Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

尹東柱

風が吹いて【尹東柱の詩 5】

강가 바람


風が吹いて

風がどこから吹いてきて
どこへ吹かれていくのか。

風が吹いているが
わたしの苦しみには理由がない。

わたしの苦しみには理由がないのか。

ただひとりの女を愛したこともない。
時代を悲しんだこともない。

風がしきりに吹いているが
わたしの足は岩の上に立っている。

川の水が絶え間なく流れているが
わたしの足は丘の上に立っている。



바람이 불어


바람이 어디로부터 불어와
어디로 불려 가는 것일까,

바람이 부는데
내 괴로움에는 理由가 없다.

내 괴로움에는 理由가 없을까.

단 한 女子를 사랑한 일도 없다.
時代를 슬퍼한 일도 없다.

바람이 자꼬 부는데
내 발이 반석 우에 섰다.

강물이 자꼬 흐르는데
내 발이 언덕 우에 섰다.
 1941.6.2

(韓国語本文は『天と風と星と詩』初版(1948)による。)
理由なく苦しんでいるような自分がいます。
時代を悲しまず、時代に責任を持って生きていないように感じる自分がいます。
けれども彼は問い直します。「わたしの苦しみには理由がないのか。」
むしろ彼は、時代の風にさらされつつ、時代に抗い、自分の使命に忠実に生きようと決意しています。
自分に対する不足感、不充足感を持ちつつ、しかし後半の4行で転換が起こります。彼は確固として岩(盤石)に立っているのです。
直訳すれば「(岩の上に、丘の上に)立った」なのですが、決意して立ち、現在しっかりと立ち続けているという印象を受けたので、「立っている」と訳してみました。
尹東柱、延禧専門学校4年、満23歳。
(訳・井田 泉)


弟の印象画【尹東柱の詩 4】

明東学校



 明東学校(最初の母校)


弟の印象画 
        
赤い額に 冷たい月が差し
弟の顔は 悲しい絵だ。

歩みを止め
そっと幼い手を握って
「お前は大きくなったら何になる」

「人になる」
弟の悲しい ほんとうに悲しい答だ。

そおっと 握っていた手を放し
弟の顔を もう一度見つめる。

冷たい月が 赤い額に濡れ、
弟の顔は 悲しい絵だ。


아우의 인상화


붉은 이마에 싸늘한 달이 서리어
아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.

발걸음을 멈추어
살그머니 애딘 손을 잡으며
“너는 자라 무엇이 되려니”

“사람이 되지”
아우의 설운 진정코 설운 대답이다.

슬며 ─ 시 잡았던 손을 놓고
아우의 얼굴을 다시 들여다본다.

싸늘한 달이 붉은 이마에 젖어,
아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.

  1938.9.15

 「悲しい」(3回)と感じるのは、弟を心から愛しているからでしょう。
 この詩を書いたとき、尹東柱は延禧専門学校の1年生で満20歳、弟の尹一柱(ユンイルジュ)は10歳でした。十も年が離れています。

 詩の日付は1938年9月15日となっています。この日付は重大です。というのは、その5日前の9月10日、朝鮮総督府の強要によって、朝鮮イエス教長老会[長老教会の正式名]総会は神社参拝決議をしたのです。総会が開かれたのは場所は平壤(ピョンヤン)西門外教会。尹東柱のその家族は長老教会の信徒です。家族の暮らす故郷は、行政的には朝鮮ではなく「満州国」間島省なのですが、教会としては朝鮮イエス教長老会東満老会[教区]龍井(ヨンジョン)中央教会に属していました。

 2年前、尹東柱は崇実(スンシル)中学校(平壤)の時代、当局の学校に対する神社参拝強要に抗議して自主退学したのでした。崇実中学校は長老教会に属する学校です。

 この詩を完成させた時点で、尹東柱が長老教会総会の神社参拝決議を知っていたかどうかはわかりません。しかし日本の圧政下にあって、それなりに「人になる」ようなどんな明るい未来がありうるのか。そういう思いが、弟の「人になる」という答えを聞いたときに湧き起こってきたのかもしれません。

新しい道【尹東柱の詩 3】

延禧の森

 延禧の森


新しい道 

川をわたって森へ
峠を越えて村へ

昨日も行き 今日も行く
わたしの道 新しい道

タンポポが咲き かささぎが飛び
娘が通り 風が起こり

わたしの道はいつも新しい道
今日も……明日も……

川をわたって森へ
峠を越えて村へ
        *
새로운 길

내를 건너서 숲으로
고개를 넘어서 마을로

어제도 가고 오늘도 갈
나의 길 새로운 길

민들레가 피고 까치가 날고
아가씨가 지나고 바람이 일고

나의 길은 언제나 새로운 길
오늘도…… 내일도……

내를 건너서 숲으로
고개를 넘어서 마을로

   1938.5.10
          *
希望に満ちた詩。

민들레가 피고 까치가 날고
ミンドゥルレガ ピゴ カッチガ ナルゴ
(タンポポが咲き かささぎが飛び)

아가씨가 지나고 바람이 일고
アガシガ チナゴ パラミ イルゴ
(娘が通り 風が起こり)

この原詩のリズムと響きが楽しく心地よい。
この「新しい道」は、「自画像」とともに彼の葬儀(1945年3月6日)で朗読されたという。
延禧専門学校に入学してしばらくの作。当時満20歳。

少年【尹東柱の詩 2】

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 少年

そこかしこ紅葉(もみじ)のような悲しい秋がはらはらと落ちる。紅葉が落ちてきたところごとに春を備えて、木の枝の上に空が広がっている。そっと空をのぞき見ようとすると、眉毛が青く染まる。両手で温かい頬を撫でてみると、手のひらも青く染まる。もう一度手のひらをのぞいて見る。手の筋には澄んだ川の水が流れ、澄んだ川の水が流れ、川の水の中にはいとしくも悲しい顔 ── 美しい順伊(スニ)の顔が映る。少年はうっとりと目を閉じてみる。なおも澄んだ川の水は流れ、いとしくも悲しい顔 ── 美しい順伊(スニ)の顔は映る。


 소년

여기저기서 단풍잎 같은 슬픈 가을이 뚝뚝 떨어진다. 단풍잎 떨어져 나온 자리마다 봄을 마련해 놓고 나뭇가지 우에 하늘이 펼쳐 있다. 가만히 하늘을 들여다보려면 눈썹에 파란 물감이 든다. 두 손으로 따뜻한 볼을 쓸어보면* 손바닥에도 파란 물감이 묻어난다. 다시 손바닥을 들여다본다. 손금에는 맑은 강물이 흐르고, 맑은 강물이 흐르고, 강물 속에는 사랑처럼 슬픈 얼굴 ── 아름다운 순이(順伊)의 얼굴이 어린다. 소년은 황홀히 눈을 감아 본다. 그래도 맑은 강물은 흘러 사랑처럼 슬픈 얼굴 ── 아름다운 순이(順伊)의 얼굴은 어린다.


※散文詩。木々の紅葉、空の青が印象的。青は顔を染める。「澄んだ川の水が流れ、澄んだ川の水が流れ」の繰り返しが美しい。手のひらに流れる澄んだ川の水の中に、いとしくも悲しいスニ(順伊)の顔が映る。

前回「雪 降る地図」と同じくスニ(順伊)が出て来る。初版の詩集(横書き、1948)では、見開きで左側に「少年」が、右側に「少年」が配されている。
1939年、尹東柱は延禧専門学校2年生、21歳。

雪 降る地図 【尹東柱の詩 1 】

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雪 降る地図

順伊(スニ)が発つという朝、言葉にできない心にぼたん雪が降り、悲しむかのように窓の外に果てしなく敷かれた地図の上を覆う。
部屋の中を見回してもだれもいない。壁と天井が真っ白だ。部屋の中まで雪が降るのだろうか、ほんとうにあなたはなくしてしまった歴史のようにふわふわ行くのか、発つ前に話しておくことがあったのを、手紙を書いてもあなたが行く所がわからず、どの街、どの村、どの屋根の下、あなたはわたしの心の中にだけ残っているのか、あなたの小さな足跡に雪がしきりに降りかかり、ついて行くこともできない。雪が溶ければ残った足跡の場所ごとに花が咲くだろうから、花の間に足跡を探してゆくなら、1年12か月いつもわたしの心には雪が降るだろう。

           *
눈 오는 지도

順伊가 떠난다는 아츰에 말못할 마음으로 함박눈이 나려, 슬픈것 처럼 窓밖에 아득히 깔린 地図 우에 덮인다.
房안을 돌아다 보아야 아무도 없다. 壁과 天井이 하얗다. 房안에까지 눈이 나리는 것일까, 정말 너는 잃어버린 歴史처럼 홀홀이 가는 것이냐, 떠나기前에 일러둘말이 있든것을 편지를 써서도 네가 가는 곳을 몰라 어느 거리, 어느 마을, 어느 지붕 밑, 너는 내 마음 속에만 남어 있는 것이냐, 네 쪼고만 발자욱을 눈이 작고 나려 덮여 따라갈수도 없다. 눈이 녹으면 남은 발자욱 자리마다 꽃이 피리니 꽃사이로 발자욱을 찾아 나서면 一年열두달 하냥 내 마음에는 눈이 나리리라.
1941.3.12

  (漢字・綴りは初版による。訳は井田)

※順伊(スニ)は詩人が心に深く愛する人なのでしょう。順伊が去って行き、自分はその足跡を追って行きたいのに、雪が降りしきって足跡を隠してしまい、後を追って行けないと歌います。
散文詩。改行は初めのほうの1カ所のみです。
尹東柱、満23歳。延禧専門学校3年の終わり頃の作です。

詩人・尹東柱の命を奪った治安維持法

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平和を実現するキリスト者ネット ニュースレター
 208号 2020年7月10日発行

【PDF 全文】詩人・尹東柱の命を奪った治安維持法


 今から77年前の1943年7月14日、同志社大学英文科に留学していた尹東柱(ユン・ドンジュ)は、下鴨警察署特高刑事によって逮捕されました。「治安維持法違反」の容疑でした。治安維持法とはどういう内容だったでしょうか。

第1条
「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ3年以上ノ有期懲役ニ処ス」
第5条
「第1条乃至第3条ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議若ハ煽動ヲ為シ又ハ其ノ目的タル事項ヲ宣伝シ其ノ他其ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ1年以上10年以下ノ懲役ニ処ス」

 彼が自分の民族の言葉で詩を書き、また日本からの独立への願いを友人と語り合ったことが重大な犯罪とされたのでした。彼は京都地方裁判所で懲役2年の判決を受け、1945年2月16日未明、福岡刑務所の独房で絶命しました。拷問と寒さによる衰弱。満27歳でした。

 尹東柱(ユンドンジュ)は、1917年12月30日、中国吉林省明東(ミョンドン)に生まれ、幼児洗礼を受けました。日本による朝鮮植民地支配の時代です。彼はソウルの延禧(ヨニ)専門学校時代に多くの珠玉の作品を書きました。そのひとつが「星を数える夜」です。

  季節が移りゆく空には
  秋でいっぱい 満ちています。
  わたしはなんの憂いもなく
  秋の中の星々をみな数えられそうです。
  ……
  星ひとつに 追憶と
  星ひとつに 愛と
  星ひとつに 寂しさと
  星ひとつに 憧れと
  星ひとつに 詩と
  星ひとつに お母さん、お母さん、
  ……


 自筆原稿を見ると、コクヨの400字詰め原稿用紙に万年筆で書かれたこの比較的長い詩は、次の言葉でいったん終わり、(一九四一・十一・五)という年月日が付されています。

  この星の光が降る丘の上に
  わたしの名まえの字を書いてみて、
  土でおおってしまいました。
  夜を明かして鳴く虫は
  恥ずかしい名を悲しんでいるからです。

 日本渡航のために「平沼東柱」と改名せざるを得ない。その名を彼は恥ずかしく思い、書いてから土で覆ってしまったのでしょうか。しかしこの後、彼は次のような言葉を書き足しました。

  けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
  墓の上に青い芝草が萌え出るように
  わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
  誇らしく草が生い繁るでしょう。


 まるで彼は自分を待ち受ける死を予感し、しかしそのかなたに新しい命の輝きを見ていたかのようです。今も尹東柱の生涯と詩は、闇の中に美しい光を放っています。

 いわゆる「共謀罪」を含む改正組織的犯罪処罰法が、2017年7月に施行されました。これは尹東柱の命を奪った治安維持法の再来です。治安維持法によって彼が逮捕された同じ月。この国の暴走を許してはならないとの思いを新たにします。

講演 詩人・尹東柱〜その時代と生涯と詩

東藝大2020年02月ポスター_尹東柱Pf

2月16日に獄死した詩人を偲んで

2020 年 2 月 18 日(火)18:30
東京藝術大学上野キャンパス

第1部 15:30-17:30 特別上映会《空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜
 美しい言葉と映像で、詩人の生涯を綴る感動作!

第2部 18:30-21:00
 お話 井田泉さん(日本聖公会奈良基督教会牧師)
「詩人・尹東柱− その時代と生涯と詩− 」

案内PDF→ 詩人・尹東柱〜その時代と生涯と詩

尹東柱 詩 対訳 20190114

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先日のNHKの「こころの時代〜尹東柱を読み継ぐ人びと」の取材を機会に、これまで自分で訳してみたもの21編を掲載します。

未整理の部分があり、またここにはまだ含めていないものもあります。
今後も試行錯誤が続きます。

尹東柱 詩 対訳 20190114

尹東柱さまにささげる歌──生誕100年に寄せて

尹東柱にささげる歌 Ida_ページ_1

尹東柱にささげる歌 Ida_ページ_2

聖公会生野センター『ウルリム(響)』第66号
2017年11月25日発行

 詩人・尹東柱(ユンドンジュ)は、1917年12月30日、中国吉林省明東に生まれた。日本による朝鮮植民地支配の時代である。彼は延禧(ヨニ)専門学校時代に多くの珠玉の作品を書いた。そのひとつは「星を数える夜」である。

  季節が移りゆく空には
  秋でいっぱい 満ちています。
  わたしはなんの憂いもなく
  秋の中の星々をみな数えられそうです。……
  星ひとつに 追憶と
  星ひとつに 愛と
  星ひとつに 寂しさと
  星ひとつに 憧れと/星ひとつに 詩と
  星ひとつに お母さん、お母さん、
  ……
 
 自筆原稿を見ると、コクヨの400字詰め原稿用紙に万年筆で書かれたこの比較的長い詩は、次の言葉でいったん終わり、(一九四一・十一・五)という年月日が付されています。
……
 
 →PDF全文はこちら

 →歌はこちら

「尹東柱さまにささげる歌」

朗読テープ


今年、2017年は詩人・尹東柱の生誕100年です。
30年前以上に聞いた尹東柱詩 朗誦集に収められていた歌の原文を見つけたので、直訳とともに掲載します。

YouTube で聞くことができます。

   作詞・作曲 尹亨柱(ユン・ヒョンジュ)

「尹東柱さまにささげる歌」

あなたの天は どんな色だったので
あなたの風は どこへ吹いたので

あなたの星は 何を語ったので
あなたの詩たちは このように 息をするのでしょうか

夜通し 苦しんで 夜明けを迎え
恋しさに傷ついた風が ふるさとに 駆けていくとき

あなたは遠い空 冷たい冷たい 空気の中で
あなたの息を 引き取らねばならなかったのですか….

死んでいく すべてのものを 愛したあなたは
むしろ 美しい魂の光であれ

木の葉に 起こる風にも 苦しんだあなたは
むしろ むしろ 美しいいのちの光であれ

あなたの地…. あなたの場所に
天が降る …. 星が降る….


윤형주 윤동주님께 바치는 노래

당신의 하늘은 무슨 빛이 었길래
당신의 바람은 어디로 불었길래

당신의 별들은 무엇을 말했길래
당신의 詩들이 이토록 숨을 쉬나요

밤새워 고통으로 새벽을 맞으며
그리움에 멍든 바람 고향으로 달려갈때

당신은 먼하늘 차디찬 냉기속에
당신의 숨결을 거두어야 했나요...

죽어가는 모든 것을 사랑했던 당신은
차라리 아름다운 영혼의 빛갈이어라

잎새에 이는 바람에도 괴로왔던 당신은
차라리 차라리 아름다운 생명의 빛깔이어라

당신의 땅....당신의 자리에
하늘이 나리네 .... 별이 나리네...


日韓の歴史──尹東柱(ユン・ドンジュ)の生涯と詩を中心に

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2017年2月15日、聖公会神学院2016年度短期集中講座で話したものの資料(年表)です。

日韓の歴史──尹東柱の生涯と詩を中心に

尹東柱の詩対訳(抄)

2017 尹東柱を偲ぶ会 献花式(京都・同志社) 

尹東柱献花式20170211_ページ_1

日時2017年2月11日(土) 13;30〜17:00

献花式 13:30〜14:15 詩碑前

映像でたどる尹東柱の100年
 14:30〜16:00
         同志社大学良心館207号室

尹東柱と尹一柱──詩に現れた兄弟の思い

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2012 年2 月11 日 尹東柱を偲ぶ会(同志社大学)での講演です。

→ 全文

尹東柱 詩 対訳

序詩


尹東柱の詩の対訳です。

尹東柱の詩の対訳

「たんぽぽの笛」──尹東柱と尹一柱

 今から60年前の1952年、詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の弟である尹一柱(ユン・イルジュ)は「たんぽぽの笛」という詩を書いた。

たんぽぽ

 たんぽぽの笛

日の光が温かい兄さんの墓の横に
たんぽぽが1株立っています。

1本には 黄色い花
1本には 白い種。

花は摘んで胸に挿し
種は息で吹いてみます。
かるくかるく
空に消える種、

──兄さんも 黙って行きましたね。

目を閉じて吹いてみるたんぽぽの笛
兄さんの顔 はっきりと浮かびます。

飛び立った種は
春になれば広い野原に
また咲くでしょう。
兄さん、その時は
わたしたちも会えるでしょう。


 「種」と直訳したが、たんぽぽの白い綿毛のことである。吹く息に乗って飛んで行く綿毛のかなたには、7年前に福岡で獄死した兄が待っている。綿毛の種が地に落ちて、やがて芽を出し、ふたたびたんぽぽの花となって咲く時、必ず再会することができる。

 「たんぽぽの笛」から14年前の1938年、20歳の兄・尹東柱は10歳の弟・一柱を「弟の印象画」という詩に書き留めた。

 弟の印象画

赤い額に 冷たい月が差し
弟の顔は 悲しい絵だ。

歩みを止め
そっと幼い手を握って
「お前は大きくなったら何になる」

「人になる」
弟の悲しい ほんとうに悲しい答だ。

そおっと 握っていた手を放し
弟の顔を もう一度見つめる。

冷たい月が 赤い額に濡れ、
弟の顔は 悲しい絵だ。


 「たんぽぽの笛」を書いたとき、弟は14年前の月明かりの下での兄の顔と手の感触を、兄の問いと、「人となる」と言った自分の答を、思い出していただろうか。

 後に尹一柱は、大韓イエス教長老会の機関誌『基督公報』(1965.2.20)に「兄、尹東柱──彼の20周忌に」という文を寄せた。

「卒業する頃にはキルケゴールを愛読し、彼の友人であったM牧師との対話で神学にも深い造詣を示し、また信仰から離れていなかったことを示したといいます。今も忘れられないのは、ある冬休みのクリスマスの日、寒い夜明けに私の手を引いて教会に出席し、敬虔な雰囲気に浸って帰る彼の姿です。」

「彼が1944年に日本の福岡刑務所に収監されていくらもならないころ、英韓対照新約聖書を送ってほしいと言うので送ってあげたことがあります。1945年2月16日、彼の獄中で29歳[訳者注、数え年]という短い生涯を終える時まで、この『主の御言葉』を唯一の友として永遠の世界に近づいて行っただろうと信じるのです。」

 尹東柱は「人になる」ことの困難な時代に、人としてまっすぐに生きようとして、この日本の国によって人生を断ち切られた。今日、「君が代」を立って歌うことに良心の抵抗を感じる人にまで、権力を用いてこれを強制することは、当時と同じく「人になる」ことを許さない行為である。

 「思いやりの心そなえ、深く思う人になれ」(聖歌413)と、主に招かれたわたしたちは、たんぽぽの種に未来を信じた人のことを決して軽んじない。

聖公会生野センター『ウルリム』第55号 2012年6月20日発行

星を数える夜──詩人・尹東柱(ユンドンジュ)の70年

ダニエル書12:3‐13

「こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。『主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか。』彼は答えた。『ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。……終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」12:8‐10、13

讃美歌312 いつくしみふかき
讃美歌497 わがゆくべき
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「季節が過ぎていく天には 秋でいっぱい満ちています」

 これは尹東柱(ユンドンジュ)という人の「星を数える夜」という詩の初めです。尹東柱は1917年に中国東北部間島省明東(ミョンドン)(現在は中国吉林省延辺朝鮮自治州に属する)に生れ、1945年に福岡で獄死した朝鮮のキリスト者詩人です。今からちょうど70年前、1941年の11月5日にこの詩が書かれました。書かれた場所は、当時日本統治下の朝鮮、韓国のソウルです。尹東柱は当時23歳の青年。ソウルのキリスト教学校、延禧(ヨニ)専門学校の学生でした。延禧は現在の延世(ヨンセ)大学校で、同志社とも交流の深い学校です。
詩の初めのほうを読んでみます。

 星を数える夜

季節が過ぎていく天には
秋でいっぱい満ちています。
わたしはなんの心配もなく
秋の中の星々を みな数えられそうです。


 秋の深い夜、尹東柱は丘の上に立って、星空を見つめています。満天の星。冷たく冴えわたった空気の中で、心は平安です。あせりも心配もありません。大きな星、小さな星、白い星、赤い星、明るい星、ほの暗い星……。星はとても多いけれども、ひとつひとつの星がくっきりとしていて、全部の星を数えられそうな気がします。

 星のひとつひとつが語りかけてくるようです。星はただ遠くに向こうに見えているばかりではなく、自分の心に宿ります。ひとつ、ふたつ、みっつと……自分の胸に、星は刻まれてきます。数えられそうな星なのですが、ひとつひとつ大切に心に留まってくるので、1、2、3、4……というようにどんどんと数えるわけにはいきません。

胸の中に ひとつ ふたつと 刻まれる星を
今すべて数えきれないのは
すぐに朝が来るからで、
明日の夜が残っているからで、
まだわたしの青春が尽きていないからです。


 星はひとつ、ふたつ……と自分の胸に刻まれてきて、今全部を数えることはできません。こんなにたくさんの星ですから、数えているうちにすぐに朝が来てしまいます。急いで全部いま数えなくてもいいのです。明日の夜が残っているのですから。

 けれども尹東柱は「明日の夜もあるから」とは言わず、「残っているから」と言います。明日も明後日もずっと日が十分あるというのではない。「残っている」というのは、逆に言うと、夜は、星を数えられる夜は限りがあるということかもしれません。今すべて数えられなくてもよい。あせりも心配もないのです。明日の夜が残っているから。けれどもその先はわかりません。
 
胸の中に ひとつ ふたつと 刻まれる星を
今すべて数えきれないのは
……
まだわたしの青春が尽きていないからです。


 まだわたしの青春は尽きていない。星を全部数えてしまったら、もう自分の青春は尽きてしまうかもしれない、という思いがどこかにあるのでしょうか。しかしまだ尽きてはいない。

 23歳の尹東柱。今は11月初旬、5日ですが、その1ヵ月後の12月8日には、日本軍による真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まります。戦時下のため、学校の授業は短縮され、3ヵ月繰り上げ卒業となります。この詩を書いてから50日あまりで彼は延禧を卒業してしまうのです。1941年12月27日でした。

 卒業後どうするか。すでに彼は決意していました。日本への留学です。

 北に光る星の下には故郷があり、南東の星の下にはまだ見ぬ日本があります。ある星は自分のこれまでを示しているようであり、ある星は自分の将来を告げているような気がします。星は無言でありながら、何かを語っているようです。星ひとつひとつがそれぞれ言葉を持っているようです。

星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに お母さん、お母さん、

お母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとことずつ呼んでみます。小学校のとき机を並べた子らの名まえと、佩(ペ)、鏡(キョン)、玉(オク)、このような異国の少女たちの名まえと、もう赤ちゃんのお母さんになった娘たちの名まえと、貧しい隣人たちの名まえと、鳩、小犬、兎、らば、鹿、フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ、このような詩人の名まえを呼んでみます。

これらの人たちはあまりにも遠くにいます。
星が 目まいするほど遠いように、

お母さん、
そしてあなたは遠く北間島(プッカンド)におられます。


 尹東柱の故郷である北間島龍井(ヨンジョン)は朝鮮と中国を隔てる豆満江の北側。当時は日本支配の「満州国」に属していました。ソウルから龍井は遠い。龍井はソウルからほぼ真北に1000キロの距離です。帰るには1日1本の夜行列車を使って、およそ24時間かかります。さらに日本に行くとなればどんなに遠いことでしょうか。しかもソウルの学校でさえ、日本の支配の締め付けによって朝鮮語が禁止されてきている時代です。尹東柱は、奪われ、滅ぼされようとする朝鮮語に自分と自分の民族の命を感じて生きている詩人です。日本渡航は危険にさらされることです。けれども学びを深めることが自分の使命であれば、それを選ぶほかはありません。

 故郷では、母が毎日自分のことを心配して祈ってくれているでしょう。父は、息子の日本渡航のために手続きをしてくれているはずです。何の手続きかと言うと、創氏改名。日本に渡るためには尹東柱の名では叶わない。日本式に名前を変えなくては玄界灘を渡ることはできません。渡航証明書には日本の名前でないといけないのです。そのため「尹」の代わりに「平沼」とし、尹東柱は「平沼東柱(とうちゅう)」としなくてはなりません。代々継承してきた「尹」を「平沼」に変えるのは、一家にとってどんなに辛い、屈辱的なことでしょうか。
 
お母さん、
そしてあなたは遠く北間島(プッカンド)におられます。

わたしは何か恋しくて
このたくさんの星の光が降った丘の上に
わたしの名まえの字を書いてみて、
土でおおってしまいました。
たしかに 夜を明かして鳴く虫は
恥ずかしい名を悲しんでいるからです。

 
 尹東柱は日本に渡るために名乗ることになる「平沼東柱」という名前の字を、星の光の下で、石か木片を取って土に刻んだのでしょうか。恥ずかしい名前です。あるいは「尹東柱」とも書いたかもしれません。書いてみて、土で覆ってしまいました。声を立てて泣いている秋の虫は、恥ずかしい名前を悲しんでいる。鳴く虫の声は自分の心の声です。

 尹東柱はここで「星を数える夜」の詩を書き終えて、「一九四一、十一、五」と日付を書きこみました。

 しかし何かこれで全部ではない気がする。恥ずかしい名を書いて、土で覆ってしまって、悲しみで終わっていいでしょうか。こんなにたくさんの星の光が自分にも、丘の上にも降り注いでいるというのに。

 やがて彼は、日付を記した次にもう4行を書き加えました。

けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
誇らしく草が生い繁るでしょう。


 秋も深まってまもなく冬になろうとしています。季節のことだけではない。日本という、自分が朝鮮人として朝鮮語で生きて行くこと許さない国に行くのは、まさに冬を耐えることになるのではないか。

けれども冬が過ぎてわたしの星にも春が来れば

 わたしの星。星のひとつに、彼は自分の尹東柱という名前を呼んでみたのかもしれません。わたしの星にも必ず春が来る。

 どうしてここに「墓の上に」という言葉が出てくるのでしょうか。彼は恥ずかしい名前を土で覆ったばかりではなく、自分自身が墓に葬られることを感じているかのようです。

けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
誇らしく草が生い繁るでしょう。


 23歳の尹東柱はすでにここで自分の死と、そして復活を予感して、決意し、覚悟しているかのようです。自分の青春が尽きてしまうまでに、残された時間はどれくらいあるでしょうか。

 尹東柱は、翌1942年春、東京のキリスト教系学校である立教大学に留学しました。そこで彼は軍事教練を拒否したため、配属将校から憎まれ、圧迫を受けるようになりました。その年の秋、彼はこの同志社大学文学部英文学科に転入しました。69年前です。しかし翌1943年7月14日、夏休みを前に、彼は下宿で下鴨警察署員に逮捕されました。治安維持法違反の容疑。日本国家を転覆する意図をもって活動したというのです。朝鮮語で日記や詩を書くこと自体が、罪に問われることでした。

 彼は京都地方裁判所で懲役2年の判決を受け、福岡刑務所に収監されました。そして1945年2月16日、拷問、虐待の果てに衰弱、獄死しました。満27歳でした。

 今日は、ちょうど70年前に書かれた「星を数える夜」の詩をご紹介しましたが、同じ年同じ月、1941年11月20日に書かれた「序詩」を刻んだ尹東柱詩碑が、この今出川キャンパスに立てられています。
 
 遠い昔、ダニエルという預言者がいました。先ほど読んでいただいたのは旧約聖書・ダニエル書の最後のところです。

「こう聞いてもわたしには理解できなかったので、尋ねた。『主よ、これらのことの終わりはどうなるのでしょうか。』彼は答えた。『ダニエルよ、もう行きなさい。終わりの時までこれらの事は秘められ、封じられている。多くの者は清められ、白くされ、練られる。逆らう者はなお逆らう。……終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」12:8‐10、13
 
 心配し、迷うことはある。苦しみは避けられない。しかしあなたは、あなた自身の道を行きなさい。神さまがあなたに託された使命を確かめ、それを引き受けて終わりまでまっすぐ道を行きなさい。──これは70年前に尹東柱が「星を数える夜」を書いたころに聞いた神さまの声、またそれから1年後にこの同志社大学で過す間に聞いた神さまの声かもしれません。

 あなたは苦難を経て、必ず再び立ち上がるであろう。──あの詩を書いた尹東柱は、70年を経た今、立ち上がってわたしたちに語りかけています。

 わたしたちもまた困難があったとしても、自分に託された使命が何であるかを尋ね求め、確かめ、それを引き受けて、終わりまで真実にまっすぐ自分の道を歩む。そのような人生の道は、輝く星の光をいっぱいに浴びる道。苦難をとおしてイエス・キリストの復活に生かされる道です。

(2011/11/09 同志社大学チャペルアワー 神学館礼拝堂)

尹東柱 詩碑献花式 2012/2/11

尹東柱 詩碑献花式(来日・京都70周年)のご案内です。       

主催・尹東柱を偲ぶ会/同志社コリア同窓会

2012年2月11日(土)午後2時

同志社大学今出川キャンパス

DoshishaShihif

総合司会    朴煕均

第1部 詩碑献花式(詩碑前) 午後2時〜
1. 開会            
2. 会長挨拶          崔龍漢
3. 聖書朗読・祈祷       崔忠植
4. 「序詩」朗読(原詩と伊吹郷訳) 一同で
5. 献花
(案内)

第2部 詩の朗読と講演(神学館チャペル) 午後2時45分
1. ライアー奏楽   ♪星の呼び声  小野純子

2. 詩の朗読とライアー(曲・小野純子)

         朗読(日本語) (韓国語)
「序詩」     井田 泉   韓相敦  ♪梢にたわむれる風
「星を数える夜」 中川悦子   金吉良  ♪
「弟の肖像画」  中川悦子   韓相敦  ♪
「十字架」    松本あかね  金吉良  ♪
「白い影」    松本あかね  韓相敦  ♪
「新しい道」   中川悦子   金吉良  ♪

3. 講演「尹東柱(ユンドンジュ)と尹一柱(ユンイルジュ)──詩に現れた兄弟の思い」
  井田 泉(京都聖三一教会牧師)

  
 尹一柱「たんぽぽの笛」          ♪  

4. ライアー奏楽   ♪無伴奏チェロ組曲から「プレリュード」

5. 「新しい道」    ♪ 

6. ♪いつくしみ深き(讃美歌312、讃頌歌487) オルガン伴奏
 
             午後4時30分終了予定

尹一柱「たんぽぽの笛」

尹一柱は尹東柱の弟です。
尹一柱氏のご子息である尹仁石氏が、2011年2月20日に行われた「詩人尹東柱とともに」(詩人尹東柱を記念する立教の会)で講演されました。

この集いの資料が送られてきて、その中に「たんぽぽの笛」(日本語訳)が載っていました。
確かめると以前に尹仁石氏からいただいた尹一柱詩集『童画』の中に「たんぽぽの笛」を見つけたので、私なりに訳してみました。


たんぽぽの笛

日の光が温かい兄さんの墓の横に
たんぽぽが1株立っています。

1本には 黄色い花
1本には 白い種。

花は摘んで胸に挿し
種は息で吹いてみます。
かるくかるく
空に消える種。

──兄さんも 黙って行きましたね。

目を閉じて吹いてみるたんぽぽの笛
兄さんの顔 はっきりと浮かびます。

飛び立った種は
春になれば広い野原に
また咲くでしょう。
兄さん、その時は
わたしたちも会えるでしょう。

(1952年の詩だそうです。「種」と直訳しましたが、見えるのは白いわたげです。こういうことも翻訳がむつかしいところです。)

第4回 詩人 尹東柱とともに(立教)

2011年2月20日(日)午後2時〜
立教大学チャペル

講演・尹仁石教授(韓国・成均館大学、尹東柱の甥)

主催・詩人尹東柱を記念する立教の会

詳しくは次をご覧ください。

http://www002.upp.so-net.ne.jp/izaya/2011YuntotomoniTokyo.pdf

尹東柱「風が吹いて」

風が吹いて

風がどこから吹いてきて
どこへ吹かれていくのか。

風が吹いているが
わたしの苦しみには理由がない。

わたしの苦しみには理由がないのか。

ただひとりの女を愛したこともない。
時代を悲しんだこともない。

風がしきりに吹いているが
わたしの足は岩の上に立っている。

川の水が絶え間なく流れているが
わたしの足は丘の上に立っている。

1941.6.2
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