2010年12月

2010年12月31日



075富士宮市にある
『富士山本宮浅間大社』











全国1300余りの浅間神社の総本宮


091鏡池






086池の前に源頼朝の像があり、この像は毎年5月に行われる流鏑馬祭にちなんで建立された像なのだそう。











212本堂前にある『桜門』







228桜門の両脇には慶長19年(1614年)2月造立された随人道(写真左)がおり、平成5年市指定有形文化財に指定されています。











231桜門の前には、明治以前の春秋の大祭で神霊を宿した鉾が本宮山宮の間を往復した際、途中休息したとき神鉾を安置した『鉾立石』があります。





229(手水舎)








桜門をくぐると本堂なのですが、本堂は拝殿の奥なのだそう。
本堂は、慶長9年(1604年)徳川家康の寄進によるもので、浅間造り。二重楼閣造りと称し、国の重要文化財に指定されており入ることはできないとのこと。

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色鮮やかな朱色をした拝殿の上には、色鮮やかな狛犬や龍、鶴などが施されていました。

富士山本宮浅間大社の祭神は、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)と言う女性の神。伊豆の神社などの伝説に、よく登場する祭神です。


205境内には、武田信玄のお手植えの枝垂れ桜2世や、南極の石、富士山の噴火の際にできた火山弾がありました。境内に敷かれた玉砂利は大きめで、砂利と言うより石。玉砂利は、参拝者の着物を汚さないようにするためと、玉砂利を歩いた時にでる音には気持ちを落ち着かせる効果もあるそうです。









200西門をでると明治にできた霊水鉢が現れます。







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190水屋神社・天神社があり、






186水屋神社横にある湧く玉池は水面が穏やかで、湖面に映る木々が素敵に見えました。







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湧く玉池の下流にはニジマスが多く生息。
ニジマスは2009年6月1日に市の魚に認定され、富士宮市では昭和8年に猪之頭に養鱒場が設置され昭和25年には養殖が本格化したとのこと。
1kg以上の鱒になると脂がのってマグロのトロ風味があり、お刺身やお寿司用として出荷されているそうです。





152ニジマスの餌を販売しており、餌を与えることもできます。






(湧く玉池と神路橋)

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神路橋のたもとには、稲荷神社があり橋を渡ると厳島神社があります。




100富士山本宮浅間大社には神田川ふれあい公園もあり、公園には伊東小室桜もありました。











『富士山本宮浅間大社』

〒418-0067
静岡県富士宮市宮町1-1
TEL 0544(27)2002



今年も一年、本当にありがとうございました。
良いお年を・・・   \(´∀`)/






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富士宮市は富士山が
綺麗に見えますね



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そして、やきそばも美味しい






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日記 

2010年12月30日



325伊豆の国市田中山にある
『女塚史跡公園』






324面積5,500平方メートル





          

326広い園内にはタイヤのりなど、
アスレチックの遊具があり木々に囲まれた公園






323『女塚』は治承元年(1177年)7月16日に八重姫の待女5人が自ら命を絶った場所であると言われています。





313昭和50年に女塚保存会が結成され、慰霊碑が建てれられ、平成6年に町事業の一環として整備され『女塚史跡公園』と名付けられました。毎年4月には女塚史跡保存会が中心となって供養を行っているそうです。




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『女塚史跡公園』

静岡県伊豆の国市田中山
※大美伊豆牧場近く





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伊豆の公園 


040伊東市にある
『日暮八幡神社』





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041祭神
 誉田別命
(ほむだわけのみこと)
五穀豊穣・縁結び・安産の守護神


例祭日 9月15日
社殿 本殿流造・雨覆兼拝殿入母屋造


057(神社について)








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創建年月日は分かりませんが江戸時代中期後、神社として地域からの信仰を集め今に至っているとのこと。(勇武の神として信仰。伊東市桜木町・音無町の守護神として崇敬)


044境内17.2坪内に立派に根をはらせる大木は、ひぐらしの森と呼ばれ、若き日の源頼朝が対岸にある音無神社八重姫に会うために日没まで時間をつぶしたと言われています。ひぐらしの森は古くからあり、文禄3年(1594年)8月の岡村差出帳に記録されているそうです。








故 宮内省学典下田義照氏が
『あたことの名にかくれつつ日暮らしの森かへすべき世をや待ちけむ』という歌を残しています。



『日暮八幡神社』

〒414-0013
伊東市桜木町1-2-10



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伊豆の神社 



012守護山(しゅごさん)
真珠院(曹洞宗)





026(真珠院本堂)






016浮島(沼津市)を領土としていた源頼朝の弟 安野全成が、源頼朝と八重姫の恋の末路に心打たれ、ここにあった草庵を補修し祀ったともいわれ、境内には八重姫の供養塔があります。








(八重姫の供養堂(静堂))


008境内には、定仙大和尚五輪塔(1302年)貴喜丸五輪塔(1335年)阿弥陀如来磨崖仏(1363年)など、鎌倉時代から室町時代にかけての年号が刻まれている石造物などがあり、八重姫が身を投げたといわれる『古川』の近くにあります。











『真珠院』

〒410-2121
静岡県伊豆の国市中条145-2
TEL 055(949)3544






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伊豆の寺 


088源頼朝

 





富士山本宮浅間大社にある源頼朝の像)


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 041  
伊東市にあるひぐらしの森
日暮八幡神社
八重姫と逢うのを楽しみに、
若き日の源頼朝が日暮れを待ったという森。





173源頼朝は、伊豆の国市の蛭ヶ小島から伊東の伊東祐親の館に度々出入りしていました。












(写真 物見塚公園にある伊東祐親の像)

この頃、伊東祐親には3人の娘がいました。
姉は三浦二郎義澄、もう一人の姉は土肥弥太郎遠平へ嫁いでいました。3番目の八重姫は、とても美人で見るたび八重姫の美しさに頼朝の心は奪われ、八重姫も頼朝に魅かれ二人はたちまち恋に落ちました。


227そして、源頼朝と八重姫はここ音無の森(音無神社)で密会していました。






117(音無神社の境内にある玉楠神社の祭神は頼朝と八重姫になっています)












113ひぐらしの森と音無の森を結ぶ橋(岡橋)には、頼朝と八重姫の絵が描かれています。




やがて、八重姫は身ごもり男の子を出産。頼朝はとても喜んだそうです。男の子は『千鶴丸』と名付けられました。

八重姫の父 伊東祐親が京都から伊東の館へ帰ってくると、3歳の可愛らしい千鶴丸が乳母と庭先で花を摘んでいました。祐親は、乳母に誰の子か尋ねると乳母は、源頼朝と八重姫の子供だと言うことを隠さずに言いました。

非常に驚いた祐親は『娘が源氏の流人と情を通じ子供まで産んだことが清盛や京都へ知られれば伊東家滅亡の危機、娘も可愛そうだ』と思い、祐親は家来に命じ、千鶴丸を捕えました。


八重姫の切実な思いも聞き入れられず、松川の上流の鎌田の轟ヶ淵((稚児ヶ淵)千鶴丸を沈めた後に名付けられた淵)に石をつけ、千鶴丸は投げ沈められました。



家来は、せめてもの慰めのため鎌田神社の境内に香り高く匂っていた橘の小枝を千鶴丸の両手に握らせました。


081千鶴丸の亡骸は流され富戸の海岸に流れ着き、釣りをしていた甚之右衛門(生川屋(なまかわや)の先祖)が見つけ引き上げました。

(富戸)


086高価な着物から身分の高い子供だと思い丁重に扱い、亡骸をこの石の上に安置しました。   






078この石は『産衣石(うぶぎいし)』と呼ばれ、今も富戸の宇根展望台の近くにあります。






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千鶴丸は富戸の三島神社に祀られ、握らされた橘の小枝は漂着した時に、しっかりと握りしめており、その橘の小枝は三島神社に挿したところ根付き、立派な橘の木になったとのこと。


064その橘の木はその後、枯死したため、今は何代目かの橘の木が植えられています。




(橘の木 写真右側)
 

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その後 八重姫は、江間小四郎に嫁がされました。
八重姫は千鶴丸の哀れみを夫に言い西成寺に菩提の供養を創建。(慶長元年から最誓寺に名を改めます)この寺は、源頼朝との思い出の音無神社のすぐ近くにあります。


源頼朝は八重姫と可愛い千鶴丸を失い、心の壊れた頼朝は北条時政の邸宅で暮らすことになりました。


082一方、初恋の頼朝のことを忘れられずにいた八重姫は数ヶ月で伊東へ戻り、祐親が再び京都へ行った留守中、待女6人を連れて、宇佐美から亀石峠を通り田中山に出て、夜に北条時政の邸宅をを訪ねます。







(写真は、亀石峠からの伊東の海)



北条時政の門番に頼んでも、頼朝は北条政子と結婚していたため、八重姫は冷たくあしらわれ逢うことはできませんでした。

八重姫は、『今生きていても、何の望みがない。せめてこの身を犠牲にし観音になって、将来の男女の為の愛の神となります』と言い残し、『真珠ヶ淵(古川)』へ身をな投げてしまいました。


016伊豆の国市にある真珠院では、八重姫供養堂(静堂)があり堂内に八重姫の木像を安置。(写真左)


八重姫供養堂の右手の大木は那木(和木)と言い、平和穏やかを意味します。この葉は、横に裂けず愛のお守りとして、家族平穏のお守りとして持つと功徳があるといわれています。




真珠院にある八重姫供養堂)



215八重姫の待女6人は、来た道を田中山まで引き返します。






316田中山の大きな松の下まで来ると待女達は『八重姫が最後を遂げたのに、伊東に帰っても館の者に合わせる顔がありません。一層姫の後を追いましょう』と言い5人は、その場で自刃。


残された1人は、伊東へ戻りこのことを館へ知らせました。5人の遺体は、里人が埋葬したそうです。







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319この待女5人が自刃した場所は、後に『女塚』と呼ばれるようなり、今は女塚史跡公園があります。





公園には供養碑があり、『八重姫は失恋をし死を選んだが、女性は愛する人ができたことは素晴らしい事。まして頼朝のような大人物を愛したことは一生心に秘めて生きてほしかった』と文が添えられていました。








※参考文献『伊豆の頼朝 史蹟と伝説』



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