもわかりません。

 恐怖というのは、エルサレムにいるのがこわかったのです。……

全文 → イエスご自身が近づいて来て
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