Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

読書

『聖書の想像力と説教』

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並木浩一著『聖書の想像力と説教』
(説教塾ブックレット8) キリスト新聞社、2009  本体1500円

非常に面白く、教えられるところが多く、有益だった。

アモス書冒頭
アモスが「イスラエルについて見た」言葉なのだ、と原文では書かれている
というのが一例。

「原歴史(原事実)は、聖書学の立場からは立ち入ることができない『秘義』の領域です。『創造』然り、……イエスの『復活』についても然りです。これは神の原事実として認めなければならない。そういう原事実を証言するために人間は想像力を働かせなければならないのです。」

しばらく前にNHKのテキストとして流布した別の著者による本は、<生ける神>(申命記5:26、マタイ16:16)を覆い隠してしまう感があったが、並木浩一氏のものはまったく違う。


バルト『イスカリオテのユダ』

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カール・バルト『イスカリオテのユダ──神の恵みの選び』
  新教出版社(新教新書)、1963、212頁

 このところ断続的に読んでいたが、やっと読み終えた。
 購入は1975年9月13日と書き込んであるので、37年と5ヵ月かかったことになる。

 人間の負の現実に対する神の恵みの圧倒的優越的力を論じる。
 
「このイエス・キリストは(再び見いだされるにしても)、彼のほか誰も失われないようになるため、ただ一人失われていったのである。」

 神の選びの優越的な力は、棄てられた者であるにもかかわらず彼(イスカリオテのユダ)を選びの環の中に堅く保ち、彼をイエスの左側に立たせる。そして神的引き渡し[神の救いの業]の道具として彼を用いる。

 この本は、バルトの大著『教会教義学』の神論の中の注「棄てられた者の規定」の全訳(それにに序論が付されている)である。

 難解だが、神の圧倒的恵みが押し寄せてくる気がする。

 訳者は川名勇牧師(当時、日本基督教団桜新町教会)。
 神学校入学直後、一度だけ桜新町教会の礼拝に出席し、説教を聞いたことがある。復活の主イエスの臨在を鮮明に感じるすばらしいものだった。
 
 

鑑真とイエス

安藤更生『鑑真』(吉川弘文館、1968)

興福寺の隣に住んで鑑真への関心が続いていて、この本を読んだ。

渡日に反対した弟子の霊祐に対して鑑真が言ったという言葉。

「自分のことを心配してくれる気持はよくわかる。しかし自分が決行しようとしたことは仏法のためであり、人民のためである。そのめたには自分の一身などは小さな問題である。人間は自分の志した大事の完成にこそ生命を賭けるべきだ。」

「霊祐の心配は……かえって自分の志を殺すものである。自分の肉身を心配してくれて、かえって自分の志を遂げることを障げた霊祐は、わが同志とも門下ともいえない。」

霊祐は懺悔して、毎晩8時から朝の4時まで立ったなりで罪を謝すること60日に及び、やっと赦されることになったという。

これはペテロを叱責されたイエスとよく通じる。

「それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、
三日の後に復活することになっている、
と弟子たちに教え始められた。
しかも、そのことをはっきりとお話しになった。
すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。
イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。
『サタン、引き下がれ。
あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。』」
マルコ8:31-33

「出家者は皇帝に拝礼すべきか」

鑑真岩波

東野治之『鑑真』
 岩波新書、2009
を読んだ。

時代も状況も立場も違うが、何か示唆されるものが大きい。

鑑真に従って日本に来た弟子の法進が『梵網経註』で述べているという次のような主張が印象的である。

著者の説明を引用する。

「出家者が皇帝に拝礼すべきかどうか、という問題は、仏教が中国で広まってゆく中で、常にひっかかってきた難題でした。皇帝が絶対権力を持つ国で、皇帝を拝礼しないでいるのは、本来許されません。仏教界も妥協を重ねてきたいきさつがあります。法進は(中略)国王であっても僧を礼拝すべきだと、正論を述べています。」
(170頁)

これは古代キリスト教がローマ帝国との間で直面したことと同じであり、また「出家者」を「牧師」あるいは「司祭」に、「皇帝」を「国家(あるいは天皇)」に読み替えれば、日本のキリスト教の歴史の困難そのものである。





井上靖『天平の甍』

天平の甍新潮文庫

井上靖『天平の甍』を40数年ぶりに読んだ。前に読んだのは高校生の時である。

年も進み、奈良に住んで、いっそう感じるところがある。

印象に残った一文。

「二人(栄叡と普照)は鑒真(がんじん)の同じ講義を何回も聴いたが、聴く度に新しいものを発見した」。

内容(「BOOK」データベースより)

天平の昔、荒れ狂う大海を越えて唐に留学した若い僧たちがあった。故国の便りもなく、無事な生還も期しがたい彼ら―在唐二十年、放浪の果て、高僧鑒真を伴って普照はただひとり故国の土を踏んだ…。鑒真来朝という日本古代史上の大きな事実をもとに、極限に挑み、木の葉のように翻弄される僧たちの運命を、永遠の相の下に鮮明なイメージとして定着させた画期的な歴史小説。

徳善義和『マルティン・ルター』

徳善義和『マルティン・ルター──ことばに生きた改革者』
  岩波新書、2012

ルター・ことばに生きた改革者

つい最近出たこの本を、昨日の夕方近鉄西大寺駅前の啓林堂で買い、いま読み終えた。
遅読の私としては珍しい。

「95箇条の提題でルターが聖職者や神学者たちに問いかけ、訴えようとしていたことは、単なる教会批判ではなく、民衆の魂の救いのためには何が必要かということであった。ルターの関心の中心は民衆の魂の救いにあり、神学研究はあくまでその手段であった。」

「ルターは教会の教えが民衆を誤った信仰に導いていることに強い憤りを感じていた。」

「ルターが、あらゆる苦難と困難を乗り越えて成し遂げようとしていたのは、人びとの魂を支える『信仰の再形成』だったのである。」


私は元々熱烈プロテスタントであったが、司祭として長く過ごしているうちに、聖餐式、葬送式、また儀式(典礼)的なものを非常に大切に思うようになり、かつてほど自分をプロテスタントとは自覚しなくなった。

しかしこういう本を読むと、精神においては自分はやはりプロテスタントであると強く感じる。

以前、カール・バルトが礼拝(Gottesdienst=神奉仕)を「私たちが神に奉仕するよりも、神が私たちに奉仕してくださること」と述べているのに出会って驚き、感動したが、その考えがすでにルターにあったことを今回初めて知った。

まず説教運動、そして文書運動、それからじっくりと教会の慣習や礼拝の改革に着手する、というルターの進め方からも示唆されるところが大きい。

聖書のドイツ語翻訳についての記述も、毎朝ルター訳を朗読している者として新鮮に教えられるところが多かった。


『奈良の寺』

奈良文化財研究所編 『奈良の寺──世界遺産を歩く』

  岩波新書、2003

薬師寺は天皇家の寺、興福寺は藤原氏の寺、そして大安寺は国家の寺という性格を持つとのこと。

国家鎮護の仏教のあり方に共感はしないが、ひとつ心にとめたいことがある。

それは仏教信仰とその布教、事業の拡大と並行して(というか、それらの中心に)、仏教教学の本格的な研究と講義がなされていた、ということである。

日本におけるキリスト教が命を回復させるためには、中心に生きた学問がなければならないと思う。

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『日本海軍はなぜ過ったか』

澤地久枝・半藤一利・戸皸貔
『日本海軍はなぜ過ったか──海軍反省会400時間の証言より』
  岩波書店、2011

日本海軍は


印象的な言葉を引用する。

「組織というのは不思議なくらいに、少し飛び抜けて一歩進んだ人はいらないのです、邪魔なんですね。排除の論理というか、……排除の精神が働くんです。」(半藤)

「組織には権限があるんですね。ところが、組織というものは当然、思考能力がないんですよ。思考能力は個々の人間が持つんです。ですから、個々の思考能力を持つはずの人間が考えることを放棄して、組織の決定に無批判に従ったら、人間としての存在意義がなくなるわけです。……おかげで、責任も組織に行ってしまい、個人としては誰も責任を取らなくなる。」(戸癲

「わたしがこだわっているのは、15歳で戦死した人がいるという事実です。10代の戦死者は日本にもアメリカにもいます。」(澤地)

今に呼びかける痛切な指摘だと感じます。

次のところに紹介があります。

『日本海軍はなぜ過ったか──海軍反省会400時間の証言より』

カルヴァン『キリスト教綱要』改訳版

カルヴァン『キリスト教綱要』改訳版 全3巻をある信徒の方からいただいた。

 渡辺信夫訳、新教出版社、2007〜2009

新しい任地、奈良基督教会で最初の主日を迎えようとする前日の3月31日午後に届いた。
キリスト教綱要
「ジャン・カルヴァンより読者の皆さんへ」
「本書の梗概」
「フランス王への献呈の辞」

本文に先立つこの部分を読んでみた。

真理と教会のための情熱が燃えさかっている。

当時の現実に対するものすごく激しい言葉(辛辣な批判)。

学ぶものはとても大きいと思う。

『続日本紀』

『続日本紀(しょくにほんぎ)』という歴史書を読み終えました。

講談社学術文庫。全3巻。宇治谷孟による現代語訳。
続日本紀
平城京の時代を編年体で記したもの。非常に面白かった。

印象に残った箇所のひとつを記します。

「西宮の寝殿において、僧達に食事を供した。景雲が現れたからである。この日、僧侶の振る舞いは仏門にある者のようでなく、手を拍(う)って歓喜すること俗人とまったく変わらなかった。」

巻28 称徳天皇 神護景雲元年(767)8月8日

今日の牧師・聖職も自ら省みたいことです。



キルケゴールと大谷長先生


 夕食後、夕刊を見ていたら「小出版社23年の信念 キルケゴール著作全集完成」という記事が目にとまった(朝日新聞2011/10/17)。

「福岡市のわずか4人の出版社が23年がかりで、デンマークの哲学者キルケゴール(1813〜55)の著作全集15巻を完成させた。」

 出版社は創言社。発端は1986年、大阪外国語大学名誉教授の大谷長(まさる)氏から「日本初のデンマーク語からの直接訳の全集を出したい」と持ちかけられたことだという。

 わたしは1968年、大阪外国語大学朝鮮語学科に入学。学園紛争を経験する中で生きる意味と目的を見失い、必死の思いで足がかりを求めていた。大学3年の頃、キルケゴールと出会い、寸暇を惜しむようにして彼の著作(主として岩波文庫版)を読みふけっていた。

 1971年、4年生の春、卒論のテーマを「朝鮮キリスト教史」としようとしていたころ、新年度履修要項の専門科目の中に「キルケゴール『死に至る病』購読」とあるのを見つけた。担当はデンマーク語学科の大谷長先生。専門科目は学科の枠を越えて履修するようになっていた。

 まるで自分のために用意された科目のように思えた。小さい教室に学生は10人もいただろうか。テキストは岩波文庫版の『死に至る病』。大谷先生はデンマーク語原典に基づいてしばしば岩波文庫版(ヒルシュ訳ドイツ語版からの重訳)の間違いを指摘しながら講義を進めていかれた。

 『死に至る病』は当時のわたしにとっては極めて難解な本であったが、大谷先生の講義の助けを受けて、次第にのめり込むことになった。1年近く、わたしはこの岩波文庫版を聖書とともにいつも鞄に入れて持ち歩いていたと記憶する。

「決定的なことはこうである、──神にとっては一切が可能である。……しかり! 信ずるというのは実に神を獲得するために、正気を失うことにほかならない。」

 『死に至る病』はわたしの人生に深刻な影響を与えた。もしこれと出会っていなければ、あのように自分の不信仰に打ちのめされることはなかっただろうし、また打ちのめされることがなければ、長い迷いから脱してイエスさまのもとに帰る道を見出せなかったかもしれない。

 この後、キルケゴールの『キリスト教の修練』によって彼の影響はわたしにとっていよいよ決定的になり、それは数年後の聖職志願に間接的につながることになったと思う。

 とてもおとなしくて恥ずかしがりだったわたしは、大谷先生の一言も聞き漏らすまいと講義を聴き、ノートをとり続けていたのに、何の質問もしなかったし、先生も進んで学生に近づこうとされるタイプではなかった。

 先生はキルケゴール著作全集の完成を見ることなく、1999年に逝去されたという。教室に学んでから40年ぶりに先生のお名前を新聞に見出し、インターネットで先生の写真を見つけて、懐かしさと感謝の思いからこの短文をしたためた。

 岩波文庫版『死に至る病』は、オーム社の破れたカバーのついたまま、今も本棚に並んでいる。

「神なき知育は…」

社会福祉法人富山聖マリア会のニュースレター『らくえん』の第255号(2001.9.1)に高木栄子さんという方が「神なき知育は…」という文を書いておられます。

その中で松本直治『原発死 一人息子を奪われた父親の手記』のことが触れられていてとても大切な内容と思いますのでご紹介します。

「神なき知育は…」

矢内原伊作『ジャコメッティ』

矢内原伊作『ジャコメッティ』みすず書房、1996

アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti)
1901年10月10日 - 1966年1月11日。スイス出身の彫刻家、画家。

哲学者、矢内原伊作はジャコメッティのモデル(ポーズ)を長期に務めた。

矢内原の文(日記等を含む)によって、芸術家ジャコメッティの苦悩といのちの営みがよく伝わってくる。

「見えるものを見える通りに実現しようとするこの試みは死に至るまで撓(たゆ)みなく激しく続けられた。」
(著者によるジャコメッティの略年譜から)

ヤナイハラの肖像

『弓と竪琴』

オクタビオ・パス『弓と竪琴』
 岩波文庫、2011

メキシコの詩人、批評家、外交官 1914〜1998

詩論。どうしようもないような難解な内容ですが、洪水のように溢れ出る言葉の中にはっとさせられるものがあります。

誤解や疑問、反論など一切気にせず、思うところを思うままにどんどんと語っていくのが気持ちがよい。
正確を期し、誤解を避けようとして注釈的な言葉がやたらに入るような文章(たとえばある音楽評論家の)がうっとうしく思われてきます。

「詩は独創的にして唯一無二の創造であるが、同時にそれは、読みにして朗誦、つまり参加である。詩人は詩を創る、そして民衆は朗誦することにより、それを再創造する。詩人と読者は同一の現実の二つの契機である。」

「詩は参加においてはじめて完全に実現されるのであって、読者なき作品は、半分しかその名に値しない。」

「もし人がその突風に選ばれたとしたら、いくらそれに抵抗しようとしても無駄である。」

「詩人の使命は、聖職者と哲学者によってゆがめられた、ことばの原型を回復することである。」

「詩人は、たとえ社会という祭壇で聖体を拝領し、この上なく敬虔にその時代の信仰を受け入れたとしても、孤立した存在であり、生来の宿命によって異端者なのである。」

「ヘラクレイトスによるひとつのイメージがこの本の出発点であった。……人間を聖化し、かくして彼を宇宙に位置づける竪琴、そして人間を彼自身の外に向けて発車する。」


カール・バルト「決断としての宗教改革」の結び

カール・バルトの講演「決断としての宗教改革」(1933、ベルリン)を読み、大変励まされる気がしました。

これはヒトラーの率いるナチのドイツ支配と、それに自分を一致させていこうとする当時の教会のあり方に対し、断乎として否!を提示したものです。

この最後は、宗教改革者カルヴァンの言葉で締めくくられています。

「教会の改革は神の業であって、人間的な希望や思いには依存していません。それゆえ、人は、そのために何かをなしうる可能性に関しては、人々の善意とか時代情勢の変化などといったものを待つのではなく、むしろ、絶望のただ中をくぐり抜けつつ突破せねばなりません。神は、ご自身の福音が説教されていることを欲しておられるのです。この誡めに聴き従い、そして、神が私たちを呼び出されるそこに向かって歩もうではありませんか! その成果はどういうものであるだろうか、などということについては、私たちは問う必要がないのです。」

この言葉を、必ずしも「教会の改革」ということに限定せず、今の時代の中で新しく聞きたいと思います。
こういう真理、真実そのものからの響きが今の時代には希薄であり、それだからこそその響きを回復したいと願います。

『音楽家の自叙伝──クヴァンツ/ベンダ/E.バッハ/ツェルニー』

『音楽家の自叙伝──クヴァンツ/ベンダ/E.バッハ/ツェルニー』
東川清一 春秋社、2003

カール・ツェルニー(ピアノの練習曲で有名な)がこんなことを書いています。

ベートーヴェンを熱烈に愛する老ヴァイオリニストでクルムフォルツという人がいた。
クルムフォルツはほとんど一日中ベートーヴェンの家で過すという執拗さと献身ぶりで、ベートーヴェンは音楽の構想、アイデアを彼に教え、新作を彼の前で弾いて聞かせた。

クルムフォルツはどんなに厳しい反対に対してもひるまず、数多くいた敵対者たちに対してベートーヴェンの作品を擁護した。その忠誠ぶりにベートーヴェンも大きく心を動かされていた。
──
ベートーヴェンの友人の音楽家、シュパンツィクについてツェルニーはこんなことを言っています。

彼は揺るがぬ忠誠をもってベートーヴェンを支持し、そして自分のもつ演奏表現のためのすべての技術を駆使して、ベートーヴェンの作品の偉大さと美しさが余すところなく聴衆の前に披露されるように努めた。彼以上にベートーヴェンの作品の精神を深く洞察できる人はいなかった。」



ション・ウェスレー「律法と福音とを共に語ること」

『説教をめぐる知恵の言葉』上(キリスト新聞社、2010)という本を読んでいて

ジョン・ウェスレー(1703〜1791)の「律法と福音とを共に語ること」
という文が目にとまった。


神の命令、促し、「こうしなさい」「こうすべきだ」「こうしよう」
──これが律法です。

内容は……
──
神が、祝福に満ちた律法をさらに深く知るように導かれるとき、神が一段上の光を与えて
くださるとき、神は同時に新しい段階の強さ(力)も与えてくださる。

言い換えれば、新しい課題を引き受けさせられるとき、それをする力を与えてくださる、
ということ。

神の命令に直面して、わたしたちは自分がいかにその命令から遠いかを知る。
と同時に謙遜にされて、その命令によりよく従えるようになりたいと心から願うようにな
る。

このようにして神は、律法(命令)によってわたしたちを砕き、励まし、育てられる。

説教者が聞き手に甘いものばかりを提供していると、聞き手はほんとうの栄養ある食物を
求めなくなり、嫌うようになる。
そのような説教者は(初めはそのように見えないのだが)聞き手の間に命ではなく、死を
振りまく。

「神はあなたを愛しておられる。だから、神を愛し、従いなさい。」
これが重要。

『沖縄基地とイラク戦争──米軍ヘリ墜落事故の深層』

伊波洋一、永井 浩『沖縄基地とイラク戦争──米軍ヘリ墜落事故の深層』
岩波ブックレットNo.646 2005、480円

伊波洋一氏は普天間飛行場(米軍基地)を抱える宜野湾市長。

これを読んで、沖縄の人びとが「わたしたちはもう戦争の被害者にも加害者にもなりたくない」と言われることの意味がわかった気がする。

米軍海兵隊またそのヘリ部隊が普天間基地から大挙飛び立ち、イラク攻撃に参加してきたことを具体的に明らかにしている。

イラク戦争ばかりではなく、対ベトナム、アフガニスタン戦争もそうであった。

沖縄国際大学構内に米軍ヘリコプターが墜落(2004.8.13)しても、大学関係者を含め日本側は閉め出されて調査に関わることもできない。

普天間米軍基地は宜野湾市のど真ん中、人口密集地にある。ここで多いときは1日に200回、300回の飛行が行われる。

どんなに危険でやかましいことか。

けれども今日の大手マスコミは沖縄の現実と訴えをしっかり報道しない。

ブックレットの中で有益なメディアとして次の三つが紹介されているので、リンクを記しておく。

インターネット新聞『日刊ベリタ』

『琉球新報』

『沖縄タイムス』


ジェンダーに関する2冊

若桑みどり『お姫様とジェンダー──アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』
  ちくま新書、2003、680円

コレット・ダウリング『シンデレラ・コンプレックス──自立にとまどう女の告白』三笠書房(知的生き方文庫)、1986、450円

いずれも女性の自立を束縛しているものを見つめさせ、自立と自由へと励ます書。

安重根と千葉十七

 今から26年前の1984年、立教大学の助手時代に「安重根とキリスト教」という論文を書いた。立教大学キリスト教学会『キリスト教学』第26号。

 安重根は1909年、伊藤博文をハルビンで射殺した人物である。

 安重根がキリスト教徒(カトリック)であると伝えられることから、彼がほんとうにキリスト教なのか、どの程度キリスト教なのかを、彼の自伝、取調べ記録、裁判記録などをとおして迫ろうとしたのである。

 その結果、彼が徹底的に真摯なキリスト教徒であることを発見して大変驚いた。

 それで安重根のキリスト教についてはほぼ調べ尽くした気になっていたが、最近必要があって彼に関する本を数冊読み、知らなかったことを発見し、新しく感動をおぼえている。

 その一番大きなことは、安重根と旅順監獄の看守・千葉十七(とおしち)との出会いと交流である。

 千葉は安重根から人格的に深い影響を受け、安の処刑後、また退官した後も生涯、安重根とその国の人びとに対して懺悔の気持ちを持ち、日ごとに安の霊に合掌していたという。

 遺族のひとり、千葉の姪にあたる三浦くに子はこう語ったという。

「生前のオジは、安さんは単なる殺人犯ではない。民族独立闘争のため、やむにやまれぬ心で一身をなげうった義士である。処刑するには余りにも惜しい青年だった。韓国が独立したときには、必ず民族の英雄として再評価されるだろう。」

 この言葉は、斎藤泰彦『わが心の安重根──千葉十七・合掌の生涯』(五月書房、1994)の中の一節である。著者は千葉の菩提寺、曹洞宗大林寺住職。

 

 
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