Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

日ごとの聖句

日ごとの聖句1277 恵みと平和が 2026/10/18〜24

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2026年10月18日(日)聖霊降臨後第21主日
                 テサロニケの信徒への手紙�� 1:1
パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケの教会へ。恵みと平和があなたがたにありますように。

10月19日(月)福音記者聖ルカ日  テサロニケの信徒への手紙�� 1:2
私たちは、祈りの度に、あなたがたを思い起こし、あなたがた一同について、いつも神に感謝しています。

10月20日(火)          テサロニケの信徒への手紙�� 1:3
あなたがたが信仰の働きを示し、愛のために労苦し、また、私たちの主イエス・キリストに希望を置いて忍耐していることを、絶えず父なる神の前に思い起こしているのです。

10月21日(水)          テサロニケの信徒への手紙�� 1:4
神に愛されているきょうだいたち、私たちは、あなたがたが神に選ばれたことを知っています。

10月22日(木)          テサロニケの信徒への手紙�� 1:5
私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによったからです。

10月23日(金)          テサロニケの信徒への手紙�� 1:6
そしてあなたがたは、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、私たちと主に倣う者となりました。

10月24日(土)          テサロニケの信徒への手紙�� 1:7
こうして、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範となったのです。

(聖書協会共同訳)

(ひとこと)
この「テサロニケの信徒への手紙�機廚遼粗�で、パウロは宛先の人々に向けて「恵みと平和があなたがたにありますように」と祈っています。

ふと気になって確かめてみました。すると新約聖書の中にある21の書簡のうち、パウロの名によるもの13、ペトロの名によるもの2、合わせて15の書簡の冒頭には「恵みと平和」が祈られているのを知りました。

またパウロの書簡の多くでは「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平和が……」と祈られています。

この祈りの言葉が私に慰めと励ましを与えてきました。

それでいつの頃からか、礼拝やそのほか適切と思った場面で個々人を祝福するときには、手を置いて「主イエス・キリストの恵みと平和があなたと共にありますように」と祈ってきました。そのとき、私自身が恵みと平和を受けるのを感じるのです。

たとえ離れていても、お互いの間で「恵みと平和」を祈りあうことができればどんなにすばらしいことでしょうか。

日ごとの聖句1276 喜びなさい 2026/10/11〜17

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2026年10月11日(日)聖霊降臨後第20主日
                  フィリピの信徒への手紙 4:4
主にあっていつも喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

10月12日(月)          フィリピの信徒への手紙 4:5
あなたがたの寛容な心をすべての人に知らせなさい。主は近いのです。

10月13日(火)          フィリピの信徒への手紙 4:6
何事も思い煩ってはなりません。どんな場合にも、感謝を込めて祈りと願いを献げ、求めているものを神に打ち明けなさい。

10月14日(水)          フィリピの信徒への手紙 4:7
そうすれば、あらゆる人知を超えた神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスにあって守るでしょう。

10月15日(木)          フィリピの信徒への手紙 4:8
きょうだいたち、すべて真実なこと、すべて尊いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。

10月16日(金)          フィリピの信徒への手紙 4:9
私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたと共におられます。

10月17日(土)        フィリピの信徒への手紙 4:13-14
私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です。それにしても、あなたがたは、よく私と苦しみを共にしてくれました。

(聖書協会共同訳)

(ひとこと)

「主にあっていつも喜びなさい」(4:4)

パウロが獄中からフィリピの教会の人々に書き送ったこの手紙には、「喜びなさい」が5回繰り返されます。「わたしの喜び」「喜びをもって」などを含めると、「喜び」が16回も出てくるのです。

「喜びなさい」と訳されたギリシア語「カイレテ」は、復活のイエスがマグダラのマリアともう一人のマリアによびかけた言葉(マタイ28:9)とまったく同じです。新共同訳、聖書協会共同訳はそこを「おはよう」と訳していますが、岩波訳は「喜びあれ」としています。

復活のイエスに喜びがあり、そのイエスに生かされているパウロに喜びがあります。この手紙で、復活の主ご自身がパウロをとおしてフィリピの人々に、「喜べ」「わたしが生きているのだから喜べ」と呼びかけておられる。そう思えてきます。

思えば、ベツレヘムの羊飼いたちに天使が告げたのは、救い主降誕の「大きな喜び」でした(ルカ2:10)。

さまざまな課題や困難を抱えて顔の曇ることの多いわたしたちですが、わたしたちもこの呼びかけを受けて福音の喜びを回復したいと願います。

日ごとの聖句1275 キリストと同じ形に 2026/10/4〜10

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 京都聖三一教会の十字架と聖卓


2026年10月4日(日)聖霊降臨後第19主日
                フィリピの信徒への手紙 3:13
兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、前のものに全身を向けつつ……

10月5日(月)          フィリピの信徒への手紙 3:14
神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

10月6日(火)          フィリピの信徒への手紙 3:17
兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。

10月7日(水)          フィリピの信徒への手紙 3:18
何度も言ってきたし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。

10月8日(木)          フィリピの信徒への手紙 3:19
彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。

10月9日(金)          フィリピの信徒への手紙 3:20
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。

10月10日(土)          フィリピの信徒への手紙 3:21
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。

(新共同訳)

(ひとこと)
10月4日はアッシジのフランシス(1182年〜 1226)の記念日です。

彼は富裕な家に生まれましたが、やがてすべてを放棄して、貧しい人々に仕える道に入りました。彼の始めた「小さな兄弟会」は、やがてフランシスコ修道会として発展しました。

彼は小鳥に説教し、狼とも心を通わせたと言われます。有名な「平和の祈り」(聖公会聖歌417、讃美歌21 499)は、実際には彼によるものではないようですが、その精神と深く通じ合うとされます。

伝えられるところによれば、彼は晩年、ラ・ヴェルナ山中で祈っていたとき、両手、両足、わき腹に聖痕(キリストの傷)を受けたといいます。

パウロは「キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」(フィリピ3:21)と語りましたが、フランシスコに起こったことはそれと関係していると思えます。

キリストの十字架の苦難の傷。それをフランシスコは具体的にその体に受けた。彼の体はキリストの体と同じ形に変えられつつあったのです。

わたしたちはフランシスコのようではあり得ないとしても、そこで留まるべきではありません。わたしたちもまたキリストに従って生き、その過程で傷を受けるとすれば、それはキリストが「わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださる」しるしと信じたい。キリストの傷から溢れ出る愛をこの身に受けて、希望をもって歩みたいと願います。

日ごとの聖句1274 イエスの名 2026/9/27〜10/3

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2026年9月27日(日)聖霊降臨後第18主日
                  フィリピの信徒への手紙 2:1
幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、霊の交わり、憐れみや慈しみの心があるなら、

9月28日(月)           フィリピの信徒への手紙 2:2
同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。

9月29日(火)聖ミカエルおよび諸天使の日
                 フィリピの信徒への手紙 2:6-7
キリストは神の形でありながら、神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして人間と同じ者になられました。

9月30日(水)          フィリピの信徒への手紙 2:8
キリストはへりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで、従順でした。

10月1日(木)           フィリピの信徒への手紙 2:9
このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名を、お与えになりました。

10月2日(金)          フィリピの信徒への手紙 2:11
それは、イエスの御名によって、すべてが膝をかがめ、すべての舌が「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神が崇められるためです。

10月3日(土)          フィリピの信徒への手紙 2:12
私の愛する人たち、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。

(聖書協会共同訳)

(ひとこと)
「イエス」 母マリアはこの名を、どれほど繰り返し愛をもって呼んだことでしょうか。

イエスとともに十字架につけられた犯罪人のひとりは、「イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」と呼びかけました(ルカ23:42)。
ステパノは石に撃たれて死のうとするとき、「主イエスよ、私の霊をお受けください」と祈りました(使徒言行録7:59)。

神によって何よりも尊いものとされたイエスの名は、愛と力をもって働きます。

私たちも、愛と信頼をこめてイエスの名を呼びましょう。この名を持つ方は、私たちを癒やし、導き、救われるのです。

日ごとの聖句1273 信仰の前進 2026/9/20〜26

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2026年9月20日(日)聖霊降臨後第17主日
                フィリピの信徒への手紙 1:21
私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。

9月21日(月)福音記者使徒聖マタイ日
                フィリピの信徒への手紙 1:23
私の切なる願いは、世を去って、キリストと共にいることであり、実は、このほうがはるかに望ましい。 

9月22日(火)           フィリピの信徒への手紙 1:24
しかし肉にとどまるほうが、あなたがたのためにはもっと必要です。

9月23日(水)          フィリピの信徒への手紙 1:25
こう確信しているので、私は世にとどまって、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、あなたがた一同と共にいることになると思っています。

9月24日(木)          フィリピの信徒への手紙 1:27
ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、私は次のことを聞けるでしょう。

9月25日(金)          フィリピの信徒への手紙 1:27
あなたがたが一つの霊によってしっかりと立ち、福音の信仰のために心を一つにして共に戦っており、

9月26日(土)          フィリピの信徒への手紙 1:28
どんなことがあっても、敵対者たちにひるんだりはしないのだと。

(聖書協会共同訳)

(ひとこと)
今回は「新共同訳」ではなく「聖書協会共同訳」(2018)を用いました。

それは、「あなたがたの信仰の前進と喜びのために」(フィリピ1:25)という端的な訳語にひかれたからです。(新共同訳では「あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように」と、なめらかに訳されています。)

言葉の意味とイメージは、発せられる語の順番に喚起されます。ここのギリシア語の順番は概略次のようです。

(私は)あなたがた一同と共にいる → その目的は → あなたがたの前進と喜びのため → 信仰の(前進と喜び)

「フィリピの信徒への手紙」の著者パウロは、一方ではキリストを慕う思いから「世を去ってキリストと共にいる」ことを切望しています。けれども自分にはなおこの地上に留まってなすべきことがある、と決意を新たにします。

「あなたがたの信仰の前進と喜びのために、私はあなたがた一同と共にいる」

パウロはこの手紙の初めのほうで、自分が投獄されたことが「福音の前進」につながった、と言いました(1:12)。「福音の前進」「信仰の前進」、同じ「前進」と言う言葉が使われているのが印象的です。

私自身も歳が進みましたが、なお可能な限り「福音の前進」と「人びとの信仰の前進と喜び」のために微力を尽くしたいと願います。

日ごとの聖句1272 わたしたちは主のもの 2026/9/13〜19

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2026年9月13日(日)聖霊降臨後第16主日
                  ローマの信徒への手紙 14:6
特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。食べない人も主のために食べない。神に感謝している。

9月14日(月)           ローマの信徒への手紙 14:7
わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。

9月15日(火)           ローマの信徒への手紙 14:8
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。

9月16日(水)           ローマの信徒への手紙 14:8
従って、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものです。

9月17日(木)           ローマの信徒への手紙 14:9
キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。

9月18日(金)           ローマの信徒への手紙 14:10
なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。

9月19日(土)           ローマの信徒への手紙 14:11
こう書いてあります。「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、すべての舌が神をほめたたえる』と。」

(新共同訳)

(ひとこと)
パウロはこのローマの信徒への手紙第14章の初めに、「信仰の弱い人を受け入れなさい」と呼びかけました。教会の中に葛藤があることを彼は知っています。

信仰に自信がなかったり、ある食物を避けている人びとを、強い人たちが圧迫するようなことがあるようです。信仰のあり方や振る舞いの仕方が違うといって、人を決めつけたり非難したりすべきではありません。

わたしたちは皆、主イエス・キリストに招かれてこの方のもの、この方に属するものとなった。キリストの愛のもとに、お互いを兄弟姉妹として大切に受け入れ合うことこそ、信仰共同体のあり方です。

日ごとの聖句1271 愛・希望・祝福 2026/9/6-12

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2026年9月6日(日)聖霊降臨後第15主日
                   ローマの信徒への手紙 12:9
愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れないように。

9月7日(月)           ローマの信徒への手紙 12:10
兄弟愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。

9月8日(火)          ローマの信徒への手紙 12:11-12
怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。

9月9日(水)           ローマの信徒への手紙 12:13
聖なる者たちの貧しさを自分のものとして彼らを助け、旅人をもてなすよう努めなさい。

9月10日(木)           ローマの信徒への手紙 12:14
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。

9月11日(金)           ローマの信徒への手紙 12:15
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

9月12日(土)           ローマの信徒への手紙 12:16
互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。

(新共同訳)

(ひとこと)
ローマの信徒への手紙でパウロは、イエス・キリストにおいて私たちに現された神の愛がいかに深く大きくものであるかを、情熱をもって語ってきました。そして12章からは、その愛を注がれて救いに入れられた私たちが、現実にどのように生きるべきかを語ります。一言で言えば、それは真心からの愛をもって生きることです。

「愛には偽りがあってはなりません」12:9。直訳すれば「愛は偽善ではない」。

神は外見ではなく人の心を見られます。イエスは、当時大きな影響力を持っていたファリサイ派の人々の偽善(自分が立派であると人に見られたい)を厳しく批判されました。
パウロもまた、回心に際して自分の中にひどい偽善と高慢があることを照らし出され、清められる経験をしたのでしょう。

神に集められた教会、イエス・キリストの体である信仰共同体には、偽りがあってはならない。神の愛が宿り、それが人びとを生かし、清め、動かすものであってほしい。

愛をもって生きることはむつかしい。そのゆえに私たちは繰り返し、イエス・キリストの純粋な愛が自分に注がれていることを知りたいと願います。

ローマの教会に対するパウロの願いと祈りは、今日の私たちに対する願いと祈りでもあります。

日ごとの聖句1270 エレミヤの祈り 2026/8/30〜9/5

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2026年8月30日(日)聖霊降臨後第14主日    エレミヤ書 15:15
あなたはご存じのはずです。主よ、わたしを思い起こし、わたしを顧み、わたしを迫害する者に復讐してください。

8月31日(月)                エレミヤ書 15:15
わたしがあなたのゆえに、辱めに耐えているのを知ってください。

9月1日(火)                エレミヤ書 15:16
あなたの御言葉が見いだされたとき、わたしはそれをむさぼり食べました。

9月2日(水)                エレミヤ書 15:16
あなたの御言葉は、わたしのものとなり、わたしの心は喜び躍りました。万軍の神、主よ。わたしはあなたの御名をもって、呼ばれている者です。

9月3日(木)                エレミヤ書 15:18
なぜ、わたしの痛みはやむことなく、わたしの傷は重くて、いえないのですか。あなたはわたしを裏切り、当てにならない流れのようになられました。

9月4日(金)                エレミヤ書 15:19
それに対して、主はこう言われた。「あなたが帰ろうとするなら、わたしのもとに帰らせ、わたしの前に立たせよう。」

9月5日(土)                エレミヤ書 15:20
「彼らはあなたに戦いを挑むが、勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて助け、あなたを救い出す、と主は言われる。」

(新共同訳)

(ひとこと)
イエスより600年ほど前に活動したエレミヤ。彼は神の言葉を食べて(15:16)生きた預言者でした。彼は寄留者、寡婦、孤児ら、弱者、虐げられた人びとのための代弁者となり、「強盗の巣窟」と化したエルサレム神殿を批判し、バビロニア帝国に対する武装反乱に反対しました。

彼は迫害され、投獄され、殺されそうになりましたが、神の言葉への忠実を変えませんでした。

しかし彼は人間的には決して強い人ではなく、何度も涙を流して泣く人でした。ことに彼は、神の前に自分の弱さをさらけ出して訴えました。その箇所の一つが、今回の15章です。

エレミヤの真実と情熱、愛と涙は、イエスに継承されました。わたしたちは福音書の中に、エルサレムの崩壊を予見して泣かれるイエスの姿を見ます(ルカ19:41)

日ごとの聖句1269 ローマ書の中の祈り 2026/8/23〜29

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2026年8月23日(日)聖霊降臨後第13主日
ローマの信徒への手紙 1:7 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

8月24日(月)使徒聖バルトロマイ日
7:24-25 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。

8月25日(火)                       
9:5 キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。

8月26日(水)                      
11:36 すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。

8月27日(木)
15:5 忍耐と慰めの[源である]神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせてくださいますように。

8月28日(金)                     
15:13 希望の[源である]神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たしてくださるように。

8月29日(土)                      
15:33 平和の[源である]神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。

(新共同訳)

(ひとこと)
パウロは「ローマの信徒への手紙」を書いている最中に(実際は口述筆記)、何度か心のうちに神への感謝、賛美が溢れてきて、それが言葉になりました。測り知れない神の愛、神の知恵の深さが彼を満たし、動かしたのです。

手紙の初めと終わりのほうには、宛先のローマの教会の人びとのための祈りがあります。
15章の「忍耐と慰めの神が」「希望の神が」「平和の神が」の三重の祈りは印象的です。

語っているうちに祈りが起こるのは、ヨハネ福音書が伝える「最後の晩餐」におけるイエスにも見られます。弟子たちへの長い語りは、やがて弟子たちのための祈りになりました(17章)。

※なお[源である]としたところは、ギリシア語原文にはなく、新共同訳聖書が補った言葉です。私は、これがないほうが意味が鮮明に伝わって来る気がします。

日ごとの聖句1268 平和 2026/8/16〜22

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2026年8月16日(日)聖霊降臨後第12主日        詩編 4:9
平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに、わたしをここに住まわせてくださるのです。

8月17日(月)                  イザヤ書 9:5
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。

8月18日(火)                 イザヤ書 32:17
正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である。

8月19日(水)                 イザヤ書 52:7
いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げる。

8月20日(木)                 イザヤ書 54:10
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず、わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと、あなたを憐れむ主は言われる。

8月21日(金)                エレミヤ書 29:11
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。

8月22日(土)                ゼカリヤ書 9:10
わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。

(新共同訳)

(ひとこと)
今回は、旧約聖書の中から「平和」が語られている箇所を選びました。

今、日本でも大規模な軍備拡張が現実になっています。「国を守るために」核兵器の持ち込み可能性も示唆するような発言が、政府高官から出ています。
兵器による「抑止力」という考え方はもうやめるべきです。

神は、この世界の不義、戦争、暴虐による人々の痛みをご存じです。
「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ」(ゼカリヤ書 9:10)と言われる神の平和への意志と行動を信じて、それに加わりたいと願います。

日ごとの聖句1267 来なさい 2026/8/9〜15

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2026年8月9日(日)聖霊降臨後第11主日
                 マタイによる福音書 4:19-20
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。

8月10日(月)           マタイによる福音書 14:25-26
夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは「幽霊だ」と言って恐怖のあまり叫び声をあげた。

8月11日(火)           マタイによる福音書 14:27-28
「安心しなさい。わたしだ。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」

8月12日(水)            マタイによる福音書 14:29
イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。

8月13日(木)            マタイによる福音書 14:30
しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。

8月14日(金)            マタイによる福音書 14:31
イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

8月15日(土)主の母聖マリヤ日  ヨハネによる福音書 21:16,19
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」このように話してから、イエスはペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。

(新共同訳)

(ひとこと)
夜の闇、逆風の波をかぶる舟の中で、ペテロたちはどれほど心細かったことでしょうか。

そこに湖上を渡ってイエスが来られた。自分たちを心配してこられたのだと感じたとき、ペテロはたまらなくイエスを慕う思いがつのりました。
「主よ、あなたでしたら、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」

「来なさい」とイエスが呼ばれたとき、ペテロはどれほどうれしかったことでしょう。

水の上を進んで、おぼれかけたペテロを、イエスは助けてくださいました。

かつてペテロを招かれたイエスは、この夜「来なさい」と彼を呼ばれました。そして十字架と復活の後、イエスはあらためてペテロに「わたしに従いなさい」と言われました。

イエスがわたしを最初に呼ばれたのはいつだったでしょうか。
わたしたちは人生の危機にイエスを呼び、何度かイエスに助け起こされつつ、晩年になってまた新しく、イエスの招きの声を聞きます。

日ごとの聖句1266 屠られる羊のように 2026/8/2〜8

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2026年8月2日(日)聖霊降臨後第10主日
                ローマの信徒への手紙 8:35
だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

8月3日(月)            ローマの信徒への手紙 8:36
「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠(ほふ)られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

8月4日(火)                  イザヤ書 53:7
屠(ほふ)り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった。

8月5日(水)             ヨハネによる福音書 1:29
その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」

8月6日(木)主イエス変容の日    ローマの信徒への手紙 8:37
しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

8月7日(金)            ローマの信徒への手紙 8:38
わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、

8月8日(土)            ローマの信徒への手紙 8:39
どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

(新共同訳)

(ひとこと)
この手紙でパウロは、イエス・キリストにおいて現された神の計り知れない愛を説き、またわたしたちの内側から呻きつつ執り成してくださる聖霊の祈りを語ってきました。そのあいだに、自分の気持が激しく高まってくるのを抑えることができません。

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」ローマ8:35

こう語るとき彼は、自分がキリストのゆえに経験してきた苦しみ、迫害、飢え、命の危険を思わずにはいられなかったでしょう。そのとき、ふいに詩編の言葉が口をついて出ました。

「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠(ほふ)られる羊のように見られている」詩編44:23

遠い昔、自分と同じように、「あなたのために」、つまり神への真実を尽くしたがゆえに迫害され、死にさらされ、屠られる羊のようにされた人の声。まさにパウロも同じ経験をしてきたのです。

しかしまことに神のために苦しみを受け、事実屠られて死なれた方はイエス・キリストです。迫害と危険を経験したときこそ、パウロはこの方と深く結び付けられていたことをあらためて知ります。

けれどもここでパウロは、自分のしてきた経験を語ろうとしたのではありません。
次のことをローマの人々に伝えたかったのです。

「どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」ローマ 8:39

日ごとの聖句1265 弱いわたしたちを 2026/7/26〜8/1

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2026年7月26日(日)聖霊降臨後第9主日
                   ローマの信徒への手紙 8:26
同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。

7月27日(月)           ローマの信徒への手紙 8:26
わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

7月28日(火)           ローマの信徒への手紙 8:27
人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。

7月29日(水)           ローマの信徒への手紙 8:28
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

7月30日(木)           ローマの信徒への手紙 8:31
もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

7月31日(金)           ローマの信徒への手紙 8:33
人を義としてくださるのは神なのです。

8月1日(土)            ローマの信徒への手紙 8:34
死んだ方、否、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

(新共同訳)

(ひとこと)
正直に言えば、わたしが礼拝ごとに神さまに懺悔、告白するのは、祈りの足りなさです。わたしの弱さがどこであらわになるかと言えば、祈りにおいてです。

平穏なときには祈りを怠りがちになります。反対に激しい苦しみが続くとき、祈っても祈っても事態はよくならず、どう祈ってよいかわからない。もう祈る気力も失ってしまう、ということがあります。

パウロはこのことをよく知っていました。それで彼は言います。
「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。」ローマ8:26

聖霊は、わたしたちの中から、わたしたちに代わって祈ってくださる。言葉にならない呻きの声をあげつつ、祈ってくださるのです。

そのときはもう、わたしの力で祈る必要はありません。聖霊が、わたし以上にわたしのことを知ってくださって、わたしの奥底の思いの一切を集めて、神にそれを訴え届けてくださるのです。神がそれを聞かれないはずはありません。

このことを、この聖書の箇所を解きほぐしてわたしに教えてくれたのは、ハンス・ヨアヒム・クラウスという旧約聖書学者でした。今から40年も前のことです。

日ごとの聖句1264 共にうめき 2026/7/19〜25

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2026年7月19日(日)聖霊降臨後第8主日
                 ローマの信徒への手紙 8:18
現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。

7月20日(月)           ローマの信徒への手紙 8:19
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。

7月21日(火)           ローマの信徒への手紙 8:20
被造物は虚無に服していますが、それは、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。

7月22日(水)マグダラの聖マリヤ日 ローマの信徒への手紙 8:21
つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。

7月23日(木)           ローマの信徒への手紙 8:22
被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。

7月24日(金)           ローマの信徒への手紙 8:23
被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

7月25日(土)使徒聖ヤコブ日   ローマの信徒への手紙 8:25
わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。

(新共同訳)

(ひとこと)
パウロはこの「ローマの信徒への手紙」の中で、人間を救うためにイエス・キリストをとおして働かれる神の圧倒的な愛を繰り返し語ります(たとえば5:8)。

しかしそれを語るとき、彼はあらためて自分自身の悲惨を呻(うめ)かずにはいられませんでした(7:24)。

そしてここ8章18節以下で、パウロは被造物全体が呻く声を聞いています。
「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」8:22

それから2000年を経た今日、被造物の呻きはいっそう深まっているのではないでしょうか。
地球温暖化、海面上昇、砂漠化、原発事故による大地の汚染……。被造物である人間が、同じ被造物世界を傷つけてきました。もうそのようなあり方をやめなければなりません。

わたしたちも、全被造物と共に、回復を、神による再創造を、呻きつつ願い求める時です。

呻きの祈りは、産みの苦しみです。この祈りは聖書の他の箇所にも反響しています。
「わたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいます」ペトロの手紙二 3:13

日ごとの聖句1263  神の子とする霊 2026/7/12〜18

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2026年7月12日(日)聖霊降臨後第7主日
                  ローマの信徒への手紙 8:9
神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。

7月13日(月)            ローマの信徒への手紙 8:10
キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。

7月14日(火)           ローマの信徒への手紙 8:11
キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

7月15日(水)           ローマの信徒への手紙 8:14 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。

7月16日(木)           ローマの信徒への手紙 8:15
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。

7月17日(金)           ローマの信徒への手紙 8:15
この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。

7月18日(土)           ローマの信徒への手紙 8:16
この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。

(新共同訳)

(ひとこと)
わたしたちがイエス・キリストを信じてこの方のものとされたとき、わたしたちはイエスのうちに宿り、イエスを生かしていたものと同じものを受けました。何かと言うと、聖霊です。わたしたちは聖霊を受けた。神の霊がわたしたちのうちに宿ってくださったのです。

この霊は、わたしたちのうちにそっと留まっているというだけではありません。わたしたちの中で生きて働くのです。

パウロは言います。
「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。」ローマ8:15
聖霊はわたしたちを祈らせる。わたしたちのうちから、父である神を呼ぶ切なる祈りが生まれます。

すでにわたしたちは「神の子」とされたのですが、このようにしてその実質化(神との深い交流)が起こります。

以前、親しい韓国の牧師や伝道師さんがよくわが家を訪ねてくださいました。来られるとまず部屋に座って祈られました。
「アボジ(お父さん)、ハナニム(神さま)」「ハナニム、アボジ」
熱く切なる祈りに、何度励ましを受けたことでしょうか。

日ごとの聖句1262 幼子たちに 2025/7/5〜11

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 京都聖三一教会の聖卓


2026年7月5日(日)聖霊降臨後第6主日
                   マタイによる福音書 11:25
その時、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。」

7月6日(月)            マタイによる福音書 11:25
これらのことを知恵ある者や賢い者に隠して、幼子たちにお示しになりました。

7月7日(火)            マタイによる福音書 11:26
そうです、父よ、これは御心に適うことでした。

7月8日(水)            マタイによる福音書 11:27
すべてのことは、父から私に任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかに、父を知る者はいません。

7月9日(木)            マタイによる福音書 11:28
すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。

7月10日(金)            マタイによる福音書 11:29
私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。

7月11日(土)            マタイによる福音書 11:30
私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。

(聖書協会共同訳)

(ひとこと)
「その時、イエスはこう言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者に隠して、幼子たちにお示しになりました』」マタイ11:25-26

イエスはあるとき、幼子たちに出会われました。その幼子たちの中に神の愛が働いている。幼子たちの中に、神がご自身をはっきりと示しておられる。イエスのうちに喜びが湧き起こり、それは神への賛美となりました。

イエスの神の国伝道は、一方で多くの共感、支持を得ましたが、他方しばしば反対、無関心、拒絶、憎しみに直面せざるを得ませんでした。
そうした中で、この幼子たちとの出会いはどれほどイエスを感動させ、励ましたことでしょうか。

そんなことを感じるのは、わたしの40数年の働きのうち24年間幼稚園の子どもたちとの関わりを与えられたことが関係しているようです。

日ごとの聖句1261 キリストの中に入る洗礼 2026/6/28〜7/4

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2026年6月28日(日)聖霊降臨後第5主日
                    ローマの信徒への手紙 6:3
あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにあずかる洗礼を受けた私たちは皆、キリストの死にあずかる洗礼を受けたのです。

6月29日(月)使徒聖ペテロ・使徒聖パウロ日
                   ローマの信徒への手紙 6:4
私たちは、洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。

6月30日(火)            ローマの信徒への手紙 6:4
それは、キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。

7月1日(水)            ローマの信徒への手紙 6:5
私たちがキリストの死と同じ状態になったとすれば、復活についても同じ状態になるでしょう。

7月2日(木)            ローマの信徒への手紙 6:8
私たちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

(聖書協会共同訳)

(ひとこと)
ローマの信徒への手紙6:3は「キリスト・イエスにあずかる洗礼を受けた」「キリストの死にあずかる洗礼を受けた」と訳されています。翻訳に苦心する箇所です。

この箇所、ギリシア語原文を文字通り訳せば「キリスト・イエス<の中へと>洗礼を受けた」「彼の死<の中へと>洗礼を受けた」です。

これをそのまま大切に受けとめてみましょう。洗礼とは「わたしたちがキリスト・イエスの中へと入れられて、この方の中に入ってしまうこと」、「キリストの死の中に入ってしまうこと」なのです。

キリストの中に入れられてしまったなら、わたしたちはキリストの中に守られ、保たれ、養われます。どのような悪しき力も、もはやわたしたちを脅かすことはできません。

キリストの死の中に入れられたのであれば、古いわたしたちはキリストとともに死んだのです。

そこから新しいわたしたちが始まります。死なれたキリストは復活されたのだから、わたしたちもキリストと一体にされて復活する=新しい命に生きるようになるのです。

自分に苦しみ、周囲や世間に縛られてきた古いわたしたちはそれから解放されて自由になった。主イエスとともに神の国(愛と正義と平和が満ちる世界)の実現を目指して生きるようにされた。

洗礼においてすべてが一挙に変わるのではなくても、すでにキリストとともに歩む新しい自分が始まったのです。自分の人生に与えられた意味と希望を、再発見させられます。

日ごとの聖句1260 燃え上がる主の言葉 2026/6/21〜27

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 京都聖三一教会 聖卓のフロンタル中央部


2026年6月21日(日)聖霊降臨後第4主日     エレミヤ書 20:7
主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされて、あなたに捕らえられました。人が皆、わたしを嘲ります。

6月22日(月)                エレミヤ書 20:8
わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり、主の言葉のゆえに、わたしは一日中、恥とそしりを受けねばなりません。

6月23日(火)                エレミヤ書 20:9
主の名を口にすまい、と思っても、主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります。

6月24日(水)洗礼者聖ヨハネ誕生日     エレミヤ書 20:10
わたしには聞こえています、多くの人の非難が。「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。「共に彼を弾劾しよう」と。

6月25日(木)                エレミヤ書 20:11
しかし主は、恐るべき勇士として、わたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき、勝つことを得ず、辱めを受ける。

6月26日(金)                エレミヤ書 20:12
万軍の主よ、正義をもって人のはらわたと心を究め、見抜かれる方よ。わたしに見させてください、あなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明け、お任せします。

6月27日(土)                エレミヤ書 20:13
主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を、悪事を謀る者の手から助け出される。

(新共同訳)

(ひとこと)
紀元前600年より少し前、ユダの祭司の子であった若きエレミヤは、神に捕らえられました。彼は、神の言葉を授けられて食べました。それは至福の経験でした(エレミヤ書1、15章)。

しかしそれは彼にとって苦難の始まりでした。エレミヤは人々に、真実に神に立ち帰るように呼びかけ、大国バビロニアの侵略に対しては絶対非戦を訴えました。
しかし人々はどこまでも頑なで、彼は売国奴とののしられ、何度も死の危険にさらされるほどの迫害を受けました。

彼は沈黙を守ろうとしたのですが、彼のうちに宿った神の言葉は、彼の口から出ようとして火のように燃え上がり、とどめることはできなかったのです。

エレミヤのうちに燃えた神の言葉は、時代を経てイエスに継承されました。

燃え上がる主の言葉の火は愛の火です。どうかその火が、この世界とわたしたちの悪を焼き清めると同時に、平和と正義の実現に向けてわたしたちを燃え立たせますように。

日ごとの聖句1259 キリストの愛と血 2026/6/14

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 上野聖ヨハネ教会


2026年6月14日(日)聖霊降臨後第3主日 
ローマの信徒への手紙 5:6
実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。

6月15日(月)            ローマの信徒への手紙 5:7
正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。

6月16日(火)            ローマの信徒への手紙 5:8
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださった。

6月17日(水)            ローマの信徒への手紙 5:8
それにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

6月18日(木)            ローマの信徒への手紙 5:9
今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

6月19日(金)           ローマの信徒への手紙 5:10
敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。

6月20日(土)           ローマの信徒への手紙 5:11
それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。

(新共同訳)

(ひとこと)
パウロによるローマの信徒への手紙第5章は、聖書全体の中の絶頂である、とわたしは思います。
告白すれば、わたしは5章19節の「キリストただ一人の、神への従順」によって救われた記憶があります。が、そのことは今は置きましょう。

ここで重要なのは、キリストが「わたしたちが弱かったころ」「不信心な者のために」「わたしたちが罪人であったとき」に、わたしたちのために死んでくださった、ということです。強い者、立派な者、正しい者……のためではなく、自分で自分を救うことができず滅びゆくしかなかったわたしたちのために、キリストの死があるのです。

パウロはキリストの死をさらに「キリストの血」という言葉で表現します。十字架の上で深い傷を負って流されたキリストの血。わたしたちへの愛のゆえにたぎる血が、わたしたちを救い、清め、新たに生かします。

日ごとの聖句1258 マタイ 2026/6/7〜13

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2026年6月7日(日)聖霊降臨後第2主日  マタイによる福音書 9:9
イエスは、マタイが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。

6月8日(月)             マタイによる福音書 9:10
イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。

6月9日(火)             マタイによる福音書 9:11
ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。

6月10日(水)            マタイによる福音書 9:12
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」

6月11日(木)使徒聖バルナバ日    マタイによる福音書 9:13
イエスは言われた。「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。」

6月12日(金)            マタイによる福音書 9:13
「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

6月13日(土)                  ホセア書 6:6
わたしが喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない。

(新共同訳)

(ひとこと)
マタイ(マルコ福音書ではレビ)は徴税人でした。徴税人は人々から嫌われ、軽蔑されていました。なぜなら彼らは、同胞から税金を取り立てて外国の支配者(ローマ帝国)に奉仕し、しかも多くの場合その立場を利用して私腹を肥やしていたからです。

ある日、収税所に座っていたマタイを、イエスは見て、彼に「わたしに従いなさい」と言われました。マタイに注がれたイエスのまなざしと、彼への呼びかけは、彼の心を動かしました。彼は立ち上がってイエスに従いました。

このマタイの姿を見つめるとき、わたしたちは、わたしたちにも注がれているイエスのまなざしを感じたい。わたしたちを呼ばれるイエスの呼びかけを聞きたいと思います。

なぜ「マタイによる福音書」が彼の名前「マタイ」で呼ばれるようになったかははっきりしません。けれども、マタイ福音書の著者がこのマタイでなかったとしても、「徴税人や罪人」(マタイ9:11)を大切な存在として愛されたイエスと、それに答えて立ち上がったマタイのことが深く記憶されている中で、この福音書は書かれ、また読まれたに違いありません。
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