2016年05月30日


DSCN9736下田市須崎海岸にある「恵比須橋」です。







DSCN9739橋は、昭和41年8月竣工。







DSCN9737恵比須島と須崎海岸を結ぶ橋で、島へ一直線に延びる橋です。







DSCN9740こちらは橋からの眺め







DSCN9741







DSCN9742海底まで見える透明度の高い海が見られました。







DSCN9738







恵比須橋』
静岡県下田市須崎海岸



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伊豆の橋 

2016年05月29日



DSCN9837下田市須崎海岸に「顕彰碑」がありました。







DSCN9838碑には「明和6年8月26日夕刻(1769年)大時化のため摂州今橋日野屋久兵船が須崎村西浦戸取に破船した。この事件を機会として須崎村、下田町柿崎村との間に境界論争が捲き起こった。

須崎村では、戸取を領有の境として下田村柿崎村を相手取り江戸に上訴して5年の関係争に明け暮れた。

安政2年3月6日午後1時江戸勘定奉行所白州に於いて遂に松平対馬守の御裁許となった。名手長浜衛は、郷土の安泰と永久の安きに置く礎を築いた。この間長浜衛と一心同体となり水火も辞せず勝訴に導いた村民の辛苦は筆舌に尽くし、難いものであった。この苦難の歴史を忘れてはならない。
この村に主を享け広大な土地と地先と領有した美しい自然の中で日々豊かな生活を営むことができる。基礎は実にここに定められたのである先人の大きな犠牲と勇気に感謝の誠を捧げることこそ後退の債務であると信じ深甚なる敬意を表すと共に郷土の繁栄と発表をここに祈念して末永く郷土の青史にその名を止め、功績と後世に伝え記す所以である」とありました。

「明和6年8月26日」に起きた事件とは「大阪今橋日野屋九衛船、18人乗りが字戸取に吹付けられ破船する。このとき、難船扱について須崎村出入になる」との記述が下田年中行事にあり、この事件をきっかけに須崎村と柿崎村との間に境界論争がおこったそうです。

須崎村の主張が認められ勝訴。須崎村を救った長兵衛と役人たち、村民などを讃え、1989年に公民館の前に顕彰碑が建立されたそうです。




『顕彰碑』
静岡県下田市須崎海岸 
※漁協近く

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伊豆の史跡・碑・像 

2016年05月28日



DSCN9832下田市須崎のバス停近くに「民宿発祥の地」がありました。





DSCN9834岩の裏には「昭和36年伊豆急行が開通し須崎ではそれに合わせて民宿を立ち上げた。伊豆の民宿は、ここから始まった」と刻みがありました。



DSCN9833海岸にあったとされる大きな築城石とともに「発祥の地」の碑があり、





DSCN9829こちらは築城石についての説明。






DSCN9827民宿は現在14軒、営業しているそうですよ。






民宿発祥の地
静岡県下田市須崎




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伊豆の史跡・碑・像 

2016年05月27日



DSCN9719下田市のペリーロード付近を散策していると・・・







DSCN9721気持ちよさそうに寝ている猫ちゃんが







DSCN97201匹だけでなく、こんな感じで2匹の猫が寝そべってお昼寝中でした






今回から、新しく「伊豆の猫」カテゴリーを増やしました。
これから、伊豆でお散歩中に見かけた猫の写真を投稿していきますので、宜しくお願い致します。





静岡県下田市5丁目
下田公園近く)




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伊豆の猫 

2016年05月26日



DSCN9656下田市下田公園に「鵜島城址」がありました。











後北条氏の支配下だった時代、海の要害として「鵜島城」が作られていたのだそう。

DSCN9621この年表によると「天正16年(1588年)秀吉の侵略に備え、北条氏直が下田城を水軍拠点とする。




天正18年(1590年)城将清水康英は、一万人超の秀吉方水軍に囲まれ篭城50日の後、降伏開城」とありました。


DSCN9664ここには、天守台跡や、空堀跡などが残されており、こちらは空堀跡。







DSCN9663下田公園は、あじさいが群生していることで知られていますが、あじさいの群生地は主に東側。



(空堀について)


西側に、空堀が残されていて比較的状態が良好のまま残されています。掘底を畝状の仕切りを設けた「障子堀」のようで、広いところでは幅12mもあるそうです。
この障子堀をたどると、約700m以上あり、下田城を取り囲んでいるらしい。


DSCN9665こちらは、天守台跡へ進む入口。







DSCN9666この階段をのぼると・・・







DSCN9678こんな感じの景色が広がります。





ここが天守台跡で、下を覗けば、

DSCN9676空堀。







DSCN9677遠くに目をやると、下田の街並や






DSCN9670反対側の海の様子などが見られました。







DSCN9679城の天守台は、高台にあるので、あじさいの時期は、斜面を覆うように作あじさいが見れるので一押しのポイントです。





DSCN9658城址は、「天下統一をすすめる豊臣秀吉と、小田原を本拠地とする北条氏の対立が表面化してきた天正16年(1588年)陸の防衛拠点である箱根の山中城(三島市)とともに、海の防衛拠点として下田城が取りたてられ、伊豆郡代清水上野介康英を城将に大改築が行われた。

城は、海と崖に囲まれた天然の要害に築かれている。通称天守台跡と呼ばれる高台を中心に、四方にのびた尾根の要所に守備軍地である曲輪や櫓台が設けられ、総延長700mを超える空堀が巡る伊豆半島最大規模の山城である。

天正17年(1589年)12月から翌年にかけて、雲見の高橋氏や妻良の村田氏など南伊豆の武士が入城し、小田原からは援将江戸摂津守・検使高橋郷左衛門が派遣され、臨戦態勢が整えられていった。

天正18年(1590年)3月清水湊(江尻)に集結した豊臣方水軍は、長宗我部元親や脇板安治らが率いる一万人を超える大船団で、西伊豆を制圧しながら下田城に迫った。圧倒的な兵力を眼前に、城将清水康英ら六百名の籠城軍は、50日ほど防戦に務めたが、4月下旬には開城の勧告を受け入れ、城を出た」とありました。

DSCN9654綺麗なあじさいとは、裏腹に、ここには、戦い抜いた兵が静かに眠っているようです。











下田公園
静岡県下田市5丁目



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伊豆の城・城跡 
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