
奈良基督教会 第2回公開聖書講座
2016年7月16日
マルコ福音書 「イエスの肉声を聞く」 (全文)
新約聖書27巻の中で、イエス・キリストの生涯を伝えてくれているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書です。その中で今回取り上げる「マルコによる福音書」は、一番早く書かれた福音書とされています。また分量は一番短いです。新共同訳聖書の頁数で数えると、前回のマタイが60頁であったのに対して、マルコは38頁で、マタイの63パーセント程度です。
内容からすれば、他の福音書と違ってイエスの降誕物語がありません。イエスの公の活動の直前から始まります。またマルコ福音書のギリシア語写本の古いとされるものには、復活のイエスは直接姿を現しません。
けれどもマルコ福音書にはひとつの重要な特徴があります。それは、イエスが実際に話していたとされるアラム語の言葉が四つ(四箇所)含まれていることです。新約聖書はギリシア語で書かれました。マルコ福音書もそうなのですが、その中にイエスの口から発せられたアラム語が響いている箇所がある。今回はそこにも注目してみたいと思います。
私は聖書のどの書物も愛しますし、あらゆるところから神さまからの命の言葉を聞きたいと願っています。けれどももっとも直(じか)に、あるいは間近にイエスとその周りの人々を、その場面を感じたくなったときは、マルコ福音書を開きます。たとえば、イエスが5000人(男性のみ数えて)の人々にパンと魚を提供する話は四つの福音書のいずれにも出てきます。イエスが群衆をそこに座らせるという場面があります。
マルコ6:39「そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。」
ルカとヨハネは「草」には言及せず、マタイはただ「草」とだけ書いてあります。けれどもマルコだけは「青草」と書いてあります。「青草」の上に人々は腰を下ろす。「青草」というこの一つの言葉で、より具体的にありありとその光景が浮かんでくる気がするのです。
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