
「牧師は何を残して去るのか」
https://www.youtube.com/watch?v=FpyutJa5ZxE
最近、YouTubeでこれを知りました。2018年秋のある韓国の教会のことです。
自分が退職したこともあり、心にかかるので、部分的に訳してみました。
初めのほうで「ためらうことなく」と訳したのは ‘거침없이’ で韓国の聖書(改訳改訂版)使徒言行録の最後から二つ目の単語です。もっと適当な訳があるかもしれません。
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最近、個人的に知っている何人かの牧会者が引退した。
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韓国キリスト教百周年記念教会のイ・ジェチョル牧師は、去る秋の収穫感謝主日に最後の説教をして、縁故のない慶尚南道居昌へ去った。
「イ・ジェチョルを徹底して捨ててください」と言いながら、「ためらうことなく」それぞれの場所で使徒言行録29章を書き進めようという言葉を残した。
高齢で、病気で、その地を去った牧会者たちもいる。人間はいつかは去る。去った場所には何かが残る。牧会者たちの退場を見ながら、問うてみる。
「牧師は何を残して去るのか」。
否、牧師という職業を持った人が他の職業の人と区別されて残す痕跡とは何か。
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去りながら悪臭を放つ人たちも多いけれども、澄んだ香りを放って美しく退場する方たちも多い。牧師は「永遠まで続く命」に関わる人だ。多くの職種の中で「牧会者」という職業を選んだ人は、その瞬間、他の人々の命を救うために自分を投げ出すことを誓ったのだ。ここでの核心は召命だ。神が自分をこの働きに召されたという事実をはきりと確信した人だけが、牧師となることができる。
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いったん牧会者として召されたなら、それによって他の人々の命を救うことに献身すると決心したなら、その牧師は自分の能力や好みとは無関係に、命のために最後まで自分を燃やさなければならない。
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牧師と教会は命を与えることができる時のみ、正しく機能する。これは牧師のみではなく「主の体なる教会」につながったすべてのクリスチャンにもあてはまるだろう。
2018年、韓国社会のいたるところで命と命の水を渇き求める声が聞こえる。
数々の不条理にもかかわらず、人々が教会になお期待しているのは、直感的にそこに命の水が流れてくるということを知っているからだ。
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牧師は命を残す。命はイエス・キリストだ。それだから牧師が残すべきはイエスさまだ。大きい教会か小さな教会か、成功したか失敗したかは関係がない。……
そこで一人の命でも助けられたなら、それは成功した牧会者である。失敗し、墜落した牧師も、その墜落した現場から再び貧しい心で命を救おうと進まなければならない。それが、どのような状況であれ、失ってはならない彼らの召命だからである。
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